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第3話

    *  女受けするような雰囲気に、男は落ち着かない様子だった。  麻陽が男に連れられたのは、とある話題のカフェである。内装は落ち着いたものだが、パステル色が多く使われ、客層は若く学生かカップルしかいない。そんな店内にはさすがに居づらくて、男の希望で二人はテラス席へと案内された。  注文を終えて現在。  麻陽の前にはいくつものケーキの皿が並ぶ。 「本当にいいの、これぜーんぶもらっちゃって」 「ああ、この間の謝罪だからな」  ほくほくと嬉しそうに頬を染めて、麻陽がさっそくフォークを突き刺す。  以前やってきたケーキ屋とは別の場所だ。ここはテレビではしていなかったがインスタ映えすると話題の店で、実はあの日行こうかと悩んでいた二軒目の場所だった。  嬉しそうに食べる麻陽を、男はじっと見つめていた。そうしてその容姿や服、仕草、すべてを確認して、ふたたび食べている姿を映す。 「……あの日、本当は俺がスーツを買おうと思ったんだが、すでに会計を済まされていて」 「あ、うん。僕ケーキ食べたかったから急いでたし」 「そうじゃなく。……いや、そうか、それできみは居なかったのか」  男は何に安堵したのか、ふぅと軽く息を吐く。 「きみのことを少し調べたんだ」 「調べた? なんで?」 「謝罪と礼をしたかったからな」 「ふーん。大変そうだね」 「…………風俗で働いているらしいな」  嫌悪感があるのか、ぐっと男の眉が寄る。  麻陽には空気を読むことも相手の気持ちを測ることもできないから、そんな表情もまったく気にならないようだった。 「うん。十六の頃からね。サバよんで働いてるの」 「……事情は知ってるけど、そういうのはやめたほうがいい。もっと自分を大切にしないと」 「……大切に? してるよ?」 「してないだろ。毎日毎日、知らない相手とセックスばかり……本当に好きになった相手が出来たとき、そんなところで働いていたらそいつに嫌われるぞ」 「でも、大切にはしてるよ?」  もりもりとケーキを食べる麻陽は、何を言われているのかをあまり理解していないようだ。  何をどう言えばいいのか。男は分かりやすくため息をつくと、自身を落ち着けるようにコーヒーを一口含む。 「だからオメガはダメだと言われるんだ。セックスを武器にして、アルファやベータを陥落させる。自分を大切にすることの意味を分かっていない。きみは周囲からどうやって見られているかをきちんと理解したほうがいい」 「うん、分かった」  あっという間に五皿のケーキを食べ終えて、麻陽はメニューを開く。まだ頼むつもりらしい。 「……分かったって……そんな簡単に……」 「理解でしょ? 分かったよ、頑張る。でも今はケーキ食べる」 「いや、そんな話じゃ、」 「すみませーん」  店員を呼んだ麻陽は、またしても五皿ほど注文した。  その食欲はどこからくるのか。華奢で小柄なだけに心配も浮かぶが、男が引き止めることはない。 「きみは将来のことをしっかりと考えているのか?」 「しょーらい?」 「……どこで働いて、何になりたいとか。夢はあるだろ?」 「んー?」  ケーキを待つ間、麻陽はホットココアを飲んでいた。甘いものを食べながら甘いものを飲むなど男には理解しがたいことだが、平気そうな麻陽を見ていれば案外平気なものなのかもしれないとも思えてくる。  麻陽は一度ココアを飲むと、薄かったのかそれをくるくるとかき混ぜ始めた。 「別にない。今が一番たのしーもん」 「……あのなあ……きちんと考えろ。きみはまだ二十歳だが、これからだんだん歳をとる。そうしたら客の指名も減る、収入もない、風俗あがりのオメガなら結婚も難しい、どうやって生きていくつもりだ」 「ん? それまでに死ぬんじゃない?」 「人間は意外と長く生きるぞ」 「えー、そーなの? どーしよっかな、あ、きたきた」  麻陽は店員が持ってきた皿をキラキラとした目で見つめると、行儀よく「ありがとー」と頭を下げる。店員も最後まで嬉しそうに笑っていた。 「……きみの境遇は知ってる。でもそれで腐って将来のことを何も考えないのは違うだろ。そんな境遇だからこそ見返してやるってバネにするもんじゃないのか」 「そんなもん?」 「そうだろ、普通」 「ふーん。僕、難しいこと苦手。普通って言われてもよく分かんない」 「だから……」  男の言葉も深くは聞かず、麻陽は美味そうにケーキを頬張る。  その様に男もややイラついて、指先がテーブルを断続的に打ち始めた。 「なんでおまえらはそう……普通ってのは普通だろ、なんで分からないんだよ。俺がこうやって時間割いてやってんのに、なんで理解しない……」 「おいしー。ここのケーキすっごいおいしー、お土産にいくつか買って帰ろー」 「俺はなあ!」  男の手が、テーブルを強く叩きつけた。  ガシャン! と食器が跳ねる音に、隣の席の学生が二人を見つめる。テラス席でなければさらに視線を集めていただろう。しかし麻陽には関係がないから、彼はただマイペースにフォークを進めていた。 「きみのために言ってるんだよ! これからどうする、オメガの就職口なんかそもそも少ない! それなら婚活でもして結婚する道を選ぶのが妥当だろ!? なのにきみは風俗なんかで時間を潰して、自分の価値も落として何やってんだよ!」  オメガなんだって。うわ本当だ、チョーカーついてる。しかも風俗って。隣の席の学生が、ヒソヒソと二人を見ている。特に麻陽を見る目は厳しく、極力見ないようにと目をそらしていた。 「お兄さんって優しーよね」 「……は、はあ? 俺の話、聞いてたのか?」 「気に入らないなら僕のことなんか放っておけばいーのに。僕が何してても、結婚できなくても、お兄さんが困るわけじゃないでしょ。でも僕のために怒ってくれたんだよね。頭良さそうに見えるのに、馬鹿なんだね」  ものすごいペースでケーキを食べる麻陽は、すでに三皿目を終えていた。  男はぐっと押し黙り、紛らわせるようにカップを持つ。 「お兄さん、僕に頭なんか使わなくっていーよ。僕は適当に生きて適当に死ぬからさ。お兄さんは僕のことなんか気にせず、何も考えずに生きてればいーんだよ」 「……そうかもしれないが……」 「あれ、また八つ当たり? 前もカリカリしてたもんね」  かちゃん、と皿が重なり、四皿目のケーキが終わったことを知らせた。 「またと言われるとあれだな……はぁ。そうかもな。最近うまくいっていない。友人には金を持って逃げられるし、婚約者にはフラれるし、飼っていた犬も死んだ。そんな中で水をぶっかけられて……」 「それであんなに怒ってたんだー」  ははは、と乾いた声で笑うと、麻陽はとうとう最後の皿も食べ終える。  男がちらりと麻陽を見るが、麻陽はココアを飲んでいた。男の指先はすでに大人しい。男は今度メニュー表を一瞥して目を細めると、落ち着かない様子でふたたびカップを口に運ぶ。 「こんな話を誰かにしたのは初めてだ」 「僕とは他人だもん。話しやすいんだと思うよー」 「……きみは不思議な子だな。俺にあんなことを言われても怒らないのか」 「だってどーでもいーもん」  さて、と麻陽が立ち上がると、男もパッと顔を上げた。じっと麻陽を見つめている。次の仕草を探っているのか、その目には麻陽も思わず動きを止める。 「なに?」 「どこへ?」 「ん? トイレ」 「…………そうか。行ってこい」  麻陽の答えを聞いて、男は椅子に深くもたれた。  そうして麻陽が戻ってくると、またしてもココアと、今度はパフェを頼んでいる。そんな姿に、男はホッと力を抜いた。

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