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【小話】愛しいあなたにデザートを
その日、エイダンが帰宅すると、楽しげな笑い声が耳に飛び込んできた。
客間に顔を出したが、そこはもぬけの殻。声はどうやら厨房のほうから漏れ聞こえてくるようだ。
無意識のうちに足音を忍ばせて近づき、物陰からちらりと中の様子を窺えば、セオとガブリエルがなにやら分厚い本を覗き込んでいた。
(……ずいぶん熱中している)
古くからの友人同士だとは承知しているが、距離が近すぎる。頭と頭をくっ付け合って一冊の本をしげしげと読み合う姿に、もやもやした気持ちが湧き上がる。剣呑な顔になりそうなのを、どうにか堪えた。
エイダンはセオから愛されている自信がある。その自信は多少のことでは揺らがない。
(休日が重なったから、ガブリエルを家に呼ぶと言っていたな。ふむふむ……あれは料理本か?)
割って入ろうかと考えたが、邪魔はしたくない。それに、エイダンといる時とは違うセオの表情を見つめていたかった。二人に気づかれないよう、そろそろと部屋に戻り、着替えを済ますことにする。
しかし。
エイダンが堅苦しい騎士服を着替えて階下に顔を出すと、さきほどまでの空気は一変していた。二人とも粉まみれになり取っ組み合っている。
「だから! ちゃんと計量してってば!」
「んなもん、目分量でいいんだよ! 大事なのは比率だろ?カップの底が隠れるくらいで十分だって!」
「それじゃだめだからレシピが存在するんだろ! いいかげん、ちゃんと数字を見てったら!」
「数字数字、おまえはいっつも数字ばっかり!頭が硬いんだよ!」
「は? いくら君でもその言い方……わっ、何するんだ、おたまで人を殴るなっ!」
「俺の意見を聞かないからだろっ、ガブの頭いいアピールは聞き飽きてんだよ!」
「ひどい! ばか! ばかセオっ!」
「ばっ……!? 俺はばかじゃねーっ!!」
何がきっかけでこうなったか、売り言葉に買い言葉だ。
儚げで風に飛ばされそうなセオの美貌(エイダンにはそう見えている)が、今日はやんちゃ盛りの子供みたいだ。
(子猫同士のじゃれ合いだな……それにしても)
息がかかるほど近い距離。掴み合う手と手。
セオとガブリエルが身体的に接触している。
エイダンは思わず拳を握った。距離が近いだけならばまだ許せる。だが触れ合いは駄目だ。
我ながら狭量だとは思う。ガブリエルに性的な含みがないのも理解しているが、セオの身体への接触を許せるかとなると別なのだ。
物理的にも心理的にも、いちばん近くにいるのはセオの番である自分の権利だ。『セオは僕のもの』とマウントしたくてたまらない。心の中で野生の嵐が吹き荒れる。
とうとう我慢できず、エイダンはのしのしと二人の間に割り込み、ガブリエルからセオを引き剥がした。
「こら、やめないか。君たち、くっ付きすぎだ」
「あ、エイダン、おい、なにする、離せってば」
エイダンの存在を認識した途端、「まあそうなりますよね」とでも言いたげに冷めた顔つきになるガブリエル。
話は終わってない、俺たちの邪魔するな、と顔を赤くして激昂するセオ。
三者三様の反応である。エイダンとしては、ぷんぷん怒っているセオも素敵で、見つめていると悪戯したくなってくる。細い体をひょいと抱き上げ、ダイニングにあるソファまで運ぶと、どかりと深く腰掛け、自分の膝上に乗せた。
伴侶の行動を制限するような真似はあまり気が進まないが、他の人間と親しくされるのを黙って見ていられるほど大人ではなかった。
「楽しいことをするなら、僕も混ぜてくれ」
できる限り穏やかに微笑んでセオの腹に手を回す。さすがのセオも、ぽかんとエイダンを見上げ、呆気に取られているようだった。
「……悪いな、ガブ。また日を改めよう」
「……そうだね。どうもお邪魔しました」
セオとエイダンから飛び退くように距離を取ったガブリエルは、速やかに姿を消した。
「あれっ、もうお開きかい?」
セオは小さく息を吐き、温度のない瞳をエイダンに向けた。
「……俺、お茶淹れてくる」
しなやかな猫のように、するりと膝から抜け出す。
「セオ? すまない、怒ったのか!?」
急いで後を追いかける。粉だらけになった厨房を、セオがひとりで片付けていた。
「僕も手伝うよ」
エイダンが腕をまくると、気にかかることでもあるのか、セオは気まずそうに目を逸らした。
こういう時は何も言わない。ただ、話してくれるまで待つことにしている。
黙々と拭き掃除をしているうち、セオがぽつぽつと話しはじめた。
「……俺、ショコラケーキを作りたかったんだ。仕上げに粉砂糖振りかけるやつ。エイダンは大食いだから、夕食のあとにスイーツがあると喜ぶだろうなと思って、試作するつもりだったんだよ。材料準備する段階でガブと喧嘩して……結局何もできなかったけど」
そうか、ガブリエルと喧嘩してしまったのはいけないな。近いうちにガブリエルは一度処さねばならない――と、エイダンは思った。
手の甲でぬぐったせいで、おしろいのような白い粉がセオの頬を彩っている。小麦粉か、それとも砂糖か。
「セオ」
手を伸ばし、淡い色の長い髪を耳にかける。愛しむように触れると、セオの目が揺れた。
肩を引き寄せ、頬に唇をのせる。エイダンの唇にも白い粉が移った。ぺろりと唇を舐めれば、ほのかに甘い。
「粉砂糖かな?」
「……それ、ケーキ用にミックスされた粉」
セオが真っ赤に染まった顔で、恨めしげにエイダンを睨み上げる。照れ隠しなのか、少し口を尖らせているのが愛らしい。潤んだ目はキスしてくれとでも言いたげだ。
たまらず唇を求めると、「んっ」と小さく息を漏らしながらも力を抜いて受け入れてくれた。二人だけの力学が働くように、互いの舌を求めて息が弾んでゆく。
エイダンは食べることが好きだ。料理も好きだ。同僚には「アルファが料理の腕を上げるのか?」と笑われたが、セオと出会ってもっと好きになった。
セオのために料理を作ることは、今やエイダンの生きがいのひとつだ。
セオがいるから、エイダンはエイダンでいられる。生まれてきてよかった、生きていてよかった。そう思える。
「今度は僕と一緒に作ろう。ショコラでもタルトでも、なんでも。君となら、どんなケーキでもうまく作れそうだ」
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