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第6話
それから三年──。
理月は地方にある大学に進んだ。
未だに自分がオメガである絶望感は消える事はなかったが、あれ以来、オメガの自分と向き合う努力はしてきたつもりだ。抑制剤を飲み体調管理もしっかり行う事も番を作らず、一人で生きていけるようにする為には必要な事なのだと感じたからだ。それを思えば、抑制剤を飲む事に抵抗を感じなくなっていた。
そして理月に残ったものは、左手首の将星に噛まれた跡とあの日、将星が忘れていったTシャツだった。
不思議な事にこの三年、理月が激しいヒートに陥る事はなかった。ヒートを知らせる管理アプリがヒートの予定日を知らせるも、体に変化は現れなかった。時折、風邪のひき始めのように少し怠くはなるが、あの時のように激しく性的欲求に駆られる事は一度もなかった。
ただヒートの期間に入ると将星のTシャツを握りしめて眠る。そうしていると安心するし、ヒートが落ち着くような気がしたからだ。それはお守りのような存在に似ていた。それでもいつ何時ヒートに襲われるとは限らない。抑制剤の服用は欠かさずしていた。
大学に進学した理月は、大学では外国語を専攻した。オメガである以上、仕事の範囲は狭まってしまう事が予想できる。オメガであるだけで、企業は採用してくれない。今ではそういった差別はなくなりつつあると言っても、蓋を開ければアルファとベータしか採用していないというのが現実だ。
だから、在宅でできる仕事をしようと思った。その仕事とは、翻訳家だった。翻訳家を選んだのにはそれだけの理由ではない。自殺した叔父は、絵本作家を目指していたようだった。その叔父が残した未発表の絵本を理月は託されていた。絵本作家としてデビューが決まったという時に叔父は命を絶ってしまい結局、叔父はデビュー作が遺作となってしまった。
残されたそれらは、スウェーデン語で書かれており、その絵本を翻訳して出版してもらうと考えていた。叔父が理月に、絵本を世に出して欲しい、などと望んで理月に託したのではないと分かってはいた。たが、既に天音一族の中で、自ら命を絶ったオメガである叔父の存在はなかった事にされていた。そんな叔父の存在を、決してなかった事にしたくはなかった。叔父は間違いなくこの世で生きて存在していたのだと証明したい、という思いから翻訳家を目指す事にした。
そして近隣の県で唯一、スウェーデン語を勉強できるこの大学を受けた。
大学に入っても理月は特別親しい友人を作る事はしなかった。ある程度の距離感を保ち、人とは接していた。理月のこの外見で何かと噂になっているのは知っていたが、気にする事はなかった。オメガだとバレなければそれでいい、それだけだった。
理月は、親から援助を受けていたが、いつか留学したいと考えていたため、その資金を貯める為に大学を入ると同時にアルバイトを始めた。バイト先には自分がオメガであると伝えた上で採用された。仕事は居酒屋の厨房だった。人と接するのが苦手だったし、何より賄いにあり付けるのが良かった。
そんな時、新店をオープンさせる為、理月にその新店に異動してくれないか、と頼まれた。大学とバイト先には自転車で通っていた理月だったが、新店も自転車で通える範囲であった為、断る理由もなく承諾した。
いつものように、大学が終わりバイト先に自転車を走らせていた。だが、妙にハンドルが取られると思った瞬間、急にハンドルが重くなった。違和感を感じ自転車から降りると、前の車輪が潰れていた。
「パンク!?マジか……」
ここからバイト先まで歩いて行くとしても、時間的に遅刻は免れない。どこかパンク修理をしてくれる所はないかと携帯を取り出し、周囲を検索した。
ここから五百メートル以内に、バイクショップがあるようだった。携帯のナビを頼りにそのバイクショップに向かった。
少し奥まった道に入ると、バイクが並んでいるのが目に入った。
(あそこか)
バイクショップというより、アパレルショップのような洒落れた外観の店で、バイクが並んでいなければそこがバイクショップだとは思わないかもしれない。
自転車を押し、バイクショップの入り口まで来ると、
「すいませーん」
理月は声を上げ、従業員を呼んだ。
人が出てくるまで、周囲のバイクに目を向けた。鉄の馬のような大型バイクが何台も並んでいる。それを見た瞬間、将星の顔が浮かんだ。
(将星もこんなでかいバイクに乗ってたな……)
そう物思いに耽っていると、
「はい……」
低く掠れたような返事が聞こえた。
「すいません、自転車がパンクしちゃって……」
理月はパンクした前輪に目を落としながら言うと、
「理月……!?」
自分の名前を呼ばれギョッとした。
顔を上げると、理月の体が金縛りにあってように体が動かなくなった。
「しょ、せい……」
目の前には髪こそ短くなっていたが、あの将星が目の前に立っていた。黒いツナギを着た将星が目を丸くし、こちらを信じられない様子で見ていた。
互いの時が止まったように思えた。
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