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第19話
「漸く落ち着きましたわ」
部屋の扉を静かに閉ざし、シスターエリザとシスターアデリナが出てくる。
廊下で待機していた残りのシスターと神父は、神妙な面持ちで報告を聞く。
「外傷はたいしたことありませんがショックが大きくて……食事も喉を通りそうにありません」
「その……シスターゼシカは生理不順に悩んでまして。以前からピルを服用していたので妊娠の心配はなさそうですが、念の為お医者様に洗浄を頼んだ方が」
「本人はさらわれた子どもたちの行方を案じています」
シスターアデリナが気まずそうに口ごもる。
シスターの何人かが涙ぐんで鼻を啜り、神父が俯く。
「シスターアデリナには引き続きシスターゼシカの世話をお願いしてよろしいでしょうか。年が近い方の方が緊張がほぐれるでしょうし」
「おまかせください」
「先程お医者様を手配したのでもうすぐ到着すると思いますわ」
「しっかり見てないといけませんわね、情緒不安定な状態が長引けば最悪の結果に」
「不吉な事言わないで、シスターコーデリア」
「私はただ」
小声で諍い始めるシスターたち。皆余裕がない。
シスターロザリーとシスターモニカが、今にも縋り付かんばかりに切迫した面持ちで神父に詰め寄る。
「子どもたちはどうなるのです?」
「手掛かりは掴めましたか」
「いいえ……ですがまだ遠くへは行ってないはず、大荷物を積んだジープでボトムを抜けるには検閲がありますし」
「保安局に掛け合って手配してもらえばいかがでしょうか」
「敵を特定できないと承認がおりません」
神父が曖昧に濁す。
この手の犯罪が起きた場合、犯人には賞金がかかる。市の条例として保安局の仲介が定められている為、手配が遅れるのは致命的だ。人質の命に関わる。
「犯人はわかってますわ、シスターゼシカと子どもたちが言ってました、リーダーは黒ずくめに日本刀を背負った若い男だと」
「ゴースト&ダークネス……ボトムで多発している児童誘拐事件の主犯格よ、札付きの悪だって噂の」
「ヴィクの言い分もそれで腑に落ちるわ、双子に板挟みにされたのよ」
「お願いです神父様、早く保安局の助けを呼んでください!事は一刻を争うんですのよ!」
堪忍袋の緒が切れたシスターたちが神父に群がり、その腕をやや手荒く揺さぶる。
「落ち着いてください皆さん、既に交渉は始めています。今から保安局に出向いて」
「悠長な!」
「アジトはわからないんですの、わかれば直接乗り込んで」
「馬鹿なことを……」
神父の顔に苦渋が滲む。
「いいですか、あなた方は孤児院に待機して子どもたちのケアにあたってください。救出作戦は私と保安局が共同で進めます」
「で、でも」
「知り合いの賞金稼ぎにも協力を仰いでいます。大丈夫、きっとみんな無事に帰ってきますから……おいしいご飯を作って、温かい寝床を整えて、皆さんで迎える準備をしておいてください」
安心できる家を。
神父に諫められ一旦は引き下がったものの、心の底から納得している訳ではない証拠に、どの顔にも不安と疑念、不信感が淀んでいる。
最年長のシスターエリザが微妙な空気を感じ取り、派手に手を打って場を取り仕切る。
「ほらみんな、散った散った!シスターモニカは子どもたちの寝かし付けを、シスターロザリーは戸締りの確認をお願いね。くれぐれも単独行動は慎んで、しばらくは二人一組で行動なさってね」
「紅茶なら飲めるかしら、シスターゼシカ。少しでも何かお腹に入れたほうがいいわ」
シスターエリザが音頭をとって皆が散開、急き立てられるように走り出す。
多少なりとも手を動かしていれば気が紛れる、子どもたちの行方を案じて神経をすり減らさずにすむ。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
神父が頼りない笑顔で感謝を述べ、腰に手を付いたシスターエリザが鼻の孔を膨らませる。
「神父様もしゃっきとなさってください、そんなざまじゃシスターたちに示しが付きません」
「面目ございません。留守をお願いできますか」
「もちろん、まかせてくださいまし」
「護衛としてピジョン君を残していきます。彼は今どこに」
可能性は低いとはいえど二度目の襲撃を警戒し、神経質にあたりを見回す。食糧庫の一件から姿が見えない。部屋にこもっているのだろうか。
「さがしてきます」
シスターたちと別れ、ピジョンの部屋へ急ぐ。今は時間がない、一分一秒が惜しい、早急に用件を告げて発たなければ……留守を任せるならピジョンが適任だ。シスター達にも最低限の護身術と武器の備えはある。シスターゼシカは子供たちを人質にとられて抗えなかったが、か弱い女性に無策で留守を任せるほど、彼も愚かではない。
ピジョンの部屋の前に到着、深呼吸で気まずさを払拭し拳を掲げる。
「いらっしゃいますかピジョン君。少しいいですか」
軽くノックをして会話の許可を乞うものの、応答はない。完璧に無視される。
顔も見たくないということか。
拳を中途半端に上げたまま、平坦な声で願い出る。
「……開けなくてもいいのでそのまま聞いてください。これから保安局に出立しますので、留守番をお願います」
相変わらず返事はない。中で何をしているのか。師の不甲斐なさにあきれ、軽蔑し、ベッドに腰かけているのだろうか。今回の事で幻滅されても仕方がない。
「交換手の方によくお願いしておきましたので、何かあればすぐ電話で知らせて」
中で音がした。ばらしたライフルを組み立てる音。複雑な機構が噛み合い、鉛の弾丸が装填されていく音。
「開けますよ」
不審に思ってノブを回す。ピジョンは、いた。質素なベッドに腰かけ、無言でライフルの手入れを行っている。一回も顔は上げず、神父の方を見ようともしない。
「今から保安局に行って」
滑らかな手付きで弾をこめる。
「全部話して」
こめる。
「所定の手続きを済ませて。帰って来るのは明日の朝?それとも昼ですか」
「ピジョン君」
「常に混み合ってますからね。列が掃ける時なんてない、窓口に辿り着くまで一苦労だ。漸く順番が回ってきても、今度は事実確認やら犯人特定やらで時間をとられますよ」
弾込めに集中するピジョンの声はどこまでも冷たく淡々としている。別人のようだ。
「ボトムの孤児院からミュータントの子供がさらわれたって泣き付いたところでまともに取り合ってくれるでしょうか」
それはアンデッドエンドにおける、否、この世界における真実の一面だった。
いくら平等を謳っても、ミュータントの人権や命は一段下に見られている現状だ。保安局に事件を持ちこんだところで優先順位は低く、後回しにされるのは目に見えている。
「アップタウンの金持ちんちに強盗が入ったとか、そっち優先で動くに決まってます」
もしトラブルが起きた場合は、当事者が保安局の窓口に被害届を出し、初めて事件として成立する。
傷害や殺人、誘拐の犯人を捕まえてほしければ、保安局を通して賞金首の手配をせねばならない。
犯人の特定に足る根拠が希薄で賞金首の広布ができず、事件の成立が見送られるなど本末転倒なケースも多々起きる。
「ただでさえ人手が足りずパンク寸前の保安局が、毎日ダース単位で人が死ぬボトムの誘拐に手間を割いてくれるとは思えません」
「そこは私が掛け合って、有能な賞金稼ぎを振り分けてくれるようにお願いします」
「一介の神父にコネでもあるんですか?」
ピジョンがライフルを背負い腰を浮かす。神父が立ち塞がる。
「どこへ行かれるんですか」
「皆を助けに」
「いけません」
「もたもたしてたらもっと状況が悪くなる」
「犯人のアジトは?逃走経路もわからないのに軽率です」
「デカいジープに何個も袋を積み込んで走り回ったんですよ、必ず目撃者がいるはずです、地道に聞き込みしてけば絶対わかります」
「日が暮れてから出歩くのは危険です、せめて明日の朝に」
「時間がもったいない」
「お待ちなさいピジョン君、はやまってはいけません」
「行かせてください先生、じゃないと子どもたちが」
ドアを背にした神父が、自分を無視して行こうとする弟子に食らい付く。
「君一人出向いたところで自滅するだけです、敵が大人数なら堅実に事に当たらねば」
「なんでそんなに優柔不断なんですか!!」
我知らずピジョンは叫んでいた。
今まで我慢に我慢を重ねてきたもの、激情を堰き止めてきた決壊が崩れて理性を押し流す。
「シスターゼシカのあの姿を見て!ヴィクのあの声を聞いて!子どもたちのあの有様を見て、まだじっとしてろっていうんですか!?」
ピジョンは何もできなかった。
シスターゼシカが犯されている時もヴィクが切り付けられた時も子どもたちが怯えて食糧庫に閉じこもっている時も何もできず何もできないまま、どんなに狙撃の腕を磨いても誰一人助けられずに
一体これまで何を学んできたんだ?
「もっと早く帰ってくればよかった、もっと早く切り上げて様子を見に来たらよかった、そしたらシスターゼシカも子どもたちも俺さえ間に合えば全員救えたんだ!」
「君個人に責任はまったくありません。悪いのは全て私です、私の判断の甘さが招いたことです」
「気休めと言い訳は一緒です、もう嫌なんです何もできないで無力を呪うのは、俺だってきっと何かできたはずだって今からでも証明したいんです」
今まで学んだことを無駄にしたくない、師の教えを生かして子どもたちを取り返したい、何より子どもたちが嬲られているのに見殺しにできるはずがない。
「外道が子どもたちを嬲りものにしてるのに、指咥えて待ってるなんてごめんですよ」
ピンクゴールドの髪の下、セピアレッドの瞳が赤く燃える。すれ違い際、未練を断ち切るように頭を下げる。
「お世話になりました」
「お待ちなさいピジョン君、ぐっ!?」
神父は取り乱していた。目の前から去りかけたピジョンの手首を掴み、引き止めようとした刹那、鳩尾に銃尻が入る。ピジョンの仕業だ。
「ごめんなさい」
哀しげな小声で詫び、首の後ろに手を差し入れて神父を抱きとめる。戦わずして敵を失神させるコツは、神父本人に教わった。ライフルの銃尻を上手く使うのだ。
ぐずぐずしてる暇はない。神父をベッドに寝かせ、ピジョンは出発する。
「どうなさったのブラザーピジョン」
「神父さまを見かけませんでした?」
すれ違いざまシスターたちが何か言ってくるが無視をし、孤児院を出ようとした所で窓からヴィクに呼び止められる。
「ピジョンさんどこ行くの」
「君の友達を助けにいってくる」
「一人で?」
ヴィクの顔に困惑の色が広がり行く。咄嗟に彼の口を塞ぎ、反対の手の人さし指を立てる。
「必ず連れ戻すから待ってて」
「居場所もわかんないのに?」
子供心に無謀さが伝わったのか、声を潜めて探りを入れるヴィクと向き合い、ピジョンがせがむ。
「ヴィク、君は現場を目撃したんだろ?襲撃犯に関して、覚えてることがあれば何でも言ってほしい」
「突然言われても」
「乗ってたジープの特徴は?逃げてった方向は?」
「ジープはゴツくてデカくて緑色ので、逃げてったのはあっち。ボトムの奥の方」
ヴィクが伸びあがって指さす方角は南西だ。あちらはボトムの中でも特に荒廃が進んだ区域。ピジョンは首肯し、ヴィクの頭をぎこちなくなでる。
「助かった」
「このこと他の人には」
「内緒で頼む」
「ぜ、絶対手伝ってもらった方がいいよ。一人は無茶だよ危ないよ、アイツらたくさんいたもん、銃とか刀とかいっぱい持ってたもん」
頑固に主張するヴィクに微笑みかけ、スナイパーライフルを背負い直す。
「俺にはこれがある」
「待ってピジョンさ」
ヴィクに背中を向けて駆け出す。ずたぼろのモッズコートを翻し、門を抜け、息を弾ませて通りを駆ける。背中で上下するスナイパーライフルの存在感が今は心強い。
コイツを手放しちゃだめなんだ、俺はスナイパーなんだから。スナイパーになるって決めたんだから。まだ間に合うまだ救える、手遅れなんかじゃ絶対ないって信じるんだ。
軽率?無謀?なんとでも言え。少なくとも今は部屋でじっとしてるなんてできっこない、敵のねぐらを掴めなくても一晩かけて聞いて回れば逃走経路を把握できるかもしれない、息せき切って駆けずり回る理由には十分だ。
あの人のように、何もしないでいたくない。
ほんの数時間まで敬愛していた師に対し、侮蔑と幻滅の念が渦巻く。
苦しい。苦しい。息を吸って吐くたび肺が張り裂けそうで、とても苦しい。
日が暮れたボトムに人出は少ない。照明が点いた家は僅かしかなく、歯の抜けた売人と身持ちの悪い娼婦が路傍から手招きしている。
孤児院から少し離れただけで治安は悪化し、放火されて骨格だけになったとおぼしき廃車が、あちこちに乗り捨てられている。
「すいません、荷台に麻袋を積んだジープ見ませんでしたか?黒ずくめで日本刀の男が乗ってるはずなんです」
ドラム缶の焚火を囲むホームレスに飛び付く。
「いきなりなんだよアンタ?知らねェよ、あっち行きな」
次、髪をブロンドに染めた娼婦。
「ちょっと前にジープが通りませんでしたか、荷台に袋が」
「さあね、覚えてない。お金くれたら思い出すかも」
「足りますか」
コートのポケットを裏返し持ち金を渡す。
「あー、そういえば向こうの路地を抜けてったかも」
「ありがとうございます!」
「多分だけどー」
ボトムに吹き溜まる人々に片っ端から聞き込みを行うものの成果は乏しく、真面目に取り合うものはほぼ皆無ときた。
これでは埒が明かない。
仮に目撃者がいたところで彼らが事実を答えるとは限らない、トラブルに関わり合っても寿命が縮むだけ、犯罪が蔓延するスラムでは見て見ぬふりこそ賢い処世術だ。
「ボトムから出てないはず……遠くへ行ってない……絶対に」
顎に伝い落ちる汗を拭い、膝に手を付いて呼吸を均す。啖呵を切って飛び出したきた以上、教会に帰る気は毛頭ない。
まだ動ける、まだイケる。疲労困憊でぶっ倒れるまで聞き込みすれば、そのうちアタリを引くはず……
「ピングーじゃねーか、スワローの兄貴の」
間延びした声に振り向き、驚く。マッドドッグ・ドギーがいた。バイクに跨ってこちらを見ている。
「どうした汗だくで」
「ドギーさんこそ、なんでボトムに」
「あー、ちょっとした野暮用でな。序でにヴィクのツラ見て帰ろうかと思ったんだが」
「今はちょっと……やめといたほうがいいです、皆殺気立ってるんで」
「何があったんだよ」
「子どもたちが誘拐されたんです。俺たちが炊き出しに出払ってる時にジープが乗り込んできて」
「マジか!?ヴィクは大丈夫だったのか」
「幸い他の子たちと一緒に食糧庫に逃げ込んでて」
「よかった……いや、誘拐されちまったガキどもにゃよくねえか」
即座に謝罪する。
脂ぎったあばた面の醜男だが、根は悪い人間ではない。
もとよりヴィクが懐き、スワローが世話になったドギーには好感を持っている。
ヴィクの顔を見にバイクを飛ばしていた点からも信頼できると判断、藁にも縋る思いで聞きこむ。
「ドギーさんは見てませんか?襲撃犯のリーダーは日本刀を背負った若い男、年齢は20代前半。ツーブロックの黒髪に鳶色の瞳、顔に変わった形の刺青があるらしいとか」
ドギーが目を引ん剝く。
「知ってるんですね!?」
「今回はやめとけ、相手が悪い」
「教えてください」
両腕を掴んでせがめば不承不承話し出す。
「そりゃあゴースト&ダークネスだ。正しくはレオン・ダークネスとレオン・ゴーストだか、獅子の威を借る札付き双子だよ。凄腕賞金稼ぎらしいが、賞金首の方の悪名がきれいさっぱり打ち消しちまってんな。てか連中ろくなことしねェ、ガキの誘拐にまで手ェ染めやがったのか。前に組んだ時ゃそこまで落ちぶれちゃなかったが」
「組んでたんですか?」
だしぬけに投下された新事実に今度はピジョンが目を剥く。ドギーがおどけて首を竦める。
「2・3年前の話だよ、ボトムのどん詰まりに逃げ込んだ強盗を狩りたてに……っても殆ど出番なかったけど。ゴースト&ダークネスオンステージ、こっちは裏口見張ってるだけの簡単なお仕事さ。首尾よく行ったおかげで終始ご機嫌だったぜ、強盗追ん出した廃モーテルをヤサにしようとかほざいて」
点と点が繋がった。
「どこですかそれ」
「!?っだだだだだ、いで、いでえって馬鹿離せ」
「早く」
ドギーの腕に知らず指が食い込む。ピジョンの底知れぬ気迫と眼光に怖気付き、ドギ―がしどろもどろ口を割る。
複雑な道順を頭に叩き込み、ドギーを台座から引きずり下ろす。
「貸してください」
「は?」
「あとで返しますんで」
「ちょ、待」
抵抗を示すドギーと入れ代わりに台座に跨り、ハンドルを捻る。ギアを入れるやエンジンが低く嘶き、排気ガスを撒き散らす。
「乗れんのかよ!?」
「前にスワローが乗ったとこ見たんでイケます」
もっとも、強盗を追うさなかに通行人から奪ったバイクだが……弟に乗りこなせた物が自分に乗りこなせないはずがない。
エンジンを吹かしアクセルを踏む。バイクが勢いよく走りだしすぐ転倒、ピジョンを投げだす。ドギーが片手で額を叩く。
「言わんこっちゃねえ、大丈夫か」
「だ、大丈夫。キズは付いてません」
「バイクじゃなくてお前だよ」
「やっぱりいい人ですね」
「行くなら行くでスワローに応援頼んだほうがよかねェか」
「出戻ってたら間に合いません」
体重をかけアクセルを踏みこむ。
風を切るバイクが入り組んだ路地を抜け、一路ゴースト&ダークネスのねぐらをめざす。
バイクは小回りが利くぶん早く着ける。ドギーは近道を教えてくれたので、時間が短縮できた。
バイクに乗るのは正真正銘初めてだが、子供たちの命がかかっているときて、恐怖心は吹っ飛んだ。
スワローができた事が俺にできないはずがない、アイツは余裕で乗りこなした。
スワローを真似てハンドルを回し、アクセルを踏み、壁を掠める危うさでボトムのはらわたへ分け入っていく。
暗闇が濃い方へ、人けがない方へ。
汗ばむ手でハンドルを握り締め、モッズコートの裾を翻して落書きだらけの倉庫街を抜けると、平屋建てモーテルの廃墟が見えてきた。
電気の供給が途絶えたネオン看板は、あぎとを開けたライオンの顔をかたどっている。
「っ!」
ブレーキを踏んで失速、廃車の影にバイクを乗り捨てる。
モ―テルの駐車場に無骨なジープが停まり、カタギとは思えない人相風体の男たちが屯っていた。
子供達の姿は視認できない。ヴィクや他の子たちの証言通り、麻袋に詰められているらしい。
「…………ッ!」
人でなしどもめ。
ギリッと奥歯を食い縛り、憤りを押さえこむ。
距離は300フィ―ト以上隔ててるからバレてない。錆びたドラム缶や廃車、へこみだらけのダストボックスなど、遮蔽物が点在しているのも接近に好都合だ。
暗くて狭い袋から早く子どもたちを助け出してやりたい一念で、細心の注意を払い、現場へ近付いていく。
男たちは何か話しているが、この距離からでは聞こえない。駐車場を狙うなら高所に陣取るのが不可欠、したがって狙撃のポジションは限られてくる。
ちょうどいい場所があった。駐車場に面した倉庫の屋根、外付けの階段から繋がる屋上。
鉄筋でできた外階段を極力足音を立てずにのぼり屋上に到着、ライフルを構えて腹這いに伏せる。
スコープの十字を覗き込み、1人1人の顔を目に焼き付けていく。
「風向き良好。|標的は11《ターゲットイレブン》」
鼓膜の裏側で心臓の鼓動が膨れ上がる。
男たちは激しく口論している。
言語道断の人でなしだが、殺したくはない。狙うのは手足と肩、動きさえ奪ってしまえばこっちのもの。
スコープを覗き、まずは日本刀の男に狙いを定め……
「え?」
間抜けな声が漏れた。
誘拐犯のリーダーと目される日本刀の男が、突如として別の男に斬りかかったからだ。
「仲間割れ、か?」
それを皮切りに、駐車場は乱戦の惨状を呈す。ゴースト&ダークネス対その他の構図だ。
双子の呼吸は抜群で、互いの死角を補い合うように立ち回り、片やメリケンサックによる殴打、片や日本刀による斬撃で、圧倒的に数が勝る男たちを血祭りに上げていく。
ほんの一瞬、敵だということを忘れて見とれてしまった。スワローとピジョンの理想形がそこにあったから。
チャンスだ。
素早く思考を切り替えスコープを覗く。内輪揉めで削り合ってくれれば好都合、無駄撃ちが防げる。しばらくは様子を見て……
見殺しにするか?
敵だから、死んでもいいのか?
引鉄にかけた指が凍り付く。
スコープの向こう側、ゴースト&ダークネスの独壇場と化した廃車の影、隠れ潜んだ男が蠢く。奇襲をかけるのか?馬鹿な、実力差がまだわからないのか。
どうでもいいじゃないか、ほっとけピジョン。子どもたちを殴る蹴るしてさらっていくようなクズ、死んで当然じゃないか……。
『ピジョンは優しいいい子ね』
母さん。
引鉄を指で圧する。
「ぎゃああっ!?」
狙い過たず男の肩が破裂、血肉が弾け飛ぶ。
ゴースト&ダークネスに気付かれた。
放っておけばよかった、見殺しにしたって構わなかった。なんで引鉄を引いた?わからない。
母さんの声が聞こえてそれで、俺は賞金稼ぎをめざしてて、人殺しに成り下がりたいわけじゃ全然なくて、あの人にだって奥さんや子供がいるかもしれないし
『外道の心配かよ、お優しいねクソ兄貴』
悪いかスワロー、これが俺なんだ。お前の兄さんのピジョンなんだ。
俺は俺であることを絶対譲れない、相手がどんなクズだって目の前で殺されようとしてるのを放っとけない、たとえそれで不利な状況に追い込まれても
あれ?
俺の目的ってなんだっけ?
「はあっ、はあっ、はあっ」
呼吸が荒い。瞬きで汗を追い出して続けざま引鉄を引く、弾丸がアスファルトを穿って甲高い音をたてる、ゴースト&ダークネスが紙一重で狙撃を躱し廃車の影へ退避。
できる。やれる。スワローがいなくても、先生がいなくても
暗闇に火が灯り、脊髄反射で引鉄を引く。ゴースト&ダークネス、どちらかが投げた煙草だ。
地面に落ちる前に撃ち抜けば、微小な火の粉がぱら付く。
間違えた、人じゃない。間違えたで済むか。早く早く子どもたちを助けなきゃゴースト&ダークネスをさっさと撃ち倒し可哀想な子どもたちを
「アンタ、教会の関係者か」
まとまらない思考を粗野な大声が蹴散らす。
「ガキども取り返しにきたんか」
片方の廃車の後ろから、億劫そうに影が歩み出る。片手に麻袋を引きずっている。
「こん中に入っとんで」
銃弾と刀、どちらが早いか。答えは刀だ。
もし狙撃手が冷静な判断を下すなら、今ここでゴーストを射殺するのはありえない。
ゴーストは弱々しく蠢く袋に白刃を突き付け、ピジョンによく見えるように翳す。
「何突き目で死ぬか賭けるか」
「やめろ」
掠れきった声を絞り出す。
あの中にいるのは誰だ。シーハン?チェシャ?ハリ―?ピジョンのまだ知らない子どもかもしれない。
皮肉なことに、麻袋に入れられているおかげでまだ平常心を保てる。
子どもたちに手出しはさせない、絶対に。
引鉄をゆっくり押し込んで牽制する。
「子どもたちを帰せ」
「銃をおけ」
「袋からだせ」
「はよ捨てろや」
どちらかわからない双子の片割れが肩幅に足を開き、威風堂々開き直る。
交渉に応じるべきか否か、額に脂汗を滲ませ悩む。
もし、袋に入れられているのが犬か猫だったら?
子どもたちが袋に詰められる現場を見たのはヴィクだけで、ピジョンは実際目にしていない。
ヴィクの発言を疑うわけではないにせよ、肉眼で確認を済ませてない以上、中身を入れ替えた可能性は十分ある。
もちろん全部が全部そうとは限らないが、ゴースト&ダークネスは悪辣で狡猾だ。
麻袋に詰めた犬猫を子供に見立て、スナイパーを脅す位は平気でやってのける。
現在、ピジョンが頼れるのは両手に構えたナイパーライフルだけ。もし男に丸め込まれて唯一の武器を捨ててしまったら……
一体誰が、子どもたちを助け出すんだ?
十字で区切られたスコープ越しに、麻袋を軽々とぶらさげる手元を凝視する。
子供が入ってるにしちゃ軽すぎないか?
いくらゴースト&ダークネスが怪力とはいえ、些か度を越してないか……
本当に今、引鉄を引かないのが正解なのか?
大人しく銃を捨てるのが正解なのか?
暗澹と疑念が渦巻く中、場違いに安穏とした声が駐車場に響く。
「教会の人間か。シスター元気か?ようけ肉が詰まったええケツしとったで、尼さんで枯らすんはもったいない」
『お願い、見ないでピジョン』
引鉄を引いた。
殺意をこめて。
「先越されて悔しいか。淫乱シスターにホの字か」
「彼女を侮辱するな」
「遠慮すんなて、たっぷり話を聞かせ」
返事は銃声だ。
ゴーストは咄嗟に刀を立て、めまぐるしく傾けて銃弾を弾く。
刀に跳ね返った弾丸が駐車場に転がった男の四肢を抉り、不規則な痙攣を引き起こす。
聞いたはずのない母の声が、見た覚えのない母の泣き顔がシスターゼシカと重なり指が勝手に動く。
続きを言わせてたまるか、お前はここで死ね、頭を撃ち抜かれて死ね。
風圧で捲れたピンクゴールドの前髪の奥、ピジョンレッドの眸を純粋な怒りが染め上げる。
シスターゼシカを侮辱した男を許せない、よってたかって凌辱した男たちを許せるわけがない。
天にまします我らの神が裁きを下さないなら俺がこの手で始末して……
「ぅアぁ、いたいよォ」
夜風にちぎれたか細い泣き声が、ピジョンの心臓を凍らせる。
銃口をずらし、スコープを覗き、ピジョンは見てしまった。男が捨てた袋が弱々しく蠢き、中のから小さく嗚咽が漏れる。
俺は今、子供を見殺しにしたのか?
泣き疲れて暴れる元気もない子供を、叫ぶ元気もない子供を、袋が刀が突き通してもいいと。発作的な怒りに我を忘れ、子どもを見殺しにしたのか?
袋の中に誰もいないってなんでわかる俺が勝手にそう決め付けただけもし男が刀を突き刺してたらあの子は即死だ袋は真っ赤に染まって死ななかったのは結果論スコープの向こうのアスファルトの上投げ出されてもがくあの子を助けに行くのが先決じゃないか行かなきゃ今すぐ
ライフルを手放せないのに?
「だれかたすけて、もォやだよー……」
スワロー、母さん、先生。
俺はどうしたら?
この場で何をどうしたら、正義を果たせるんだ?
「|畜生《Sit》」
子供にあたるかもしれないのに撃てるわけない、跳弾でとどめをさしてしまいかねないのに撃てるわけない。
誰をも助けたいと欲張り誰も助けられない、それがスナイパーとして未熟なピジョンの限界だ。
「|最悪《Bad》」
集中の極みに達した視界が汗と涙でかき曇り、正義と大義を司る|十字架《レティクル》が溶けだしていく。
今すぐ助けに飛んでいきたいのに引鉄を引く指はオートで止まらずスタッカートの旋律を紡ぎ、月明かりでコーティングされた薬莢を排出する。
「|神様《God》」
狙いがブレ、狂い、逸れ行く。駐車場に落ちた袋を避けるだけで精一杯。
ピジョンは自分を裏切った。
子どもたちを助けにきたにもかかわらず憎悪が先行し、人質を危険にさらした。
賞金稼ぎとして生きる上で一番大切な、ピジョンがピジョンとして生きる上で欠くことできない、自分の信念を裏切った。
考えうる限り最悪の形で。
屋上に伏せ、日本刀で弾丸を受け流す男に照準を絞る。
「綺麗な目ェしとるやん、自分」
赤々と冴えた眸。爛々と光る瞳。唐突に声をかけられ、平凡な顔に驚愕が走る。
「お前は」
振り返りざま慄然と剥いた目に、不吉な影が覆い被さる。
メリケンサックで武装した拳を突き抜ける固い衝撃、モッズコートを広げたピジョンがライフルを水平に寝かせ男を押し返す。
「お前たちが主犯格か!」
まんまと不意打ちをくらった。
がら空きの背中を狙われたらひとたまりもない、相手が双子だと失念していたピジョンのミスだ。
ピジョンにのしかかる若い男が、あぎとを開いた獅子さながら凶暴な笑みを剥きだす。
「ゴースト&ダークネスや。なんでここがわかったん?」
「お、教えてくれた人がいたんだ」
「誰や」
「言えるか!そんな事より子どもたちを返せ、全員無事にっ……今までさらった子たちも元の孤児院に帰すんだ!」
「無理な相談やな、売ってもうたもん。袋に放りこんどるんは間に合うけど」
嘘だ。
「!?ぐはっ、」
鳩尾に衝撃が爆ぜる。ピジョンの膝頭が男の腹にめりこむ。
「やりよったな!」
凄まじいパンチラッシュに意識が飛び、切れた唇から血が滴る。ピジョンはひたすら打撃に耐える、ブレる視界に捉えた男が哄笑を上げ過去と現実が混ざりだす、子どもたちを助ける為にここに来た、先生が役に立たないから、スワローがいないから
「しゃれたもん付けとるやん」
「うっ、が、はな、せっ」
首に鎖が食い込み赤黒く鬱血、気道を塞き止められる苦痛に喘ぐ。
咄嗟にライフルを握り直し、男の鳩尾に台尻を叩きこむ。
「!?痛ッあがっあ、」
続けざま振り抜いたライフルでこめかみを殴り付ける。
「本当に売り飛ばしたのか、あの子たちが何したっていうんだ!」
「知るかボケっ、遊ぶカネ欲しさじゃ!!」
無我夢中でピジョンの足にしがみ付き、体重をかけて引きずり倒す。
激しく揉み合い屋上狭しと転がり、互いの胸ぐら掴んで頭突きをかます。ピジョンが片手で男を掴み起こし、額の中心に銃口を抉りこむ。
「R.I.Pの意味知ってるか?」
「わけわからんこと!」
「お前は、お前たちだけは、安らかに眠らせたくない」
熱を持ち疼く体を引きずり起こし、血がまざった唾を吐き捨て、低く宣言する。
ゴースト&ダークネス。
お前たちを殺せるなら、地獄にだって落ちてやる。
汚れてもかまうもんか。
堕ちたってかまうもんか。
犠牲になった子たちの分まで、泣いて喚いて苦しみ悶えて贖えよ。
「ぐっ……」
男の額に玉の汗が浮かび、尖った犬歯が唇に沈む。
次の瞬間、死角から飛来した白刃がモッズコートの裾を貫く。
「ビッグブラザー!」
「一丁上がり」
コートを縫い付けられ前傾した一瞬の隙に男が跳ね起き、ライフルを強引にひったくるや銃筒で顎を突く。
「ぐはっ、あ」
垂直に脳を揺らされ、意識が飛ぶ。
ライフルを持ったまま屋上に突っ伏すピジョン、撓む鼓膜に二重の声が反響する。
「……教会の……ガキどもを……」
「ふんじばって……」
「思い知らせたれ……」
視界の軸が歪んで男が分裂したのを最後に、ピジョンは意識を失った。
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