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第2話

それは三年前──。  理月が高校三年に進級した春先の事だった。  二年の終わりに理月は当時の 行徳(ぎょうとく)学園のトップと勝負し、勝ちをもぎ取った理月はすでに行徳学園の頭になっていた。本当なら、『行徳学園の頭』という肩書きだけで良かったのだが、やはりそういうわけにはいかないらしく、何かと面倒事を持ち込まれる。  学校まで徒歩で通っている理月は自宅アパートに帰るべく、いつものように川沿いの土手を歩いていた。  実家はオメガであると分かった時点で、追い出されるように一人暮らしを強要された。むしろその方が理月にとっても気楽であった。すでに家族はもう自分を家族としてではなく、オメガとしてしか見てはくれていなかったし、自分も家族などと思っていない。金さえくれれば何でもいい、そう思った。  土手に腰掛け、咥えタバコをしながら流れる川をぼうっと眺める。  いつも思う事は、叔父の事だ。なぜ死ななければならなかったのか。何も死ぬ事はなかったのではないか。 (俺は絶対に番なんて作らない) 番を作るから叔父のように心を病んでしまうのだ。なら最初から番など作らなければいい。  行き着く答えはいつも同じだった。    夕日が沈み始め、空気が冷たく感じた。春になったとはいえ、春先の夜はまだ冷える。  重い腰を上げ、制服に付いた芝生を叩いて落とす。体を捻り、視線を前に向けるとギョッとした。  ケルベロスのリーダーである宝来将星がいつもの白いライダース姿で目の前に立っていたのだ。 「随分と長い考え事だな? 悩みでも?」  低く絞り出すような声の中に、揶揄が含まれているのを感じる。  こうして目の前に将星の存在を確認した途端、将星のアルファのオーラに包まれた気がしてくる。自分がオメガだからそう思うのか、元々将星の存在感がこうなのかは理月には分からない。癖のある荒くれものを纏める男なだけあって、カリスマ性のようなものを理月は感じた。  いつからいた……?  見たところ、バイクは近くにないようだ。あれば音で分かるはずだ。  五メートル程先にいる将星が一歩一歩近付いてくる。 「ケルベロスのリーダー様はストーカーが趣味なのか?」  嫌味を込めて言ってはみるが、将星は気に止める様子もなく鼻で笑うと、 「横顔があまりに綺麗だったから、見惚れてた」  そう恥ずかしげもなく言い放った。  理月はその言葉に目を丸くし、柄にもなく顔が熱くなるのを感じた。  (くそっ! なんだこいつ……揶揄ってんのか?!)  将星は内ポケットからタバコを取り出し、タバコに火を点けている。その一連の動作すら様になり、これもアルファ故なのかと思うと、腹立たしくも思えた。  ケルベロスと行徳が直接対峙する事は、まずない。ましてや、頭同士が顔を突き合わせるなど、余程の事がない限りあり得ないのだ。  理月の心臓がバクバクと早鐘を打ち、自分が珍しく緊張しているのだと感じた。それを誤魔化すようタバコを咥え火を点け、大きく一つ煙を吐いた。  将星は口角を上げ、不気味に笑みを浮かべている。だが、目が笑っていなかった。その目を見た瞬間、理月の体がゾクゾクと小さく震えた。 「こうやって、おまえとまともに話すのは初めてだな」 「俺たちは交わる事はないからな」  互いに鋭い視線を交わし、目を逸らしたら負けのような気がして、理月は絶対に将星から目を逸らす事はしなかった。  (タイマンさせてくれねぇかな)  理月の中にある闘争心なのか、体が火照り疼いてくる。 「で? 何の用だ?」  そもそも、なぜケルベロスのリーダーである将星が自分の目の前にいるのか。何の理由もなく行徳の頭である自分の前に現れるはずはないのだ。 「ゆっくり話をしたいところだけど、今日は諦める」  そう言って吸っていたタバコを足元に捨て、それを踏みつぶした。 「おまえのところに、オメガがいるだろ?」 「?!」  オメガという言葉に思わず肩を揺らした。 「へ、ぇ……そりゃ、知らなかったな……」  (まさか俺の事じゃ……) そんな不安が過るが、自分がオメガだと気付かれるはすがない。そう思うも、ポーカーフェイスが得意な理月ですら、嫌な汗が背中を伝った。  自分でないとするなら、と瞬時に頭を切り替え、なぜか理月の頭に二人の男の顔が浮かんだ。 「秋吉……三年に#秋吉陽一__あきよしよういち__#ってヤツいるだろう?知っているか?」 「秋吉?」 二人浮かんだうちの一人、隣のクラスのB組に秋吉という男がいたはずだ。華奢で中性的な容姿は確かにオメガ特有の外見をしている。 「いるな、あいつオメガだったのか」 「これから話す事は、おまえだけで解決してほしい」 「どういう意味だ?」 「行徳学園頭、天音理月とケルベロスリーダーである俺とだけの話しって事だ」  回りくどい言い方に理月は苛立ちを覚える。 「勿体ぶっていないで、早く言え」  将星はパンツの後ろのポケットから携帯を取り出すと、画面を操作している。手を止めたと思うと、将星は距離を詰めてきた。鼻先まで将星が来たと思うと、足元からジワジワと熱が這い上がってくる感覚に陥った。  一瞬、将星をしかめたのが分かった。 「この秋吉なんだが、ウリをしているらしい」  そう言って、将星はスマホの画面をこちらに向けた。秋吉とおぼしき男が、男とラブホに入っていく写真だった。将星は画面をスライドさせると、今度は同じ男とラブホから出てくる写真を見せてきた。 「うちの#紅羽__くれは__#って奴がこの秋吉に本気になっちまってな。どうにか辞めさせたいって泣きつかれちまったんだ。おまえから秋吉に、ウリを辞めるよう説得してくれねえか?」  ドクンッドクンッと心臓が大きく鳴り、その鼓動が頭に響く。理月の体がゆらりと大きく揺れた。 「わ、わかった……」 「おい、大丈夫か? 具合悪いのが?」  様子のおかしい理月に将星は困惑気味の声をもらしている。  (体が……怠い……)  足元から這い上がってきた熱は、全身にいき渡る。発熱を伴った風邪の症状のように、体が火照り始めた。 「天音?」  将星の手が、理月の肩を掴んだ。  ドクンッ!  その瞬間、火照る体の熱が一気に下半身へと集まったのを感じた。  (ま、さか……ヒート……?!)  理月は立っていられなくなり、膝から崩れ落ちた。が、そこをすかさず将星に腕を掴まれ、何とか倒れる事は免れた。 「この匂い……おまえ、オメガだったのか……!」 「は、離せ……どっか行け……」  力なく腕を振り払うも、将星の支えなしでは立っている事はできなかった。  理性があるうちに、この男から離れなければ自分がどうなってしまうのか分からない。  この手を離して欲しいと思う反面、体は将星を欲してしまっている。オメガの[[rb:性 > さが]]がすでに理月の理性を凌駕していた。  不意に体が浮き、将星に横抱きをされた。 「放っておけるわけねぇだろ! このままおまえ放置したら、さすがのおまえだってどうなるか……!」  きっと、オメガの匂いを嗅ぎつけた輩が、自分を犯すだろうと思った。だが、それでもいい、誰でもいいからこの体に熱い精液を注いでくれ、そう願っているのだ。  無意識に理月は将星の首に両腕を回し、鼻先にある将星の首筋に顔を埋め顔を摺り寄せていた。柑橘系の香水の匂いとタバコの匂いが理月の鼻を突く。その匂いが理月の性欲を増幅はさせているように感じる。  (ほしい……ほしい……)  自分の匂いを擦り付けるように理月は将星の首筋に額を押しつけている。こんな事をしたくはないのに、こんな女々しい行為を自分がしていると思うと無償に腹が立つが、体はいう事を聞いてくれないのだ。  (俺……どうなっちまうんだ……)  意識は段々と朦朧とし、理月の思考は性的欲求だけを求め初め、他への思考が全て停止した。

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