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Chapter4-3
待合室は平日の午後診療だからか、普段早苗が通院している時間と比べるとそこそこ閑散としているように思えた。
この病院は産婦人科にオメガ科が併設しているタイプのため、患者の割合は圧倒的に女性が多い。いくらオメガと言っても男性である早苗はとても目立つことに変わりはない。なので、待合室の端の方へ行き、長椅子に腰を下ろした。それでも、他の患者から若干の好奇の視線を向けられることに変わりはなかった。
「受付番号Bの36でお待ちの方は、第2処置室へお入りください」
スピーカーから落ち着いた声で受付時に渡された紙に印字されている番号が呼ばれた。早苗はその指示に従い処置室に向かう。ここの病院の処置室は第1の産婦人科処置室と、第2のオメガ科処置室に分かれている。
第2処置室では、オメガの患者向けの検査でフェロモン濃度のチェックや血液検査が行われる。
一通りの検査を終えると、またしばらく待合室に戻される。呼ばれるのを待っている間、壁にかけられている大型のテレビに映されている魚の映像をぼんやりと眺めていると子供の頃、病院の待合室にある水槽を眺めるのが好きだったことをふと思いだした。
検査の結果が出るまでに20分ほどかかって、それから診察室へ入るように案内される。
「こんにちは、失礼します」
「はい、こんにちは。名前の確認お願いします」
「逢沢早苗です」
「ありがとうございます。久しぶりだね。今回は少し体調が悪かった?」
カルテに挟まったメモを見ながら梅沢先生が来院理由の確認した。この梅沢先生には、早苗がオメガだと発覚した頃からお世話になっている。彼に対する優しそうなおじいちゃん先生という印象は、初めて診察してもらったときから変わっていない。
「はい。朝は平気だったのですが、昼前から少し……」
「そうだねぇ……フェロモンの数値が平常値内ではあるんだけど、すこし高めなのが体調不良の原因と考えられるかな。でも、この数値で発情期の周期が大幅にズレるってことはないと思うけど、一応頓服の抑制剤を出しておきますか?」
「いえ、今日は誘発剤の同意書の方が欲しいです」
「あら、そうなの? 来月の発情期の周期のままだと何か不都合?」
早苗が抑制剤ではなく、誘発剤の同意書を希望したのが以外だったらしく目を瞬かせた。早苗の今までの自分の性別に対する理解を考えたら先生のその反応は妥当である。
「不都合というか、実は先日プロポーズされたので。なので、もしこのタイミングで発情期が来るなら、いいなと思ってて」
「なるほど、そうでしたか。それはおめでとうございます。早苗さんくらいの年代だと、婚約指輪の代わりにネックガードを贈るのが流行っているんでしたっけ?」
梅沢先生が自分の首元を見ていることに早苗は気がついた。別に早く番になりたいから誘発剤を処方して欲しいと希望する患者は少なくないので、その理由に対して疑っている訳ではないだろう。
しかし、発情誘発剤自体がとても扱いの難しい薬なので、いくら昔からこの病院に定期検診などで通院している早苗に対しても同意書を渡すのは慎重になるようだ。それは想定内だったので動揺したりはしなかった。
早苗のような理由で誘発剤の処方をする場合、パートナーと来院するとスムーズだとネットには書かれているが、俊哉と一緒にいる姿を知り合いに見られでもしたら厄介なのでその案は即座に却下となった。代替案のエンゲージカラーを持っていくというのはいいアイディアだったと思う。
「そうなんですよ。オレも贈ってもらったんですけど、常用するにはちょっとすごいものもらっちゃって……、自慢していいですか?」
「もちろんいいですよ。色々なデザインあるんでしたっけ? 確か早苗さんのお勤めの会社でも医療用とは別に出してましたよね」
「そうなんですよ。何年か前に海外映画で、アルファがオメガにプロポーズするシーンがあってそこから、エンゲージカラーを贈るというのが流行り始めたんですよ」
早苗はトートバッグから京介に貰ったエンゲージカラーの入った箱を取り出すと、梅沢先生が、興味深そうに少し身を乗り出してきた。
「それですか」
「これなんですよ」
早苗は箱をゆっくりと開け中身を見せる。
「おお! これは、凄いですね。貰った時嬉しかったでしょう」
「はい、とても嬉しかったです」
「ほかの患者さんにもね、エンゲージカラーを見せてもらったことあるんですけど、こんなに豪華な装飾があるのは初めて見ましたよ」
箱の中に鎮座するエンゲージカラーをまじまじと覗き込んだ。先生の後ろにいた看護師も物珍しそうな顔で見ていた。
「これだけ装飾があるので普段使いができないのが残念なんですけどね」
「確かにそういう用途には向いてないかもしれませんね」
箱を閉じてゆっくりと蓋を撫でる早苗に梅沢先生は同意した。エンゲージカラーが首元に巻かれていない理由には納得して貰えたらしい。机の中からファイルを取りだして早苗の前に差し出した。
「これが発情期誘発剤の処方同意書です。早苗さんの氏名と住所、それから連絡先を記入してもらう欄と、パートナーの方に記入してもらう欄があるので確認して捺印をお願いします」
「分かりました」
「この処方同意書を受付に提出してもらえば、その場で処方できます。使い方についてはお薬渡す時に薬剤師の方から説明があるのでよく聞いてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「早苗さんおめでとうございます。お大事に。」
受け取った同意書をバックにしまって立ち上がると、先生はにこりと微笑んで早苗を見送った。
早苗は梅沢先生が祝いの言葉をかけてくれたことにチクリと胸が痛くなった。
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