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第1話

「いやー、めでたいねえ、実にめでたい! この私、平凡王が、地母神キャマハドの代理人として、君たちに福音を告げよう!」  ――とりあえず同居してごらんなさい。  賢き王は、俺たちを聖堂に召喚して、そのように告げた。  数冊の音楽理論の本を脇に抱え、王宮図書館を出た。ふと、通路に面した窓に映る自分の姿に気づく。  細長い硝子窓に映るのは、この国ではめずらしい亜麻色の髪と紫の瞳を持つ男だ。  先ほども図書館の司書から不躾な視線を感じたばかりだった。帯出手続きをするとき、俺が異国の者でないと分かると、それはそれで驚いたような反応を返される。  慣れてはいるけど、そういう邪気のない排他性を間近で浴びるのは、心がひどく消耗した。  後ろからぱたぱたと足音が聞こえてくる。  ああこれは、と当たりをつけて振り向くと、茶色い髪の年若い男が駆けてくるところだった。この国の人たちの髪はたいてい、黒か茶色なのだ。 「セオー! ごめん、待たせた?」 「いや、今来たところ」  はあはあと肩で息をする小柄な青年は、幼馴染のガブリエルだ。紺の制服に身を包んだガブは二年前、国の文官試験に合格して、現在は王宮の機関・文書館で働いている。 「ねえ、君に神託が降ったって本当かい? しかもお相手が王室付き近衛分隊長のエイダン様って……面識あったの?」 「まさか。聖堂に呼び出された日が初対面だ」  歩きながら話しだしたのは互いの近況、というより、降って湧いた俺の神託騒動についてだった。 「その、大丈夫だった? 君は……」  人の良いガブはそこで一瞬、口ごもる。  言おうとした内容は、俺が引き継いで口にした。 「ベータの俺に神託が降るなんてな」 「神様の思し召しってやつかも」 「たまにはベータにもお恵みを、って? 冗談だろ」  回廊をガブと肩を並べて歩いてゆく。  建物を出てアーチをぬけると、バラ園が現れた。王宮のバラ園の花々は、花も葉も、まっすぐな茎に鋭く生えた棘でさえ、まぶしい日差しのもとで一様にきらめいて見えた。  花を見ながら歩みを緩めると、傍でガブが小さなため息をついた。 「……後宮のオメガたちが騒いでたよ。アルファとベータじゃ番にはなれないのに、って。あの人たちに絡まれないよう気をつけて。セオはきれいだから、嫉妬されてるんだ」 「男にきれいとか言うなって。嬉しくねえんだよ。それに……俺だって訊きたい。地母神様の首根っこ掴んで、直接な」  どうして俺みたいな移民を選んだのか。  なぜベータの俺を、アルファであるあの人にあてがおうとするのか。  若干の苛立ちを声にこめれば、ガブは気遣わしげに俺の顔を見た。 「でも……よかったんじゃない? 官舎の部屋、壁が薄いって気にしてたでしょ。今より良いところに引っ越せるよ」 「生活に必要なものはもう移した」 「えっ、そうなの?」 「もともと荷は多くないからな」  今住んでいる部屋は官舎だ。勤め先が王立芸術院だから、その部屋を世話してもらえた。  備え付け家具があって便利な物件だったが、隣の住人がお盛んなアルファで、うんざりしていた。ベータもオメガも、時にはアルファ同士であっても、お構いなしに事に及ぶ。立場があるから強姦のような真似はしないが、俺も「快くしてやろうか?」と誘われたことがあった。  あんな下半身ブラブラ野郎は願い下げだ。  それに、時折すきま風が入ってくるのも嫌だった。風はさみしい気持ちを運んでくる。  だから俺は、神託を受け入れようと決めたのだ。  それが神様の勘違いだとしても――ひとりで暮らさなくて済む。俺にとってそれは、まごうことなき救いだった。  この世に生まれた人間は、その身に「ダイナミクス」と呼ばれる性別を宿している。それは男、女、といった生物上の性別とは似て非なるものだ。  大半は「ベータ」という、これといった特徴を持たぬ人々。俺もそんなベータの一人だ。  だが一握りだけ、特異な力を持って生まれる人たちがいる。それが「アルファ」と「オメガ」だ。  アルファは頑強にして機敏な身体能力と統率力とに恵まれ、国の役に立つ能力者が多い。  そしてオメガは繊細な分野に長け、能力を発揮するものが多くいる。たとえば医学、芸術、呪術など……。  オメガとアルファが交われば、オメガの胎から優秀なアルファやオメガが生まれる確率が高いとされる。  一見恵まれたように思えるアルファとオメガだが、両者を悩ませる特性があった。「発情」だ。  オメガには三ヶ月に一度、約一週間の発情期がある。その間は日常生活さえままならない。  アルファもオメガにあてられて発情し、我を失いやすい。放っておけば、オメガをめぐって死亡沙汰にまで発展することが歴史上少なくなかった。  そういった背景から、この国では希少な人材を保護するべく、アルファとオメガの「パートナー制度」が推奨されていた。  地母神キャマハドの「神託」によって選ばれたアルファとオメガは、番うことを勧められる。番が決まったアルファとオメガは心身ともに安定し、落ち着いて暮らせるそうだ。このへんの感覚は当事者でなければ理解できないものだろう。  かならず神託どおりにせよ、という横暴な制度ではないので、どちらかに想い合う恋人がいるならば、そちらの付き合いを優先してよいということになっている。  けれども今のところ、キャマハド神の目に狂いはないらしい。目合わせられたアルファとオメガは、ほぼ百パーセントの確率でパートナーとなる。  なぜなら神は、常に、困っている人間にその御手を差し出されるからだ。  パートナーに選ばれたエイダンとは、王宮に召喚されたときに初めて会った。  伯爵家の三男で、今は王室付き近衛隊に所属して分隊長を務めている。文句のつけようがないエリートだ。  恵まれた体躯に、彫りの深い精悍な顔立ち。  鼻筋はすらりと高く、獅子のたてがみのようにふわりと揺れる黒髪と鳶色の瞳は、勇壮な騎士を飾り立てるにふさわしく輝いている。  初対面の印象は悪くなかった。親切で明るく、活力に満ちた人だと思った。 「君が僕のパートナー候補なんだろうか?」  嬉しそうに白い歯を見せて笑う。まぶしい微笑みだ。それだけで俺とは対極にいる人間だと分かる。  ちらりと見えた犬歯は鋭く尖っていて――この人のアルファ性を、喉元に突きつけられた気がした。  一瞬、俺は怯えた顔をしたのだろう。 「すまない」といって彼は口に手を当て、眉毛をハの字に下げた。それだけで、穏やかで優しい空気が生まれる。  神託を国王から告げられたあと、俺たちは聖堂の中の隅っこの席に並んで腰掛けて、互いのことを話し合う時間をつくった。 「エイダン様、発言をお許しくださいますか?」  おずおず申し出ると、精悍な騎士様は驚くと同時に眉をひそめた。俺は緊張して、亀のように首をすくめた。 「様は付けないでほしい。それと敬語もいらない。変に丁寧に接しないでくれ」 「あ、すみません、ありがとうございます」 「職業柄、威圧感があると言われるからな。僕も気をつけるよ。君を責めるつもりはないんだ。敬語は徐々に取ってくれると嬉しい」 「善処しま……善処したいと……お、思う」  立場のある人と関わることは多くない。慣れない上に、無茶めの要求。正直言えば、少し心が重かった。  エイダンの鳶色の双眸に「続きをどうぞ」と促され、戸惑いながらも話を続けた。 「俺の性はベータ。対して、あなたはアルファだ。キャマハド神の神託は、俺にとって分不相応というか、誰かと間違えている可能性があるんじゃないかと」 「いや、断言する。僕の相手は、君で間違いない」 「ですが、アルファとベータでは……番にはなれませんよ」  言ってから気づいた。この人は俺と性が絡んだ関係になるつもりはないんじゃないか?  エイダンは俺より四つ年上の、二十八歳。バツは付いていない。その年齢まで独り身でいる貴族はめずらしいと思う。性に淡白、病的な潔癖症とかでもないだろう。実は隠れた愛人がいます、と告白されたほうがまだ納得できる。  この人は俺とパートナーにならないほうが幸せなんじゃないかな。そんな考えが頭を占めはじめた。  俺はひとりぼっちだ。  過去は砂漠に捨ててきた。  この国にたどり着き、男爵様に拾われたけれど、七年前に先立たれてから、またひとりになった。  ひとりはもう嫌だった。  火が消えるみたいに、自然と期待がしぼんでゆく。エイダンから視線を背け、膝に置いた手をこぶしに握り、自分を守るように背を丸めた。そのときだった。 「君の質問には平凡王がお答えしようかな〜!」 「こ、国王陛下……!?」  聖堂に場違いなほど明るい声が響きわたった。  祭壇の影から颯爽と登場したのは、この国の頂点におわす貴きお方。国王陛下その人だった。  御身分にそぐわず、隠密行動に長けているのが謎だ。覗き見趣味でもあるのか……? 「陛下。御言葉ですが、自らを平凡王などと名乗るのは感心しませんね」 「本人がどう名乗るかの自由くらい、国王といえど保証されてほしいなぁ」 「王の二つ名は、後世の歴史家が決めるものです」 「いいじゃないか。私は平凡な歴史を遺したいのだよ」  貴きお方は錦の衣をひるがえし、速やかに信者席までやってきた。俺は緊張のあまり足に力が入らず、前列の椅子の背を掴みながら起立した。 「というわけで、そこの君! この私、平凡王が説明しよう! 私は平凡ゆえに、神意を誠実に民に伝えようと日々心を砕いているのだ! キャマハド神の御言葉に間違いはない! どうだい? ロイヤルな光に包まれた私がこうまで真摯に訴えても、君は信じられないと嘆くのかい?」  陛下がすぐ側に来た。瞳の奥まで覗き込むようにして、俺に顔を近づける。息をするのも許されないほどの至近距離だ。 「……い、いえ、とんでもありません」 「美しい人。ほら、涙をぬぐってあげよう」 「え、あの、泣いてませんけど……?」  陛下が微笑みながら御手を伸ばす。その指が頬に触れる、と思った刹那。陛下の手は見えない壁に阻まれるみたいに離れていった。 「お戯れはその辺で」 「おおこわいこわい」  俺の隣にいたエイダンが陛下の手を押しとどめたのだ。これには驚いた。  陛下は可笑しそうに笑っている。このやりとりを楽しんでいるようだ。恐ろしさなど微塵も感じていないことは明白だった。 「飛んで火に入る、だな。いや、馬に蹴られる、か? 私はこのあたりで退散するよ。二人ともお幸せに〜!」  陛下は気さくに手を振り、わははと高らかな笑い声を残して聖堂を出ていった。なんだかんだフォローしてくれたけれど、神託は決定的な説得力を欠いたままだ。  ――番えないパートナーに意味はあるのだろうか?  そんな疑問がずっと頭の中に居座っている。  それでも。アルファのエイダンと、ベータの俺は、神託にしたがって同居をスタートさせた。

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