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燃え上がれ

 フライパンに乗りかかられた。 「お前、今日、もう二度目だぞ」  フライパンの重さを感じながら、ガスコンロはその体が先ほどまで、どれだけ火照っていたかを思い出す。  白昼の交わりは夜とは違い、窓から差し込む光で、いつもよりフライパンを輝かせた。ガスコンロはその姿に燃えに燃えた。 「だって、ガスコンロ……。もう夜だよ。いいよね?」  ガスコンロは深いため息を吐いた。どうしようもなくガスが燃え上がりそうだ。だが、今夜は中火で攻めるのだ。  フライパンにサラダ油をたっぷりと注ぐ。 「んっ……、つめたい」  冷えた油にも反応するフライパンに嫉妬して、今すぐ火を点けたくなる。だが、嫉妬ゆえに焦らしてやろうと、劣情をぐっと抑える。 「あ、ガスコンロ、そろそろ熱くして……」 「まだだ。弱火からじっくりと攻めてやる」 「そんなあ。もう耐えられないい」  二人の会話に菜箸が割り込んだ。 「ガスコンロ様。本日のお料理は細やかな火力調節が必要でございます。どうぞ、お戯れなきよう」 「ちっ、わかってるよ。すっこんでろ」  菜箸は黙々とフライパンの油の中に入り込み、温度をまさぐる。 「あぅ、あっああっ」  敏感なフライパンの柔肌を菜箸があちらこちらと探りまわす。  ガスコンロはフライパンの嬌声から耳を塞ぎたい思いと、もっとフライパンの声を聞いていたい思いにさいなまれていた。  フライパンと菜箸の間から漏れ出る泡がぷくぷくと適温を知らせる。   『ご準備が整いました』  菜箸がそう言ったときにはフライパンはぜいぜいと荒い息をつき、オイルを180度まで熱して意識朦朧としていた。  菜箸はじゃがいもとミンチ肉を小判型に成型したものに小麦粉、卵液、パン粉と順番にくぐらせて、フライパンの熱く熱した油の中に、そっと泳がせた。 「あああああん!」  感極まってフライパンが喘ぐ。ガスコンロは思わず耳を塞ぎ火力をさげてしまった。  しかし、フライパンのことを思うと、中火を保つしかない。低温だと、タネが爆発してしまうのだ。  そんな衝撃をフライパンに与えたくはなかった。  フライパンの油の中、タネが右往左往と自由に泳ぎ回る。 「あん、ダメだよ、君たち。お行儀良く整列しなきゃ……ひゃああん!」 『フライパン様、そうおっしゃるとコロッケたちの欲情をさらに掻き立てることになります』  菜箸の忠告どおり、コロッケたちはフライパンの鍋肌に吸い寄せられていく。 「いやだ、いやだ! 僕に触れないで!」  フライパンの懇願にも関わらず、コロッケは鍋肌に近づいていく。  ガスコンロにはただ見ていることしか出来ない。コロッケであるがゆえ、火力を強くも弱くも出来ないのだ。 「んっああああああ!」  フライパンが絶叫した。とうとう未加熱のコロッケが鍋肌に到達したのだ。 『フライパン様、いましばらくお待ちを』  菜箸がフライパンの四周からコロッケを中央に移動させ、上下を替えていく。 「いやああああん! 菜箸、やめて、それいやだあ!」 『ご勘弁ください、フライパン様。本日は見逃せぬ交歓でございます』  フライパンは欲情に濡れた瞳のまま執事に問うた。 「あっう、あん。交歓って、んっ、なんのこと?」 『こういうことでございます』  菜箸はフライパンの内肌をぐるりとかきまぜ、コロッケの侵入を防いだ。 「あっはあん!」  フライパンが高く嬌声をあげたが、その心は真っ直ぐにガスコンロに向かっていた。 「くっ……」  思わずガスコンロは目をそらしてしまった。火力が下がる。 「はああああっん!」  コロッケが爆発した。あまりの刺激にフライパンが爆ぜる。 「フライパン!」  ガスコンロが呼んでも、フライパンは返事もできない。内側から与えられた激しい刺激に喘ぎ声すら出せない。 『困りましたね、ガスコンロ様。爆破されては』 「ちっ。わかってるよ」 『わかっていらっしゃるなら、火力に気を配っていただきたい。フライパン様の官能は繊細なのですから』  自分意外の調理器具から、そんな言葉は聞きたくなかった。ガスコンロはぐっと息を飲んだ。火力を保つため集中しようとした。  だが、フライパンのぐったりした様子が己のせいだと思うと、気分が悪くなり、火力調節がうまく行かない。  二つ目のコロッケが爆発した。 「ひっあああ!」  強すぎる刺激に叫ぶフライパン。ガスコンロは全力を持って火力を上げた。  油温は180度。コロッケたちは狐色に揚がっていく。  菜箸が、破裂したコロッケの残骸を寄せ集め、取り除いていく。その細やかな動きにもフライパンは感じている。ガスコンロとの接合部にカツンカツンと小さな震えが伝わる。 「フライパンッ……!」  噛みしめるように愛しい人の名を呼ぶ。火力をなんとか安定させるため、ギリギリと温度調節に全力をこめる。 『さあ、フライパン様、最後の痴態をガスコンロ様へ見せつけておあげなさい』  菜箸はフライパンの中からジワジワとコロッケを抜き取っていく。 「はっああん! そんな、焦らさないでえ!」 『まだまだございますよ、フライパン様』 「あっ、やめて、コンガリするために返さないでっ!」 『はあ……。あなたは本当に愛らしい』 「だめえ! 助けて、ガスコンロ!」  最愛の人の叫びに応えることができない。コロッケは菜箸なしでは完成しないのだ。  ガスコンロはカチリと火を止めた。  それからもフライパンには陵辱が加えられた。  コロッケを取り除かれて息絶えだえのところに、天ぷら油凝固剤が振り入れられ、弱い刺激におののいた。 「あっ、あっ、油が中で硬くなるぅ」  完全に堅くなったものを菜箸にこそぎとられる。 「あ、だめえ、菜箸! まだぷるぷるしてるのに、かきださないでえ」 『ご容赦ください、フライパン様。今取り出しておかねば、お辛いのはフライパン様です』 「そ、そうだけどお。あん、もう、つらいよお」  菜箸がごくりと喉を鳴らした。 『では、私がお手伝いいたします』  菜箸はフライパンと凝固剤の隙間に入り込み、少しずつ少しずつ凝固剤を擦り剥がしていく。 「はっあああん!」  敏感なフライパンの反応に菜箸は自身が硬くなるのを自覚した。 『ふ、フライパン様! 私は、以前からフライパン様のことを……!』 「そこまでにしとけ、菜箸」 『ガスコンロ様!』 「フライパンがあんたに抱いてる信頼を、こんなところで不意にするのか?」  ハッとして、菜箸の動きが止まった。 「早く凝固剤を取ってやって、フライパンを自由にしてやれ」 『……はい』  菜箸は淡々とフライパンの汚れを取っていった。 「……ん、ガスコンロ?」  ゆるゆると弱火で炙られ、フライパンは目を覚ました。 「気がついたか」 「ガスコンロ、僕、どうしたの?」 「コロッケは美味そうに揚がったぞ」 「そうなんだ……」  チリチリと少しずつフライパンの水分が飛んでいく。  フッとガスコンロが笑う。 「フライパンは優しいな」 「そんなことないよ」 「菜箸の気持ちを知っているのに……」 「言わないで、ガスコンロ」  フライパンの取っ手から透明な雫がツッとこぼれた。 「僕はずるいだけだ。菜箸の気持ちにこたえることも出来ないのに、いつまでも離れたくないと思ってしまうんだ」 「フライパン、俺は、どんなことがあっても、お前を離さない」 「ガスコンロ……。僕は、君を裏切って……」 「言うな! フライパン!」  フライパンはじっと身を堅くした。シューシューと水分が蒸発していく。 「なにがあっても、俺はお前を愛している。お前の過去も、弱さも、お前の全てを」 「フライパン!」  たった弱火だった。それでもフライパンとガスコンロの胸に熱く硬い愛を確認させた。

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