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第37話
目を覚ますと見慣れない天井が目に入る。
(……そうか……ここは瓜生先生の……)
体をゆっくり起こし、部屋を見渡すと丸いアナログ時計が目に入った。時間は二時半、外の明るさから昼間なのだと察した。
あの後、熱を出しずっと眠っていたようだ。体は汗でベタついているが、熱はすっかり下がりスッキリとしている。
酷く喉が渇いている。ベッドから降りると、リビングに続くドアを開けた。オープンキッチンに楽人が立っており、いい匂いが鼻をつく。どうやら何かを作っているようだ。
「理月! 起きて大丈夫か?」
楽人が理月に気付くと駆け寄って来た。
「ああ、もうすっかりいい。世話になったみたいだな。ありがとう」
素直にそう礼を言うと、楽人は照れたように、
「素直な理月、なんか気持ち悪い……」
そう言って顔をしかめている。
言われた理月は、心外だと言わんばかりに片眉を上げた。
「お腹空いてない? お粥作ったんだ」
「ああ……腹減った、もらうよ。あと、水くれないか。喉渇いた」
「じゃあ、スポドリ飲めよ」
冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、手渡されるとそれを一気に飲み干した。
ダイニングテーブルに座ると、目の前にお粥が出される。
「熱いから気をつけろ」
真っ白な粥ではなく、玉子粥のようだ。口に入れると「あっち……!」とあまりの熱さに慌ててスポドリを口に含んだ。
「だから気をつけろって言っただろ。俺がフーフーしてやろうか?」
楽人はそう言って、いたずらを企む子供の様な表情を浮かべている。
「いらねえよ、アホ」
今度はひとしきり冷ますと、口に入れた。少し甘みがある。
「どう? 旨い?」
「ああ、旨い……」
そう言って理月あっという間に楽人特製玉子粥を平らげてしまった。
食べ終わるのを確認した楽人は次に、飲み薬を差し出してくる。理月はそれを素直に受け取り、水と共に胃に流し込んだ。
テレビの上、デジタル時計の日付けに理月はギョッとした。日付けが一日飛んでいた。どうやら丸二日、眠っていた様だった。
「理月、携帯電源切ってる?」
「……ああ、切ってる」
それはもちろん将星からの連絡を断つ為だ。留学を機に携帯を替えるつもりだった。
「将星から電話あったよ」
「!!」
楽人は自分用に淹れたコーヒーを手に、理月の向かいに座った。
「……」
何と言っていたのか気にはなるものの、聞きたくない気持ちもあった。聞いてしまったら、心が揺らぐような気がしたからだ。
「理月と話がしたいって。携帯も繋がらないし家に行ってもいないから、俺と一緒だと予想はついたみたい。一緒にいる事は言ったけど、将星はここの住所知らないからね。もちろん教えてない」
「うん……」
どんな思いで将星は楽人に連絡したのか──。そう考えると胸が締め付けられた。
「風邪引いて寝込んでるって言ったら、すげぇ慌ててたよ。将星でもあんな取り乱すんだな」
楽人から見ても意外だったのか、苦笑を浮かべている。
「とにかく……話をさせてくれって。色々聞かれたけど、センセーも言ってたじゃん。第三者が口出す事じゃないって……だから理月の了解をもらえない限り、住所は教えられないって言っといた」
理月は膝の上で握っていた拳を強く握り込み、目をきつく閉じた。
「一応、将星からの伝言、伝えておくよ」
『何があっても俺には理月だけだ。ずっと、理月だけを愛してる──』
その言葉に、理月の涙腺が崩壊したかのように涙が止まらなかった。
その後──。
理月は住んでいたアパートには戻らず、楽人の勧めで日本を発つまでそのまま瓜生のマンションに居座る事になった。理月が住んでいたアパートに楽人が住む事になり、引っ越しの準備に追われ、あっという間に日本を発つ日となった。
見送るという楽人と瓜生の申し出を断り、タクシーで高速バスが出ているバス停へと向かった。
必然的に、将星の働くバイクショップの近くの道をタクシーは走っている。
「すみません……この辺で少し待っていてもらっていいですか?」
将星のバイクショップの近くを通ると、無意識にそう口にしていた。
タクシーを降り、隠れるように将星のバイクショップを覗いた。
ちょうど店先で将星が客と談笑をしていた。タバコを燻らし、一見変わりなく見える。
(少し痩せたか……)
表情は憔悴しているかの、少し頬がこけているようにも見えた。
(将星……きっとこの先、俺もずっと将星を好きなままだ……元気でな。幸せになれよ)
そう心の中で呟き、その場を後にした。
高速バスに乗っている時も飛行機の中でも、将星の事を思い出す。音楽を聴いたり映画を見たりと気を紛らわせようとしても、何も入ってはこなかった。思い出しては涙に堪え、周囲の人の目に触れない様、被っていたキャップを更に目深に被り、最後はマスクで顔の半分を隠した。
きっと自分は一生、番を作る事はないだろう。ましてや、ヒートを楽にする為だけにそういう相手を作る事も。
結局、自分の当初からの目標であった、《番を作らず一人で生きていく》事になった。そもそも最初はそう強く思っていたはずだ。一人で生きていく自信はある。
ただ、将星といる時間を知ってしまった事がこの先、生きていく中で辛く感じるかもしれない。
不意に手首の噛み痕に触れる。ここには将星に噛まれた痕がある。この噛み痕がある限り、一生将星を忘れる事などできるはずがないのだ。
将星の最後の伝言を何度も思い出す。
(俺だってもう……将星しか愛せない……)
この先の人生、ずっと将星を思いながら生きていく覚悟を決めなければならないのだろう──。
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