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第118話 幸福感溢れちゃってるし
まるで初出勤の日みたい。
ちょっと緊張してる。
「聡衣君」
「は、はいっ」
国見さんの声に背筋のところでピンって糸が張ったように顔を上げると、リラックスって言って、いつもと同じにっこり柔らな笑顔を向けてくれる。それにつられて、俺もにっこり笑って、一つ、深呼吸をした。
顔、強張っちゃってたかな。
あ、やばい、ほっぺたの筋肉硬い。
ダメじゃん。
そして、指先で自分のガチガチに緊張しまくってる顔筋をちょっとほぐしてた時だった。
「……いらっしゃいませ」
カランコロンってもう耳に馴染んだ軽やかな鈴の音がお店に響いて、扉が開いた。
そしてその扉から入ってきたのは、すっごいかっこいい人。
「すみません。スーツを探してるんですが」
「……はい」
もう、ノンケだってわかってても好きになっちゃうくらいにかっこいい人。
「一緒に見立ててくれますか?」
「……はい。もちろんです」
にっこり微笑めば、もう女の人なんてその場で倒れちゃうかもしれない。もちろん、俺も。
「こちらのなんてどうでしょう」
倒れちゃいそう。
彼の周り少し酸素薄くない?
気のせい?
そばに行ったらクラクラしたんだけど。
今朝、部屋を出て、行ってきますってしたところからずっとドキドキしてたせいかな。
今日は土曜日で、彼は休日。いつでもお店に来ていいからって伝えておいた。お昼はこの時間からこの時間、だからこの時間以外でねって。俺がバイヤーとして初めて揃えたスーツと待ってるからって。
「背が高いのですごく綺麗だと思います」
「……」
鏡越しに目が合うと、心臓が躍っちゃった。
改めてこうして見ると本当にかっこいいんだもん。
よくその時に一目惚れしなかったよね。
でも、二十二歳か。その時は俺も今以上に必死だったんだろうな。七年前かぁ。すご、大昔じゃん。
その七年前からずっともっと魅力的になったんだろう彼の背後で昨日入荷したばかりの濃紺の綺麗なスーツを差し出した。
俺が初めてバイヤーとして仕入れたスーツ。
いくつか仕入れたんだけど、これが一番、彼には似合うと思ったんだよね。
あの日、俺がコーデした時と同じ濃紺のスーツ。でもあの時以上に大人びていて、洗練された感じになった今の彼にぴったりのスーツ。
「どうですか?」
似合ってるでしょ?
ほら、ね?
きっとすっごい素敵になるって確信してたもん。
「とても似合ってらっしゃるかと」
「……そうだな」
彼はそのスーツのジャケットをまるでファッションモデルのように着こなしながら、見つめるだけでクラクラしちゃう笑顔をこっちに向ける。鏡越しじゃなくて、真っ直ぐこっちに。
「貴方の好みのスーツイケメンになれてるといいんだが」
「……もちろん」
「あの時、言えなかったんだ。誘う勇気がなくて」
心臓、踊りすぎて、ちょっと大騒ぎしすぎてて、本当止まっちゃうかも。
「お名前は?」
「え?」
「貴方の名前。この後、店が終わってからでもいいし、後日でもいい。食事でもどうですか?」
それはいつもの彼の口ぶりとは違ってた。
それは、まるで初々しさのある二十二歳の時の彼なら口にしそうな言葉たちで。
「あ……はい」
「っぷ。そんなに簡単に誘いに乗るなよ」
「! の、乗らないもん! 旭輝だからじゃん!」
急にそこでいつもの旭輝に戻らないでよ。振り幅凄すぎて目眩しちゃいそうなんですけど。
旭輝はやっとナンパに成功したなんて言って笑ってる。あの時、そう言って誘いたかったから念願ついに叶ったって。
こっちはすごい緊張してたのにさ。
それに初バイヤーとしての接客に声とか裏返っちゃいそうだったのにさ。
「じゃあ、これ一式いただこうかな」
「はい。かしこまりました」
そしてまたすぐにお客さんと店員さんのスタンスに戻って、旭輝がその商品を買ってくれた。それではお会計にってエスコートしようとしたところで、「このスーツなら……」と小さく旭輝が呟いた。
なんだろうって、何かあったのかなって、俺は振り返って。
目が合った。
真っ直ぐ、ただただ直線で彼と俺を結ぶように。
糸でピッとつながっちゃいそうなほど、真っ直ぐに。
「このスーツなら」
うん。
「恋人の実家へ挨拶も伺えるかな」
「……」
「大丈夫だと思う?」
「…………」
心臓がね。
「……聡衣」
止まっちゃうってば。
「どう?」
「っ」
みんなが一目惚れしちゃうようなスーツイケメンの微笑みにくらくらしながら、その人が、たった一人に向けるには勿体無いほど幸せそうな笑顔で俺のことを呼んでくれる。
幸福感、すごいんだけど。
「充分、すぎるくらい、大丈夫だと思うよ」
幸福感が溢れるんだけど。
「よかった」
ねぇ、それってさ。
「じゃあ、一式買おう」
「っ、ありがとうございます」
それって、うちの親に本当に挨拶しに来てくれるってこと? 俺の彼氏は超エリート官僚ですって?
結構すごいことだと思うんだけど。これを男女に置き換えたらさ、もう結婚前提とかじゃないとしないイベントじゃない?
いいの? それ、俺なんかと。
ねぇ。
ほら、幸せすぎて、店員さんなのに接客中なのにさ。
「それでは、お会計が」
幸せすぎて、笑っちゃうくらい声が震えちゃったじゃん。
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