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第八章 謀略と危機

「おっせーよ」 「ご、ごめんなさい……」  斎もバイクで急いで来たつもりだったが、呼び出された会員制ラウンジのカウンターで頬杖を付き不機嫌そうに視線を送る茅萱の元へ斎は一目散に歩み寄る。幸いドレスコードは無いようだったが普段着で来てしまった斎は場違いではないかと考えながら目が眩むほどギラつく店内の内装を横目に茅萱の隣の椅子へと座る。  幾ら仕立ての良いスーツを着ていても、一見して高校生にしか見えない茅萱が咎められる事もなくこうしてカウンターでカクテルを嗜んでいられるのはそれだけ茅萱がこの店の常連という事なのだろう。酒に弱く、尚且つバイクで現れた斎はノンアルコールのカクテルを注文する。 「お前、酒飲めねぇの?」 「今日はバイクだし、飲むとすぐ赤くなっちゃうんですよね」  考えれば茅萱と二人きりになる時は必ず性行為が伴っており、このように行為を目的としない場所に来るのは初めてだと考えながら斎はバーテンダーからモクテルを受け取る。 「ふーん。じゃあ全くダメって訳でも無いんだな」  自分の事を茅萱が一つ知ってくれた事が嬉しくなった斎はこのタイミングならば話題を切り出せると思い、手に持ったカクテルグラスの中身を一気に喉の奥へと流し込むと改めて茅萱へと向き直った。 「あ、あのね茅萱さん」 「うん?」  向けられた視線に斎の心臓がどきりと高鳴る。改めて見れば造型の整った人形のような美しさがあり、女子のように長い睫毛が瞬きと共にばさりと大きく震え、その細められた目線の中に映るのが自分だけである事に斎は堪らなく高揚感を抱いた。 「……こ、こういう所で会うのって何か緊張、しますねっ」 「あァ、いつもヤるだけだからなあ」  まるで初めてのデートのようだと心躍らせる斎は言おうとしている言葉も上手く紡げず、咄嗟に結論を回避するように視線を泳がせるが、そんな斎を他所に茅萱は片手を斎へと伸ばし頬に触れる。茅萱の指先は優しく、慈しむように動かすその手に頬を寄せながら斎は躊躇いがちに唇を開く。 「茅萱さん、俺……真香や詩緒との時間ももっと大切にしたい……」  茅萱の事は愛していると胸を張って言えるが、真香や詩緒も三年間共に切磋琢磨してきた大切な友人たちだった。茅萱と過ごす時間が増えていくに従い必然的に削られていった真香や詩緒と過ごす時間。折角寮という一つ屋根の下に暮らす事になりながらも実際共に過ごせた時間はどれ程あったのだろうか。  千景の代わりを自ら申し出たのは斎自身だった。その事を後悔している訳では無い。始めの内は全てを大切に出来ると思っていた。自分なら上手くやれると思っていた斎ではあったが、毎日のように茅萱に弄ばれる身体は次第に斎から正常な思考すらも奪っていき、真香が崩れ落ちて泣いた時斎は漸く自分が続けてきた愚かしい行為に気付いた。  ――真香が、縋るように言った。 「……茅萱さんと関わると、ぼろぼろになるってどういう意味?」  心の奥底では否定をして欲しかった。真香は何か勘違いをしていると、茅萱の言葉で否定をして欲しかった。どちらの言葉を信じるのかと問われれば信憑性が高いのは当然付き合いが長い真香の方だった。あの時点で斎を引き留める為に真香が口から出任せを言うような人物では無いという事を斎は良く分かっていた。だからこそ茅萱の言葉を聞いて安心したかった。  自分が千景の身代わりにならなければ千景に何をするつもりだったのか。もし自分にした事と同じような事を千景にするつもりだったとしたら茅萱の事を許せないかもしれない。  それでも世界でたった一人、斎の事を愛してくれた茅萱を心から憎み切れない気持ちもあった。全てを失う前に戻れたのならばこんな痛みを味わう事は無かった。あの日の寮での出来事が起こる前に戻れば良いのか、それとも千景を手放せなくなる程愛してしまう前に戻れば良いのか――考える斎の視界がぐにゃりと曲がった。 「あーあ」  微かな笑い声と共に茅萱の言葉が頭上から降り注ぐ。 「ち、がや、さ……」 「気付かなかったらまだ恋人ごっこで夢見ていられたのにな」  カウンターに腕を着いた状態でも自らの身体を支えきれず、ぐるぐると回る視界の中斎の腕が滑りついにはカウンターの上へと状態を投げ出す形になりながらも右腕を茅萱へと伸ばし背広の袖口を掴む。 「……う、うそだ、って」  お願いだから嘘だと言って欲しい、酔った感覚とも違う不思議な酩酊感覚に斎の双眸からは涙が溢れ落ち温かい涙を頬に感じた。目元が涙で覆われている所為なのか、斎の目には茅萱の姿も歪んで見えた。  それはとても傷付いているような、悲しげな表情にも見えた。  ――何で。  袖口を握る斎の手を取ると茅萱はその指先を握り返す。斎が来たらと予めバーテンダーに頼んでいた薬は殊の外覿面に効き、間もなく意識を失った事を確認すると茅萱は奥から現れた屈強な従業員に斎を運ばせる。  千景の介入を斎から聞いた時から嫌な予感はしていたが、今日という大事な日に間に合って良かったと茅萱はほっと胸を撫で下ろす。バーテンダーに新しいカクテルを頼みつつ表に返したスマートフォンから取引先相手の電話番号を探す。  茅萱の狙いは初めから千景では無く斎だった。千景が一筋縄ではいかない人物である事を茅萱は良く知っていた。斎と千景の行為を社内で何度か目撃した事のある茅萱は、斎の千景への一方的な思いを利用する事に決めた。千景に誘いを掛ければそれを見た斎ならば確実に間へ割り込んで来る。  千景に声を掛けるタイミングにも気を使った。普段の千景に声を掛けても体良く追い払われてしまう事は分かっていたので、千景が後ひと押しで落ちそうになるタイミングを見計らわなければならなかった。千景自身に追い払われてしまえば狙い通り斎を手に入れる事が出来なくなるからだった。  愛しているの言葉だけで斎は簡単に落ちた。何度だって逃げ出すタイミングはあった筈が、それを全て蹴ってでも茅萱を選んだのは斎自身だった。理由が何であれ今日この場所に来てしまった事が斎の運命を決めてしまった。 「怨むなよ……海老原」  Ⅵ号室――綜真の部屋 「なあ詩緒、機嫌直せよ」 「…………嫌にゃ」  重い空気の中三人揃っての夕食を終えた後、珍しく詩緒が部屋まで着いて来たので可能性を感じた綜真であったが、詩緒は肩を抱く綜真を擦り抜け先程から綜真の飼う子猫のソルトに付きっきりだった。昼間に千景の前で猫呼ばわりした事をまだ根に持っているのか、何を言っても語尾に『にゃ』を付けて返す詩緒を見て自らは猫であるから気紛れだと言わんばかりの行動に綜真は頭を抱えた。  復縁してから半月程度、慎重になり過ぎた事や入寮の忙しなさでつい疎かにしてしまいがちではあったが、それでも詩緒の事を第一に考えてきたつもりだった。 「じゃ、膝の上おいで」  ソルトと同じ視点になるように背中を丸めて蹲る詩緒を背後から抱き上げて胡座を組んだ足の間に座らせるとくたりと詩緒は綜真へと凭れ掛かる。機嫌は然程悪くは無さそうだと安心した綜真は、そこで安心をしてしまった事がいつまで経っても関係を進展させられない大きな原因である事に気付いていなかった。 「……にゃっ!?」  項を隠す長い襟足を避け、綜真の唇が詩緒の項を吸い上げると詩緒の身体がびくりと震える。これまでの詩緒ならば驚いて逃げ出してしまっていたが、それでは何も変わらないと項に感じる綜真の吐息や舌の動きに意識を集中させた。 「詩緒……」  綜真の唇が項から首筋へと落ちていく。嬉しさよりも気恥ずかしさが先行し肌が沸々と熱くなっていくのを感じながら詩緒はふと視界の端に入った自らのスマートフォンの通知に視線を向ける。 「……ッ!?」  表情された通知内容に詩緒の顔色が変わり、綜真を振り切るようにして手を伸ばし通知内容の続きを確認する。また今日も機会を逃したと肩を落とす綜真だったが、詩緒がスマートフォンに視線を落としたまま固まる様子を見ると腹部に手を回しながら背後から身体を寄せる。 「どうした?」 「……綜真、千景先輩は……?」 「とっくに帰ったの知ってるだろ」  可能な限り定時での勤務を厳守する取り決めを交わした千景は夕食を迎える前に急いで帰宅をしていた。斎が寮を出たのはその後で、三人だけが残された夕食時はお通夜のようなものだった。綜真が詩緒の手元を覗き込むと表示されているそれは職場で使用されているカレンダーのようだった。  詩緒は真香から斎が毎日会っている相手が性接待の斡旋をしていると聞いたその日から茅萱のスケジュール表をハッキングしていた。営業部長である茅萱は勤務時間外の接待も全てスケジュールに入れており、おかしな予定が無い限り斎の身は安全だと考えていた。今さっき通知が来たのは茅萱のカレンダーに新しい時間外の予定が入ったという通知で、その予定がもう間も無く開始されるものであると知った詩緒は愕然とした。 「綜真……ここに書いてある会社知ってるか?」 「どれ。……あー、セクハラで有名な悪質業者だな。結構有名だぞ」  曲がりなりにも営業職を多少齧った事のある綜真は詩緒から提示された社名を見てすぐその事に気付いた。国内では堅牢で良質な流通ルートを確保している事で有名ではあるが、その驕りからかセクハラ紛いの接待を要求するとして悪い意味での知名度もあった。故に取引の為の接待をする場合は必ず部長職が同席する事が厳しく周知されていた。  斎が茅萱に会いに出ていったこの日に、茅萱が悪質業者との予定が入った事がただの偶然とも思えなかった。更に元から入っていた予定ではなく今追加されたばかりの予定という事が余計に詩緒の不安を煽る。 「詩緒?」 「綜真……これ茅萱部長の今日の予定……」 「なんで、お前その事知って――」  詩緒が何故茅萱の事を知っているのか、思わず口に出しそうになった綜真ではあったが現状で問題となるのはその事では無く、斎が出掛けて行ったこの日に茅萱の予定があるという事だった。詩緒が伝えようとしている事を察した綜真は詩緒の手からスマートフォンを抜き取り予定の詳細を確認するが、時間と業者の名前が書かれているだけで肝心な場所が記載されていなかった。 「場所が書いてねぇな……これじゃ何処行けば良いのか――」 「場所……分かる、ぞ、綜真」  斎が今日真香同様性接待に利用されると知った事だけが思考を占拠していた詩緒だったが、乗り込もうとする綜真の一言に場所が分からずとも斎の居場所を把握する事が可能であった事を思い出した。  その時詩緒の呼吸に異常を感じた綜真は咄嗟に詩緒の顔を覗き込む。過呼吸までには至らずとも浅い呼吸を繰り返し始めた詩緒の心中を察すれば綜真は一度詩緒を両腕で抱き締めた後詩緒の身体を横向きの姿勢で抱き上げる。 「お前の部屋行けば良い?」 「うん……」  ソルトを一度ケージの中へと戻し、綜真は詩緒を抱き上げた状態のまま部屋を出て斜め前の詩緒の部屋へと向かう。綜真の腕に抱かれているだけで根拠の無い安心感に満たされた詩緒の呼吸は徐々に落ち着いていき、綜真の手で自室のベッドの上に寝かされると枕元に置いてあったノートパソコンを手繰り寄せてスリープ状態を解除させる。 「斎の上着に、GPS仕込んである……」  眼鏡のずれを直し手元のキーで何かを打ち込んでいる詩緒の姿は綜真から見れば何をしているか分からなかったが、GPSを仕込んであるという言葉からそれを探そうとしているのだと分かった綜真は邪魔をしないようにベッドへ腰を下ろして詩緒の頭を撫でる。 「いつ海老原に持たせたんだ?」 「今日。斎が出掛ける時」 「いつの間にそんなモン用意してたんだ……」 「今日。千景先輩に渡された」  ――榊に頼みたい事があるんだけど。  詩緒が千景に手渡されたのは薄型のGPSだった。斎が出掛けようとしたらこれを忍ばせて欲しいと手渡され、詩緒は終業間近斎の隣の部屋で外出するタイミングを見計らっていた。その前に真香が現れてしまったのは誤算ではあったが想定の範囲内でもあった。出掛けようとする斎を怯ませ意識を逸らせた隙に上着のポケットへと忍ばせたGPSは上着を脱がない限り斎の居場所を教えてくれる筈だった。 「……出た」  ディスプレイに映し出された斎の現在位置を詩緒は綜真にも見えるようにノートパソコンを移動させる。居場所を示し点滅するその場所は寮から三十分程度の繁華街、その一角で固定されている事から少なくとも斎がまだ上着を着た状態であるのならばそこに居るという事が分かった。  綜真は咄嗟に手元のスマートフォンで表示されている住所を打ち込みアプリの地図上にその場所を表示させる。バイクを飛ばせば三十分も掛からず到着出来るだろうと目算した綜真はスマートフォンを一度ズボンのポケットの中へと押し込む。 「綜真……」  不安そうに振り返る詩緒に唇を重ね、綜真は詩緒を安心させるように薄く笑みを浮かべる。 「心配すんな。海老原は俺が連れ戻してきてやる」  不安を抱いたままの詩緒を置いて行くのは忍びなかったが時は一刻を争い、綜真はノートパソコンごと詩緒を再び抱き上げ詩緒の部屋を出ると今度は真香の部屋の前まで行き詩緒を下ろす。真香の部屋を数度ノックして真香を出るのを待たせている間に自身は一度部屋へと戻り上着とバイクの鍵を持って再び姿を現す。  ノックの音に扉を開けた真香はノートパソコンを抱き締めたまま呆然としている詩緒の姿とこれから何処かに出掛けようとしている綜真の姿を見ただけでは状況を理解する事が出来ず困惑の表情を浮かべる。 「なに……?」 「千景にも連絡入れとけ。お前と本田は絶対寮から出るなよ。何かあったら連絡しろ。いいか、絶対に寮から出るなよ」  二度に渡り念押しすると綜真は詩緒と真香の頭を順に撫でて滑るように階下へと下りて行く。玄関からエントランスに出て右側はラウンジだが、左側には併設されたガレージがある。四條は車を持っているが車で寮に来る事は無く、綜真と斎のバイクが置かれているだけではあったが入寮者専用のガレージの存在は意外と重宝した。綜真がガレージへと出ると既にそこには斎のバイクは無く、斎もバイクで向かった事を確認すると綜真は脇に掛けてあったフルフェイスのヘルメットを装着した。 「――ッ!」  街灯の明かりしか無い暗い夜道、玲於は千景に肩を抱かれ庇われながら震えていた。  千景に電話で愛していると告げたあの晩からストーカーの気配はもう無くなっていたものと考えていた玲於だったが、玲於のその行為は相手を逆上させただけでありこの日ついに強行突破に出た相手は帰宅中の玲於を待ち伏せ背後から襲いかかり声を出せないように口を覆い隠した。  殺されると玲於が感じた次の瞬間、相手は呻き声をあげてアスファルトに倒れ込んでいた。何が起こったのか分からない玲於が呆然と立ち尽くしていると玲於の耳に馴染み深く安心出来る声が届いた。 「レオ、大丈夫か?」 「ちか兄……!」  玲於の危機に颯爽と現れた千景は、玲於を拘束する相手の頭部を背後から蹴り飛ばし咄嗟に玲於の肩を抱いて自らの背後に隠す。男が手に持っていたであろうナイフが金属音を響かせアスファルトを滑るのを聞いた千景は護身用として用意していた警棒をポケットから取り出し真下へと強く振り払いシャフトを伸ばす。今はアルミ製の軽い警棒が主流ではあったが千景はスチール製警棒の重量感が好きだった。これ以上玲於に手出しをするならば遠慮なく警棒で擲ると威嚇して見せながら千景は相手の出方を伺った。 「二度とこいつに近付くな……近付いたらお前を殺す」  単なる脅しにも聞こえた言葉だったが、千景から放たれた殺気を感じ取った相手は一歩二歩と後退していきやがて振り返ると一目散に逃げ出した。半月に渡り玲於を怯えさせてきたストーカーではあったがその幕切れは呆気なく、ここまで脅しておけば二度と玲於の前には現れないだろうと安堵した千景は男の背中が見えなくなると漸く息を吐いて玲於を振り返る。 「もう大丈夫だぞレオ」 「ちか兄っ!」  玲於が千景の胸に飛び込んだ反動もあり千景は路上に尻餅をつきながら恐怖に震える玲於の背中をゆっくりと撫でた。それにしてもナイフまで持ち出して玲於に何をするつもりだったのか、考えただけで千景の中に沸々と怒りが湧き上がる。玲於自身も今日はもう安心と思い込んでいた油断から見知らぬ男に背後から襲われた感覚はすぐに拭い取れるものでは無かった。 「……レオ、さっきの奴に何か、言われたか……?」  半月も掛けて玲於をつけ回していた相手がナイフを突き付け声を出せないように口を覆ったという事は何かしら告げたい言葉があったのではないかと考えた千景は玲於を刺激しないようにそっと尋ねるが、玲於は首を左右に振るばかりだった。  千景は相手と対峙した瞬間、それが誰であるのかの検討が付いていた。だからこそ玲於に尋ねたのだったが玲於が何も聞いていないという事なのでタイミングが間に合って良かったと安堵した千景は胸を撫で下ろす。念の為従兄の竜之介にも知らせておこうと警棒を置きポケットからスマートフォンを取り出した千景だったが、千景が発信をする前にスマートフォンは鳴動を始める。表示された名前が詩緒であった事から千景は玲於の前で話しても問題が無いと判断しスピーカー状態にしたまま着信に応じる。 「榊、どうした?」 『千景先輩っ、斎が茅萱部長に会いに行って、今日これから茅萱部長の予定に接待が入りました』 「いつ、き……?」  斎の名前を聞いた玲於の肩がぴくりと震える。その反応を察知した千景は玲於の顔を覗き込むようにそっと唇を重ねる。それは玲於の意識を斎憎きから反らせる為に千景が考えた手段でもあり、斎より大切なのは玲於だと直接的に知らせる為のものだった。時間が長く深ければ深いほど玲於には伝わり易いが、詩緒からの連絡にも早く応答する必要があり千景は玲於の唇を舌先でなぞっただけで唇を離す。 「……場所は分かってるのか。GPS出てる?」 『出てます。もう綜真が向かってます』 「アイツ一人で……無茶だ」  アングラな接待は使われる場所も勿論何か問題が起こった時の為に屈強な護衛が何名も居るのが普通だった。それらを全て綜真一人で制圧し無事に斎を取り戻す事が出来るのか、千景は綜真の実力を知っていたが全盛期も過ぎた綜真一人の手では到底太刀打ち出来ないだろうと考えた。今すぐに加勢に行きたい気持ちはあったが腕の中に居る玲於の事も放っておけない千景は思い悩む。  斎憎きは変わらずとも、今何かしらのトラブルに巻き込まれており千景がそこに向かいたい気持ちがある事を察した玲於は、ただでさえ仕事の後自分の為に駆け付けてくれた千景にこれ以上自分の事で思い悩ませたくないと考え、千景の首筋にそっと口付ける。 「ちか兄……僕は大丈夫だから行ってあげて……」  こんなに大切にされているのに、仕事で大変な時に自分一人の我儘で千景を困らせたくないと玲於は縋り付きたい気持ちを必死に胸の奥へと抑え付ける。 「レオ……」 『……千景先輩、どうしますか』  電話の奥から玲於の声も聞こえていた詩緒は千景が玲於を置いて斎の救出に迎える訳が無いと考えながら敢えて問うた。千景が玲於を一番に考えていたのは詩緒も知っていたが、ただ同じ位斎の事も大切に思っていた事を知っていた事が詩緒の心にジレンマを生んでいた。 「……榊、俺のスマホに海老原の位置送って。すぐ、向かうから」  本当は離したくない、離れたくないと両腕で玲於を抱き締めたまま千景は電話先の詩緒へと伝える。 『分かりました』  行きたくないと告げる事は出来なかった。千景が向かわなければ斎がどのような目に遭わされるか想像が付いていたからこそ行かないという選択肢は千景の中に存在していなかった。ただ玲於のこのまま放っておけないという気持ちも確かに存在しており、詩緒との通話を終えた後千景は電話帳から竜之介ではなくその弟の虎太郎を選び発信する。 「レオ、ごめんな……すぐに、戻って来るから」 「うん、ちゃんと帰ってきてねちか兄……」  ここが路上で無ければ何をしていたか分からない。離れ難い気持ちを抑え惜しむように玲於を抱き締めていると発信音が途切れ向こう側から虎太郎の声が聞こえた。 『もしもしちかー?』 「……とら、お前殺すぞ」 『いきなり殺害予告!?』  玲於がストーカーに遭っていたという事実を知らせなかった事で千景は虎太郎に対して殺意にも似た感情を抱き続けたままだった。開口一番に千景からの殺害予告を受けた虎太郎はその理由を察すると、千景が連絡をしてきたという事は用件はそれに関する事だろうと考えた。 「とら仕事終わったよな? これから俺の家来て……レオの側に居て欲しい」 『何かあったの?』 「レオが襲われた。俺は行かないといけない所がある。……頼む」  玲於が襲われたと言っておきながら、その玲於を置いて行かなければならぬ程の急務に虎太郎は難色を示したが、千景がその選択をしたという事はそれは玲於も了承済みの事なのだろうと考え千景の願いを聞き入れる事にした。

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