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プロローグ 

 ロウェンツェ王国の王都は海峡に面した城塞都市だ。 王城は北西部の崖の上に位置し、そこから延びる狭い通りには白い壁の家屋が密集して並んでいる。王国の後ろには背骨のような山脈が連なって、山には豊富な魔力を宿した魔法石が眠っていた。  そして鉱山の入り口には荒れ地がひろがり、魔女が棲みついていた。魔物を放っては近くの村人や旅人を喰い破り、鉱山を目指すものは命がけで荒れ地を通らなければならず、村人たちは西の魔女と呼んでいた。そして、隣国である西の国もこの魔鉱山に目をつけ、隙があればつけ入ろうと機会を狙っていた。 そのため王は宰相に神の子を呼ぶように命じ、宮廷魔術師であるマーリンがこの君命に従った。  そして儀式は街の中心部にある神殿でとりおこなわれることになった。神殿は吹き抜けのホールとなっており、八本の柱で支えられている。天井を見上げると、月の光が淡く差し込まれ、そばにいた王や聖職者、数名の貴族諸侯たちが固唾を呑んで佇んでいた。  ローエングリンもその一人だった。 男の名はローエングリン・ライザ・ロズヴェルト。王立魔法軍、第一師団であるクレムリン騎士団の先遣隊である竜騎隊隊長だ。軍服の右肩には金銀糸の飾緒を着用し、腰には魔法石が埋め込まれた剣を帯剣する姿は高位将官にもみえる。士官学校を卒業とともに叙任式にて軍の直轄である騎士団に入隊し、配下のドラゴンは稀少種の重戦闘竜で、巨大な火噴きだ。  短く刈り上げた銀髪の下に、切れ長の緑の瞳に鋭い輝きを宿し、時折見せる笑みだけで噂の的となった。その抜きんでた身長に加えて、品位に満ちた身のこなしは、献身的な愛を注ぐ騎士道に憧れをもつ貴婦人たちの目をひいていたからだ。 『ローエン、すこしあついよ……』 『殿下、どうかお静かに。声が大きいです』  ローエンが小声で話すと、マントの中で隠れる幼い子どもぱたぱたと上着をはたくように、マントを動かした。まだ細く頼りない手で両腕をさすり、ロングマントをたぐりよせた。 『ああ、ごめん。でもマントの中だけでもいいからさ、水魔法とかだして涼んでいい……?』 『殿下、神殿で勝手に魔法を使うことは許可されておりません。まして、マーリン卿が唱えている呪文に影響を与えてしまっては一大事となります』   そう言ってみるが、この幼い王子は耳を貸そうともしない。王族だけがもつというマナを見分ける力を宿しているが、その能力も青年でないと発揮できない。魔力の素となるマナは動植物から得ることもでき、子どもができれば胎内にマナが宿る。そして歳をとるたびにマナも魔力も摩滅していく。この国の王は神から授かったマナを祝うことで絶対的な力を発揮するという。 なにもかもが幼いが、生意気なところだけはピカイチだ。  そんなこともつゆ知らず、少年は王妃から引き継いだうつくしい顔立ちをつんと前にむけ、澄んだブルーの瞳を細めた。 『そうか……。ならちょっとだけならいい?』 『なりませぬ。それよりも早く王妃の元に行った方がよろしいかと』 『いやだよ。あっちには行かない。兄上がいるか絶対にいやだ』  首を横にふって、マベール王子はポケットから金縁の眼鏡のグリップをだして目元にあてた。まるでオペラを鑑賞しにきたかのようにはしゃいでいるようにもみえ、ローエンはあきれた表情でそれを見下ろした。  ……まったく。この王子は、遊びにきたと思っているのか。  ローエンはため息を漏らし、マントを引き寄せて、幼い少年を周囲の視線から隠す。とりあえず、無事に儀式が終わるのを待つしかない。 『殿下、ここにいるよりも前へいったらどうですか……』 『やだよ。絶対にいかない。兄上もいるし、僕の出番はないはずだ』 『出番というより、王妃さまがちらちらと私に視線を送っておりますよ。陛下もそばにいてほしいと思っておられるはずです。それに、もうすこしお声を小さくしてください』 『わかったよ。いちいち小言ばかりで、ローエンこそうるさいと思うけどね。母上にはローエンといるってちゃんとしゃべってきたんだ。あとで必ず戻るようにする。だからいまだけ許してよ』  きっぱりと言うが、どうも信じがたい。 『そうはいいますが……、基地に戻ってペレンス様子を確認したいのです』 『はいはい。ローエンのドラゴン好きには困ったもんだね。僕よりもペレンスが心配でしょうがないんだ。だいじょうぶ、儀式が終わったら解放してやるよ』  十二歳の子どもにからかわれて、ローエンは少し顔が熱く感じた。ドラゴンのペレンスは火噴きドラゴンで、ローエンしか懐かない。他のものが命令しようとすれば、怒って火を噴いてしまう。  そのくせ寂しがり屋なので、ローエンはどうも心配でたまらなかった。孵化から立会い、親以上の愛情を注いでいた。 ペレンスには十分なほどの羊と牛をやってからきたので、いまはウトウトと寝ているはずだ。心配はないと思うが、どうもこの儀式は長引きそうだ。 『今日だって、第三基地の宿営地にいるんだろう。他のドラゴンたちと一緒に寝ているはずさ』 『そうなのですが。怪我が心配でして』  辺境地区の哨戒活動にいったところ、魔獣と鉢合わせしてしまい、怪我を負させてしまったせいだ。幸い、骨まで達する怪我は免れたものの、竜医には安静にするように言われて容態が心配だった。 『明日、僕も魔法石をもってお見舞いいくよ』 『いけません。王族が訪れるとなれば、たとえ軍事基地としてでも一大行事となります。それも第三基地のみとなれば具体的な理由を要します。ともなってさまざまな書類と手続きを得て……』 『ああ、もういい。そんなのわかっているよ』  長々と説教じみた口調は途中でさえぎられ、じゃあ内緒で行くよと返されてしまう。いつもこんな感じなので、ローエンはやっぱり基地に戻って、ペレンスのそばにいればよかったと思った。 一応、王子の護衛という理由でそばにいるが、ここにいる戦闘騎士はローエンだけだ。前方には第一師団であるクレムリン騎士団、ロワジャルダン団長もいる。それでも場違いなのか、近衛兵たちがこちらにじろじろと突き刺す視線をむけていた。  ……しまったな。くるんじゃなかった。  そう思っても、王子の命令を一介の士官ごときが無下に断れるはずがない。  そもそもマベール王子との出会いも不運続きだった。ドラゴン見たさに、第一師団の第三基地に侵入したのを発見し、咎めたのがきっかけだった。ペレンスに餌をやろうと宿営地にむかっていたところ、十歳ほどの子どもがいたのだ。ドラゴンの体表を撫でながら、ニコニコとしながら話しかけている。給仕している労働階級の子どもかと思いきや、王族とわかり取調室は騒然となった。 それからだ。なにかあるたびにローエンはこのちび王子に呼びつけられ、こうして時間勤務を超過しながらも働かせられるという結果となってしまった。  もちろん保護者である王妃の信認を得ているし、逆に真面目なローエンを気に入って、ゆくゆくは王子側近の近衛騎士として仕えるようにともいわれ、いまは団長にそれだけは勘弁してくれ異動を取り下げてもらっている。そしてひまを見つけては、この幼い王子の要求をはねつけることなく果たしているというわけだ。 『ローエン、そろそろ始まるよ! ほら、暗くなってきた!』  ぐいぐいとマントの裾をひっぱられ、マベール王子のはしゃいだ声が足元から響き、じろりとまた隣にいた近衛兵に睨まれた。 『殿下、落ち着いてください。マーリンさまの召喚呪文が終わりますので……』 『しっ! ほら、上を見て!』  顔を上へむけると、すでに月の満ち欠けが始まり、すべての光が奪われていた。あっというまにあたりは真っ暗な闇に塗りこまれ、マーリンが最終節を唱えると、光で描いた魔法円の文字が宙高く浮かびあがった。 『地と星。惑星。幽光の力をもって光を与えよ。月満ちて欠け、神の子があらわれ、深く結ばれるとき無限の力を施す。ときは満ちた。契約を交わせ……——』  マーリンの湿りをふくんだ声が神殿内を響き渡った。  宙に刻まれた呪文が燦爛と輝き、光が満ちたとたん、黒の影が歪んでみえた。 『……きた!』  マントの中からマベール王子の顔が無邪気に飛び出る。マーリンの低い声とともに、艶やかな黒髪をなびかせ、一人の女が姿をあらわした。  なんだ、あの女……?  一瞬、女がにやりと口元が上がったようにみえた。ローエンは剣を抜こうと、柄に手をかけた。が、前の男が後ろに後ずさり、壁のように視界をさえぎられ、手が止まる。  そして、ローエンが次に目にした光景は女がぶるぶると震え、恐怖におののいていたものに変わっていた。 『神子さま……神子さま……。遠くからおいでくださいました。ロウェンツェ王国の遣いでございます。我々は神の子として貴方様を迎えます』  司祭がそう言うと、深々と神官が頭を垂れ、一拍おいて、王たちが歓声を上げた。割れるような拍手で儀式を祝福した。 

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