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第7話
懐かしいと言う気持ちより、本能的に恐怖心が芽生え、無意識に手が震えてきた。
「おまえもこっちに来てたとはな……凄え偶然だな」
「そう、だな……俺はこっちの大学に進学したから……」
目を合わせる事ができず、地面に目を向けると使い込まれた将星の安全靴が目に入る。
「大学!?おまえが!?毎日のように喧嘩してたヤツが大学なんて行けるのかよ!」
「ああ!?」
その憎まれ口に思わず顔を上げ、
「毎日喧嘩してても、勉強はできんだよ!」
そう言い放っていた。
将星の顔は、その理月の憎まれ口に安堵したのかのように、笑みを浮かべていた。
(な、んで……そんな顔、すんだよ!)
「で、パンクしたって?」
「あ、あー、そうだった」
今は懐かしい再会などに浸っている場合ではない。このままでは、バイトに遅刻してしまう。
将星は理月のマウンテンバイクの前輪の前に屈むと、
「この程度ならすぐ直せる。少し待ってろ」
そう言ってマウンテンバイクのハンドルを取った。将星の左手の甲に、あの時はなかったタトゥーが入っていた。そこは確かあの時、将星が理月の首を噛むのを必死に耐える為に自ら噛んだ場所だ。それを隠すように蔦のような形した細長いタトゥーが、噛み跡に絡むように巻きついていた。
マウンテンバイクを渡す瞬間、将星と手が触れ思わずビクリと肩を揺らしてしまった。
将星はその理月の動きに目を丸くし、苦笑を浮かべた。
「わ、悪い……」
「いや……奥で待ってろ」
奥が事務所なのか、机が二つ並んでいた。カウンターを挟んで、その前にソファとテーブルが置いてあり、そこで待てという事だろう。ソファに座ると、将星は缶コーヒーをテーブルに置いた。
それを飲んで待っていろ、という事だろう。
事務所を見渡すと、大きく引き伸ばされた写真が目に入る。大型バイクを並べた後ろに黒いライダース軍団の写真。右端に将星を見つけた。白いライダースではないところを見ると、ケルベロスのメンバーとではないようだ。ショップの名前なのか、壁に大きく《ハヤテバイクショップ》と筆記体で書かれていた。
「大学って、U大か?」
不意に作業場から将星の声がした。
「あ、ああ、良く分かったな」
「この辺で、自転車で通える大学って言ったらそこぐらいだからな。三年?」
「そう」
「三年間こんな近くにいて、お互い会わなかったのが不思議だな」
「バイトが西支店から新店の東支店に異動になって、最近ルートが変わったんだ」
「それでか……つか、おまえバイトしてんの?」
将星がこちらに顔を向ける。
「ああ、居酒屋でな」
「もしかして、黒船?」
「そう、そこ」
「この前オープンしたとこだよな? 気になってたんだ。今度飲みに行ってもいいか?」
「いいけど、俺は裏方だから、表にはいないぜ」
「なんだ、そうか」
残念そうに言うと、再びタイヤに顔を向けた。
「できたぞ」
「早いな」
将星はものの十分程で修理してしまった。
理月は財布を取り出し、
「いくらだ?」
そう言うと、いらねーよ、そう言って手を振った。
「でも……」
「いいって!」
千円札を差し出したが、それを押し返されてしまった。
「その代わり……飯でもいかねぇか? この後、何かあるのか?」
将星の誘いに思わず動きが止まった。
「無理にとは言わねぇけどよ」
理月が戸惑っているのが分かったのかそう付け加えてくる。
「悪い、これからバイトなんだ」
「そうか……」
「今日じゃなければ……」
「そうか……! 名刺渡しておく。気が向いたらでいいから、連絡くれよ」
将星は理月の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべた。ツナギの胸ポケットから名刺入れを取り出し、一枚取ると理月に渡した。
「あれから……ずっとおまえがどうしてるのか、気になってたんだ……」
そう言って、将星は苦笑を浮かべている。
「生きててくれて、良かったよ」
将星は心底安心したようにそう言葉を洩らした。
その言葉に、理月は無性に泣きたくなった。
今になって冷静に考えれば、あの時の事は将星を巻き込み、その上八つ当たりをして、将星を傷付けた形になった。一度、謝りたいと思っていた。そのいい機会かもしれない。
「連絡する……」
「ああ……」
「パンク修理、ありがとう」
「気をつけて行けよ」
将星の言葉にコクリと頷くと、店を出た。
入れ替わりで、バイクショップには不釣り合いな髪の長いワンピースを着た綺麗な女性が店に入って行った。
「ショウちゃん」
おそらく将星をそう呼んでいるのだろう。
もしかしたら恋人かもしれない、そう思うと理月の胸がチクリと痛んだ。
アルファである将星を前にして、ヒートを起こさなかった事に安堵した。体に変化は現れていない。心のどこかで、将星だけに対してヒートを起こすのかと考えた事もあったが、そういう事ではないようだった。
(あのタトゥー……あの時の噛み跡を隠す為に入れたんだろうな)
気になったのは、左手甲に新たに彫られた蔦のようなタトゥー。そして自分の手首にある、将星の噛み跡。
きっと将星も自分と同じようにあの噛み跡を見る度に、あの時の事を思い出していたのかもしれてない。
(それが嫌で、彫ったのかもしれないな……)
忘れてほしいと自分で言ったくせに、実際に忘れようとしている将星を前に酷く傷付いている自分がいた。
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