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第36話
駅前の一等地に立つマンション。目的の部屋の前に立つと理月はインターフォンを押した。
『はーい』
「楽人? 俺」
『理月?今開ける』
目の前の玄関が開く。急な訪問にも関わらず、楽人は笑みを浮かべ理月を迎え入れてくれた。
ここは、楽人が居候している瓜生医師のマンションだ。
「どうしたの!? 理月!?」
扉を開けた楽人はずぶ濡れの理月に驚いている。
慌てふためく楽人に促され、シャワーを浴び傷の手当てをされた。
「何があったの?」
楽人は淹れたコーヒーのマグカップを理月に渡すとそう聞いてきた。
「別に……何もない」
「嘘! 理月泣いてるじゃん!」
そう言われて初めて涙が流れていることに気付く。
「……楽人さ、まだ部屋探してる?」
「え? うん……まあ」
「だったら俺のアパート住めよ。更新まであと半年あるから。家賃と光熱費だけ払ってくれればいいし、電化製品もそのまま使えよ」
「何言ってんの?! どういう事?」
「スウェーデンに留学する事になった」
そう言うと楽人は、
「マジ?」
信じられない様子で自分を見る。
「ああ」
「いつ?」
「本当は来月だけど、自主的に来週にでも行こうと思ってる」
「そっか……」
楽人はソファに体を埋め、少なからずショックを受けている様だった。
「将星はどうすんの? あいつの事だから一緒に行くの?」
先程将星と別れた話しを言おうと口を開いたが、そのタイミングで玄関のインターフォンが鳴った。
「多分、センセーだ」
時計を見ると、八時を回っていた。時間の感覚がなくなっていて、その程度しか時間が進んでない事に理月は驚いた。
「いらっしゃい、天音くん」
リビングに現れた瓜生医師がニッコリと微笑み、スーツのジャケットと重たそうなビジネスバッグをソファに置いた。相変わらず後頭部には寝癖が付いている。
「ちょっと! だからそうやって脱いだ服をソファに置かないでって言ってるじゃん!」
「ごめん、ごめん、つい癖で……」
楽人は、ほら! とハンガーを瓜生に手渡す。着替える為か、瓜生は奥の部屋に消えていった。
「全く、何回言っても直んないだから……靴下は裏返しで脱ぐし、好き嫌い多いし、子供と一緒だよ」
楽人はブツブツと小言を漏らしている。
そう言いつつも、世話を焼くのが楽しそうに見える。もしかしたら楽人は瓜生が好きなのかもしれないと理月は思った。
「良かったら理月もご飯食べてく?」
「いや……食欲ないからいいや。また今度食わせてくれよ」
あんな事があった後で、食欲など湧くはずもなかった。それに頭がガンガンと痛むのだ。
瓜生が部屋着でリビングに現れ、話の続きをしようと理月は口を開いた。
「先生、俺スウェーデンに留学する事になりました」
「え?! そうなの?」
「そうだ! さっきの話の続き!」
瓜生が目の前のソファに腰を下ろしたタイミングで話を続けた。
「なので、良かったら楽人に俺が今住んでいるアパートどうかと思って」
「それは構わないけど……そうなると、向こうのバース科のある病院に紹介状を書かないとならないね。僕の方でスウェーデンの病院調べてみるよ。日本を発つ前に一度受診して」
「分かりました」
理月の返事に瓜生は頷く。
「で、将星とは?」
「……さっき別れた」
そう告げると、楽人と瓜生は目を見開きあまりの驚きに動きが止まっている。
「え? えっ? マジ? それ将星がすんなり受け入れたの? あんな執着してるのに、無理じゃない? それに別れる必要もないじゃん」
「……将星の元カノが、妊娠してた。父親は将星だ」
衝撃的な理月の言葉に二人は言葉を失っている。
「嘘でしょ? 何かの間違いじゃなの?」
理月は加奈子との経緯を話す。妊娠四ヶ月程で、自分と将星が再会する前に授かったとなれば否定できない事。自分は将星と番う事も子を産む事も望んではいない事。加奈子と生まれてくる子供の事を考えれば、自分が身を引くのは当然だという事。
「それでいいのかよ、理月は!」
「いいも何も、それしか道はないだろ」
「将星はそれで納得したのかよ? あの執着心の塊が!」
「そんな事、言ってられねえだろ!」
思わずギロリと楽人を睨んでしまい、その目に楽人は怯えた様にびくりと肩を揺らした。
「悪い……」
理月は頭を抱え、口を噤んだ。
「やっぱり……」
理月は再び口を開き、
「アイツとは、ダチみたいな関係が良かった……けど、無理なんだよな……俺がオメガである限り……無理なんだよ」
そう言うと、込み上げてくる感情を必死に抑え、強く唇を噛んだ。
「理月……」
楽人は理月の肩を抱きそっと抱きしめてくると、それに甘えるように理月は楽人の肩に顔を埋めた。
「俺、将星に話聞いてこようか?」
そう楽人が言うと、
ずっと静観していた瓜生が口を開いた。
「これは二人の問題だ。僕たち第三者が口を挟むことじゃないよ、楽人くん」
「でもセンセー、俺、納得できない。理月と将星は運命の番じゃなかったのかよ」
「それは……」
憶測とは言え自分で言った事に、瓜生も言葉を詰まらせている。
「運命の番なんて、存在しないんだよ……」
ゆっくりと理月は体を起こすとそう言った。
「存在したとしても、俺と将星はそうじゃなかった……それだけだ」
理月は立ち上がろうとソファから腰をあげた途端、立ちくらみが起き再びソファに腰を下ろしてしまった。
体は怠く頭はガンガンと痛み、寒気を催している。
「理月?! 大丈夫かよ!」
楽人が理月の体に触れると、
「センセー!凄く熱いんだけど!」
瓜生が理月の額に手をあてた。
「凄い熱だ……!」
「雨に濡れたから……」
「ベッドに運ぼう」
瓜生の言葉と共に、体がフワリと浮いた。
それから殆ど記憶はなかった。
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