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第2話

 神託を聞いてから数日後。  仕事終わりに荷物をまとめて、官舎を出た。  石畳を夕陽が茜色に染めている。持ってきたのは、手提げ鞄と背負い袋がひとつずつ。  馬車乗り場で待ち合わせたエイダンが手を振った。 「持とうか?」と言われたけれど、重いものではないからと断った。  それよりも、並んでいると体格の差に気圧されそうになる。均整のとれた体つきだが、騎士というだけあって、つくべきところに厚い筋肉がついている。腕や腿は常人よりもがっしりとして見えた。  俺だってそれほど小柄じゃない。肉付きは悪いが、背丈なら平均より少し高い。楽器を運んだり弦を張り替えたりする仕事のせいで、握力なら自信がある。  けれど、意識して肉体を培ってきた騎士と、状況に流されて生きてきた俺のような一般人とでは、出来など違って当たり前だろう。  近くにサキュラの並木があるせいか、はらはらと薄紅の花びらが降ってくる。春風にのって俺の顔にも降りかかった。  サキュラはこの国の国花で、春にしか咲かない美しい木の花だ。顔に降りかかった花びらを落とそうと、犬のように頭を振っていたら、エイダンが名前を呼んだ。 「セオ。こっちを向いて」  この人に名前を呼ばれるのは初めてだ。  どっくん、と心臓が大きな音を立てる。  いきなりどうしたのだろうとエイダンを見上げると、俺の唇に指が伸びてきた。荒れた指先がそっと唇に触れる。その指がつまみ上げたのは、サキュラの花びらだった。 「……いきなり触れて、すまない。花をつけた君も一興だったな」  そういって顔をほころばせた。強面に思えた顔がはにかんで、この人はこんな顔もできるのか、と見入ってしまいそうになる。 「いや……あ、ありがとう」  礼を言いながら、頬がどんどん熱くなる。  捨ててしまうかと思った小さな花びらは、近衛の制服のポケットに大事そうに仕舞われた。  捨てないのか? と訊こうとしたら、話を変えられた。 「実家が所有するタウンハウスを手入れしてみたんだ。両親は領地にいるから、住むのは君と僕の二人だけだよ」  大通りで乗合馬車を降りてすぐ、白亜の建物が見えてきた。そこが伯爵家のタウンハウスらしかった。 「君の部屋はここ」と案内され、わずかな荷物を運び入れる。  官舎よりだいぶ広い部屋で、机や椅子、クローゼット、書棚まであった。すべて職人の手による一級品の家具だ。居候の俺には豪奢すぎる。  ひとしきり感嘆のため息をつくと、あとはもう手持ち無沙汰というか、特にやることもないなと気づき、意味もなく胸の前で手を握ったり開いたりした。 「えっと……」 「少し待っていてくれ」  いったん部屋を出たエイダンは、毛布と枕、清潔なシーツを両手いっぱいに抱えてやってきた。  せっけんのいい匂いがする。子供に戻ったように興奮してしまった。 「すっげ……ふかふかぁ!」 「今朝、干しておいたんだ。雨が降らなくて本当によかった」 「いいのか? こんな上等な寝具……」  恐縮する俺に、エイダンはいいんだと手を振った。気取らない姿勢のおかげで、彼が貴族だということを失念しそうになる。 「今日はゆっくりしてくれ。家中探検したっていいぞ。それで……悪いんだが、僕は少し疲れていてね。今夜はこれで失礼する」 「え? ああ……わかった」 「鍋に作り置きのスープがある。それと、ダイニングテーブルにはパンも……申し訳ないが夕飯はそれで。あとはクッキーと干し肉が棚に」 「だ、大丈夫だ、そんなに気を使わないでくれ」  よく見るとエイダンは目をしょぼしょぼさせており、「すまない。明日また改めて話そう」と詫びて、自室に下がっていった。  疲れていると言ったのは、嘘でも言い訳でもないようだ。  けれど、彼のそっけないような態度に、そうだよな、と納得もする。  アルファとベータでは、。  期待していたつもりはなかったけど、やっぱりこの程度なんだろう――アルファにとってのベータの価値ってのは。  だけどこの人は、俺の髪や目の色をいっさい気にしなかった。それは新鮮な驚きだった。  次の日の朝。与えられた部屋を出て、キッチンのある階下まで下りていくと、胃袋を刺激するような香ばしい匂いが漂っていた。  ダイニングをひょいと覗けば、朝食とは思えない豪勢な食事がテーブルいっぱいに並んでいる。  色とりどりの旬の野菜を使ったサラダ。ふんわりと湯気が立ちのぼるのは、バターたっぷりのオムレツ。クリスタルの器には数種類のフルーツが盛られている。銀のポットに入っているのは紅茶だろうか。  思わず目をぱちくりさせる。頭の中は「?」でいっぱいになった。 「……パーティでもあったのか?」  そんなわけないと知りつつ、間抜けな質問を口にしてしまう。 「おはよう、セオ!」  キッチンからエイダンが顔を見せた。声が弾んでいる。 「昨日は早く休んでしまって申し訳なかった。ろくな歓迎もできず、気を悪くさせただろう?」 「いや、そんな……」  気にしてないといえば嘘だが、わざわざ謝ってもらうほどのことでもない。お茶を濁していると、エイダンが言葉を続けた。 「僕の隊は副官が不在でね。そのせいで、夜勤が開けたあともぶっ通しで書類仕事をやっつけないといけないんだ。一日の業務をこなすともう、くたくたで」  ずいぶんハードな働き方だ。近衛は人材不足なのか? 訊ねてみると、近衛兵には身上調査が必要不可欠で、新規採用は他の治安役人と比べて格段に少ないのだそうだ。  少数精鋭ってやつか、と心の中でメモをとる。 「でも、僕はあと半年で蹴りをつけるつもりだよ」  爽やかに微笑むエイダンだが、なんとなく意味深な計算高さを感じる。 「……なにがあと半年なんだ?」 「ん〜、いろいろかな? さすがに僕も身が保たないし」  はぐらかされてしまった。  互いに王都の近い場所で働いているが、仕事上の接点はほとんどない。近衛騎士の細かな事情までは俺には理解しかねる。  なにをもって「半年で蹴りがつく」と目算をつけたのか不明だが、激務が続けば、いくら屈強なアルファといえど体を壊すに決まってる。エイダンがこの先、理解ある上司と協力的な部下に恵まれるよう願った。  エイダンは調理場からふわふわの焼き立てパンを皿に乗せ、ダイニングテーブルに運んだ。  もはや食卓に並べる場所など空いていない。と思ったが、うまく隙間を見つけて皿を捩じ込んだ。穏やかさに包まれて普段は見えないが、少々強引なところもあるらしい。 「貴族なのに自分で料理を?」 「……まさか」  妙な間があったが、エイダンはにっこり笑って、ゆるゆると首を振った。 「通いの調理人を雇ってるんだ」 「そっか。いちおう俺も、居候として挨拶したいんだけど、その人どこにいる?」  きょろきょろあたりを見回すと、こほん、とエイダンが咳払いをした。 「セオはパートナーだよ。居候じゃない。……調理人は、早朝に用意だけしてすぐ帰ったんだ。おうちに生まれたばかりの赤ちゃんがいるからね」 「……そうなんだ」  突っ立ったままでいると、エイダンが俺のために椅子を引いてくれた。普段の彼はこういった奉仕をされる側だろうに。 「紅茶とコーヒー、果物のジュース。他に希望があれば善処するけれど、飲み物はなにがいい?」 「あ、いや。このパンだけでいい。悪いけど俺、今日は少し早めに出るんだ」 「はっ? いやいやいや、待ってくれ!」 「ん。もしかして朝食って徴収制だった? いいよ。いくら払えば?」  そこではたと気づく。財布は手荷物に仕舞ったままだ。 「やべ。財布、部屋に置いたままだった。ちょっと取ってくる」  エイダンに目を遣ると、待ってくれ、と手で制された。 「セオ、そうじゃなくて! そのパン一枚だけなんて、嘘だろう……君の胃袋は小鳥サイズか!?」  すぐに腹が減って動けなくなるぞ、仕事中に倒れたらどうする? と、まくしたて、エイダンは驚愕の表情を浮かべた。  俺は「そうかなぁ?」と首を傾げる。  たいてい朝は謎の満腹感で胃が満たされているし、朝いちばんに歯を磨こうとするとウエッてなる。みんなそうじゃないのか? 「少なくとも俺は朝からこんな量食べられないんだけど」 「なっ……? ちょっと待て。数分だけ待ってくれ。箱に入れて持たせるから。いつでもいい、せめてお昼はちゃんと食べなさい」  エイダンはしきりに「パン一枚ってのはあり得ない!」とぶつぶつ言う。なんかそういう呪文みたいで面白い。子沢山の家の息子になって養われている気分だ。 「僕は帰りが遅くなるから、夕食には付き合えない。せめて朝だけでも君とゆっくりできたらと思っていたんだ。昨夜できなかった歓迎会も兼ねて」 「え……それで、こんなに?」  エイダンなりの思いやりが、豪勢な朝食にてんこ盛りにこめられていたのだ。だが、俺はその優しさを無碍にした。申し訳なさと気まずさで、しょぼんとうなだれた。  その間、大柄な騎士様は、キッチンで背中を丸め、せっせと小箱に食べ物を詰め込んでいる。その姿は少々意外で、なんだか温かくて、彼の育ってきた家庭を髣髴とさせるものだった。エイダンの背中いっぱいに優しさが漂っている。 「あの、ごめ……いや、ありがとう」  ごめんと謝るべきか悩んだけど、まずは礼を言った。そしたら、嬉しそうに頷いてくれる。  エイダンは小さな木箱にサラダや惣菜、焼き立てパンをぎゅぎゅっと詰めてくれた。まるで小箱の中に花畑を閉じ込めたようだ。ドレッシングは小瓶に入れて別添えにしてある。 「あ、パンくずが」 「え?」  エイダンの指が口元に触れた。唇についたサキュラの花びらをつまみ取ったときのように。  小さく指先を動かして、口元についたパンくずを払ってくれる。 「そんなところにお弁当くっ付けてたら、小鳥につつかれてしまうよ?」 「……そんな図太い小鳥、いるもんか」  眉を寄せてむっと睨み上げると、エイダンはなぜか嬉しそうに笑った。 「君が知らないだけで、どこかにいるかもしれないじゃないか。さあ、気をつけて。いってらっしゃい」 「い、いってき、ます」  ぎこちない挨拶をして家を出た。  俺ばっかり、でかい手のひらの上で弄ばれている気がする。神様の手というより、エイダンの手の上だ。 「……いってらっしゃい、か」  人から言われたのは何年ぶりだろう。仕事へ向かう足どりが、心なしか軽くなる。  悪くない、と思った。

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