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おまけ:小鳥遊家2

 小鳥遊が風呂からリビングに戻ってくると、奏真と麻陽は沈黙していた。  奏真は気まずそうな様子だったが、麻陽はクッションにぐったりともたれてすっかりダメにされている。とろけた姿勢になっている麻陽に小鳥遊が「戻ったよ」と甘やかに声をかければ、麻陽はようやく姿勢を正した。 「で、何のつもりだ? いきなりきたかと思えばこんなものまで用意して」  小鳥遊が、鋭い瞳で奏真を睨みつける。 「だって……だってさー! 俺だって可愛い弟のお嫁さんのこと知りたかったんだよ! 俺や優真(ゆうま)兄さんには何も言わずに父さんと母さんと和真だけで話進めちゃってさ! 俺なんか和真の結婚知ったの一昨日だよ一昨日! 偶然実家帰って偶然母さんと会ったとき! しかも『もう知ってるだろうけど』みたいなテンションで話されたときの気持ちったらないよ!」 「言ってないからな」 「なんでだよ言ってよ! なんで秘密にすんのー!」  キーキーと吠える奏真を尻目に、麻陽はマイペースに牛乳を飲み干す。 「ことりさん、何か飲む?」 「ん、ああ、俺も牛乳」 「分かったー」 「ねえ俺の話聞いてる? 二人の世界に入らないで?」  空になったグラスを持って、麻陽がキッチンに向かう。小鳥遊の分もいれて戻ってくると、それまで座っていたクッションには小鳥遊が座り、あぐらをかいて麻陽のスペースを作っていた。  奏真はゲンナリとした目で見ていた。そんな視線も無視をして、麻陽は小鳥遊の足の上に座る。 「……ねえきみ、意地悪言っちゃってごめんね。本当は俺たちはみんな二人の結婚に賛成だからね。ああいう言い方したらどんな反応するのかなって、ちょっと人間性を試したかっただけなんだよ」 「へー」  気の抜けた返事をすると、麻陽はさっそく牛乳を飲む。 「……ねえ和真。さっきから思ってたんだけど、この子は何になら反応してくれるの?」 「俺のことくらいじゃないか?」 「やめてよそうやって惚気るの。……ていうか麻陽くん、なんで和真のこと『ことりさん』って呼んでるの? こいつどう見ても小鳥じゃないよ。ワシかタカだよ。猛禽類だよ」 「? だって『ことり』って」 「ふっ、そうそう。兄さんスマホかして」  言われるままにスマートフォンを渡した奏真は、小鳥遊に少し操作されて返ってきたスマートフォンの画面を食い入るように見つめた。  開いていたのはメモ機能だ。そこの一番上に"小鳥遊"と打ち込まれている。 「これが?」 「今の俺のトークアプリの名前それだろ。だから、麻陽の中では俺は『ことり ゆう』さん」 「…………え?」  うんと間を置いたあと、奏真はじっと麻陽を見つめた。 「この子もしかして、お馬鹿?」 「可愛いんだよなあそれが」 「盲目だね。ねえ麻陽くん、これってね『ことり ゆう』じゃなくて、『たかなし』って読むんだよ」 「……たかなし?」  奏真に画面を見せられて、麻陽はぎゅっと眉を寄せる。  どう見ても"小鳥遊"とあって、麻陽にはそれが『たかなし』とは読めない。 「ことりさん、これ『たかなし』って読むの?」 「そう。実はね」 「え!? そーなの!?」 「……ねえ、なんで俺が言ったときには信じてくれないの……?」  とほほと悲しむ奏真の側で、麻陽は雷に打たれたように衝撃を受けた顔をしていた。 「ことりさんってたかなしさんだったの!?」 「そう。小鳥遊和真っていうの。……今度名前で呼んでくれる?」 「たかなしさん?」 「和真のほうな」 「ねえ俺いるんだけど! いちゃいちゃしないでくれない!?」  麻陽の頭を捕まえて、小鳥遊が後ろから髪の毛にキスをしている。  弟には硬派なイメージがあったから、奏真にとって小鳥遊のその態度は本当に意外なものだった。 「兄さん、様子を見に来ただけなら早く帰ってくれないか。麻陽のことを可愛いと思ってる目が正直腹立つ」 「ぐっ……だってこんな天使みたいに可愛い子……」 「麻陽は心も綺麗だぞ」 「自慢すんな」  だけど、そうか。和真も良い人に巡り合えたのか。  奏真はそんなことを思いながら、ひっそりと肩の力を抜いた。  和真は兄弟の中で一番自由に育ったけれど、その分誰よりも反発心が強かった。兄たちにも馴染まず、家族の輪にも入ろうとしない。比べられることが大嫌いで常にトップを意識して、いつもピリピリとした空気感で生きていた。  笑顔を見ることなんか少なかったように思う。特別無愛想だったわけではないが、作り笑顔が上手になりすぎたという印象だ。  だから父も母も、兄である優真や奏真も、和真のことは何よりも気にかけていた。  今回の結婚話を父がすんなりと通したのも、和真のことを気にしていたからだろう。  和真だけは恋愛をすることもなく、三十五になるまで仕事一筋だった。この調子だと絶対に番なんか作ることなく、その安らぎも知らずに人生を終えてしまうと思ったから、父も母も長岡という婚約者を強引に用意したのだ。 「それがまさか……こんなになるなんてねえ……」  いまだに衝撃を受けているのか、やや硬い表情で牛乳を飲む麻陽を、背後から小鳥遊が抱きしめている。覗き込むようにして麻陽の横顔を見つめるその瞳には、愛おしいと思うことを隠しもしない熱が浮かんでいた。 「はっ……カズマさん? ことりさん?」 「そうそう、俺」 「ことりさん……」 「ふはっ! 今思うとその勘違い面白いな。麻陽だけは俺のことずっとことりさんって呼んでてよ」 「いーの? ことりさんでいー?」 「いいよ」  幸せそうに笑う弟の顔を見て、奏真もつい口元が緩む。やがて機嫌よく立ち上がると「次は結婚式でねー」と嬉しそうに言葉を残し、リビングから出て行った。  

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