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Chapter2-2

 いつの間にか背後にいたその人に声を掛けられた。早苗の返事を待たず、彼は椎名の方に視線を移す。 「紀田くんもいたんだね。2人ともお久しぶり。前に会ったのはいつぶりだったっけ?」  普段から交流があるかのように話かけてくるが、椎名はともかく早苗は直接伊織と言葉を交わしたことはほとんどない。最後に、会ったのがいつかなんてそもそも、対面した記憶もない。せいぜい京介の影から軽く会釈したことがなんとなく記憶に残っている程度でしかない。  こんな状況、つい最近もなかっただろうか、と早苗はかすかなデジャブを感じ、すぐにその正体を思い出す。その相手は俊哉だ。彼も、今までほとんど交流がなかったというのに、まるで兼ねてからの友人であるかのように早苗に話しかけてきた。兄弟揃ってコミュニケーションの取り方が似ているな……と一瞬現実逃避をするが、かの人物は目の前から一向に動こうとしない。  流石に、わざわざ声をかけてきた人物を無視するわけにもいかないので、早苗は引き攣った笑顔を貼り付けた。横目でチラリと椎名を見ると、彼も動揺が隠しきれていない。 「お久しぶりです。伊織先輩」  口火を切ったのは椎名だった。彼らはもともと交流があるので、この状況も任せてしまって良いのではないかと油断していると、急に伊織が早苗に話題を振ってきた。 「そういえば。ぼく、京介のことを逢沢くんとのデート中に呼び出しちゃったんだって? ごめんね」  伊織は申し訳なさそうに眉尻を下げる。が、彼が早苗とデート中の京介を呼び出したのは前回だけの話ではない。それに、彼の謝罪の言葉の裏には『京介は恋人である君よりも、ぼくの方を優先してくれたよ』というような意味が含まれていることが、ひしひしと伝わってきた。  腹は立ったが、ここで『いえいえ。今回に限ったことじゃないじゃないですか』などという発言をして、伊織と揉めるのも早苗は避けたかった。何故なら、それが京介に伝われば、怒られるのは確実に早苗の方なのだ。なので、ここは大人な対応をするのが正解だ。 「いいえ。体調不良だったとか? その後、お加減はいかがですか?」 「うん。京介がその日はずっと看病してくれてたからすぐに良くなったよ。今は元気いっぱい」  ――煽ってんのか?  つい、テーブルの下で握っていた拳に力が入る。が、ここで感情的になったら相手の思う壺だと自分に言い聞かせる。 「それはよかったです。京介さんがあまりにも、急いで帰ってしまったので心配してたんですよ」 「へー、ありがとう」  早苗が思うような反応をしなかったのが面白くなかったようで、伊織の声のトーンが少し低くなった。  ここで引いてくれれば良いのにな、と思いながらふと視線を椎名に向ける。彼はさっさと会話から離脱して、いつの間にか届いていたパスタに舌鼓を打っていた。こんな時にまでマイペースな振る舞いをする彼をこれほど恨んだ。 「あ、そういえば……」  一瞬気を逸らした早苗を伊織が引き戻す。 「なんですか?」  早苗が聞き返すと、伊織は満足そうに口角を上げた。 「今回のことで逢沢くんにすっごく迷惑をかけちゃったから、京介にちゃんとフォローするように言っておいたよ」 「……そうですか。お気遣いありがとうございます」  早苗は伊織のそんな言葉に一瞬顔を顰めた。『どうして元凶であるアンタが何を言っているんだ』という言葉を無理矢理のどの奥に押し返す。  その時の顔はきっと苦虫を噛み潰したような表情だったのだろう。一方伊織は、思ったような反応を早苗から引き出せたことに、上機嫌になって、さらに続ける。 「そういえば、今回の埋め合わせで、京介が逢沢くんにエンゲージカラーを贈ろうか迷っていたみたいだから、ぼくから少しアドバイスさせてもらったよ。とっても素敵なものを選んだから楽しみにしててね」  そんな話を聞かされて、早苗は呆然とするしかなかった。エンゲージカラーとは、アルファとオメガにとっては所謂婚約指輪のようなものだ。それを、恋人ではなく幼馴染という名の浮気相手と選ぶなんてどうにかしている。第一に、そんな曰く付きと言っても過言ではないものを贈られたとしてどういう反応をすべきなのだろうか。  困惑する早苗を見て十分に満足したらしい伊織は、「お邪魔してごめんね」と言ってあっさり立ち去った。 「談笑しているようにしか見えないのに、会話の内容がえぐい。てか、須田先輩もエンゲージカラーみたいな大事なものを恋人以外と選ぶなんてどうかしてるよ……。それに、伊織先輩のマウントがすごかった。――何あれ」  最後の一口を食べ終えた椎名は、呆れたように言った。 「いや、椎名はなんで、ちゃっかり1人飯食ってるの?」 「え? だって、2人とも僕の存在忘れてたみたいだからいいかなあって思って。それに、あんな会話に入ってこいっていう方が無理だよ」  悪びれも無くそういった。椎名のいう通り、あの会話に第三者が入るなんてほぼ不可能だし、早苗だって椎名の立場なら傍観していたことだろう。流石に、やりとりを見ながら食事をすることはないとは思うが。 「ったく……」 「ごめんって。今日は僕が奢るから許して」  現在は専業主婦をしている椎名に奢ってもらうのはなんだか申し訳ないと一瞬考えたが、そもそも彼は根っからのボンボンだったことを思い出し、素直に奢ってもらうことにした。 「それにしても、早苗って伊織先輩とそんなに仲良く……はないな、そんなに交流あったの?」  早苗の注文していたドリアも伊織と話している途中で届いていたので、丁度食べ頃の温度になっていた。びよーんと伸びるチーズと格闘している早苗に椎名が問う。 「ないない。むしろ話すのは初めてって言っていいかも。挨拶をしたことはあったかもしれないけど……あんまり記憶にないなあ」 「それであのやりとり……。早苗も厄介な人を的に回しちゃったね。須田先輩と別れるとかは考えてないの?」 「……考えてないわけでなはい」 「なるべく早く決着つけなよ? ずるずる引きずっても損するのは早苗なんだから。この失敗を活かして次はいい恋をしよう!」  そう言った椎名は、早苗のグラスが開くたびにカクテルのメニューを差し出してきた。早苗は、彼に勧められるまま酒を煽りながら、自分がこんな惨めな思いをするきっかけを思い出していた。

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