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第117話 出発の準備

「そっかぁ、もう住む場所決まったの?」 「んーん、まだ、今、三つにまで絞った。でもやっぱり間取りがね」 「ふーん……なんか気合い入ってんね」 「新居だからな」 「っぷは、久我山さんがすっごい嬉しそう」  陽介がそう言ってケラケラと笑って、手を数回叩いた。  いつもの飲み屋で、いつもどおりの賑やかな中で、でももうこれも――。 「そっかぁ……聡衣、いなくなっちゃうのかぁ」 「……うん」  もう、こんなふうに陽介と飲むことも頻繁には。 「けど、年一では飲むから! そっちに観光がてら行っちゃうから!」  おっきな声にキョトンってしちゃった。そう、頻繁には飲めないのかな、なんて思ったから、なんか、それを丸ごと否定しちゃう元気な声に驚いて、それから笑った。 「…………っぷは、陽介、顔怖いって」 「うるさい! こっちは親友の旅立ちと、目の保養喪失とでショックがすごいんだから! 顔くらい怖くなるっつうの!」  そっか。年一で飲むんだ。 「あーあ、目の保養がぁ」 「光栄だな」 「うぅ、目の栄養がぁ……目、腐っちゃうかも」 「ちょ、陽介、親友よりもイケメンがいない方ばっか惜しんでんじゃん」 「そりゃそーだ! こんなイケメンそういないし、まだ他のイケメン紹介してもらってないし」 「一人いるぞ」 「「マジで?」」  思わず、陽介と二人で食いついちゃった。その食いつきっぷりに、旭輝がぎゅっと目を細めてこっちを見つめる。いや、そんな睨まなくても良いのでは。イケメンって所に食いついたんじゃないし。旭輝が「イケメン」だって認識するのってかなりのレベルなんじゃないかなっていう、単に興味本位なだけであって。どんな人なのかなって思っただけであって。 「……まぁまぁ顔はいい」  へぇ、まぁまぁって言っても、旭輝がそう言うってことでしょ? なんか一般的にはすごいイケメンっぽいんだけど。 「久我山さんにそう言われるなら、絶対にイケメンでしょ! 大歓迎!」  ほら、陽介も同じことを思ってるし。 「同僚で」 「んもおおお! エリートじゃん! 超絶エリート! ラッキー! もちろん大歓迎!」  もうその二つに陽介がテーブルに乗り出す勢いで大はしゃぎしてる。 「ちょっとだけひねくれてはいるかな」 「ひねくれ……」 「あぁ、けど根はいい奴だと思う」 「……思う」  ひねくれてる…………同僚って。それって、もしかして。 「土日も暇なのかよく仕事してるから、恋人いないだろ」  それってもしかして。  もしかしたら。 「え? 旭輝それって、まさか、河野?」 「河野っていうんだ! その人!」 「あ、いや、あの、陽介、河野はちょっと……」  まぁ、イケメン……ではあるかな。旭輝とはタイプ違う感じだけど。髪とかふんわりしてて、顔は、まぁ……まぁ、まぁ。でも性格がね…………いや、確かに根はいい人そうだし。あの悪態とあの性格も、慣れちゃえば面白いだけだし。害は確かにないけどさ。 「でも、最近、そういえば土日あんまり出てないみたいだったな。平日も呆れるくらいに居残りしてる感じはないし……趣味でも見つけたのかもな。友人いないから暇なんだよ」 「なんか、すごい変な人っぽいけど! でもいい! イケメンエリートどんとこい!」  河野も大概とんがってるけれど。でも、旭輝も……。っていうか、今の会話、河野がここにいて聞いてたら、ものすごく面白くて大爆笑しちゃいそうなくらい怒るだろうなぁって思った。 「よーし! いいこと聞いたから、これは! 飲むぞ!」  陽介はそこで飲んでいたサワーを一気飲みして、もう一杯おかわりを頼んでいた。 「それじゃあね! また飲もうね」 「あ、うん」  いつもの飲み会で、いつもの「バイバイ」をした。 「久我山さんも楽しかったよー」 「あぁ、俺も」 「おやすみー」  いつもみたいに元気に手を振ってくれる陽介に少しだけ寂しくなった。  陽介は寒さに肩を縮めながら、人の中を少し小走りで駅へと向かっていく。 「俺たちも帰るか」 「うん」  いつもの「バイバイ」だったから、また、いつもみたいに会って飲んで。今までいろんなことに付き合ってもらった陽介にはこれからもたくさん、いつもみたいに付き合ってもらおうって。 「ね、旭輝」 「?」 「手、繋いでもいい?」 「もちろん」  そう思った。 「まぁ、ここ辞めちゃうの?」 「そうなんです。辞めるっていうか、違う場所で働くっていうか」 「まぁ……」  国見さんのお店の常連さんがとても残念そうに肩を落とした。お店を辞めるってお客さんに告げるのも変な話だけど、この方はしょっちゅうお店に来てくれて、海外生活の中で出会った面白いエピソードとか、話してくれるから、つい話し込んじゃって。ちゃんと言っておかないとなぁって。 「オンライン版アルコイリス……ねぇ」 「はい。実店舗としても倉庫兼ねてやるんです。もしも旅行で来られる時はぜひ。観光がてら。あっちの特産にしてる織物含めて、色々地域色も出してけたらなって思ってるんで」 「まぁ、楽しそう。それも素敵ね」 「あ、そうだ。今日入荷で、素敵なスカーフ入ったんです。ちょっとつけてみませんか?」 「まぁ、さすが売り込むのが上手ね」 「あはは。きっと似合うと思うんです」  少しずつ。  少しずつ、新しい生活に向けて進んでる感じ。住む場所を選ぶのすら楽しいなんて。  こういうの初めてだなぁって思った。  こういう、ゆっくり丁寧に、自分の将来を作っていく感じ。初めてだなぁって。  今日の仕事はこれで終わり。残務もないし……ってないよね。全部終わらせたよね? と、お店の中をぐるりと見渡してから、バックヤードへと戻ると、国見さんが一番奥にあるデスクでパソコンと睨めっこをしている最中だった。 「国見さん、それじゃあ、お先に失礼します」 「あ、うん、明日、不動産関係のことで書類書いてもらうから」 「はい! 印鑑ですよね」 「そ」  国見さんはにっこりと笑ってくれた。まだ多分雑務が残ってるんだと思う。新店舗の展開とオンラインでの商品展開に向けて、色々、デスクワークがあるって。  苦手なんだ、デスクワークって笑ってた。  蒲田さんはそういうのがとても得意らしくて、政治家先生の秘書辞めて、うちで働かないかなぁなんて。でも、最近、土日も忙しいのかなかなか会えてなくて、あの仕事も大概ブラックだよねって。 「あ、そうだ。聡衣君」 「はい」 「例の、もう来るよ……」 「!」  そして、国見さんはにっこり……ではなく、少しワクワクしている子どもみたいにニヤリと笑って、明日、届くと教えてくれた。 「出発前に届いたね」 「……はい!」  そのニヤリ顔に思わず、返事の声がやたらと大きくなっちゃって、国見さんが「元気だなぁ」って笑ってくれた。

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