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おまけ:小鳥遊家にご挨拶
小鳥遊家の全員が集まれる機会など、一年を通してもほとんどない。各々が会社を経営していることもあり、それぞれが多忙を極めているからだ。しかし、その日はなぜか全員が時間通りに実家に集結した。
今まで恋愛にまったく興味がなかった仕事人間の小鳥遊家の三男、和真が、心底惚れて射止めた婚約者を家に連れてくるという大切な日だからである。
「……ねぇ母さん、俺この服でいいと思う?」
次男の奏真が不安げに、自身のお気に入りのシャツをつまむ。派手な柄入りシャツだが、奏真にはよく似合っている。シンプルなパンツを合わせているためおかしなこともなく、母である静佳は特に興味もなさそうに口を開いた。
「大丈夫よ。ねぇ誠一さん?」
「そうだな」
「テキトーじゃん! 俺は真剣に聞いてんの! 和真のお相手、マジで可愛いんだよ!? 天使なんだよ!? おめかししないと!」
「うるさいぞ奏真。大人しく座ってろ」
「優真兄さんだってお気に入りのジャケットなんか着ちゃってさ。楽しみにしてるくせに……」
奏真が指摘したとおり、優真はお気に入りのブランドでオーダーした世界に一つだけのジャケットを着ている。しかし焦ることもなく、姿勢悪くソファに深くもたれた優真は「だからなんだ」とでも言いたげに、呆れたように肩をすくめた。
「旦那がこれじゃあ、おまえの相手は大変だな」
「やだなぁ、俺は浮気なんかしないよ。意外と一途だからね」
「あら、着いたみたいよ」
スマートフォンをずっと見ていた静佳がつぶやくと、その場がぴたりと動きを止めた。
奏真は自身のシャツを整えていたが、優真はできるだけ自然に振る舞おうとあえて姿勢を正さない。この場で唯一冷静な誠一の隣、静佳でさえ、クールな表情の下で高揚が隠しきれず、頬がどこか赤らんでいた。
なにせ、あの和真の相手だ。
どんな美女に告白をされても、どんなに魅力的なオメガに迫られても「きみに興味が持てないんだ。時間を無駄にしたくない」と、バッサリと断り続けていた。さすがに結婚を意識する年齢になってからは交際もそこそこしていたようだが、結局和真の元来の性格もあり、長岡とのようにうまくいかなかった。
両親も兄弟も、和真の相手だからこそ気になって仕方がない。奏真はすでに一度会っているが、麻陽が変わり者すぎて、正直為人 はあまり覚えていなかった。
顔が可愛かったのは確かだ。奏真はそれだけを正確に家族に伝えたが、美男美女に慣れている小鳥遊家だからこそなのか特に興味もなさそうで「それで性格は? サイズは?」などと追撃を受け、奏真が見事に撃沈したのはまた別の話である。
「ただいま。……あれ、もうみんな居たのか。お待たせ」
小鳥遊がやってくると、全員の視線が一気にそちらに向けられた。
麻陽の姿は見えない。扉の外に居るのだろう。
「目が怖いんだけど……麻陽、おいで。全員アルファだから緊張するかもしれないけど」
いや、麻陽に限って緊張なんかするわけがないかと。小鳥遊はそう思ったが、口には出さず、外で待つ麻陽の腰を抱く。
今日の麻陽は、小鳥遊が選んだ服を身につけている。
明るめのブルーのジャケットにグレーのチノパンツを合わせ、チェックのシャツの首からはシンプルなループタイを下げた。小鳥遊が麻陽に似合うと思った、麻陽に着てほしいと思った服である。もちろん九十九が与えたブランドとは違う。小鳥遊はそれが嬉しくて、麻陽を見せびらかして歩き回りたい気分だった。
「こんにちは。神田麻陽です」
抱き寄せられた麻陽は、特に緊張した様子もなくマイペースに頭を下げた。
「麻陽くん! 久しぶりだね、俺だよ、奏真!」
「? はい。どーも」
「……嘘でしょ? 忘れたの? 俺でもショックは受けるよ?」
「ソーマくん? 初めまして」
「うっ……立ち直れない……」
奏真があまりにも天使だなんだと言うから、いったいどれほどのものかと思えば。
小鳥遊家の面々は麻陽の頭の先からつま先までをじっくりと見つめ、目を細める。
「初めまして、母の静佳よ」
「私は父の誠一だ」
「長男の優真」
「はい。どーも」
教養も礼儀もない。気遣いもない。それなのに小鳥遊は咎めることもなく、まるでエスコートでもするかのように麻陽を家族の前に座らせる。
「……あなた、風俗上がりなのよね? 今はもう退職しているのかしら?」
「うん。じゃない、はい」
「きみにはご両親が居ないらしいな。学校にはきちんと通ったのか?」
「ガッコーには行ってません。中学校からかな?」
静佳と優真に問いかけられて、麻陽はぼんやりと答えた。
小鳥遊はニコニコと見守るばかりだ。小鳥遊が選んだ服を着た麻陽が、小鳥遊が教えたとおりに頑張って敬語を使っているのが可愛くてたまらないらしい。
奏真も上機嫌だった。単純に麻陽のことを気に入っているのだろう。
静佳と優真は麻陽を見つめながら、渋い顔でため息を吐く。
「なるほどな、無教養にも納得だ。これじゃあパーティーにも招待ができない」
「ええそうね。小鳥遊家の恥よ」
「一度叩き込んだほうがいいな。和真、彼をしばらく実家に泊まらせろ。俺自らが教養を教えてやる」
「私だって花嫁修行をさせられるわ。和真、そうしなさい」
「静佳、優真」
ずっと黙っていた誠一が、ようやく口を開いた。
「神田くんのことを気に入ったのは分かったが、和真から取り上げようとするのはやめなさい」
「だって誠一さん! 見てちょうだいこのきめ細やかなお肌! 大きな目! なんて可愛らしいの!? まるで天使じゃない! 私だってこんな美少年とたくさんの時間を過ごしたいわ!」
「俺にはそんな邪な感情はないが……そうだな。見目が良いことだけは認めよう。ちょうどペットを飼おうかと番と話していたところだったんだ」
「ずるいよ二人とも! そもそも麻陽くんに目をつけたのは俺が一番だったんだからね!」
言い合う静佳と奏真の間で、優真があくまでも冷静に参戦している。
小鳥遊からすれば想定の範囲内だった。贔屓目なしに、麻陽は本当に愛らしい。店でも一番人気があったし、これまで無事でいられたのは九十九が厳重に守っていたからだろう。そして何より、小鳥遊家は小さくて可愛いものに弱い。優真と奏真の番も小さくて可愛らしく、静佳は長身の美人であり、自身がそうなれなかったために憧れが強くある。誠一は特に興味もなさそうだが。
「言っておくが、麻陽は連れて帰るぞ」
「あら和真。あなた、独り占めをする気なの?」
「当たり前だろ、俺のなんだから」
「うわー、俺まだ慣れないんだよね。和真がデレデレしてんの」
奏真の言葉は無視をして、強く言い返そうかと息を吸い込んだ矢先。ぼんやりと座っていた麻陽が「遊べるの?」と小さくつぶやく。
「ん? どうした麻陽」
「みんなで遊べるのかなって」
「……麻陽、こう見えてこの人たちは忙しいから、」
「麻陽くん、遊びたいのね? そうよね、家族が居ないんだもの。家族団欒を知りたいわよね。大丈夫よ、時間は作るものなの。調整なんていくらでもするわ。ねぇ誠一さん?」
「……まあ、きみがそう言うなら」
「賛成だな。例のクソみたいな親戚のことは知っているが、あれを“家族”だと思われたままでは癪に触る。本物を教えてやらなければ、それこそ小鳥遊の恥だ」
「俺も調整できるよー」
あまりにもあっさりと言われて、否定しようとしていた小鳥遊は動きを止めた。
小鳥遊が一番、家族がどれほど忙しいかを知っている。両親とは幼い頃から顔を合わせないことがほとんどで、誕生日や年に一度あるかないかのレジャーなど、それ以外では堅苦しいパーティーでしか姿を見なかった。兄たちも、仕事を始めてからはまったく実家に帰ることもなく、小鳥遊はいつも広い家に一人。
今、家族が集まっていることすら信じられないというのに。
小鳥遊は言葉が出ず、視線を泳がせながらも麻陽を見る。
「僕、海に行きたいです」
「……どうして海なんだ?」
少し考えたが分からなかったのか、優真が訝しげに問いかけた。
「この間ことりさんと初めて行って、楽しかったから。“クルーザー”の上でお父さんとお母さんがのんびりして、兄弟で“ダイビング”したり“ジェットスキー”したりするのはもっと楽しーと思う」
「……やけに細かい注文ねぇ。でもいいわ、そうしましょう。ついでにバーベキューもしましょうよ」
「ことりさん? 誰のことだ?」
「ぶふっ! やめてよ優真兄さん、その勘違いは意味不明で面白いんだから」
「勘違い……?」
麻陽が嬉しそうに小鳥遊に振り返る。
小鳥遊はまだ信じられない心地だった。
もしかしたら、これまで一言でもわがままを言っていたなら、今のように取り合ってくれたのかもしれない。
仕事の邪魔をするなと言われたことはない。ただ小鳥遊が勝手に、幼少の頃から「邪魔をしないように」と遠慮していただけである。一生懸命に仕事をする家族に憧れていたということもある。小鳥遊は父のように、兄のようになりたくて、自分をより厳しく律してきた。
(……予定が合わないだけで、誕生日には帰ってきてくれたし、定期的にレジャーにも行ったし……)
「しかし今の時期に海は寒いな」
「そうね。こんなにも小さくて可愛いんだもの。海に浸けたらすぐに風邪をひいて拗らせて死んでしまうわね」
「えー、じゃあダメじゃん。今からの時期だとキャンプとか紅葉狩りとか? 麻陽くん、どう?」
「? ことりさん、キャンプと紅葉狩りって楽しー?」
麻陽の反応がよほど気になるのか、静華がじっと麻陽を凝視している。しかし麻陽は気にすることなく、まっすぐに小鳥遊を見ていた。
「……楽しいよ。楽しいと思う。麻陽が居れば、俺は何をしていても楽しい」
「? 僕は家族じゃないのに、一緒にいて楽しーの?」
「やだ! そんな寂しいことを言わないでちょうだい!」
「麻陽くん! 俺たちはもう麻陽くんの家族だよ!」
「?」
麻陽の認識では、初対面の彼らはまったく家族ではない。小鳥遊は以前に家族が居たから海が楽しかったと語っていたし、それならば自分は「家族」ではないから一緒にいても楽しめないと思っただけなのだが……。
麻陽には、なぜ静華や奏真が信じられないとでも言いたげな顔をしているのか分からなかった。
静華や奏真にはまだ、麻陽の感性の理解は難しいだろう。察した小鳥遊は麻陽の手に自身の手を重ねると、しっかりと目を見て口を開く。
「麻陽、俺たちは結婚をするんだよ」
「うん。する」
「結婚は家族になることだって言っただろ」
「うん。でも、この人たちとは結婚しないよ」
「……俺と家族になるんだから、俺の家族のことも、麻陽の家族にしてあげてほしい」
この言い方で伝わるのかは分からない。けれども何となくは分かったのか、麻陽は首を傾げながらもゆっくりと頷く。そして小鳥遊家の面々をぐるりと目だけで見渡し、困ったように目を伏せた。
「家族……」
「どうした? 嫌だった?」
「そーじゃなくて」
麻陽が遠慮するように、上目に誠一と静華を見つめる。静華はどこか嬉しそうだ。
「……お父さんとお母さんってこと?」
「まあ! まあまあ! 今の聞いた!? 誠一さん、聞いた!? お母さんですって! 光ちゃんと蒼依ちゃんを並べて三人順番に呼ばせたいわ!」
「俺たちの番を整列させないで……」
小鳥遊家の兄弟の番は、揃って静華のお気に入りだ。顔を合わせればいつも過剰なおもてなしを受けている。優真も奏真もそれを分かっているからあまり連れてこないのだが、麻陽まで揃ってしまったらいったいどうなってしまうのか。
絶対に揃わないようにしよう。優真と奏真は心に決める。年末年始や夏季休暇など、そんなイベントだけでも大変なことになりそうである。
「いいのよ麻陽ちゃん、私のことはお母さんと呼んでちょうだい。もう私たちは家族なのよ」
「……えっと……」
「悪い、母さん。麻陽は”家族”が苦手なんだ。ゆっくりしてやってくれ」
「あらそうなの。でもそうよね、劣悪な環境だったんだもの。時間はあるわ。ゆっくり慣れてちょうだいね」
「……そうだ。全員で集まってレジャーもいいが、家族で集まってご飯を食べる時間を作ろう。そうすれば徐々に俺たちに慣れるんじゃないか?」
「優真兄さん、麻陽くんのことペットだと思ってるだろ。でも俺も賛成。ちょっと話まとめといて、俺会社に戻んなきゃ」
スマートフォンを見ながら、奏真が焦ったように立ち上がる。慌ただしく退席した矢先、今度は静華のデバイスが震えた。
「あらやだ。私も呼び出しだわ。それじゃあまた連絡するから、和真、あなた私に麻陽ちゃんの連絡先を送っておきなさい。二人で話を詰めるから」
「絶対に嫌だ」
「私も仕事に戻る。決めておいてくれ」
静華と誠一が並んで部屋を出ると、一気に騒がしさが抜けた。すると優真がようやく姿勢をかえ、前のめりに小鳥遊たちを見据える。
「……麻陽くん。今度ぜひ我が家に遊びにきてくれ。きみの好きなデザートを用意しておこう」
「デザート?」
「ああ。うちにもオメガがいるから、友達になってもらえるとありがたい。ストレスを溜めやすいんだ。少し話してやってほしい。……対人が得意じゃないんだが、きみなら大丈夫だと思う」
優真の大きな手が麻陽の頭をポンと撫でると、優真も仕事に戻るのか、何も言わずに立ち上がる。
「和真。たまには連絡をしろよ。俺たちはおまえの家族でもあるんだ。少しは頼ることも覚えなさい」
そんな言葉を残し、優真も部屋から出て行った。
残された麻陽と小鳥遊は互いに見つめ合い、なんだか二人してくすぐったくて、何が楽しいのかは分からないが、しばらく二人で笑っていた。
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