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第23話
「ご苦労。少し待っていてくれ」
「御意に」
待機を命じられたミュータントの運転手が恭しく一礼し、外套を纏った主を送り出す。
夜も更けた頃合い、錬鉄の門の向こうには静寂の帳が降りていた。
敷地に踏み込みまず気付いたのは轍の跡……彫りの深さから見てジープだろうか、縦横無尽に芝を荒らしている。
「これは酷い」
山高帽の下、横に切り込みが入った瞳が剣呑に細まる。
抉り取られた芝や轍は、詳細に検証するまでもなく賊の侵入を物語っていた。
キマイライーターが緊急の一報を受けたのは数刻前、アッパータウンの豪邸で愛妻と寛いでいた時だ。キマイライーターは新聞の一面で報じられる市議会議員の汚職を憂い、ルクレツィアはテレビのクッキング番組を見ていた。
使用人が取り次いだ電話の相手は長年懇意にしてる神父。
彼は久闊を叙するマナーも飛ばし、ひどく意気消沈した声音で子供たちがさらわれたと告げた。
キマイライーターはボトムの教会に多額の寄付をしており、最大の後援者といっていい存在だ。
不祥事が起きたらまず報告が入る立場である。
孤児たちが誘拐されたと知ったキマイライーターは、ルクレツィアに事情は伏せて現地に急行した。
愛妻への説明を省略したのはひとえに心優しい妻を悲しませたくないからだ。
あるいは夫以上に慈善活動に熱心なルクレツィアは、子供が惨たらしい目にあうのをなにより嫌い恐れている。
キマイライーターとて心は同じだ。無辜の子どもたちを害する存在に、もとより容赦などする気はない。
「先客がいるようじゃな」
半ばまで来て振り返れば、門の向こうにもう一台車が止まっていた。悪趣味の一語に尽きる、ド派手な黄色のアルファロメオだ。フロントのナンバープレート上に一対、蛇の装飾が施されている。
案の定、宿舎の方から騒々しい物音が聞こえてきた。何かが壊れる音に続く甲高い悲鳴は女性のものか。
ほどなく頭巾を被った修道女の一群が転がり出て、キマイライーターに縋り付く。
「ああ、キマイライーター様!ナイスタイミング、天が遣わされた救世主ですわ!」
「どうかお止めになってくださいまし、神父様が殺されてしまいます!」
「アレはきっとギャングですわ、破廉恥な髪色の無法者が突然殴りこんで神父様を張り倒して」
「部屋に鍵をかけて全く様子がわかりませんわ!」
「神父様が絶対近付くなって人払いなされて、わたくしたちどうしたらいいか……ただでさえ大変な時に」
「なるほど、よくわかった。君たちはここで待っていたまえ、私がいいというまで入ってはいけないよ」
「危ないですわ」
「だてに長くは生きておらんよ、喧嘩の仲裁はお手の物じゃ」
不安がるシスターたちを苦笑いで宥めて通りすぎざま、一際憔悴の激しいシスターが目に入る。
両側から支えられ、辛うじて立っているといった風情だ。
神父は言葉を濁していたが、そのたたずまいを見れば彼女の身に起きた出来事は予想できる。キマイライーターは立ち止まり、静かに名前を呼んだ。
「シスターゼシカ」
「は、はい」
「よく戦い抜いた。敬意を表する」
シスターゼシカが驚きに目を見張り、次いで震えながら俯く。
「……わたくし、何もできませんでした。子供たちを守れずされるがまま……連れていかせてしまいました……」
両手に顔を埋めて泣きじゃくるシスターゼシカに相対し、キマイライーターは厳しくも優しいまなざしを向ける。
「君は|犠牲者《ヴィクテム》ではない。|生存者《サバイバー》じゃ」
男性への恐怖を骨の髄まで刻み込まれたゼシカには決して触れず、どこまでも高潔な声と、包容力に富んだ眼差しだけで励ます。
「この世界では生き抜いた者が即ち勝者じゃ。君は残された子供たちを守り、助け、導いた。起きた事をしっかり我々に伝え、後を託してくれた。その勇気を貶めるのは許さんよ、務めを果たしたことを誇りたまえ」
キマイライーターは守るべき弱者としてではなく、身を汚されても穢れ得ぬ、不屈の精神を持った強者としてゼシカを遇した。
女性全般を重んじて立てる彼が、愛妻とならぶ特別な敬意を払ったことで、それまで耐えに耐え続けた感情の堰が決壊する。
「ッ……」
うなだれて立ち尽くすゼシカに背を向け、追い縋るシスターたちを制し、悠揚迫らぬ物腰であたりを払って宿舎に赴く。
何が起きているか大体予想が付いたが、実際この目で確かめるまで結論を急ぐのは差し控えた。
物音はどんどん大きくうるさくなる。誰かが激しく言い争っている……否、一方的に怒鳴っているようだ。
「入るぞい」
エチケットとしてノックをしたあとにノブを捻るが、やはり開かない。
ドアの向こうで中国語の恫喝が炸裂する。轟音と共にドアが撓んで破砕され、隙間ができた。隙間から覗いたところ、ラトルスネイクが神父に馬乗りになっている。神父の表情はよく見えないが、殴る蹴るされて既にボロボロだ。
『该死、见鬼去吧』
ラトルスネイクが神父に拳銃を突き付けて喚く。
神父が力なく首を振る。
銃口でくり返し小突かれても無抵抗のまま、四肢をぐったり投げ出していた。
『以后打算怎样?』
「副音声忘れてますよ」
ラトルスネイクが銃で殴り付ける。横っ面を張られ、神父が鼻血を出す。
「だからわかりませんって中国語は。あなたの悪い癖ですよ、頭に血が上るとすぐ」
「じゃあこの場に似合いの聖書のフレーズ言ってみろよ。好きだろ、ヤッてる最中に口走って萎えさすの。汝姦淫するなかれ?黙れアホが」
「落ち着いて、と言っても無駄ですね」
胸ぐらを締め上げられたまま低く笑い、噎せる。
ラトルスネイクは瞬きをしない。
黄色のサングラスの向こうで、インペリアルトパーズの目が憤怒にぎらぎら光っている。
「シーハンはどこだ。とっとと出せよ。さらわれた?どの口が吹かす?テメェは何やってたんだ、え」
片手でカソックの襟元を引っ掴み、疑問に合わせて頭をドアに打ち付ける。
神父は黙って耐え、弱々しく呟く。
「炊き出しをしていました」
「ガキどもほっぽって?シスター一人に押し付けて?テメェのご機嫌なケツよかガバガバ入れ食い状態で?なあアウル、この界隈で孤児院襲われてるの知ってたよな。ボトムでガキが消えるのは日常茶飯事だ、新聞もテレビも今さら取り上げねえよ、でも毎日のように消えてんだ、さらわれて売られて殺されてんだ。なのに元賞金稼ぎがやってる自分とこだけは安全だって、余裕綽々で構えてたのか」
「面目ありません。私の手落ちです」
神父は一切反論も弁解もせず、ラトルスネイクの誹りを受ける。
「日和りやがって」
幻滅の滲んだ声と表情で吐き捨て、続ける。
「あたりは付いてる。ゴースト&ダークネス……亡霊と暗闇だかってご大層な名前の賞金首の双子が主犯だ、随分派手にやってたからすぐ割れたぜ。ぶっ殺してくる」
「ねぐらはわかるのですか」
「調べさせてる」
「蟲中天の幹部が勝手に動いていいんですか?せっかく出世したのに、公私混同で処分されますよ」
「ライオンの皮剥ぎなんざ一人で十分」
ラトルスネイクの笑顔に毒気が滴り、憎悪にギラ付く目が極限までひん剥かれる。
「アイツをキズモノにしたら。犯して、嬲って、殺してやる」
一言一句区切って凄み、無邪気に微笑む。
「お前もだよ、アウル」
インペリアルトパーズの目が恍惚と潤んだかと思いきや、次の瞬間胸ぐらを引き寄せ唇を奪っていた。
「っふ、は」
口をこじ開けて二股の舌をねじこみ、ガリッと噛む。
鉄錆の味に噎せる神父を突き飛ばし、親指で唇を拭い、元相棒の頬に血糊を擦り付ける。
硬質に澄んだインペリアルトパーズの瞳が、とどまるところを知らない加虐心に蕩け、カソックの胸元にたれた十字架を掴んで離す。
その手がゆるやかにすべりおり、カソックをはだけた胸板に赤い筋を曳く。
二股の舌先が耳朶で踊り、低く掠れた声を送り込む。
「アイツに何かあったら、脊椎砕けるまでブチ犯してやる」
神父の口元がさも愉快げにわななき、血糊をなすられた頬に、達観が磨き上げた憫笑を刻む。
「その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、呪いの子となっている……平気で子供を売り買いするくせに自分の娘は可愛いんですね、あなたも所詮人の子だ」
乱れて捲れた前髪の下、苦痛に引き歪む|紫の目《パープルアイ》に露骨な嘲りが浮かぶ。
気色ばんだラトルスネイクが拳銃を眉間に擬すより早く、キマイライーターが動く。
「お取りこみ中すまないが、そろそろいいかね」
杖の切っ先でノックすれば、神父だけが辛うじて振り向いた。ラトルスネイクは顔も上げない。
「引っ込んでろジジィ、俺様ちゃんはコイツとガチな話をしてんのよ」
「娘さんが巻き込まれたのは知っておる。ならば尚更急を要するのではないか?くだらない喧嘩で作戦を疎かにせんことじゃ」
「説教かよクソうぜえ」
「離れたまえラトルスネイク。ワシとやる気か」
それは一瞬の出来事。
仕込み杖から飛び出た刃が木製のドアを切り刻み、キマイライーターがノブを捻らずして威風堂々入室。
「!ちッ、」
殺気走って銃を構えたラトルスネイクの手を、たちどころに翻った杖が押さえる。
キマイライーターは冷え冷えした目で血気さかんな若造を見下ろす。
「彼が言わぬならワシが言わせてもらうぞ。ナイトアウルを責めるのはお門違いじゃ、父親の義務を果たさず人任せにした君に怒る資格などありはすまい」
ラトルスネイクの顔が歪む。
「テメェに何が」
「人から聞いた話しか知らんが何か?娘が大事ならなぜ手放した、母親を奪った負い目を抱いたか?四六時中手元において見張っておれば誘拐も防げたのに、そうしなかったのはなぜじゃ」
キマイライーターの瞳がどんどんが冷え込み、ラトルスネイクが悔しげに唇を噛む。
されどキマイライーターは追及の手を緩めず、杖の先端でラトルスネイクの顎を上げる。
「それはな、君が父親の責任を擲って犯し盗み殺す外道だからじゃよ。君が捨てて逃げた分も彼は育て親を代行したんじゃ、自らの振る舞いを棚に上げて当たり散らすのはやめたまえ」
無慈悲な杖を制したのは、横合いから伸びてきた手だ。
ラトルスネイクの顎に突き付けられた先端を静かに逸らし、赤毛の神父がため息を吐く。
「……いいんです、私の不徳が今回の事態を招いたのですから」
ラトルスネイクが中国語で悪態を吐いた。
杖を携えて通り過ぎざま、へたりこんだ彼に聞く。
「手を貸そうか?」
「無用です」
「ドアは弁償するよ、請求書を回してくれ」
「いいえ……お構いなく」
鼻白んで引き下がるラトルスネイク。彼とて愚かではない、年季に裏打ちされた実力の差は心得ている。内心今すぐ神父を絞め殺したくても、キマイライーターの前では堪えるはずだ。そうでなくては困る。
杖の頭に両手を重ね、凛と背筋を正し、キマイライーターが場を取り仕切る。
「さて、事情を聞かせてもらおうか」
カソックの襟元を締め、ずれた眼鏡を押し上げた神父がこれまでの経緯を話しだす。
自分たちが炊き出しに行った後、孤児院が襲撃を受けて十数名の子供たちが誘拐されたこと。犯人はボトムで最近犯行を重ねている賞金首。子供たちの居場所は今だ掴めず。
「誘拐の目的は人身売買でしょうね。相手は企業か変態か、いずれにせよいい金になります。うちの子供たちは身なりに手をかけているから、好みにうるさい金持ちに高く売れると……わかっていたのに」
自らの迂闊さを呪うように吐き捨て、キツく目を瞑る。キマイライーターが杖の先端で床を叩き、失意に沈む神父を現実に引き戻す。
「逆に考えたまえ、連中の目的が人身売買ならすぐさま殺されることはない、子供たちの安全は保障される。金持ちは好みがうるさいから、キズモノにされることもおそらくない」
「かもな」
片膝立てて机に掛けたラトルスネイクが皮肉っぽくまぜっ返す。表面上は平静を装っているが、落ち着きなく撃鉄を弾いて起こす動作が、内心の焦燥を代弁していた。
「身代金の受け渡しで話がすめばらくなのじゃが」
「アンタが払うのかよ、番付トップは太っ腹だな」
「ワシは構わんぞい、老いぼれ二人にあの家はちと広すぎじゃ。ダウンタウンのアパートに引っ越せば新婚時代を思い出す。ルクレツィアも納得してくれるじゃろうが、事前に許可を乞いたいの」
豪邸を売却した金で子供たちを買い戻そうと提案するキマイライーターに、ラトルスネイクは舌を巻く。
その時、表で騒ぎが持ち上がった。三人が鋭い視線を交わす。やがてシスターに導かれて転がり込んだのは意外な人物だった。
「ドギーさん、ですか。こんな時間にどうされました」
「いや、俺もよくわかんねェんだがピジョンに言伝頼まれてよ」
「ピジョン君に?」
思いがけぬ人物の口から思いがけぬタイミングで弟子の名が飛び出し、たじろぐ。
ドギーは手振り身振りを交えて申し送る。
「ガキども誘拐した連中さがしてんだろ?ゴースト&ダークネスのヤサなら5ブロック東、エンヴィーストリートのモーテルだ。名前はリトルサバンナだか、廃業して長ェけど。ピジョンは先行ってっから教会に知らせてこいって……ヴィクはどこだ、無事なんだよな」
先ほど喧嘩別れしてからピジョンの姿が見当たらない。
シスターの話では脇目もふらず駆け出していったらしいが、単身敵陣に飛び込むとは……。
「馬鹿ですかあの子は」
何故目を離した一人で行かせた、子供たちに続いて弟子まで失うはめになったら……
『シスターゼシカのあの姿を見て!ヴィクのあの声を聞いて!子どもたちのあの有様を見て、まだじっとしてろっていうんですか!?』
『外道が子どもたちを嬲りものにしてるのに、指咥えて待ってるなんてごめんですよ』
『あなたのように、なりたかった』
「違いますね。私が一番馬鹿ですよ」
今の自分はあの頃なりたかった自分たりえているか?
答えはすぐにでた。
心は決まった。
瞠目の表情に透徹した殺気が漲り、十数年の歳月を経て|夜梟《ナイトアウル》が羽ばたく。
「キマイライーター氏にお願いがあります。私が不在の間ここを守ってください」
「君はどこへ?」
「不肖の弟子と可愛い子供たちを助けに」
執務室の本棚に向き合い、赤い背表紙を押す。すると本棚がスライドし、無骨な保管庫が現れる。
保管庫の扉を開けてスナイパーライフルを手に取り弾丸を装填、鋭利な光を帯びたパープルアイでラトルスネイクを一瞥、有無を言わせず命じる。
「車を出してください」
「一人でイケんの、敵は十人以上だろ。モーテルに引きこもられちゃやりにくいぜ」
「少しは頭使ってくださいよラトルスネイク」
神父が嘆いてスナイパーライフルを背負い、元相棒の耳元で作戦を囁く。ラトルスネイクが目を丸くし、好戦的な笑みを剥きだす。
「あのっ!」
キマイライーターに後を頼んで出陣する神父とラトルスネイクを、両手を組んだゼシカが追ってきた。
「ブラザー・ピジョンは大丈夫でしょうか。わたくし気が動転して彼にひどいことを……だから思い詰めて」
「あなたのせいではありませんよ、子供たちともどもすぐ連れ戻します」
「神父様が炊き出しに行かれたのはわたくしのせいなのに」
ラトルスネイクが怪訝な顔をする。キマイライーターが先を促す。
廊下の真ん中で神父と対峙したシスターゼシカは、深呼吸で覚悟を決め、自分の罪を懺悔する。
「神父さまは残りたがっていたのに、わたくしが無理を言って追い立てたんです。教会にずっと詰めてたのではお体に悪いと、たまには気晴らしが必要だと無理を言って……」
「貴女ひとりに留守を任せたのは間違いでした、私の驕りです」
「チェシャやハリ―も……みんながうちを守るから、大丈夫だって……教会にこもりっぱなしじゃ人助けができないから、もっと小さい子にごはんをあげにいってほしいって」
チェシャもハリ―も、もとは炊き出しで拾われたみなしごだ。
故に自分と同じようにひもじい思いをしている子を見過ごせず、いってらっしゃいと神父を送り出した。
自立心が芽生え始めた子供たちの申し出を固辞すれば、彼らを信用してない裏付けとなる。
「それでも残るべきでした。絶対に」
言い訳はしない。
できるはずがない。
スナイパーライフルを背負い直し、二度と振り向かず出ていく神父に、シスターたちが勢ぞろいで十字を切った。
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