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神に銃弾
神様なんかいないと最初に教えてくれたのは僕を育てた教会のクソ神父だった。
「は……っぶ、あふ」
いい加減顎が疲れた。早く解放してほしい。頭に酸素が回らず朦朧とする。
神父のペニスは萎びていて勃たすのに時間がかかる。
そのくせ性欲は衰えてないんだから厄介だ。
極力音はたてないよう注意し、生魚のように臭いペニスを必死にしゃぶる。
皮でたるんだ醜いペニス。
コイツを見るたび老醜という言葉がチラ付く。
早く息が吸いたい一心で赤黒い亀頭を頬張る。
「!ッぐ、」
ふいに皺ばんだ手が頭を押さえこみ、喉の奥を突かれてえずく。
呻き声を上げるのはなんとか防いだ、日頃の訓練の賜物だ。
出した所でまず安全だと頭では理解しているが長年躾けられた恐怖は消えない、悪趣味なお仕置きの口実を与えてしまうのはまっぴらごめんだ。
「あぁ……いいよ」
神父がうっとりと呟く。
僕の位置からじゃ見えないが、恍惚と潤んだ声の調子からするとさぞかし陶酔した表情を浮かべてるはずだ。
「いい子だ」
皺だらけの乾いた手が、愛玩動物にするように僕の頭をかいぐりなでまわす。老いさらばえた手。僕はこの手に逆らえない。逆らったらどうなるか、身体の芯まで恐怖と恥辱の烙印が刻み込まれている。
神父がご満悦の吐息を漏らすのをよそに仕事に集中する。
僕は教会で飼われる稚児だ。他の孤児は神父のペットと陰口を叩くが実際は異なり、正確には玩具が近い。
僕は今日もまた、お優しい神父様の慈悲を頂戴している。
「は…………、」
神父様の足元に跪き、犬のように舌を出し、彼が鈴口から絞り出すお慈悲を頂戴している。
神様の恩寵は苦い、僕はそれを彼から学んだ。
カソックの中は蒸して息苦しいが文句は言えない、できるだけ音をたてず声も我慢しペニスをしゃぶる。片手で竿を立て、片手でしごき、口に頬張って舌を絡める。唾液を捏ね回す淫猥な音が耳に付く。
「その調子だ。上手にできたらご褒美をあげるからね」
お優しいお優しい神父様。
この人にとってご褒美とお仕置きは同義なのだ、馬鹿馬鹿しい。
神父は囁くように話す。仕切りの向こうにいる信徒に聞かれたらまずいからだ。彼は性的に倒錯していて、少し露出狂の気があった。
でなければ告解室で稚児にフェラチオを命じたりはしない。
「次の方どうぞ」
「……失礼します」
声を張った神父に促され、古びた木製の扉が開く。
「また来てしまいました、神父様。わたくしです……こないだ夫の酒癖の悪さを相談した」
その情報だけでは誰だかわからない。が、声色で漠然と察しは付く。神父も同様で、とっくに彼女の訪れに気付いていた。毎週同じ日の同じ時間に来るのだから嫌でもわかる。
顔の見えない女の声は疲労と無気力の色が濃い。
告解室ではよくこの手の声を聞く、人生に絶望しきった人間の声だ。聞いているだけで滅入る辛気くささ。
ゆったりと椅子に掛けた神父が威儀を正して宣する。
「ようこそ。ここは告解室、私とあなたと神、三位一体の間に秘密はありません。なんでもお好きなように話して良いのです、それで咎めを受ける事は決してありません」
僕の頭を片手で股ぐらに押さえこみ、おっとりと話す。
足音に続いてぎしりと椅子が軋む。女が掛けたのだ。
神父がせいぜい神妙な声色を作る。
「旦那さんは相変わらずですか」
「ええ、はい……相変わらず働こうとしないでお酒ばかり、今日も呑みにでかけてます。橋の近くにあるお店です……ハンスさんの」
声音と口調だけとれば死角のない人格者。
けれど僕はこの老人の正体がいやというほど身に染みている、骨の髄までたっぷり叩きこまれている。
神様なんてどこにもいない、救い難く愚かで醜悪な人間が生み出した共同幻想にすぎない世知辛い現実を、僕はほかならぬこの人に教わった。
神父にこたえる声は憔悴が激しい。告解室は顔が見えない仕組みになっているがそう大きくない町の事、声を聞けば大体誰だかわかる。
付け加えれば、僕は耳がいい。これでも五感は鋭い方だ。神父の悪趣味な児戯に付き合わされるうちに、人の気配に酷く敏感になってしまった。
あるいは、毎晩のように連れだしにくる足音に耳を澄ます習性が付いてしまったからか。
「ッは……ふ……」
今僕がしている行為が第三者にバレたら……想像もしたくない。
不安げな女に神父が鷹揚に太鼓判を押す。
「安心なさい、ここには誰もおりませんよ。見守っておられるのは主だけです、秘密は絶対に守ります」
嘘吐き。
「本当ですか?」
「本当ですとも。私が嘘を吐いた事がありますか」
よく言うよ。しっかり覚えてるぞ、聖書の一小節目を突っかえず暗唱できたら今夜のご奉仕は勘弁してくれるって言ったのに破ったじゃないか。
神父は性倒錯者だ。子供を嬲って達する変態だ。中でもお気に入りは僕に聖書を暗唱させながら犯す事で、条件反射で聖書を読むたび吐き気がする。
『汝、わが顏の前に、んッぅ我のほか何物をも神とするべからずッあふッや、許し、神父様も、汝己のために、何の偶像をも彫むべからず、ッは、また上は天にあるものうぅっ、下は地にあるもの、あァッあンぐぅひぁッ、ならびに地の下の水のなかにあるもののッあ痛いぅお願、も、何の形をも作るべからずッこれを拝むべからずぁ』
『しっかり、言えてないですよ頑張りなさい。躓いたら最初からやり直しですからね』
『おねがッ神父さまッもォお腹苦しッあッあッやッああああンぐっひぅあ』
この人は必ず最後までやらせる。
おかげですっかり覚えてしまった。
一番興奮するくだりは「汝姦淫するなかれ」で、その時は僕の中に挿したペニスが決まって痙攣し、薄い粥のような精液を吐きだすのだ。
「はぁ……ん、ぐ」
僕みたいな穀潰し、おいてもらってるだけ幸せ者だ。屋根の下で寝起きできるだけ感謝しなければ。神父は教会に捨てられた僕を拾い育ててくれた恩人、町の皆の尊敬を集める善人、人格者で聖職者だ。
その裏の顔を知るのはおそらく僕だけだ。
まったく反吐が出る。
皆は知らないのだ、この一見無害そうな老人の醜悪な本性を。
この男が年端もいかない少年の尻穴がなにより好きな色狂いな事を、僕の喘ぎ声が少年期の美しさを損なうのを惜しみ去勢を仄めかした事を。
『知ってるかい、カストラートは本来教会が発祥なのだよ。神が祝福せし天使の歌声を得る為に第二次性徴前の少年を去勢した、それがはじまりだ。君のペニスも処置しようか?ああ大丈夫、痛いのは一瞬だ……はは冗談さそう怯えないでおくれ可愛い子羊、君の可愛いペニスを切り落とすわけがなかろう』
神父は僕の声を褒めてくれる。
僕はたるんだ腹に跨り、あるいは四つん這い、色を売るカストラートのように澄んだ声で世界を呪詛する。
「教会は聖域、神の御前では誰もが平等です。ここは迷える子羊全てに広く門戸を開けているのです。さあ、胸の閊えをおろしなさい。なんなりと主に懺悔するのです」
老神父の声には信者の人心を掌握する力があった。威厳とか威圧感とか、そう呼ばれる類の重厚な貫禄。僕にはさっぱり効かないけど……いや、効いてるのかな。
もし無効化されているなら、もうこの人の股ぐらに跪いて臭いペニスをしゃぶらずにすむんだから。顎が攣るまで口を開け、口が痺れるまで頬張り、舌がくたびれるまで絡め育てる辛いお努めから解放されるのだから。
「で、では神父様……」
人目を憚り告解室を訪れた女が堰を切ったように懺悔を始める。
「私は罪を犯しました」
「しかしてその罪は?」
妙な間ができる。
再び口を開く。
「想像の中で夫を……あの人を……何度も殺めました。口に出すのもおそろしいやりかたで。今まで私がされたことを全て仕返しただけじゃ飽き足らず、その何倍も何倍も惨たらしく嬲り殺してしまったのです」
それは想像の内で犯した罪だ、罪の勘定にも入らない。けれど神父はそうはとらなかったようだ。
カソックの下に隠れた僕からは見えない場所でため息が聞こえる。さも大袈裟に眉を顰め、善人ぶって嘆く顔が目に浮かぶようだ。
「なんてことを」
「お湯を……熱いお湯をかけました。アイロンを背中に押し当てました。靴ベラで背中が真っ赤に腫れあがるまで鞭打ちました。全部全部あの人が私にしたことです。子供たちが見ている前で何度も何度も何度も」
「あなたは想像の中で復讐を遂げたのですね。それで心の安らぎは得られましたか」
「…………」
受け答えが一呼吸遅れる。
神父がさらに大きな声で質問。
「もう一度お聞きします。仮初の復讐を遂げて安寧は得られましたか」
「いいえ神父様。安息は得られませんでした」
「でしょうね。たとえ想像の内ではとえ、殺人は大罪です。我らが主はお許しになりません」
「いいえ神父様。私が魂の安息を得られない最たる理由は、あの人がまだ生きているからです」
いけしゃあしゃあと。
女が言葉にするのを慎んだ内容が、幻聴として響く。僕には女の声が聞こえる。もちろんただの比喩で、そんな便利な特殊能力が備わっている訳がない。あったらとっくに自殺している。
告解室に沈黙が落ちる。
神父の手に促されてフェラチオを続ける。
神父はサボるのを決して許さず、少しでも手を抜けば夜のお仕置きの口実にする。まともに勃ちもしない年寄りのくせして、行為はねちっこい。
微かな衣擦れが耳朶をくすぐり、裾の中に熱い息がこもる。
僕は今、告解室の内側の椅子に掛けた神父の足元に跪き、そのカソックをくぐってフェラチオをしている。女の位置からは完全に死角に入る。
彼女が普通の人ならいくら耄碌色キチガイといえどこんな危険は犯さなかったはずだ。
実の所神父は小心者で、人一倍保身に汲々としているのだ。
だからこそ教会が世話している孤児の中で最も従順で扱いやすい僕を側仕えの稚児に指名し、僕の穴という穴を犯して手懐け、自分の下の世話までさせているのだ。
僕の予感が当たっているなら彼女は酒飲みで有名な男の二人目の妻で、三人の子供のうち一人は男と前妻の子、一人は自分の連れ子、もう一人が男との間にできた末っ子だ。
「………何百何千と想像しました。沸かした薬缶を持って、気持ち良さそうに高鼾をかくあの人の耳にお湯を注ぐところを。何回かは実行しようとしたけど、どうしても勇気が出ず果たせませんでした」
「神のはからいです。もし実行していたら今頃地獄に落ちていました」
「私の鼓膜を破ったように、あの人の耳もダメにしてやろうって」
夫の暴力と生活苦で窶れた女の顔、その目尻や口元の小皺までもがハッキリと浮かぶ。
彼女は告解室の常連の一人だ。最低でも週に二・三回暇を縫って訪れては、自分がどんなおぞましい罪を犯したか事細かに懺悔していく。
中でもお気に入りの妄想が寝ている夫の無防備な耳に熱湯を注ぐというもので、本人は気付いているのかいないのか、これを実に嬉々として弾んだ声で語る。
貧乏くじを引き続ける人生に疲れきった女の声が、唯一生き生きと若やぐ瞬間が、実の所僕は嫌いじゃない。
「寝ている間なら大丈夫、きっと気付かないでしょ。耳の穴からお湯を注いで脳味噌を沸騰させちゃうんです、きっと誰も気付かないわ、死因は飲みすぎって事にしてくれるわ。あの人は飲んだくれの乱暴者でみんなに嫌われてたし、無茶な飲み方が祟ってぽっくり逝ったって私に同情してくれる。そうよ殺しちゃえばよかったのよ簡単なんだから」
懺悔にきたのだろうか、自慢にきたのだろうか。
「馬鹿なことを考えるのはおやめなさい、それは悪魔の発想です」
「神父様は知らないんです、聾がどれだけ不便か。あの人の分まで稼いで子供を食わせなきゃいけないのに、片耳が聞こえないからろくな働き口がありゃしない。いっそ客でもとろうかしら、買ってくれる物好きがいればだけど……服を脱いで寝転がるだけなら聾唖だろうが盲目だろうが関係ないものね、そっちのが都合いい位」
女の鼓膜は旦那に殴られて破け、以来右耳が不自由だ。そのせいで受け答えに詰まりがちで、神父が嗄れ声を張り上げねば会話が成立しない。
神父は女の片耳が聞こえないのを承知で、僕を告解室に呼び付け奉仕を命じる。本人の言葉を借りればまさしく悪魔の発想だ。
一応断っておくと、彼女だけじゃない。目の見えない老婆が告解に訪れた時は声をたてるなと厳命した上で僕を後ろ向きにし、仕切りに手を突かせて犯しまくった前科がある。言われた通りに喘ぎを噛み殺したせいで、事後は唇が切れてしまった。しかし音だけは完璧に抹消できず、断続的な軋みは地震でも来たのかと老婆を怯えさせた。その時に神父がひねりだした言い訳が傑作だった。
『今の音はなんでしょう神父様』
『天使が通ったんですよ』
あんなやかましく通り抜ける天使がいてたまるか。
少なくとも僕はお目にかかった事がないし、絶対いないと断言できる。天使だけじゃない、この世界には神様もいない。
神様も天使もいない世界じゃ酷い事が当たり前に起こり得る。たとえば何も悪いことをしてない女子供が殴られるとか、犯された挙句に嬲り殺されるとか、そういう胸糞悪い、反吐が出る、理不尽な鬼畜の所業だ。
それらがたまたま神様の死角に入っていたせいで見落とされた悲劇だというなら、心置きなく中指を立ててやれる。神様はよそ見をするのが好きだ。
きっと自分に都合が悪いものは見たくないのだ。
毎度告解室で犯される僕の事もどうでもいいのだ、仕切りに手を突かされ背後から責め立てられても猿轡を噛まされ全裸で緊縛放置されてもカソック越しにペニスがふやけるまで奉仕をさせられていてもどうでもいいのだ。
神父の稚児として採用されると同時に、僕は半ば強制的に少年聖歌隊に放りこまれた。ボーイソプラノを鍛えて喘ぎ声を良くする為だ。
「はぁ……はぁ……」
もう疲れてしまった。早くイッてほしい。目を瞑ると暗闇が一段濃くなる。開けてもまだ暗闇だ、濃淡の違いしか変化がない。蒸れるカソックの下で小便臭いペニスを延々しゃぶり続けて、顎は涎でべとべとだ。
茹だった脳裏を聖書の有名な一節が堂々巡りして気が遠くなる。
『汝、殺すなかれ』
殺さなければ生きていけない殺し屋は
『汝、姦淫するなかれ』
姦淫しなければ生きていけない娼婦は
『汝、盗むなかれ』
盗まなければ生きていけない泥棒は
『汝、その隣人に対して偽りの証を立てるなかれ。汝、その隣人の家をむさぼるなかれ、また汝の隣人の妻、およびそのしもべ、しもめ、牛、驢馬、ならびにすべて汝の隣人の持物をむさぼるなかれ』
悪を成して罪を犯さなければ生きてけない全ての人びとは
彼らの名前はきっと、神様の帳簿から抜け落ちているのだ。
くぐもった嗚咽が告解室を這うように流れる。自らの両手に顔を伏せた女が浮かぶ。
うなだれた女。荒れた手。削げたうなじ。全部僕の妄想だ。
「いっそ子どもを道連れに死んでしまいたい……」
「自殺は聖書が定める大罪です、神がお許しになりません。心を強く持ち祈るのです、さすれば必ず救われます。大丈夫、神は貴女の苦難をお見届けになります。倦まず、嫉まず、妬まず。たゆまず祈り続ければ遠からず救いの手がさしのべられます」
神父はツマらない繰り言しか言わない、こんなのただの気休めだ。懺悔の体裁を借りた愚痴と怨嗟は聞き飽きた、こないだの女は亭主に殴る蹴るされ肋を折られた、こないだの女は鼻をへし折られた、そしてこの女は鼓膜を破られた。
なんてくだらない世の中、天にまします我らが神はつんぼでめくらだ。
僕にできることはなにもない。薄暗い告解室、神父の股ぐらをしゃぶりながら一方的に懺悔を聞かされるばかりで可哀想な女たちを救う手立てはない。
本当に?
「貴女が死んだら可哀想な子供たちはどうなるのです」
本当にそうか?
僕にできることは何もないのか?
「その時は神父様にお委ねします……神父様なら信頼できますもの、あの子たちだってきっとその方が幸せよ、毎日ご飯を食べれて読み書きも教えてもらえる。少なくとも私やあの人よりずっと上等な人間になれるわ」
駄目だそれは駄目だ。貴女は知らないんだ、ここが子捨ての|辺獄《リンボ》だということを。
「そうよ、それがいい。教会付きの孤児院なら滅多な事はないだろうし、あの人から逃げられるわ」
洗礼前に死んだ子供の魂は原罪をまぬがれず、地獄の際の辺獄に流れ着き、地獄へも行けず天国へも行けず永遠に彷徨い続けるのだ。
もし神父の病気がでたら?
女の子供たちに手を出したら?
貴女は小児性愛者に自分の子を売り渡そうとしてるんだぞ、厄介払いできるならどこでもいいのか。
心の中で嘲り、太さを増す肉を貪欲に吸い立てる。
相変わらず女は気付かない、自分の不幸にどっぷり酔って他は目に入らない。
「心配なんです」
女の声がまた一段落ち込み、悲痛な震えを帯びる。
「あの人が子供たちにまで手を上げるんじゃないかと。昨晩昨日私を殴るのを止めようとしていちばん上の息子がやられたんです、死んだ先妻の子で血の繋がりもないのに……とてもよく懐いてくれて……」
どうやら女はいい母親らしい。血の繋がらない子を可愛がっている。
「子供達を手放すなんて本当は辛い。でも、じきにそれしかなくなる。今の稼ぎじゃ三人育てるなんて無理、私じゃあの子たちを守りきれない」
そこには僕の知らない感情があった。たとえるなら母性だろうか。極限まで追い詰められた彼女の為に、僕は本当に何もできないのだろうか。
「神父様……どうかお慈悲を……弱く惨めな私をお許しください」
妄想の中で夫を殺す女。
何度も何度も飽き足らず、憎き夫に復讐を遂げる女。
「しかと聞き届けました。貴女に魂の安息があらんことを」
『汝殺すなかれッァ、汝姦淫するなかッあぁぁかはッ、ぁッあっ』
『悪い子だ、もう一度やり直しだ』
『神父さまっもっ許しはぁっ、前ぐちゃぐちゃっ後ろやっ、やめ』
『君の信仰心が試されているのですよ、もっと真剣に挑みなさい。信仰心が本物なら他愛ない妨害に屈せず最後までやり遂げられるはずです、私は君に試練を与えているのです』
『あっ許し、くださぁ、ンあっあぁっひあッ』
死に物狂いで祈っても救われた試しなどない。
誰もいなくなった夜の礼拝堂、神様に見下ろされながら犯されるのが僕の常だった。
「ッふぅ!」
神父が低く呻いて痙攣、米糠のように滲み出した白い粘液を口で受ける。
漸く終わった。女は帰り支度を整えて出ていった。
「はあ……はあ……よくできました×××」
厚ぼったいカソックの下から這い出す。神父が僕の名前を呼んで頭をなでる。
「……もったいないです、神父様」
捨て子の僕には名前がない。それじゃ不便だから、キリストの十二使徒の一人から名前をもらった。名付け親は神父だ。ご奉仕中に気を良くした神父が得々と由来を教えてくれた。僕はこの名前が嫌いだ。大嫌いだ。
「唇が切れていますね。少しはげませすぎましたか」
「……今の人……大丈夫でしょうか」
女が出て行った扉を一瞥して囁けば、神父がにっこりと微笑んで、僕の耳朶を舐め始める。
「彼女なら大丈夫、我らが神が必ずや救いの手をさしのべてくれます」
「神父様ここでは……人に見られたら」
「頑張ったご褒美をあげますよ。さあ、楽にして。足を広げてお掛けなさい」
「ぅあ、あぁっ」
仕切りに付いたカウンターへ僕を抱き上げて乗せ、容赦なく両足を割り開く。枯れた手が半ズボンごと下着をずりおろし、熱い舌がペニスに絡み付く。丸まった下穿きを片方の足首に絡めたまま、粘着な舌遣いに翻弄され、目の開かない子猫のように甘ったるく啜り泣く。
女が殴られて犯される話を聞いた直後の神父はひどく興奮して手に負えない。コイツは本物の変態だ、性根が腐ってる。戒律で女性を抱けない代わりに少年を身代わりにするのか真性のペドフィリアなのか、真実は僕にもわからない。
「あっ、ぁあぅあふッうぅぁっ」
「さあ祈りなさい、彼女に救いがあらんことを」
「神様どうか……あの人をたすけてください……ぁあっあふあっ」
体中を舐めまわし、穴という穴をほじくり返して囁く。お仕置きとご褒美は同じだ、そこから逃れる術はない。初めて手を出されたのは?手を引いて便所に連れて行かれた日だろうか、もう覚えてない。誰も来ない告解室は、深夜の礼拝堂の次に悪戯に耽れる穴場だった。
「あッあぁッ」
神父の指と舌でめちゃくちゃに乱されながら、切羽詰まった女の声を回想する。
結局解放されたのは30分後だ。
皺を伸ばして服を身に付け、教会の表を掃きに行く。今日は僕が掃除当番だ。信心が廃れた今のご時勢において、この街は例外的に教会が権威を獲得している。一説によると、今の神父が町の有力者の出なのが関係してるらしい。尊敬を集める人格者の裏の顔を誰も知らない。
「…………」
まだ気持ちが悪い。下腹に余熱としこりが燻っているようで、たびたび悪寒が走る。
教会と孤児院は同じ敷地内にあり、庭はそこそこ広い。孤児が手分けして掃くのだが、僕は皆から離れた場所にいた。
「むかえにきたよ母さん」
ふいに響いた声に顔を向けると、僕と同じ年頃の男の子がいた。教会の階段の端に、途方に暮れて腰掛けた女へ駆け寄る男の子の頬には見事な青痣ができている。
「ああ……もうそんな時間?なんだかボーッとしちゃって」
「大丈夫、家のことはちゃんとやっておいたから」
「ありがとう、本当にお前は頼りになるね」
男の子に受け答えするのは聞き覚えある声だ。ほんの30分前に告解室で聞いた女の声。
まだいたのかと虚を衝かれ、箒を手に預けたまま親子の対話を見守る。
「父さん今日は帰りが遅いから、きっと大丈夫だよ」
「帰ってきたの?」
「さっきね。お金を持って出てった」
「酒かっくらって野垂れ死んじまえばいいのに……なんて。ごめんよ、あんたの父さんなのに」
「あんなの父さんじゃないよ。歩ける?」
「平気よこれ位、ちょっと足が痛むけど……」
短い会話から女が一番上の息子を本当に頼りにしてるのが伝わってきた。
女が億劫そうに腰を上げ、息子とそろって去っていく。遠ざかる母子の後ろ姿を見送る僕は、女が常に息子の右側を歩いてるのに気付く。
「それでね、ケイがラナをぶったからびしっと言ってやったんだ」
「さすがお兄ちゃんだ」
聞こえる方の耳を常に息子へ傾け、弟妹たちの様子を報告する声に相槌を打ち、一緒に笑い合って時折頭をなでる。息子はまんざらでもなさそうに笑い、さらに勢い付いて捲し立てる。
「!ぅ」
片足にヒヤリとした感触。ふと見下ろすとズボンから覗く右腿から足首にかけ一筋、白い液体が伝っていた。
鋭い腹痛が襲い、箒をその場に放り捨てる。
例のアレだ。片腹を押さえて建物を回り込み、周囲に人けがないのを用心深く確認後ズボンをさげ、おそるおそる人さし指と中指を後ろに回す。
「ぅッあぐ」
片手を壁に付いて上体を支え、惨めに尻を突き出し後孔を抉る。人さし指と中指をツプリと突き立て、中に残った残滓を掻き出す。まだ火照りが燻る身体は後始末にすらはしたなく高ぶって、勝手に変な声が漏れる。
「あッあぁッ、ぐぅっ」
ずり落ちそうな肘と腰を気力で引き立て、腹の奥にしこりを生む圧迫感を必死にやり過ごし、精液の残りを掻き出す。
こんな所を他の子やシスターに見られたらなんて言われるだろう、神父の調教を受けるうちにとうとう頭までもおかしくなってしまったのか。
ひとり後始末をする脳裏に、仲睦まじく帰途に就く親子の背中がぐるぐる巡る。
『心配なんです』
「あっふぅ、もう少し」
指が攣りそうだ。
『あの人が子供たちにまで手を上げるんじゃないかと。昨晩昨日私を殴るのを止めようとしていちばん上の息子がやられたんです、死んだ先妻の子で血の繋がりもないのに……とてもよく懐いてくれて……』
「あッぐぁぐ」
届きそうで届かずもどかしい。
『子供達を手放すなんて本当は辛い。でも、じきにそれしかなくなる。今の稼ぎじゃ三人育てるなんて無理、私じゃあの子たちを守りきれない』
「はあっはあっはあっ……」
顎先で合流した汗が粒となって滴り落ち、点々と地面に染みる。
子供の指では奥に届かず、途中休憩をはさんで再開。
息を止めて吸って吐く。
もどかしい快感に勝手に腰がくねり、下肢を力ませ孔をこじ開け、腹を下すもととなる白い汚濁を全て掻き出す。
虚脱感で膝から下が崩れ落ちそうなのを辛うじて支え、ただひたすらに自分の尻をほじくっていると惨めさと怒りで頭が沸騰しそうだ。
『神父様……どうかお慈悲を……弱く惨めな私をお許しください』
鼓膜を破かれた女。
常に聞こえる方の耳を子供の方に向け続ける母親。
神様なんてどこにもいない。
誰も助けちゃくれない。
だったら僕がやるしかない。
その夜、こっそりベッドを抜け出した。
神父にバレたら面倒だが「夜のお勤め」までに戻れば問題はない。孤児院には抜け道がある、裏庭の塀が一箇所破けているのだ。
ズボンに突っこんだ例のアレがカチャカチャ鳴る。以前懺悔に来た男が置いて行ったものだ。
普段は神父が机の抽斗に鍵をかけしまっているのだが、開けるのは簡単だった。僕は側仕えで日頃の行いがいいから、特別に神父様の部屋に出入りを許されている。鍵の場所もちゃんと知っていた、カソックのポケットの中だ。
もし神父が告解室で行為に及ばなかったら鍵をスる機会もなく、今夜の決行は断念せざるえなかった。厚ぼったいカソックは格好の隠れ蓑となり、フェラチオと同時進行で鍵をさがす僕の姿を神父の目から遮ってくれた。
「汝の神エホバの名をみだりに口にあぐべからず、エホバはおのれの名をみだりに口にあぐる者を罪せではおかざるべし。安息日をおぼえてこれを潔くすべし、六日のあいだ働きて汝のすべての業をなすべし」
ほら、神父が邪魔しなければちゃんと言える。
「汝の父母をうやまえ、これは汝の神エホバの汝に賜う所の地に汝の命の長からんためなり」
女の旦那が入り浸る店はわかっていた。待ち伏せの為夜道を急ぐ。
『ええ、はい……相変わらず働こうとしないでお酒ばかり、今日も呑みにでかけてます。橋の近くにあるお店です……ハンスさんの』
今夜に限りなにもかも恐ろしく上手く運んだ、全て神様の思し召しだとしたら皮肉の極みだ。
神父は僕をいい子だと褒めたが、実の所僕はそれほどいい子じゃない。
「ういっく……ひっく」
ちょうど橋にさしかかったとき、向こうから待ち焦がれた人物がやってくる。酒場を出た旦那だ。酒臭いしゃっくりをあげ、覚束ない足取りで橋を渡る男の目が、胡乱そうに僕を値踏みする。
「ンだてめえ、どこのガキだ。なんか文句あんのか」
最初から喧嘩腰だ。僕は無言で男と対峙する。男はしたたか酔っ払っていて、足元がふら付いている。これならイケそうだ。
僕が黙っていると男はどんどん不機嫌になり、憤然たる大股でこっちにやってくる。
「ウチのガキそっくり、馬鹿にした目で見やがってムカツクな」
周囲の人通りは絶え、橋の上には僕と男のふたりきり。もともと人けがない区画だ。男が渡る橋の先は貧民街で灯りも乏しく、酔っ払いの喧嘩で人が死ぬのは日常茶飯事。
「邪魔だ。どかねェとぶっ殺すぞ」
男が物騒に息巻き、開いた毛穴から怒気と酒気が噴き出す。
彼岸と此岸を繋ぐ石組みの橋の上、大人と子供が対峙する。橋の下の水は暗く淀み、大量のゴミや艀が浮き、桟橋に舫われた舟が間遠に軋みを上げる。
僕が答えずに黙っていると何を勘違いしたのか、不機嫌から一転しまりなくニヤケた男が、下卑た面で因縁をふっかけてくる。
「こんな時間にうろうろしてるってこたァ、てめえもそのクチか?稼いでこいって親に叩き出されたのか」
コイツはクズだ。人間として下の下だ。身内含む女子供、相手が自分より弱いと見れば際限なく付け上がる。
男の右手は酒瓶を握っていた。手の甲が擦りむけているのは日常的に女房と子供を殴っている証。鼓膜を破かれた時、彼女はどんな気持ちだったのか。拳で?酒瓶で?
右の頬を殴られたら左の頬をさしだせとイエス・キリストは言った。
右の鼓膜を破かれたら何をさしだせばいいんだ?
「But I tell you not to resist an evil person.But whoever slaps you on your right cheek, turn the other to him also.」
「あァん?」
「ご存知ないですか。聖書の言葉ですよ」
馬鹿な男に親切に教えてやる。
僕が初めて口をきいた事に戸惑い、呆けたように立ち尽くす男と向き合い、できるだけ穏やかに教え諭す。
「右の頬をぶたれたら左の頬をさしだせの本当の意味を知ってますか」
「聖書なんざ洟を噛むのに使った事っきゃねえぞ」
「憎い相手を想像してみてください。右手が利き手なら普通に殴ると相手の左頬に当たりませんか」
男には少し難しすぎたようで、何だコイツと怪訝な表情が浮かぶ。僕は構わずに話し続ける。
「相手の右頬を殴りたければ手の甲がやりやすい。昔は卑しい身分の奴隷を殴る時、てのひらで殴ると手が汚れるって言われたから甲で殴ってたんです」
「わけわかんねーことほざくな」
右手をズボンのポケットに潜らせ柄を掴む。
「右頬を手の甲で殴られた相手が、イエスの教え通り左頬を差し出す。でも手の甲じゃ当たらないから、今度はキレイな手のひらで殴らざる得ない。そこで主人が右の手のひらで奴隷を殴ると……どうなりますか」
「右でも左でも知ったことか、生意気なガキは躾けんのが俺の流儀だ」
「主人と奴隷の関係から対等になる、無知傲慢な虐待者の身分を自分の位置まで引き下げられる。その事実は殴る主人にとってとても屈辱的だ、イエス・キリストは間違っても平和主義者なんかじゃない、平和な闘い方を教えてたんだ」
教会で教えられた知識も時間稼ぎ程度の役には立った。
「僕の地獄までおりてこいよ」
抵抗と逃走の隙は元より与えず、驚愕と恐怖に凍り付いた男の心臓に銃口を掲げ、天にまします我らが神に引鉄を引く。
手中の拳銃が鎌首をもたげ、甲高く乾いた音が爆ぜる。
「ぐ……、」
男の右胸に鮮血が滲みだす。肺を傷付けられ喀血、欄干へ衝突した勢いのまま乗り出す。血泡で喉が詰まり助けを呼べない、今がチャンスだ。
拳銃をズボンに挟んですかさず駆け寄り、渾身の力で男の背を突き飛ばす。欄干を乗り越えた身体が川面へ転落、派手な水音と水柱が上がる。
「……『汝、殺すなかれ』」
水面に背中を向けて浮かぶ死体を見下ろし、呟く。人を殺した直後なせいか手が僅かに震えている。ギュッと握りこんで震えがおさまるのを待ち、ため息を吐く。
「戒律……また破っちゃったな」
これでもう彼女は殴られずにすむ、子供たちとずっと一緒にいられる。
右の頬をぶたれたら左の頬までさしだす必要はない。
殺してしまえばいいのだから。
神父がいくらお為ごかしを囁こうが、女の左の鼓膜が破れるまで放っておくのが正しい選択だとは、僕にはどうしても思えなかった。
彼を殺した理由はそれだけだ。
さて、早く帰らないと神父がうるさい。余計な時間を食うと銃声を聞いた連中が沸いてくる。
さっさと橋の上から走り去ろうとしたが、大事なことを忘れていたと立ち止まり、もはや気泡も立たない水面に向かって素早く十字を切る。
疼くような高揚感と背徳感、ほんの少しの罪悪感に駆り立てられて瞠目。
彼岸と此岸に架かる橋の上に立ち、ただ虚無が冷える深淵を覗き返し、妻子に死を望まれた愚かな男の冥福を祈る。
「主よ、御許に召された人々に永遠の安らぎを与えあなたの光の中で憩わせてください」
神様はいない。
「神よ、深い淵からあなたに叫び嘆き祈るわたしの声を聞いてください」
神様はいない。
「あなたが悪に目を留められるなら、主よ、だれがあなたの前に立ち得よう」
神様なんか断じていない。
だからこれは、ただのくだらない自己満足だ。
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