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第4話
にわかに外が騒がしくなる。
「帰ってきた」
「マジでか」
事後の気怠さを振り落として起き上がり、ソファーに敷いたコートと立てかけたライフルをひったくる。ラトルスネイクは手早くベルトを締め直す。
「誰かたすけて!」
夜の路地に反響する女の悲鳴が焦燥を煽り、ナイトアウルは真剣な表情で促す。
「行くぞ」
「あいよ」
ナイトアウルが床を蹴る。同時にラトルスネイクは宙に舞った。
ガラスが割れた窓枠を飛び越え、ギラ付くネオンの逆光を滑り、撓めた膝で反動を殺して着地する。
桟に手をかけ啞然とするナイトアウルを振り仰ぎ、ラトルスネイクがふてぶてしく急かす。
「そのデカブツ飛ぶのに邪魔だな。ちんたらやってんなよアウル」
「っ!」
派手なパフォーマンスで先を越され舌打ち、階段を駆け下りる。ラトルスネイクに遅れること五十秒で路上に飛び出すも致命的なロスを生む。
荒廃した通りに既に少年の姿はなく、おいてけぼりにされたナイトアウルはいらだたしげに赤毛をかきむしる。
「くそ、蛇は絶倫っていうけど元気すぎだろ!」
行為の直後に走れる体力を残しているとは見上げたものだ。やっぱり主導権を譲らなければよかった……腰の痛みと倦怠感に辟易し、地面を蹴って追いかける。
アイツは僕の天敵だ、出会ってからずっとペースを狂わされっぱなしで忌々しい。
下品な大口開けた笑い顔も噛まれたら痛そうな尖った犬歯もこちらを見透かすような縦長の瞳孔も苦手だ、ずかずか距離を詰めてくるのも生理的に無理である。
なのにドギツくて目をそらせない危なっかしくて目をはなせない、今この刹那しかないようにあちこち跳弾する生き様に魅せられる。
戯れに肌を重ねたところで何かわかりあえたはずもない。
セックスが愛情の確認行為だと信じられるほどナイトアウルは無邪気な子供時代を送ってこなかったし、荒波に揉まれまくって身も心もスレきっている。
そんなていたらくにもかかわらず未だに自分の行いが正しいのか間違っているのか善か悪か割り切れずぐちゃぐちゃ悩んでいる。
『悪とか正義とか難しいこた考えず胸糞悪ィの片っ端から消してくスタイルのがシンプルじゃね?』
だからこそ敵か味方か脊髄反射で二分するラトルスネイクのロジックが眩しい、共に過ごした時間は短くても囚われるには十分なほど。
ネオンが疎らに点滅する悪徳の吹き溜まりを駆けながら、ナイトアウルの瞼裏では窓枠を飛び越えたラトルスネイクの背中がリピートされる。
僕もアイツみたいに身軽に飛べたらいい。
くだらない聖書の戒めなんかにがんじがらめにされず頭からっぽにしてぶっぱなせたら気持ちいいだろうに。
背中でうるさくスナイパーライフルが跳ねる。早くラトルスネイクに追い付く為意識を集中し、ナイトアウルは走った。
悲鳴の出所は路地の奥だ。
二丁拳銃に両手をかけ、ラトルスネイクは走りこむ。闇の奥から響く声は五人……二十代前半の若者たちがどん詰まりに屯っている。皆それぞれピアスを嵌め、腕に悪趣味な刺青を彫っていた。
「やっと捕まえた、大人しくしろ!」
「今夜のはまた随分といきがいいな、突っ込み甲斐がありそうだ」
「やめっ、あうっアぁっ!」
打擲する音に合わせ悲鳴が上がる。
若者たちに取り囲まれて倒れているのはまだ若い……年の頃13・4の少女。スケイルキラーズの被害者の中でもとりわけ若い、薄着からして恐らく娼婦だ。リーダー格の鼻ピアスに髪を掴まれ平手打ちをくらっている。
彼女の鱗はほぼ全身に及んでいた。髪を掴まれ暴かれた顔から下半身、裾をはだけたスカートから丸見えの太腿に至るまで爬虫類の特徴が表れている。男たちに暴行された顔は腫れ、鼻血がでていた。
「おっと、金持ってんじゃん。ペラい体を売った稼ぎか?」
「あっ」
モヒカンが嘲笑い、少女が死守する皺くちゃの紙幣を巻き上げる。少女は力なく手を伸ばすも、取り返すのが叶わないと悟るや突っ伏し、絶望に暮れ行く顔で哀願する。
「返して、それ持って帰らないとお父さんに怒られるの」
「はあ?知るか」
「うちに入れてもらえなくなる……返して……」
「どうでもいいだろ、お前のしょぼい人生は今日ここで終わるんだから」
細腕で縋り付く少女を蹴倒して高笑い、濁った哄笑が渦巻いていく。
震えて引き歪む目から零れた涙が頬に筋を彫る。ゴミ箱に凭れて路地の谷間の夜空を仰ぐラトルスネイクには、彼女が次に口にする言葉が容易く予想できた。
案の定少女は泣きじゃくり、これまでの犠牲者たちも発してきたはずの問いを紡ぐ。
「「どうしてこんな事するの?私が何したっていうの?」」
期せずしてユニゾンし、ほらなと口角が釣り上がる。
男たちの反応もまた型通り。一瞬の沈黙のあと弾けたように爆笑し、怯えきった少女の頬にナイフを突き付ける。
「どうして?なんで?ンなのテメェが人間のフリした気持ち悪ぃバケモンだからに決まってんだろ」
「ひっ……」
「生まれを呪いな」
「鱗って神経や痛覚通ってんの?剥がされると痛いのか、それともただの飾り物か」
「やだやだこないでお願い助けて許してお願い、気に障ったんなら謝りますもうあそこに立ちません、うちに帰してくださいじゃないとお父さんにお仕置きを」
「お仕置き?手ごめにでもされてんの、言ってみろや」
「っ……」
頬ぺたを寝かせたナイフの腹で叩かれ少女が硬直する。
お父さんを連呼する哀れで惨めな少女と目の前の光景が、思い出したくもない過去を連れてくる。
『本当にいい声で啼くな、お前』
嗜虐に酔った客の嘲弄。料金は前払いだった。息子が顔から水に突っ込まれている間も父親は飲んだくれていた。
無関心にこちらを見るアルコールに澱んだ瞳。
色々な仕打ちを受けた、色々な痛みに慣らされた、おかげで色々なものを殺ぎ落としながら今まで生きぬいてこれた。
「殺る前に味見しねェと」
刃が少女の服を噛み、布が裂ける音が響く。少女がギュッと目を瞑る。
「どっこいしょ」
そろそろ頃合いと見て動く。まずは一発、無防備な背中めがけてトリガーを引く。
「ぎゃああああっ!」
「誰だ!?」
銃声に続いてモヒカンが崩れ落ち仲間たちに動揺が伝染していく。気色ばんだ鼻ピアスの誰何に従い、ゴミ箱の影から大胆不敵に歩み出す。
お楽しみを邪魔されて滾った怒気が、ラトルスネイクの右半身を見咎めるや嫌悪に塗り潰されていく。
「テメェもミュータントか……このガキの知り合いか?まさか美人局じゃねーだろな」
「ご機嫌な発想だな。オタクらに懸賞金かかってんの知んねーの」
「だからどうした、面は割れてねェし余裕だよ」
「そもそもアブノーマルに肩入れする賞金稼ぎなんていねェだろ、額もしょぼいし」
スケイルキラーズが示し合わせて開き直る。
ラトルスネイクは肩を竦めた。
「聞きたいことあんだけど。オタクらが三人目の被害者……エラ・セプテンバーからとってった例のアレ、返してくんねェ?」
「ブッ殺してやる!!」
「通じねー。知ってたわ」
その為だけに生かしてやったにもかかわらず、スケイルキラーズは暴挙にでた。
鼻ピアスが腕を振り抜いて突進、ラトルスネイクに体当たりをかます。それを寸手で躱し、スキンヘッドの右フックを反転の勢いに乗じて巧みにいなす。
「くそったれ、ちょこまかと!」
ガキンと重たい手ごたえ、咄嗟に上げた銃身がナイフの刃を噛んで火花を散らす。
反対側の銃を打ち振り鼻ピアスの鳩尾を突き上げ、前転して股ぐらを抜けていく。
「えっ、何!?」
だしぬけに少女の前に現れて一言アドバイス。
「濡れティッシュ」
「は?」
理解不能で口パクする少女に近付き、その目の奥の禁じられた願望を暴きだす。
「濡れタオルや枕でも代用可。酒かっくらって高鼾かいてる時が狙い目、そーっと顔に被すんだ。勝手にふがふが言っておっ死んでくれっから楽ちんだぜ、女子供におすすめ。あこぎなツラ見ねーですむぶんクソくだらねー罪悪感とやらが減る」
「そん、な」
「片したらうちを出な。自由が待ってる」
ラトルスネイクの瞳は一切冗談の成分を含んでいない。
放心状態の少女の手にモヒカンがぶちまけた紙幣を握らせ、さっさと送り出す。
「なんでもどうしてもあてになんねー誰か頼みでなんにもしねェから惨めなままなんだろ、死ぬまでテメェを哀れんでいたくねェなら這い上がれよ」
この小娘が四人目の犠牲者になろうとなるまいと知ったこっちゃないが、空気を読まず鉄火場に居座っていられちゃ迷惑だ。
紙幣を掴んだ少女を追い立てれば、その背中に風切る唸りを上げてナイフが飛ぶ。
迂闊だった。
「!ッが、」
勝手に体が動いた。身を挺して少女を庇い、肩にナイフを受ける。不安げに振り返る少女を睨み付け、苛立たしげに怒鳴る。
「とっとと行けよ!」
痛点が集中した肩をナイフで抉られる激痛は凄まじく脳裏が真っ赤に焼き尽くされる。脱臼なら何度も経験した、今では自分で嵌められる。しかし……両手はリボルバーで塞がっており、抜くまでに迷いが生じる。右と左、どちらの銃も手放せない。断じて手放したくない。
『僕にはこれしかないから』
彼もまたナイトアウルと同じだ。
ラトルスネイクにもこれしかない、自分たちは同類なのだ。
「ッぐ」
視界がでんぐり返って地面を舐める。
殴り倒されたと気付いたのは数秒後、乱暴に背中を踏み付けられた。靴裏に全体重をかけて踏みにじられ、苦鳴が迸る。
「空気を読まねーガキがしゃしゃりでたせいで楽しい夜がぶち壊しだ」
「小娘はいたか?」
「ダメだ逃げちまった」
「畜生、お預けかよ!一番好みだったのに!」
「アブノーマルに興奮すんなよ変態」
「孔さえ付いてりゃ全部一緒だろああブチ込みてェ中に生で出してェ!」
邪悪な哄笑が耳を毒す。地面を掻いて起き上がろうとし、背中を蹴られてまた突っ伏す。
ナイフが突き刺さった肩を突かれ、焼けるような激痛に身体が跳ねる。
「計画は狂っちまったがまあいい、スケイルキラーズ本来の目的は果たせる」
鼻ピアスが舌なめずりし一息にナイフを引き抜く。瞼の裏で赤が爆ぜる。
「鱗を剥ぐぞ」
冷たく宣言し、鮮血に濡れ輝くナイフを寝かせて少年の右半身をなでていく。
「麻酔なしでかよ」
脂汗に塗れてなお気丈に返すラトルスネイクに鼻白む。
ラトルスネイクは黙らない。
ずれた眼鏡から覗く眼光もギラギラと凶暴に、誰であろうと噛み付く反抗精神を発揮して、私刑に臨むスケイルキラーズを挑発し続ける。
「アンタたちさァ、ミュータント駆逐してアンデッドエンドを浄化するとかただの建前で女を犯して殺すの好きなだけだろ?ナイフで刻んでよってたかってマワして」
「ざけんな、俺たちゃアブノーマルが目障りなだけだ。テメエらと雑ざると血が汚れる。その気色悪ィ瞳も鱗肌も二枚舌も心底ぞっとすんだよ」
「|人間の女《お仲間》に相手にされねえからアブノーマルに|強姦《無理打ち》かよ、可哀想に」
侮辱を浴びせられスケイルキラーズが固まる。
ラトルスネイクは喉の奥でクツクツ笑い、歌うような調子でとどめをさす。
「図星?こりゃまたウブなこって、下半身も脱皮してねえとか?」
一同の顔を掠めた当惑が憤激に取って代わり、リーダーに目配せされたスキンヘッドが酒瓶を掴む。
「お前も中から切り裂かれる痛みを味わってみろよ」
スキンヘッドが酒瓶を叩き付けギザギザの断面をさらす。男たちがラトルスネイクのズボンをおろし尻をひん剥く。
「……悪趣味」
瞬時に何をされるか察した。スキンヘッドがラトルスネイクの脚の間に片膝付き、割れた先端をゆっくり近付けていく。
「どうした笑えよ二枚舌野郎、自慢の鱗をコレクションしてもらえて光栄だろ」
「蛇なら蛇らしく緑の血を流せ、人間様の真似して赤い血なんか出すんじゃねえ」
太く固く鋭い酒瓶が尻に固定され、いざ挿入の準備が整い―……。
『その目は淫行を追い罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ呪いの子となっている』
トリガーを引く準備は万全だ。
ナイトアウルは全部見ていた。
ラトルスネイクを包囲するスケイルキラーズの遥か後方、界隈で一番高い廃ビルの釣り看板に両足をかけ、逆さ吊りでスコープを覗いている。
『敵を愛し、迫害するもののために祈れ』
|十字架《レティクル》にさかさまに封じた標的に照準を合わせ、トリガーに掛けた指を沈める。
『ハレルヤ』
たれた赤毛と十字架が風圧にはためき、殺意を固めた弾丸が音速で夜を駆けていく。
「ぎゃあああああっ!」
「なんだどこから来た!?」
鼻ピアスの背中に一発目が着弾、世にも汚い断末魔が響く。
続けて二発目、怜悧に冴えた赤い瞳が輝きを増す。
トリガーを引く、着弾。トリガーを引く、着弾。頭に血が上っているのは怒りにあらず、重力の法則に抗った姿勢のせいだ。
「闇討ちかよ出てこい卑怯者!」
「撃ってんのはテメェの仲間か、なめたまねしやがって!」
ラトルスネイクが唇を歪めて勝ち誇る。
「相棒だよ。一応」
スキンヘッドが落とした酒瓶が木っ端微塵に砕け散るの皮切りにラトルスネイクが反撃、無事な方の手のリボルバーを持ち上げて残党を一掃する。
モッズコートを宙にたらした狙撃手が数十メートルを隔てた距離から敵を仕留め、負けじと鎌首もたげたリボルバーが火を噴き敵を撃ち倒す。
排出された薬莢が地面に降り注ぐ涼やかな旋律、二重に立ち込める硝煙の濃密な匂い。
スナイパーとガンファイター、計算ずくの挟み撃ちによって混乱に陥ったスネイルキラーズが逃げ惑いやがて静かになる。
「いいザマだな」
スナイパーライフルをさげてナイトアウルがやってきた。ラトルスネイクは鼻をならす。
「足止め成功したのは俺の手柄だろ」
「見てるってわかったの」
「夜梟名乗る位だしな」
打ち合わせは殆どしてないが、スケイルキラーズと外で遭遇した場合はこうする手筈だった。ラトルスネイクは前線で陽動に回り、ナイトアウルは後方支援に徹する。
それにしても……笑顔で無茶をやらかす相棒にあきれはて、ため息を吐く。
ナイトアウルは一部始終をスコープから監視していた。途中何度もトリガーを引きそうになった。まだ駄目だ、もう少し我慢しろと必死に自制したものの……
「捕まってからも吠えてるからヒヤヒヤしたよ」
「やーいドッキリ成功、俺様ちゃんてば世紀のエンターティナー」
「女の子を庇ったのは見直した。ちょっとだけ」
「あーアレ?ちげーよ」
まじまじと横顔を見返す。
照れ隠しかと邪推したが、ラトルスネイクは気負わず返す。
「あそこでくたばっちまったら親父を殺せねーじゃん」
「人殺しをさせるために逃がしたのか」
「賭ける時は面白くなる方に張る性分でね」
「なら僕は殺さないでいてくれる方に賭けるよ」
まだ仕事は残っている。ともすれば人殺し以上に大事な仕事が。
わざと急所を外した鼻ピアスを軽く蹴り、瀕死の男を見下ろす。
「エラ・セプテンバーさんの|対価《ヴィクテム》を回収にきました。持ってますか?」
「何を……」
「あなたたちが彼女から奪っもの、そして恋人さんが取り戻したがっているものです」
「こ、コイツか?渡せば助けてくれんのか?」
イエスともノーとも言わず圧をかければ、鼻ピアスがのろくさと懐から対価を取り出す。
男の掌には鱗が一枚のっかっていた。エラから剝ぎ取られた彼女の形見だ。
「確かに」
細心の注意を払って鱗を受け取り、ハンカチに包んでコートに入れるナイトアウル。ラトルスネイクは残念がる。
「土壇場で対価撤回とかシケてんの。目には目を、鱗には皮をじゃねーのかよ」
「あの人にはこっちの方が大事なんだ」
エラの遺体は明日モルグから帰ってくる。
彼女を棺桶に入れ葬る際に、どうしても一緒に鱗を入れたいと恋人は望んだ。
『だって、エラの一部だろ?』
彼は本当にエラを愛していた。
『うなじにキスする度くすぐったがってたけど、本当に嬉しそうだった。鱗に口付けされるのが一番嬉しい、愛されてるのを感じるって……言ってたんだよ。そんな所が可愛くて、朝起きるたび隣に寝てるエラのうなじにキスするのが習慣になった』
『持ってなくていいんですか』
『オンナを見殺しにしたヒモがどのツラ下げて持ち歩けるっていうんだ』
突き詰めれば形見とは物にすぎない。
スケイルキラーズにとってはコレクションして楽しむ戦利品、彼にとっては毎日触れて慈しんだ女の一部。故に鱗を物扱いせず、愛着を断ち切って葬る決断を下す。
復讐したところで愛する人は帰ってこない。
そんなことはわかっている、本当は誰もが心の底からわかりぬいてる。
だけどせずにはいられないから、損なわれたものを贖わずにはいられないから、誰も彼もが少しでも報われたくて生きているからナイトアウルはここにいる。
『一緒に埋めてやりたい』
|対価《ヴィクテム》は本当はこの為にあるのかもしれない。
彼は自己憐憫や感傷に甘えず、既にこの世にいない犠牲者の尊厳の回復を委ねてくれた。
「心変わりしてくれてホッとした」
「全身の皮膚剥ぐの大変だしな」
「じゃないよ。世の中捨てたもんじゃないなって久しぶりに思えたから」
純粋ともいえる笑顔にラトルスネイクが目を奪われた直後、鼻ピアスが絶叫する。
「言われたとおり返したぜ、命だけは助けてくれるよな!?アブノーマルを何人か殺っただけで豚箱入りとか割にあわねえ、がッ!?」
制す間もなくラトルスネイクの銃が火を噴く。脳天を吹っ飛ばされた鼻ピアスは即死だ。続いて残りの男たちにも鉛弾を撃ち込んで完全に黙らせた。
「何するんだよ!」
「保安局に引っ立ててくのめんどいし?」
「対価は回収したんだから命まで奪うことないだろ、逆さ吊りのまま急所ずらすの大変だったんだぞ」
「悪党にゃ容赦ねーくせに。手間省けてラッキーって顔に書いてあるぜ」
「嫌なヤツだな」
口調とは裏腹にさほど憤るでもなく死体を検め、他の犠牲者の鱗も取り返す。一人目は既に共同墓地に葬られていたはず……
二人目ともども身寄りはいないが、形見として欲しがる友人がいるかもしれない。
もし貰い主がいなければ後日墓参りを兼ねて埋めに行こうと誓い、思い出したようにラトルスネイクに向き直る。
「肩大丈夫?」
「後回しかよ」
「殺しても死なないだろうし」
「傷は浅ェ」
「悪運強いね」
ラトルスネイクががっくりするのにかすかに唇を緩め、さっさと帰る。
こうしてスケイルキラーズは駆逐され、この界隈でミュータントの娼婦が嬲り殺されることはなくなる。
しばらくは。
数日後、ナイトアウルとラトルスネイクはアパートに赴く。
「お前は?」
「おっさんの泣き顔なんか見たくねえ」
ラトルスネイクは同行を拒否し、エントランスのステップに座り込む。
ナイトアウルは軋む階段を上って部屋の前に行き、遠慮がちにノックをする。
数呼吸の沈黙を経てドアが開き、以前にも増して憔悴しきった恋人が顔を出す。
「連中を殺ってくれたのか」
「はい。とどめをさしたのは片割れですけど」
「そうか……」
復讐代行の完了を報告しても無気力なまま、虚ろな返事をよこす。
ナイトアウルはコートのポケットに手を入れ、丁寧に折り畳んだハンカチを見せる。
「あなたが指定された|対価《ヴィクテム》です。間違いありませんか」
「取り返してくれたのか?」
繊細な手付きでハンカチを開き、薄緑にきらめく美しい鱗を捧げる。
それを見た途端無精ひげを散りばめた恋人の顔が崩れ、震える手が伸ばされる。
「……ありがとな」
形見の鱗を摘まんで目の前に持っていき、呟く。
「入ってくれ」
「え?」
対価を返却したらすぐ暇乞いする予定だったナイトアウルはためらうも、断りきれず部屋に踏みこむ。
「お邪魔します」
死臭を逃がすために開け放たれた窓から涼しい風が吹く。
居間には粗末な木製の棺が置かれ、その中にエラの遺体がおさめられている。後から着替えさせられたのか、質素なウェディングドレスに見えなくもない白いワンピースを纏っていた。
「全部懸賞金に突っ込んじまってな……神父を呼ぶカネもねェんだ。埋める前の祈りも上げてやれねェ」
棺桶の正面にたたずむナイトアウルをよそに、恋人はエラの頭の後ろに手を差し入れ、うなじが見えるように身体を傾げる。そこには惨たらしい傷跡があった。
鱗の裏側をなめ、傷痕に重ねて貼り付ける。仕上げにうなじに接吻し、優しく微笑む。
「おかえりエラ」
ああ、これを見届けてほしかったのか。葬式と結婚式には立会人がいるもんな。
エラは酷い顔だった。あちこち殴られて痣だらけだ。ワンピースの下はもっと酷いはずで、現に裾から伸びた足には無数の痣と切り傷がある。
なのに今この瞬間だけは満ち足りて見えた。あらゆる苦痛から解放され、幸せでいるかに錯覚できた。
粗末な棺に寝かされたエラと傍らの恋人を見比べ、ナイトアウルは控えめに申し出る。
「僕でよければ祈りましょうか」
「は?」
「むかし教会にいた事があるんです。聖書のフレーズは暗記してます、葬儀の祈りも。正式な資格はとってないんで形だけですけど、それで構わなければ」
「有難い。頼めるか」
「喜んで」
十字架を手繰って深呼吸したのち、棺の傍らに立って厳かに口を開く。
『もはや呪われるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名が付いている』
膨らむ喉を息が通り、舌と唇で言霊を付与されて、澄んだ声が静寂に波紋を広げていく。
『もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である』
エラを抱いた恋人は静かに瞠目し、少年の喉で漉されて昇天する祈りの余韻に聞き惚れる。
指にひっかけた銃をくるくる回し、表で暇を持て余すラトルスネイクのもとにも祈りのおこぼれは届く。
「もはや夜がねえ、か」
黄色いサングラスを隔て、韜晦した琥珀の瞳が太陽を透かし見る。
それはまるで生まれただけで呪われるなんて馬鹿げたことはないと肯定してくれているようで、腑抜けて呟く。
「……キレーな声」
数分後、ナイトアウルを出迎えてラトルスネイクが提案する。
「50万ヘルは山分けだな」
「開口一番それかよ」
「っても25万ヘルじゃすぐ消えちまうか」
「金銭感覚おかしいぞ」
「オイオイどこ行くんだよ保安局はこっちだろ」
「一人目と二人目の鱗がまだ残ってる」
「形見の押し売りは迷惑だろ」
「常連でも友達でも要る人に渡したい」
「いなかったら?」
「墓に埋めて弔うよ」
こうと決めたら譲らない頑固な相棒に苦笑いし、ラトルスネイクが打ち明ける。
「最初にお前に目ェとめた理由知りてえ?」
「まだ何かあるのか」
「自分から厄種に手ェ伸ばしたから」
あっさり返事をよこされ歩調を落とす。
出張所で初めて会った時、ノーマルな賞金稼ぎはまず関わりたがらないスケイルアビューズを掴んだのを回想する。
「他の奴はみんな素通り、足を止めたのはお前だけ。組むならまあノーマルでもアブノーマルでもどっちもでいいけど、仕事中にうっかり引鉄引きたくなんねーヤツってのが最低条件じゃん?お前ならそのへん安牌」
「なるほど、わかりやすい消去法だ」
どうでもよさそうにあしらえば、肩に腕を回して大袈裟に嘆いてきた。
「俺様ちゃんて蛇じゃん?爬虫類じゃん?蟲は蟲でも長虫じゃん?んでもって蟲中天のうるさがたにゃ存在自体厄種扱いされてっから、自分から厄種掴みに来るアホとなら案外うまくやれんじゃね?って賭け張ったんだわ」
やることなすこと行き当たりばったりに見え、ラトルスネイクは確かに人を選んでいた。
再び振り向いた顔にはあけっぴろげで憎めない笑顔が浮かんでいる。
「結果大当たり」
「優しくした覚えないけどな。おとりに使ったし」
「またまた~アウルちゃんが実はめちゃくちゃ優しいのバレバレだぜ」
「どのへんが」
「俺がテキーラ牛乳ぶっかけられた時庇って前に出たじゃん」
……気付いてたのかよコイツ。
アンデッドエンドの空は無慈悲に青く、その下を歩く少年たちの足取りは地雷原でタップダンスでも踊るように軽い。
ナイトアウルは師匠への報告内容をああでもないこうでもないと練り直し、とうとうまとまらず握り潰した。
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