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第11話

一週間後、スワローが書類上の手続きを終えヴィクを引き渡しにくる日がやってきた。 「変じゃないよな?」 姿見の前に立ち、ピンクゴールドの前髪を一房摘まんでしごく。 鏡に映るのは洗いざらしのモッズコートを羽織った地味な若者。 頼りなさそうな撫で肩とお人好しが滲み出す柔和な風貌は、いかにも無害で清潔というほかはとりたてて褒めそやすにも値しない。 てのひらで入念に寝癖を直し、次いでコートの皺を伸ばす。 「スワローの奴、ちゃんと時間通りに来るんだろうな……先生が待ってんだから遅刻するなよ」 口の端に指をひっかけ笑顔の練習をする。 一抹の気恥ずかしさと緊張が微妙に口角を引き攣らせる。正面を向いて顔を引き締め、強張った顔筋を揉みほぐす。 どんな顔をしてスワローに会えばいいんだ。暫く離れてたんだ、兄さんの威厳を見せないと。 第一声は?「久しぶり」?「元気だったか」?……なんだか他人行儀で恥ずかしい。もっとフランクに行くのはどうだ、おもいきりハグして「手柄を上げたなすごいぞ」と褒めてやるか……いやいやスワローを調子に乗せるだけじゃないか。 「どうなさったんですのブラザーピジョン」 「シスターゼシカ!?これはその、顔の体操です。マッサージしないと頬が垂れるって聞いて」 「まあそうでしたの、わたくしも早速実践せねばなりませんわね。加齢の兆候はお肌からといいますし」 鏡の前で百面相するピジョンを見、シスターゼシカがおっとり微笑む。 「ていうかノック……」 「一応したのですけれど、考えごとに夢中でお気付きにならなかったみたい」 「俺のせいか。ボンヤリしてました、すいません」 上の空を指摘され素直に詫びる。ドアを開けたものの勝手に入る非礼は慎み、シスターゼシカが優しく促す。 「弟さんとお付きの方が到着なされましたよ」 「お付きの方……ああ、ヴィクの保護者代理の。思ってたより早いな、アイツの事だからてっきり」 「てっきり?」 サボるかと、なんて続けられない。 「すぐ行きます」 逸る気持ちを押さえてゼシカを伴い廊下を歩む。遅刻すっぽかしが当たり前のスワローの事だから、時間ギリギリに来ればいい方だと構えていた。本当は神父や修道女たちと正門に並んで出迎えるはずだったのに…… 予定が狂った焦りと数ヶ月ぶりにスワローと会える喜びが、胸の内で縺れあってピジョンの歩みを急かす。 ともすればゼシカを追い越しそうになりながら廊下を抜け、教会の敷地を横切って正門へ赴く。 正門前には神父と修道女たちが待ち構えている。 「遅くなりました先生。スワローは……」 「どこかへふらっと行ってしまいました」 「え?」 思いがけぬ返事に面食らい、敷地を抜ける半ばで失速するピジョン。神父の傍らに辿り着くと同時に、正面に佇む二人連れに目がいく。片方はあばた面の醜男、彼と手を繋いでいるのは貧相な男の子だ。 「こちらは賞金稼ぎ兼ヴィク君の保護者代理のマッドドッグ・ドギー氏、隣が当教会で引き取るヴィク君です」 神父の説明を受けたピジョンは慌てて挨拶をする。 「はじめまして、リトル・ピジョン・バードです。弟がお世話になってます」 「おおとも、ものすごーーーくお世話かけられたぜ」 ドギーと名乗る男が鼻の穴を得意げに膨らませる。 ヴィクは怯んだ上目遣いでピジョンを窺い半歩後退、偉そうにふんぞり返るドギーの手に縋り付く。 「……ぼく、ヴィク。です。ドギーおじさんに連れてきてもらいました」 「おじさんは余計だ」 途端にドギーが不機嫌になる。 ピジョンはやや早漏気味に質問を重ねる。 「ドギーさんはスワローの知り合いなんですよね。電話じゃ親しそうな口ぶりでしたけど……コヨーテ・ダドリーを挙げに行った時に道連れになったって聞いてます。アイツ絶対無茶苦茶やりましたよね、ドギーさんを囮にして雑魚引き付けるとかわざと蹴倒して踏んでいくとか人でなしなマネしましたよね?ごめんなさい兄として代わりに謝罪します、悪気はないとは言い切れないけど根は悪いヤツじゃないんです」 食い付くような勢いで怒涛の謝罪をすれば、ドギーが一瞬目をまん丸くしてから下卑た笑み全開でまくしたてる。 「あーそうだなうんスワローにゃどちゃくそ迷惑かけられた!確かに上等な面してっし頭もキレて腕もたちやがるが賞金稼ぎとしちゃ半人前よ、コヨーテの巣に潜りこんだ時だって鼻が利く俺様がいなけりゃ全滅してた。全くキレると見境ねーっていうか、敵のど真ん中にオラオラ突っこんでくから参ったぜ。無事下水道脱出できたのは何を隠そー俺の手柄、慰謝料として賞金まるごとよこしたって罰あたらねー。口と態度もすんげー悪いし、人のこと初対面で痴漢扱いしてケツ蹴り上げたんだぜッででなにする!?」 ヴィクが唇をムッツリ曲げてドギーの足を踏ん付ける。 「スワローさんに助けてもらったのにおじさんは嘘吐きだ」 「ぅ、嘘じゃねーよ。アイツにゃさんざん振り回されて」 しどろもどろ口ごもるドギーと相対し、ピジョンは感謝をこめて微笑む。 「スワローが電話で言ってました、ドギーさんには世話になったって」 「本当か?あのスワローが?」 仰天するドギーに対し、ピジョンは「はい」と力強く頷く。 「で、具体的にゃ何て?」 「え?えぇと……」 『駄犬よりゃマシな程度の働きだな』なんてさすがに本人に言えるわけがない。ピジョンは懸命に頭を働かせ、最大限良い方向に捻じ曲げた意訳を伝える。 「猛犬のように働きものだって」 「ふぅん。あっそ。あのスワローがねー?可愛いとこあんじゃん」 ポーカーフェイスを装おうとして失敗、だらしなく口元が緩む。 ピジョンの苦し紛れの嘘を称賛と受け取ったらしい、犬と比べられるのは彼にとっては名誉のようだ。 続いてピジョンを不躾に値踏みし、肩口や上腕に顔を寄せて匂いを嗅ぐ。 「あの……何を?」 「嗅いでんだよ」 ピジョンを検め終えると神父へ移り、神父が済んだあとは修道女たちを嗅ぎ回ろうとしたものの、「破廉恥ですわ!」とビンタをくらって引き下がる。 「なるほどね……コイツは信用できるぜヴィク」 ヴィクの隣に戻ったドギーが親指の背でピジョンを示す。 「神父さんは火薬にペパーミントふりかけたみてェに胡散臭ェ匂いがするが、ガキを食い物にする悪党じゃなさそうだ」 「マッドドッグ・ドギーご自慢の利き鼻にかなって光栄です」 「シスターたちゃ石鹸のフローラルな匂いが」 「意味がわかりませんわ!」 非難轟々のシスターたちを神父は手で制すや、前半はドギーに、後半はピジョンへと悪戯っぽい流し目をよこす。 「ドギー氏流の挨拶、ですよね。やれ喜ばしいことに、私たちはヴィク君を託すに値する信頼を勝ち得たようです」 「俺ぁ野良犬に育てられた犬人間だからな、人間の本質を匂いで嗅ぎ当てる技にたけてんのさ。行きずりに拾ったガキったって変なのに押し付けちゃ寝ざめがわりぃだろ」 「本当だったんだのあの噂、バンチが書き立てたガセネタだと思ってました。あの、握手してください」 「いいぜ」 「ありがとうございます」 モッズコートで拭いてからドギーに握手を求め、カード集めに精を出す少年の顔で無邪気に喜ぶピジョン。 神父が膝をそろえてしゃがみ、すっかりおいていかれたヴィクの目を見て語りかける。 「こんにちはヴィク君、私はここの神父です。今日から君が暮らす孤児院の院長も立場上兼ねております、よろしくお見知りおきを」 「……よろしくお願いします」 元から引っ込み思案なのかただ緊張しているだけか、ヴィクはか細く返事をしすぐさまドギーの後ろに引っ込む。 シスターたちも順に自己紹介していき、最後に居候のピジョンの番が回ってくる。 「はじめまして、俺はリトル・ピジョン・バード。君も知ってるスワローの兄さんだよ」 「スワローさんの?」 ヴィクがドギーの背後から控えめに顔を出す。 「全然似てない」 「そうかな」 「髪と目の色以外は、だけど」 ヴィクは言葉を短く区切って話す。喋ること自体に慣れてないみたいだ。 これまで彼がおかれていた境遇を想像し、ピジョンは胸を痛める。 ピジョンの目から見たヴィクは少し血色が悪く発育不良な事を除けばどこにでもいる子供だが、その実体はマーダーズの元商品。 実験体のクインビー、あるいはカネで男たちに買われる母と同じく物扱いされてきた子供なのだ。 「全然似てないけど、スワローは俺の弟だよ」 ピジョンはほんの少し照れ臭げに告げる。 きょとんとするヴィクと視線の高さを合わせ、噛んで含めるように語りかける。 「俺はここの居候、神父様は俺の先生で直々に狙撃を教えてもらってるんだ」 「神父さんが銃の撃ち方を教えてるの?」 「先生は引退した賞金稼ぎなんだよ。ここはいい場所で先生もシスターもみんないい人たちだ、ベッドは1人1台あるしご飯もおいしい、おもいきり走り回れる庭もある。毎日お祈りの時間があるけど聖書の話は為になって面白いし読み書きをただで学べる。ドギーさんとお別れするのは寂しいだろうけど、できる範囲で手助けするから困った事があれば頼ってほしい」 「だとさヴィク、人の背中にすっこでねーでいい加減あっちいけ」 「でも」 「はなたれをしょいこむのはごめんだね、俺ぁ可愛い犬どもの世話で手一杯なんだ」 ドギーが憎たらしく笑い、抗うヴィクを神父の方へと押し出す。 コケかけてたたらを踏んだヴィクが振り返れば、ドギーは既に背中を向け、知らんぷりを決めこんでいる。 「確かにお預かりしました」 「せいせいしたぜ」 ヴィクに顔を見せず洟を啜るドギー。 神父はヴィクの肩を掴み、孤児院で生き抜く為の実践的な心構えを説く。 「我々は君を歓迎します。ですがいますぐ家族になろうとは言えません、それはとても困難な事ですから。血の繋がった者同士でも難しい、ましてや他人とあれば……既に聞いているかもしれませんが当院の子供の大半はミュータント、人間は珍しい。あるいはいやな思いをするかもしれません。やられたらやり返せというのは簡単で、やられてもただ耐えろというのは酷でしょう。ここが君にとって過ごしやすい場所になるように我々も最善を尽くしますが、実現には迎える側迎えられる側、双方の忍耐が必要です。居場所とは本来尊重と譲歩で出来上がるものですから、それを無視して自分の居場所がないと嘆くのは奢りです。我々もまだ君のより良き居場所足り得るかわかりません、ひょっとしたらドギー氏と暮らす方が幸せかもしれない」 神父の言葉に混乱するヴィクの傍ら、ドギー自身は「とんでもない」と首を横に振る。ヴィクに情を移しているのは確かだろうが、かといってずっと養っていける程の余裕はないのが現状だ。 「あの……」 最初から家族を知らずただ商品として扱われてきたヴィクは、家族の意味すら上手く呑み込めない。 神父は彼の戸惑いを汲み、優しくも厳しく教え諭す。 「今すぐには家族になれずとも、あなたが私を頼ってきたらできるかぎり味方であろうと努めます。温かいベッドと清潔な服、質素ですが栄養のある食事と学習の機会を提供しましょう」 「質素で悪うございましたね」と厨房係のシスター・エリザがぼやき、他のシスターたちが「しーっ」と人さし指を立てる。 一同が見守る中心にて、ヴィクの肩を両手で掴んだ神父が不敵に笑む。 「君の仕事は我々を踏み台にすることです」 神父は後ろに居並ぶシスターたちを見回し、力強い総意を得てこう結ぶ。 「そうして君達の踏み台となるのが我々の誇りです」 再びヴィクと向き合った時、眼鏡の奥の糸目が僅かに開き、透徹した瞳が覗く。 冴えた知性と冷めた達観、深い慈愛を宿すパープルブルーの目。 「どうか私たちを踏み付けて上へとあがってください。我々の仕事は君により多くの機会を授けること、より良い人生を歩めるか否かは君次第です。何をもって良いとするか、わからなければお考えなさい。大丈夫、時間はたっぷりあります。ここにいる限り決して飢える事も凍える事もないとお約束します」 神父を後押しするようにシスターたちが微笑む。 ドギーは背中を向けたまま、手の甲でそっけなくヴィクを追い立てる。 ヴィクはこみ上げる涙を呑んで前を向き、シスターの1人と手を繋いで敷地へと入っていく。 途中で振り向き、相変わらず背中を向けた恩人に礼を述べる。 「さよならドギーさん、お世話になりました」 ドギーが肩越しに親指を立て束の間の居候を送り出す。 それを見たヴィクが泣き笑いに顔を歪めた途端、外で遊んでいたチェシャとハリ―が群がってくる。 「ねえねえこの子が先生が言ってた新しい子?ホントに耳としっぽがないのね」 「ニンゲンなんて外でしか見たことねー。お前ボール投げできる、チェシャってば全然とれねーでやんの」 「アンタがノーコンだからでしょうがっ!」 「ボール投げ、ちょっとだけならできるよ。おじさ……ドギーさんに教えてもらった」 「決まりね!」 「シーハンが待ってる、早く行こ」 ヴィクは最初こそ戸惑っていたものの、チェシャとハリ―の勢いに押し切られ、彼と彼女に手をとられ遊びに加わる。 ボール投げに夢中なヴィクと愉快な仲間たちを一瞥、ドギーが親指を下ろして呟く。 「……薄情なヤツめ、ダチができたら見向きもしねえ」 拗ねるドギーに吹き出しそうになるのを寸手でこらえ、ピジョンは丁寧に述べる。 「ヴィクを送ってきてくれてありがとうございます」 「ピジョンだっけか。スワローがよく話してたぜ、自分と全然似てねえ種違いの兄貴がいるって。俺がいなきゃなんにもできねえお荷物だってほざいてたが」 「アイツにしてみればそうなんでしょうね、これでも頑張ってるんですけど」 ヴィクの引き渡しが完了し、シスターたちは各々仕事に散っていく。 「私も失礼しますね。ピジョン君は1時間後に墓地へ、伏位の姿勢を矯正します」 「わかりました」 神父が優雅に一礼して去るのを確認後、みるみる笑顔が萎んでいく。元から撫で肩の肩をさらに落とせば、ドギーが黄ばんだ歯を剥いて茶化してくる。 「スワローのドタキャンがショックか」 「はい……いいえ」 「どっちだよ」 「よく考えたら来るはずないんです、昔から教会を毛嫌いして避けてるのに子供を送り届けにくるとか普通にありえない。会わない間に心を入れ替えて少しは真人間になったんじゃないかなんておめでたい勘違いをして、自分が恥ずかしくなりました」 スワローに会えるのを楽しみにしていたのが馬鹿みたいだ。 結局ピジョン1人舞い上がっていた、スワローはピジョンなんかどうでもよかったのだ。 「いいんですよ別に、お互いいい年だし会ったって修行の邪魔になるだけだし。俺なんかいなくても全然元気でやってるってわかってむしろ安心しました、いい加減兄さん離れしなきゃ彼女もできない。あ、セフレは彼女じゃないんで口寂しい時に摘まむ煙草と一緒です。それで思い出した、アイツまだ喫ってるのかな?どうせ俺以外に注意してくれるお節介いないんだし、喫い過ぎには注意しろってでてく時言ったんだけど……肺が真っ黒になっても知らないからな」 饒舌な毒舌は止まらず、強がってはみるものの気持ちはどんどん荒んでいく。 ドギーはくどいのろけ話に付き合わされてる表情で頭をかき、こっそりピジョンに耳打ちする。 「スワローなら礼拝堂だ。兄貴が来たら教えろとさ」 ピジョンが目を見開く。 「ったく自分勝手だよな、俺にガキ押し付けて礼拝堂で寝てくるって。昨日も飲んで騒いで二日酔いだと、ンな状態で義理でもツラ見せたなァ奇跡かもしんねーが」 「ありがとうございます!」 ぼやきたりないドギーの恨み節を遮り、モッズコートの裾を翻して教会へ走っていく。 砂埃を蹴立ててピジョンが去った後、中庭で遊び戯れるヴィクの姿を目に焼き付けたドギーがニヒルに独りごちる。 「達者でな」

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