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【SIDE:L】

 その日の俺は、ちょっと虫の居所が悪かった。  ハロウィンの黒とオレンジが溢れる景色の中に、クリスマスの緑と赤が少しずつ混じるようになってきた、ある金曜日。  週末にせっせと衣替えした俺たちを嘲笑うように、久しぶりの夏日が到来していた。  まさか、この時期になってまた『熱中症に注意』の文字を見ることになるなんて。  急激に変動しつつある地球環境を憂いつつも、エアコンのスイッチを入れたーーら、 「あれ?」  いつもは緑色に光るはずのパワーボタンが真っ赤に点滅するばかりで、エアコンからはウンともスンとも聞こえてこない。  リモコンをポンポン叩いてみても、あちこち身体を倒していろんな角度からボタンを押してみても、裏側の蓋を開けてリモコンの電池をくるくる回してみても、冷風どころかそよ風すら出てこなかった。 「もしかして、壊れた……?」  複雑な気持ちになりながらも、これが8月とかじゃなくて良かった……と安堵しつつ、問い合わせ先のフリーダイヤルに電話してみる。  すると、申し訳なさそうな声で「修理に伺えるのは、最短でも来週末です」と言われてしまった。  とりあえず壊れたままでは困るから、そのまま予約だけして電話を切り、俺はじんわりと汗の滲んできた額を拭った。 「あっつ……」  窓を開けてみても、部屋の気温はまったく変わらない。  それどころか、熱気のこもった空気をぐるぐるとかき混ぜられてしまい、本当に季節が逆行してしまったように暑い。  仕事が休みの今日、いつもは手の回らないキッチンの大掃除でも……なんて思っていたけれど、いっそ日中は外に出てしまった方が得策かもしれない。  理人(まさと)さんは普通に仕事に行ってしまったから、どうせ一人だし……なんて思っていたら、 「ただいまー」  2時間前に見送ったはずの理人さんが、突然帰ってきた。  驚く俺にはにかんだように「ただいま」と繰り返してから、「着替えるまでは俺に触るな」と言い残し、さっさと洗面所に向かってしまう。  同じ部署の人が新型ウィルスに感染してしまい、幸い理人さん自身は濃厚接触者にはならなかったものの、念のため在宅勤務に切り替えるよう会社に言われ、仕方なく帰ってきたらしい。  理人さんはいかにも不本意だという感じだったし、エアコンが壊れたことを告げると「ガーン!」という表情を隠さないほど落ち込んでいたし、部屋の中の蒸し上がった空気に思う存分グチグチ言ってから、ようやく仕事用のパソコンを開いていたけれど、俺はというと、実は、ちょっとだけ嬉しかった。  不謹慎だとは分かっていたけれど、最近なんだかんだあってあんまりゆっくりできていなかったし、理人さんとイチャイチャするチャンスだと思った。  相変わらず部屋の中は暑いけれど、理人さんが一緒だからいっか〜なんて現金に浮かれたりもしていた。  それなのに、今日に限って理人さんは多忙を極めていて、会社から貸与されている方のスマートフォンがずっと鳴りっぱなし。 「はい、神崎(かんざき)です。うん、お疲れ様。……いや、ちょうど今家に着いたとこだから……ん? そのファイルなら、先週模武田(もぶだ)くんのフォルダに保存して……うん……うん……」 「はい、神崎……なんだ、三枝(さえぐさ)か。お疲れ。……その件なら、来月の全体会議で議題に上げる予定で……うん……」 「はい、神……航生(こうき)! 久しぶりだな! ……いや、陽性なのは俺じゃなくて支社長で……うん、元気は元気らしいから……うん……」   イッラ……ァ。  普段はどちらかというと温厚だと言われることが多い俺だけれど、理人さんのこととなると、急に心が狭くなる。  今では木瀬(きせ)さんにも渋谷(しぶたに)さんっていうちゃんとした相手がいるし、理人さんも彼に対しては全然残っていない。  そんなことはとっくの昔に分かっていて、それでも俺は、理人さんの口から彼の名前が出るたびにモヤっとするし、俺には見せない類の笑顔を見るとモヤモヤっとするし、木瀬さんを『航生』って呼んだ同じ声で『佐藤くん』って呼ばれるたびに、ドス黒い感情で心の中がいっぱいになってしまう。  だってーー 「なんで俺のことは『英瑠(える)』って呼んでくれないんですか」 「……は?」  今思うと、この時の理人さんの「は?」には、なんの意味もなかったのかもしれない。  急に話を振られて思わずこぼれた純粋な「は?」だったんだと思うけれど、その一言が、漠然としたイライラに過ぎなかった俺の感情を、確かな怒りへと変えてしまった。 「なんで恋人の俺が、仕事の部下と同じ呼び方なんですか!」  木瀬さんのことは名前で呼ぶくせに……!

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