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第119話 獅子座の男

『こちらがリビングになります』  今の時代、すごいよね。  俺たちが小学生の頃には想像もできなかった。オンラインで部屋探しなんてさ。しかも内覧だってリモートでできちゃうんだもん。  パソコンの画面の中には髪をキュッと束ねた女性スタッフがあっちこっちって、俺たちの選んだ第一候補の物件を見せてくれてる。  多分、ほぼ、この部屋で決定かな。  俺たちの新しい生活を始める部屋。 『寝室はこちらです』  部屋は南向き。今の旭輝の部屋みたいに日差しがたっぷり入ってくる大きな窓があって、今度はリビングと寝室は別々にしたの。そのほうが、ね……ほら、生活リズムが違うことがあるから、いいかなって。俺は土日仕事だろうし、旭輝は土日休みだろうから。でも、それによるすれ違いはあんまり心配してないんだよね。  今もそんな感じで休みの日が全然被らないけど、気にならないし。  それにね。  何よりさ。  まぁ……その、溺愛されてる感が、すごいので。 『キッチンはアイランドキッチンとなっておりまして』  案外楽しいかったアイランドキッチン。ここそれがついてるんだよね。それも決め手の一つだったかもしれない。  あと、お風呂は大きいの。  ほら、今ちょうど画面の向こうでもスタッフの女の人が紹介してくれてる。これなら二人で入っても大丈夫かなって。  入るだけです。  もちろん。  一緒に、節約かねてお風呂を済ませちゃうだけです。  他のことは……多分……一応、考えてません。 「以上がお部屋の様子になります。何か見たいところ等ございましたら、何なりと』 「聡衣は? どこか見たいところあるか」 「あ、うん。あ、あのっ……すみません、クローゼットって」  そこ、アパレル店員としては結構重要なので。広さとかね。そして彼女が見せてくれたクローゼットにまた一つテンションがぴょんって上がった。  あそこで決まりでしょ?  強いていうなら、旭輝の職場からちょっと離れてる気がするけど。通勤時間もったいないじゃん。  でも、旭輝にしてみると、俺の職場になる倉庫兼店舗には近いからいいんだって。  そのまま契約をオンラインで済ませちゃえばよかったんだけど、ちょっと用事があってね。後でにした。  今はその用事も終わって、途中、いつものスーパーで夕飯の買い物をして、国見さんのお店の前を通って、ちょっと手振られて、恐縮したりしながら、ようやく家に帰ってきたとこ。  帰ってきて、ゆっくり丁寧に手作業でドリップしたコーヒーに、俺はミルクを入れて、旭輝はブラックのまま。それから二人でソファに座った。  ソファに座って、テレビつけて、もうあとはゆっくり映画でも観て、見終わったら一緒にご飯を作る感じかな。劇的じゃない、淡々としたお休みの一日。  でもちょっとだけソワソワしてる。  この、小さな箱に。  二人の間に置いた小さな青い箱。  ほら、よくドラマとか映画で見かける、小さな箱。ベルベッドの布で囲われてる。  俺はその箱にちらりと視線を送ってから、まるで怖いことをしにいくわけでもないのにちょっと尻込みして、旭輝は俺の隣で、とっても楽しそうにしてる。 「い、いいのに……こんな」 「サイズ、どうだっただろうな。ちゃんと測ったけど」  なんでそこでそんな嬉しそうな顔。 「ちょ……」 「ほら、早くしてくれ」 「ん……もぉぉ、これって、その、お互いにする感じとか、なの? 自分でしないの?」 「しない」  当たり前だろ? って感じに笑わないでよ。 「俺がしてあげるの? っていうかそしたら俺のも旭輝がすんの?」 「もちろん」 「ぇ、えぇ」  照れ臭さがすごいんですけど。  尻込みしてるのわかってるくせに知らないフリしてるし。  そんな俺の様子すら楽しそうに眺めてるし。  とにかく嬉しそうで、幸せそうで。  だから、観念して、その箱を開けた。  こんなにピカピカしてたっけ?  こんなに綺麗だったっけ。 「綺麗だな」 「……うん」  お店で見た時よりもずっと輝いてる気がした。  二人で選んだ指輪。  有名な老舗メーカーなんだってさ。知る人ぞ知るって感じのところで、ここで、その結婚? 指輪? とか作るのって憧れなんだって。海外の超有名な人とかもここで指輪を作ったとか。  そんなお店だったから、入った瞬間から、なんかもう緊張しちゃってさ。だって、こんなとこ男同士で指輪、サイズ測ってまで作らないでしょ? オーダーメイドだよ? 職人さんが測ったサイズの通りに一つ一つ材料を叩いて加工してくれた指輪だよ?  ただの恋人には作らない、でしょ? 「じゃ、じゃあ……」  その手を恐る恐る取った。  だってさ。だってだって、そんなの本気感がすごいじゃん。  長い、指。  関節のところが少しだけ太くて骨っぽいんだけど、長いからか不恰好どころかその骨の感じが色っぽくてさ。 「……」  その指にシンプルなプラチナゴールドの柔らかい金色が輝いた。 「じゃあ、聡衣の番だな」  これ、したらさ。  もう。 「あ、あのっ、ねぇ……あのさっ」 「あぁ」 「あのっ」  するりと滑るように指輪が指に。 「あの……」  俺ね。  指輪ってしたこと、ないんだよね。ファッションリングの装飾がもしも服に悪戯したらダメだから。ちょっとでも、ほつれたらもうそれだけでアウトでしょ? 一着何万円もするスーツがそれだけでダメになっちゃうから、ファッションリングなんてしたことなくてさ。  かといって、こういう指輪ってお洒落用じゃないじゃん。シンプルで何にも邪魔しなくて、とても肌に馴染んで。それこそ、肌の一部みたいになる指輪なんて。 「っ」  そんな指輪が俺たちの左手の薬指に光ってる。 「あの時、死ぬほど緊張したっけ」 「?」 「聡衣が初めてここに来た時」 「あ……」  ぶん……殴ったんだっけ。 「綺麗な指してるなって」 「!」 「マジで? 俺、あの人の手触ってるなんてって」 「ちょっ、何、急にっ」 「夢みたいだ」 「あの」 「……そう思ったよ」  微笑みながら、旭輝が俺のそこにまだ馴染んでない指輪をそっと指先で撫でた。 「今も夢みたいだ」 「っ」 「聡衣」  槌目加工(つちめかこう)っていうんだって。表面がでこぼこしてるっていうか。職人さんがハンマーで叩いて表面に小さな平面がいくつもできて、角度によってキラキラ輝くの。でもその加工はずっとずっと指にしてると消えてっちゃう。仕事して、料理して、掃除して、たまに重いものとか持ったりして。そして、大好きな人を抱き締めたりして、ゆっくり少しずつなめされて、表面のおうとつはいつしか消えて、なでらかな指輪になる。  そんなふうに変わっていく。ずっと、この指にしていたら。  その指輪を撫でて、手を繋いで、微笑んだ彼に胸が高鳴る。 「い、今は? なんて思ってんの?」  その時だった。 「ずっと」 「ずっと?」  テレビが獅子座の運勢を教えてくれた。  ――愛してる。  その言葉とほぼ同時。  ―― 本日の占い、獅子座第一位。  とにかく、とにかく、最高の一日となるでしょう! って。 「聡衣は?」 「! そ、そんなの決まってるじゃん」 「……」 「も、もぉっ」  知ってる  今、獅子座が第一位で最高の一日になるって知ってる。 「……愛してる、よ」  あと、もう一個。  獅子座の俺は、今日、これから、うーん、もしかしたら一生かもしれない。エリートで官僚でイケメンでスーツ姿がもうヤバくて、超絶良い男の彼に、ずっと、ずっと。 「聡衣」  キスされて、抱き締められて、溺愛されるでしょうって、知ってる。

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