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プロローグ 2
が、それも一瞬だった。
『男がいるぞ!』
近衛兵が叫んで、その声に護衛たちが剣を抜いた。
高らかに叫んだ近衛兵の声に、ローエンの手に緊張が走った。だが、剣を振り上げるにはあまりにも人が多い。高位魔法である瞬間移動をするしかないか。
『そいつを捕らえろ! 王を守れ!』
ローエンの頭にさまざまな防護措置がよぎるなか、ロワジャルダン団長が王の前にでて、一斉に魔法騎士たちが防御魔法をかけた。円状の障壁が張られ、薄い膜が王族たちの眼前を守った。
しんと静まり返った神殿は、一種の特有の緊張感に包まれた。
男はぴくりとも動かない。額から血を流して石床に横たえて、息はあるものの、かろうじて生きていると見てとれる。
『殿下、できるだけマントの中から動かないでください』
ざわめく騒ぎの中、ローエンもマベール王子を守ろうとマントの中に押し込んだ。
『彼は神の子なの?』
王子は気にすることなく、隙間からひょこっと顔を出して、キラキラした瞳でローエンを見上げて質問してくる。神殿の緊迫さなどまったく気にするそぶりはない。
『あの男はおまけとしてついてきたのでしょう。とにかく聖女は無事にマーリン卿が守ってくださると思います』
ローエンがそう説明すると、ブルーの瞳が一層輝きを増す。
『でもさ、聖女は魔物討伐のたびに騎士団についていくんでしょう? いいなあ。僕も西の魔女を見てみたい!』
『いけません。魔女は蛇と化し、恐ろしい闇魔法を使うといわれております。呪いを受けたものは、死ぬまで重い穢れに侵されるようです。殿下、そのように軽々しく口にしてはなりません』
さすがに、ローエンの声が曇った。それでも少年はぷうと頬をふくらませ、不満たらたらになっている。
『う~、一度でもいいから魔女に会ってみたいんだ。対価が必要になるっていうぐらいだから、すごい力なんだろ?』
『殿下、この国では闇魔法は禁忌です。それにそろそろ王妃さまのところへお戻りください……』
ローエンが穏やかな声で窘めるが、マベール王子に戻るという言葉はなさそうだ。いいんだと手を振って笑い、グリップを片手にしげしげと王太子が満面の笑みを浮かべていることを眺めた。
『さっきも言ったけど、僕は兄上と違うんだ。ローエンだってそうだろう?爵位は一番上が引き継いで、僕たち二番目以降は好き勝手にできるんだよ。なにを言っても、なにをやってもだれも咎めないし、認めてなんてくれない。つまり、存在しないのも同じさ。ほら、兄上なんてもう聖女にゾッコンだ。あれは絶対に結婚する気だよ』
意外にもこの幼い少年は歳のわりには大人びた考えを持っている。たしかにマベールの小さな指の先には、王太子が聖女の手の甲にキスをしていた。王太子の表情はそういう顔だった。いずれそうなるだろうとローエンも思ったが口にはださない。
『とにかく、お気持ちは承服いたしかねますが、そろそろここから立ち去ったほうがよろしいとかと』
『……うわっ、団長がきた!』
ふと、ロワジャルダン団長がローエンに視線をむけるのがわかった。団長の胸にはワーロック勲一等賞の勲章が輝き、ツカツカとこちらに靴音を鳴らせてやってくる。よき上司でもあり、時々食事会にも招いてくれて個人的にも交流もあった。特に宝飾店を営む奥方には魔法石の購入時にはとてもよくしてもらっている。
マベール王子はやばっとつぶやいて、ローエンのマントの中にさっと隠れた。
『ローエン、ここにいたのか』
『ええ。なにかお急ぎですか?』
団長はローエンのそばに立つと、厳しい顔で口をひらいた。
『……すまないが、すぐにあの男を治療院に運んで欲しい。癒者がいないかもしれないが、男の足の怪我を治してやってくれ』
いつもなら命令には即答するローエンだったが、どうして自分にその役目がくるのか不思議だった。周囲には王側近の護衛騎士や、近衛隊もいる。騎士団である自分がその役目を負うのは分が過ぎる。団長は顔をしかめ、ローエンの肩を叩いた。
『……ああ。このメンツで頼むものがいないんだ。男の容態が回復したら、取り調べにまわしてほしい。いずれにせよ、魔法省が今後の判断を下すはずだ。この件は他言無用で頼む』
『はっ』
ローエンは深くうなずくと、ロワジャルダン団長はくるりと踵を返した。そして前方にいた近衛騎士たちに指示を出し始めた。
『あっぶなかった~。団長にみつかると思ったよ。え? なになに? ローエンなんかするの?』
ローエンの背後からマベール王子がひょっこりと顔を出して、興味ぶかげに見上げてきた。
『指示があったので、お付き合いはここまでです。殿下は王妃の元へ戻ってください。では』
その場から立ち去ろうとすると、マベールが引きとめた。
『えっ、僕もいきたい!』
『なりません。そろそろ殿下も挨拶しにいくべきかと』
すでに聖女一行は王とともに王城へ移動して、王妃が厳しい目でこちらを睨んでいた。ローエンが軽く頭を下げ、マントの中をみせ、視線をマベールに移す。ここにいますという顔をすると、王妃がマベール王子を見つけ、さらに目をつり上げた。
マベール王子はうげっと潰れたカエルみたいな声をだし、マントの中からでてきて、しぶしぶと一行のしんがりについていった。
そういうところがまだまだ子ども、と揶揄される所以なのだ。やっと任務から解放されたローエンはその小さな背中に笑みを送り、王族たちがいなくなると、すぐに男のもとへむかう。
男の意識はない。真っ黒なあやしい服に身を包んで、所々破れて汚れが目立っている。近衛兵から男を引き渡してもらい、ぐったりする身体を腕の中に抱え込んだ。治療院は神殿の別棟にあり、すこし歩かなければならない。
石段を上がって地上にでると、澄んだ空気が頬をなでた。空は群青色に染まり、真上には満月が戻っていた。
治療院は神殿の北棟あり、前庭にむかって小走りに急いだ。
ローエンは腕の中に抱えながら、男の顔に視線を落とした。男はこの世界とはかけ離れた顔立ちをしているが、長い睫毛がゆれるたびに、どこか艶めかしい。
ふっくらとした桜の唇が目を引いて、ごくりと咽喉が上下した。ローエンの足が止まり、夜風が男の髪をなびかせた。
この男、軽いな。いや、どこからきたのかもわからない。安易に情を寄せてはダメだ。
そう自分に言い聞かせて、ローエンは己の正気を戻す。
マベール王子のように物好きというわけでもない。あの儀式を目にして、すこしだけ気が高ぶっているだけだと己に言い聞かせて足を早めた。
男とともに治療院に着くと、院内は癒者もおらず、ガランとしていた。とりあえず寝台にのせて、横に寝かせた。怪我をしている患部に回復魔法をかけて、自分はそばにあった木製の丸椅子に腰かけた。
腕を組んで眠りかけたとき、ふいに男が起きた気配を感じた。
『あ、あの……』
怯えているのか、恐る恐るという感じで声をかけてきた。
『男、私はおまえの監視役になった』
それが、シビ・ユーヒとの出会いだった。
思い出すだけでこの挨拶はめちゃくちゃだった。
できるなら、もう一度やり直したい。せめて、名を名乗るか、もっと丁寧な言葉で挨拶を交わせばよかったとすら反省してしまう始末だ。
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