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第28話

 大学の授業が終わり、携帯を見ると将星からメッセージが届いていた。 『今日、バイト休みだろ? 何もなかったら帰り店に寄れるか?』  家ではなく店に来い、というのは珍しいと思った。特に用もない理月は、将星が働くバイクショップに自転車を走らせた。  店の前に自転車を止め、中に入ると将星の背中が見えた。どうやらバイクの修理をしているようだ。そしてバイクを挟んでもう一人、見覚えのある男が将星と同じようにしゃがみ込んでいるのが目に入った。 「将星?」  理月の声に将星が顔を上げると、すかさず向かいにいた男が勢い良く立ち上がった。 「天音くん?!」 「おまえ……」  短髪頭に少し顎に髭を蓄え、屈託のない笑みを浮かべたその男は、三年前、自分と将星を引き合わせた男、紅羽(くれは)だった。 「紅羽っす! その節は大変お世話になりました!」  紅羽はそう言って、体を九十度に曲げた。 「秋吉の……」  秋吉と確か結婚したと将星から聞いている。 「はい! 秋吉陽一の旦那です!」  そう言った紅羽の左の薬指には指輪が光っていた。 「そうか、今日秋吉は?」 「理月!!」  そう言った瞬間、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえ振り向くとその秋吉陽一が満面の笑みを浮かべていた。 「理月! 元気だった!?」  釣られて理月も自然と笑みが溢れ、秋吉の胸元に目を落とすとその腕には小さな生き物を抱えている。 「秋吉……ああ、お陰様でな。産まれたんだって?」  理月は秋吉が腕に抱いている赤ん坊を見る。小さくてまるで子猿のようなその赤ん坊は、目を閉じて眠っていた。 「うん」  その赤ん坊を眺める秋吉の顔は、これ以上ない程幸せそうな表情を浮かべていた。  あの時は、お節介をしたかもしれないと思ったが、秋吉のその顔を見た瞬間、間違いではなく秋吉の幸せの手伝いができたのだと思えた。 「男? 名前は?」  理月は赤ん坊を覗き込み尋ねる。 「男の子だよ。名前は将輝 まさき」 「将星さんの将に輝くで、将輝。将星さんから一文字もらったんです」  秋吉の横にいつの間にか紅羽が立っていた。 「そうか……」  理月は無性に赤ん坊に触れたくなり、無意識に手を出していたが、ハッとして引っ込めてしまった。 「抱っこしてみる?」  そう秋吉に言われたが、大きく横に首を振った。もし自分が抱っこをして、落としてしまったりしたら大変だ、そう思うととてもではないが抱っこなどできなかった。 「触ってもいいか?」 「どうぞ」  秋吉は赤ん坊を自分に近付けてきた。  人差し指でそっと握り込まれた小さな手に触れると、赤ん坊は無意識なのか理月の指をギュッと握ってきた。その仕草が堪らなく愛おしいと思った。  (赤ん坊は無条件に可愛いな)  さほど子供が好きではない理月ですらそう思えた。 「おまえら二人で飯でも食べて来いよ。こっちはまだ時間かかりそうだからよ」  将星がそう言うと、 「そうだね。せっかく久しぶりに理月と会えたから、そうする。いいでしょ? 理月」  そう言われて、断る理由もない。 「ああ」  理月と秋吉は店を出ると、近くのファミレスに入った。行きがてら、何となしに秋吉のうなじを見ると、紅羽が付けたであろう噛み跡がくっきりと残っていた。結婚し子供が生まれているのだから、当然二人は番になっていて噛み跡があるのは当たり前の事なのだが、見るとなぜか見てはいけないものを見た気持ちになってしまう。 「お腹すいたー」  そう言ってメニューに手を伸ばす。秋吉は抱っこ紐で将輝を胸元で固定したおかげで、今は両手が自由だ。  注文をし一息つくと、 「将星くんとは付き合ってるの」  いきなり秋吉は聞いてくる。 「付き合ってるっつーか……まぁ、一応付き合ってる?」 「何それ、随分あやふやだね」  そう言って笑っている。 「でも、びっくりしたよ。理月と将星くんが一緒にいるなんて。地元の奴らが聞いたら、皆んな腰抜かすんじゃない? 不良たちの憧れの的二人が一緒なんてさ」  地元では自分たちがどんな風に言われているのかは知らないが、当時、地元ナンバー1、2でライバル同士だった自分と将星が一緒いると聞けば、確かに驚くのも無理はないだろう。 「番には?」  秋吉の言葉に大きく首を振る。 「なってないし、この先もなるつもりはない。そういう約束で一緒にいるから」 「そっか。まぁ、そうだよね。理月はオメガとして生きていくつもりはないんだもんね」 (そうは言っても、オメガの性は変える事はできないけどな……) その事が悔しくて思わず拳を作るとギュッと握り込んだ。 「なぁ、アルファって、執着心が強いとかあるのか? おまえんとこの紅羽はどうなんだ?」  その質問に秋吉は少し驚いた様子で、飲み物を飲もうとした手が止まった。 「どうかな……アルファがっていうのは聞かないけど……でも、わりと強いのかなぁ」  紅羽と秋吉が今、一緒にいる事になったのも元を辿れば紅羽が秋吉に執着したからでは、と思ったのだ。紅羽が将星に相談し、自分に話が回ってきた。これは、紅羽の秋吉に対する執着ではないのか。 「え? 何? 将星くんってそういうタイプ?」  その時、頼んでいた品がテーブルに届き、店員がその場を去るまで口をつぐんだ。 「で、執着心強いの?」 「……強いと思う。なんでこんな俺にって思うくらい」 「へぇー、意外。人に執着するタイプには見えないけど」 「俺もそう思うけど……正直、どうしていいか分からない」  理月が言うと、秋吉の腕の中で眠っていた将輝がグズリ始めた。 「よしよし……」  秋吉がゆっくり揺らしながらポンポンと背中を軽く叩くと、すぐにまた眠ってしまった。 「俺といる限り、番になってやる事も、あいつの子供を産んでやる事も俺にはできない」 「人の幸せはそれぞれだよ、理月。こうやって好きな人の子供を産むのも幸せだし、番にもならないでただ一緒にいるだけでも幸せだと思う人もいる。オメガの幸せは子供を産む事だけじゃないから」  秋吉は将輝の顔を見つめながら言った。 「俺は、あいつから与えてもらってばかりで、俺は何も返せないし……」 「それが将星くんの幸せなんじゃない?」  将星はどんな立場でもいいから、自分の傍にいさせてほしいと言っていた。それで将星は幸せなのかと思うと疑問にも思えた。

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