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第4話
「……俺の家は、大きくて」
男の言葉に、注文を終えた麻陽が振り返る。
「アルファなんだからと、昔から厳しくしつけられてきた。アルファの学校に行って、友人も選別されて、娯楽もすべて奪われた生活だった。あまり家が好きじゃないんだ。だから自分で事業を始めた。両親には褒められたよ、さすがは自分たちの子だって。俺が実家をでかくするために始めたと思ったらしい。俺は、家から逃げたくて会社を始めたのにな」
ココアもすべて飲み終えて、麻陽は手持ち無沙汰である。
そのため特に何をするでもなく、男の言葉を聞き流していた。
「婚約者は両親が選んだいいとこのオメガだったけど、うまくいかなかった。……俺の態度に耐えられなかったと」
「ふーん」
「だからきみが『自分のために怒ってくれた』と言ったときには少し驚いた。そんなふうに思われたのは初めてだ。友人も元婚約者も、俺の言葉はすべて余計なお世話で押し付けだと言っていたからな」
男は自嘲気味に微笑んで、目を伏せる。
「分かってるんだよ、こんなだからいけないんだよな。きみも言ったろ『普通と言われても分からない』って。分かってる。俺が言うのは俺の中の普通であって、相手にとってのそれじゃない。分かってるんだ。でもどうしてなんだよって気持ちが強くて、つい口から出てしまう」
店員がやってきた。そうして暗い雰囲気を察してか、ココアを置いて早々に立ち去る。
まだいれたてだ。麻陽は猫舌だから、少しの間は飲めそうにない。
「相手のためだと言うのはきっと、自分の考えを正当化したいからなんだよな……。きっときみが俺の考えに同意したなら、俺は安心できたんだ。友人や元婚約者に押し付けとか言われたのは間違いで、やっぱり俺が正しかったんだって」
「へー」
「……きみは本当に興味がなさそうだな」
「うん。僕考えるの苦手だからさ、何が言いたいのかよく分かんないや」
「だろうな。きみがそんなだから俺だって話せたんだよ」
男は苦笑を浮かべていたけれど、悪い感情はなさそうだった。
そうして上品な仕草でカップに口をつける。コーヒーはすっかり冷め切っていた。
「んー、カリカリは落ち着いたの?」
「? ああ、そうだな。そういえば。ちょっとすっきりしたかもしれない」
「ならいーや。ほかのことは面倒くさいし」
ふー、ふー、とココアに息を吹きかけて、麻陽は思いきって口をつける。けれどまだ冷めていなかったようで「あちっ」と微かに声を上げると、麻陽はすぐにカップを戻した。
そんな様子を見ていた男は、幾分柔らかな表情を浮かべていた。
お土産をしっかりと買ってカフェを出ると、麻陽はすぐに大きなあくびを漏らす。食べたから眠くなったのだろう。映画に行く予定だったけれど観たいものがあったわけでもないし、このまま戻って昼寝をするのもいい。
麻陽が男を振り仰ぐと、男とばちりと目が合った。しかし相手は麻陽である。どうして見つめられていたのかも考えないまま、ペコリと一つ頭を下げた。
「ケーキ美味しかった。ありがとー」
「……ああ、別に。これはあの時の失態のツケのようなもので……」
「それじゃ」
「っ、あ、だから!」
立ち去ろうとした麻陽の腕を掴むと、男はパッと手を離す。とっさの行動に自分が一番驚いているようだ。
麻陽は足を止めた。不思議そうな顔で男を見つめている。
「……あの時の失態のツケにしては、安すぎたと思う。また会えないかな」
「うん。いーよ。いつ? 明日? というか今からでもいーけど」
「いや、今からは待て、明日……も仕事がある。えっと……待ってくれ」
まさか二つ返事でオーケーされるとは思ってもいなかったのか、男は慌ててスケジュールアプリを起動していた。
正直、麻陽にはどうでも良いことだった。会いたいと思われているなら拒絶する理由もない。また美味しいものを食べられるのならラッキーだ。麻陽は「どうして」なんて考えないから、ただぼんやりと男の回答を待つ。
「明日の夜なら時間がある。十九時からになるけど」
「あー、十九時かぁ」
麻陽の仕事は基本的に朝と夜だ。オーナーの気遣いで空いているのは昼ばかりで、夜となるとオフの日しかない。
悩んだ様子を見せる麻陽を、男がじろりと睨み付ける。
「……風俗の仕事か?」
「うん。夜は仕事。だからお昼の時間にしよー」
「俺に調整しろっていうのか。そっちは風俗だろ、時間くらいそっちが合わせてくれ」
「えー、んー。ちょっと時間を遅らせてくれるならいけるかもだけど、エッチした後でもいー?」
「…………きみは、」
何かを言いかけた男は、パチパチと目を瞬く麻陽の顔を見てぐっと言葉をのみ込んだ。
麻陽に何を言ったって無駄だ。どんな痛烈な言葉だって受け流してしまう。何一つ打撃にならないのに、わざわざ体力を使ってやる必要なんかない。
そもそも、ここで怒るということも、相手にとっては理不尽なのだろうか。
男はその考えに行き着いて、なぜかそれが正しいような気がした。
「……分かった。合わせるよ。何時ならいい」
「んー、二十一時とか?」
「二時間遅らせるだけでいいのか?」
「うん。もう予約締めとく」
ぽちぽちとスマートフォンを操作すると、麻陽はそれをポケットにしまう。
「……連絡先」
「うん?」
「いや……明日の待ち合わせとか連絡したいから、連絡先教えてくれないかな」
「あ、そっかそっか。忘れてたー。はい」
アプリのIDを教えるだけかと思ったが、その後男から「念のため電話番号も教えほしい」と言われて、麻陽はすぐに男に番号を教えた。間も無く、麻陽のスマートフォンのディスプレイには知らない番号が浮かぶ。
「それが俺のだから、登録しておいてくれ」
「分かったー。えーっと……」
番号の交換なんか基本的にはしないから、電話帳にはオーナーと男の番号しかない。
麻陽は浮き足立っていた。まるで友人が出来たような感覚だ。やや嬉しげに登録画面を開き、先ほどアプリで見た男の名前を思い出す。
「ことりさん、と」
麻陽は変換することもなく、しっかりと「ことり」と打ち込んで登録をした。
「いや、それは……あー、いや、いいよ。それで」
「じゃーまた明日ね。今日はありがとー」
「ああ、うん。はい。また明日」
軽快に歩き始めた麻陽の背中を見つめて、男は一つ息を吐く。
「小鳥遊 、なんだが……」
麻陽には「ことり ゆう」に思えたのかと考えればなんだか面白くて、否定するのも躊躇ってしまった。
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