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第十二章 奈落と略取

 斎が茅萱によって連れて来られたのは初めて茅萱に呼び出されたホテル、そして同じ部屋だった。斎の手首を掴んだまま、チェックインを済ませ部屋の扉を閉めるまで茅萱は一言も口を開かず、斎は自らも復讐対象であった事を否定しない茅萱に不安を煽られながら茅萱の後ろ姿をただ眺め続けていた。日中の、しかも勤務時間内に職場を飛び出す形となってしまい作業の進行に影響が出れば再び綜真へ迷惑を掛けると頭に過った斎だったが、今はそれより茅萱の口から語られる真実の方が重要だった。  部屋に入りようやく茅萱は斎から手を離し、ネクタイを寛げながらベッドの縁へ腰を下ろす。 「海老原、お前がさっき言った通り雪貴は俺の恋人だ。組織に唆されて性奴隷にされて……死んだ」  茅萱から告げられる言葉にずきりと斎の心が痛む。斎の知る雪貴はいつもどこか儚げで、それは今考えればどこか詩緒や千景のそれと似通ったものがあった。だからこそ斎は雪貴に声を掛けたのかもしれない。あの頃の斎はまだ入社をしたばかりの年で、詩緒とそういった関係にもなっていなかった上、千景とも出会ってはいなかった。逆に詩緒や千景に手を伸ばしたのは雪貴の影響が大きかったのかもしれないと今の斎にならばそう考える事が出来た。 「ユタカくん……彼氏公認の浮気だって言ってた。それが茅萱さんだったんだね……」  自分も茅萱の隣に座って良いのか分からず、斎はただ茅萱の前で立ち尽くしていた。二人の関係が始まったこの場所、終わらせるとしてもこれ以上適した場所も無い。始めから斎を復讐対象として近付いた茅萱があの日どんな思いで自分を抱いたのか、それを知らずにただ自分の間抜けな愚かしさをこの時以上に斎は呪った事は無かった。 「お前が覚えてるのはそれだけか?」 「え……?」  物音一つしない完全防音の部屋の中、襟元のボタンを一つ外した茅萱は腰を下ろしたまま目前に立ち尽くす斎を見上げる。初めて身体を重ねたあの日と何も変わらない意志の強い綺麗な双眸が斎を射抜く。  心臓を握り込まれたような息苦しさに斎の鼓動が速まった。斎が覚えている雪貴の事と言えば約束も無くバーで出会った時にタイミングが合えばホテルに向かう事位だった。名前以外連絡先も何も知らないままの関係だった。 「思い出せよ海老原、お前が最後に雪貴と会った日アイツに何があった?」  茅萱に指摘された雪貴と最後に出会った日の出来事を斎は賢明に思い出そうとする。そうはいってももう四年近くも昔の話で分室が出来るより前の事だった。いつの頃からか雪貴がバーに訪れなくなりそれを切っ掛けとして斎もバーからは足が遠のいていた。最後に雪貴と顔を合わせたのはいつの事だったか、茅萱に見詰められたまま斎は賢明に思い出そうとする。 「最、後に……?」  その殆どの場合別れは翌朝のホテル前だった。出会ったその日から流れは変わらず、次の約束もせずに再会出来る奇跡に賭けた。本当に最後に会ったのはホテル前だっただろうか、斎の記憶が歪んだ。  顔を合わせてもたった一度だけホテルに向かわなかった日があったような気がした。その次に会った時自分はどうしただろうか、斎は次に会った時の雪貴の顔を思い出せないでいた。次の日も、その次の日も雪貴に会う事は無かった。あれが雪貴と最後の日だったのだと斎は悟った。  最後に雪貴と会った日、斎は雪貴とホテルには向かわなかった。しかしバーで顔を合わせた事は確かだった。その日雪貴が着ていた服の色ももう思い出せない斎ではあったが、最後の日に何があったのか斎は自らの記憶を辿り続けた。  ――ユタカくん。  ――ああ、斎くん。久し振り。  普段と変わらぬ日常会話。この日再び雪貴に会えた事は斎にとって幸運だった。今晩も一人で眠らなくて済む、そう思ったからだった。雪貴の隣に座りいつものノンアルコールカクテルを注文する。雪貴がバーに姿を現すのは決まって恋人の帰りが遅くなる日だった。一目惚れして漸く口説き落とした可愛い恋人だからと雪貴は初めて会った日斎にそう言った。相手は年上で仕事が忙しく、構って貰えない寂しさが心の隙を生んでしまったと雪貴は涙を流した。  有り体に言えば雪貴の二股で、恋人の存在がありながら雪貴は別の人物へ心を移した。その事実を知った時恋人は酷く激怒したと雪貴は言った。それは当然の事で、取り付く島もないまま雪貴は自分を変わらず愛してくれた浮気相手の元へと向かった。それがそもそもの間違いで、浮気相手を選んだ雪貴はその後とても口では言い表せないような事をされたと言葉を濁した。  その影響が今も自分の中に残っていて、恋人に助け出され今も一緒に暮らしてはいるが忙しいのは昔と変わらず、必ず自分の所へ戻って来る事を条件に本気にならない浮気を許可されていると雪貴は言った。悲しく笑う雪貴の表情が斎にセフレからの一線を越えさせはしなかった。  ――見ぃーつけたっ。  嫌な笑い方をする男だった。その男はどこからともなく現れ、カウンターに座る雪貴の顔を背後から反らさせ唇を重ねた。この男が雪貴の言う恋人かと思った斎だったが、雪貴の驚きようは恋人公認の浮気現場を目撃されたような表情とは異なり、斎がそれを確認するより前に雪貴は逃げるようにバーを飛び出していき、男も雪貴を追っていった。  恐らくそれが雪貴を見た最後の日だったのだと斎が思いを馳せたところで唐突に茅萱の言葉が蘇った。  ――アイツらは逃げ出した恋人を探して、見付けて―― 「あれ、が……?」  あの日を最後に斎は雪貴に会っていない。勿論バーに一人残された斎にはあの後何が起こったのかも分からないままだった。 「俺は雪貴がアイツらに見付かった日の防犯カメラ見せて貰ったよ。そこには追われる雪貴に何もしないお前が映ってた」  雪貴の死後、何故雪貴の所在が露呈したのか茅萱は雪貴が浮気相手と逢瀬をするゲイバーに頼み込み当時の監視カメラの映像を見せて貰った。雪貴が訪れる度ホテルへと向かう同じ人物に初めは目を付けた。しかし従業員の話を聞く限り二人は完全に割り切った関係であり、雪貴はその相手に何度も恋人の話をしていたという。恋人が居ると分かっている相手に手を出す神経は茅萱にとっては信じられないものであったが、録画された映像を進めると最後の記録に疑惑の人物が映っていた。 「俺、何も知らなくて……」 「あの後雪貴は駅の階段から落ちて骨折した。だからアイツらが押し掛けても逃げる事も出来なかった」  その男は雪貴の浮気相手で斡旋組織の首謀者となる男では無く、男の右腕として参謀の役割を果たしている男だった。茅萱は雪貴を奪還した後少しずつ話を聞いていった。首謀者の名は三睦と言い、雪貴は始めは三睦の所に居たが、次第に三睦の束縛やプレイ内容が度を越していき、それに抗ったところ三睦と共に一岐という男が現れた。  一岐もまた三睦の浮気相手であり、茅萱と三睦の間で二股を掛けていた雪貴は、三睦からも二股を掛けられていた事を知った。茅萱より三睦を選んでしまった雪貴は戻る事も叶わず、捨てないで欲しいと懇願したところ二人から提示された事は悍ましいものだったと雪貴は言った。  茅萱と共に逃げた雪貴を追って来たのは一岐だった。予め雪貴から伝え聞いていた特徴から茅萱にはすぐにそれが分かり、一岐に追われた雪貴は事故か過失か、その晩駅のホームから落ちて片足を骨折した。そんな状態の雪貴を一人家に置いて仕事に出る事が忍びない茅萱だったが、雪貴が心配させまいと浮かべる笑顔を信じて仕事に向かった直後、雪貴が一人残る自宅に一岐らが押し入り茅萱が帰宅した時雪貴はもう――自ら命を断っていた。 「お前が助けるなりしてれば、雪貴は死ぬ事無かったかもな?」  せめて雪貴が足を骨折していなくていつでも逃げられる状況だったら、せめて一岐に見付かった時側にいる男が雪貴を守ってやれていたならば。何かの所為にしなければ茅萱の心が砕け散りそうだった。雪貴の二股を知った時茅萱は当然激昂した。仕事で忙しく構ってやれなかった事は申し訳無いと思ったが、だからといって別の誰かを求める事は筋違いだと散々に雪貴を詰った。その後も中々雪貴と向かい合う時間が作れず、気が付けば雪貴は自分を捨てて三睦のところへ身を寄せていた。側に居ても寂しい思いをさせるだけならばそれも仕方の無い事なのだろうと茅萱が自らの気持ちに整理を付けた頃、茅萱が再会した雪貴は性接待の場で人形として扱われていた。 「……ごめん、なさい」  斎はあの時雪貴の身に何が起こっているのか理解する事が出来なかった。ただこの日は何か不都合があり、また次の機会に会えるのだろうと漠然と考えていたような気がする。それでも自分が何もせず雪貴の背中を見送った直後に何かがあった事は事実であり、もしあの時点で自分が雪貴を守る事が出来たのならば悲劇は起こらなかったのかもしれない。気付けば斎の頬を涙が伝い流れていた。直立し続ける事もままならず、膝から崩れ落ちて床に腰を落とす。 「……脱げよ、海老原」  恋人が居ると知りながら手を出した三睦も、しつこく雪貴を追い回し死の原因を作った一岐も、雪貴の近くに居て何も出来なかった斎も、茅萱から見れば等しく復讐対象だった。茅萱が雪貴を抱いた回数など片手で足りる程だった。それ以上の回数雪貴の身体をその腕に抱き、雪貴が囁く甘い言葉を聞き、雪貴の欲に濡れた顔を何度もその目で見た斎に対して同時に激しい嫉妬も抱いていた。雄としての矜持を奪い、これ以上無いまでの屈辱を与え最後は絶望の縁へと落とす事が茅萱の斎に対する復讐だった。 「最後に抱いてやっから。それでもう俺には関わんな」  茅萱とて斎を利用する事に何の躊躇いも無かった訳では無い。斎個人への復讐という意味ならば昨晩の時点で既に完結していた。今のように斎が再び茅萱の前に姿を現すことなどは想定外で、幾らその理由が雪貴に関しての答え合わせをしたかっただけの事だとしても、今日を最後に斎との関係は完全に断ち切っておきたかった。  その一番の理由は茅萱自身が今最も三睦と一岐に狙われやすい存在である事だった。千景に釘を刺されている事もあり、これ以上斎に周囲をうろつかれる事は避けたかった。始まりの場所で終わらせる事で斎の中でもけじめが付けられるだろうと茅萱は足元に崩れ落ちた斎の髪を掴んで冷めた目で斎を見つめる。 「最後なんて……最後なんてやだよ茅萱さんっ……!」  そんなつもりで声を掛けた訳では無かった斎は茅萱に髪を引かれるまま腰を浮かせベッドに上半身を横たわらせる。愛しているの言葉が全て嘘だったとしても、斎は確かに茅萱への気持ちを確認していた。せめてその事を少しでも理解して欲しくて、伸ばした斎の腕は茅萱の手によって掴まれ頭の上で無情にもベルトで一つに纏められる。思えば一度だって行為の最中茅萱は斎に触れる事を許しはしなかった。いつでも一方的に抑え込まれ、喘がされ、懇願させられ続けていた。 「ほん、っとに……復讐だけ、だったの……?」  茅萱のネクタイで目元を覆われた中、斎は確かにそこに居るはずの茅萱へと声を掛ける。 「なに……?」  斎から告げられた言葉に茅萱は肌をなぞる指の動きを止めて見えない筈の斎へと視線を送る。出会いから何もかもが茅萱にとって復讐の為の道筋だった。好意の言葉を囁き、男を受け入れられる身体へと仕立てていき、最後は自分が目的の物を入手するために捧げる。それ以上でもそれ以下でも無かった。  触れる茅萱の指が止まった事に気付いた斎は、何とかして茅萱の本音を引き出せないかと胸元を細かく上下させ呼吸を整えながら腰を引くようにベッドの上で身を滑らせる。 「復讐のため、だったら……俺が倒れた時、何であんな悲しそうな顔、してたの……?」 「……見間違いだろ」  幾ら見間違いだと自分の中で納得させようとしても、ほんの一瞬見せた茅萱のあの表情が斎の頭から離れなかった。まるで傷付いているかのような、自分の行く末を案じた憐憫の表情にも似たあの顔が、斎に茅萱からの道具以上の感情を自覚させるのには充分だった。  しかしその斎からの問い掛けも茅萱自身に一蹴され、斎の中に残ったのは今繋ぎ止めなければこの部屋から出た後二人は完全に無関係の他人同士になってしまうという事だった。 「どんな理由でも……俺は、茅萱さんの事…………愛してたよ」  同じ想いを千景に対しても抱いた事があった。例え自分を愛してくれなくても、いつかは自分を愛してくれる事があるかもしれない。だからその僅かな可能性を諦めたくは無いと感じたあの頃を同じ気持ちを今も茅萱に対して抱いている事に斎は気付いた。同時に何故自分の好意はいつも一方通行ばかりで誰からも好意を向けられる事が無いのか、無情過ぎるこの世界で生きていく事がもう辛かった。 「……それは、初めて抱かれた相手だから、勘違いしてるだけだよ海老原」  抱いた想いさえ茅萱に否定され、この瞬間こそが本当の絶望なのだと感じた斎は思考を放棄して、ただ目を閉じた。  これで今度こそ本当に斎と会う事は無いと、茅萱は疲れとショックから眠り込んで目を覚まさない斎を一人残して部屋を後にした。会計を済ませながら幾度となく仕込みの為に利用したこのホテルも今度来る事は無いだろうと哀愁を漂わせ、このホテルを出た後自分は復讐に身を焦がす鬼だと言い聞かせ決意を新たに胸へと抱いた。 「ッ、茅萱!!」 「……わお」  ホテルを一歩出た瞬間、飛んできた怒号に茅萱はびくりと背筋を震わせる。顔を上げて視線を向ければ正に今到着したばかりといった様相で息を切らせながら電信柱に腕を付き呼吸を整える千景の姿があった。  絶対に寮から出さないようにと綜真に堅く言い聞かせたものの気が付けば斎の姿は寮から消えており、急いで詩緒にGPSで斎の居場所を探して貰おうとした千景だったがGPSは寮を指し示しており、斎の部屋を探したところ昨晩詩緒がGPSを紛れ込ませた斎の上着が部屋に置かれており為す術なしと判断しかけたところ、千景は別のGPSを詩緒に検索するように依頼した。それは今日千景が本棟の男子便所で茅萱と相対した時に背広のポケットへと忍ばせたものだった。GPSの位置から茅萱が業務時間内に歓楽街のホテルに居る事が分かり、昨日の様子から考えても斎が寮から姿を消したのならば十中八九茅萱の側に居る可能性が高いと考えた千景はすぐに寮を飛び出しGPSが示すホテルへと向かった。 「今日言ったばっかだよな……アンタ、マジで殺すぞ……」  たった数時間前に忠告した筈があっさりとその約束を反故にされ、自分の立場が分かっていないかのような茅萱の振る舞いに千景は敬語すらも忘れ滲み出る殺気を隠しきれずにいた。 「いや、流石にこれは不可抗力っつうかさー」  本棟から斎を連れ出した事に関しての非は認めるが、そもそも避けようとしていたのに近付いて来たのは斎の方であると不服を申し立てたい気持ちの茅萱だった。それでも斎が何を言ってきたとしても避け続ける事は出来た筈だと過ちを省みたからこそ、斎を置いて一人で先に出てきた。狙われているとすれば自分一人で、共にホテルから出る事さえなければ問題が無いだろうと考えた上での事だった。 「ったく、無駄に体力使った……海老原中か?」  冬だというのに全力疾走で駆け付けた所為か、シャツが汗ばむ肌に纏わり付いて気持ちが悪く、濡れたシャツもこのままでは風邪をひきそうだとなるべく肌に触れないよう胸元に指を置き風を通しながら千景は茅萱が出てきたホテルの入口へと視線を送る。 「ああ、うん。トんでたから暫く起きないと思うけど。……本当に、これがもう最後だよ。約束する」 「……どうだか」  幾ら茅萱自身が二度と斎とは関わらないと決めたところで、完全に斎への情を断ち切る事など不可能だろうと千景は考えていた。愛する事は出来ずとも目の前に現れれば絆されてしまう事も仕方が無いと経験者でもある千景は深い溜息を吐き出した。  千景と会話が出来るのもこれが最後かも知れないと考えた茅萱は、昼間の男子便所では聞けなかった事を聞くなら今だと利き手に拳を握り千景に視線を送る。 「あのさ佐――」  ホテルの入口で痴話喧嘩のように立つ茅萱と千景、幸いな事に平日の日中ホテルの利用は少なかった為、第三者の出入りの邪魔になる事は無かった。茅萱が千景に向けて顔を上げた瞬間、二人の真横に黒いワンボックスカーが急停車をした。その距離は僅か五十センチにも満たない程で、サイドガラスに黒いスモークフィルムが貼られたその明らかに不審な車両に危機を察した千景は、考える間もなく茅萱の身体を車両の後方部へ向かって蹴り飛ばした。 「っ、逃げろ!」 「ッ!!」  ホテル前の路は一方通行で、狭くは無いがUターンをする事は難しかった。それを見越した千景は敢えて茅萱を車両よりも後方へと蹴り飛ばすが、咄嗟の事で加減が出来ず思っていたよりも軽い茅萱の身体は路上へ積まれた燃えるゴミの山の中へと頭から飛び込む。 「い、ッつ……!」  勢いが余り過ぎて塀に頭をぶつけたのか、悲痛な呻き声を出しながらゴミの中で藻掻く茅萱の声を聞く千景だったが、間髪入れずにリヤドアがスライドして開かれる音が耳に届き、千景は右手を胸ポケットへと忍ばせた警棒へ手を伸ばす。グリップを強く握り振り返り様にシャフトを伸ばそうとした千景の手から突然警棒が離れ地面に落ちる。同時に右腕に走る激痛、剣山のような物を押し付けられたかのような痛みが右腕全体へと広がり自分の意思のままに動かせないその右手に視線を移した時、千景の右腕は車両から現れた腕に掴まれ、両腕を背後で一纏めに抑え付けられた。 「はァいこんにちは~綺麗なおニィさん」  途端に両手首へ食い込む鋭い痛みに千景は眉を寄せる。徐々に食い込んでくるその痛みはプラスチック製の結束バンドだと分かり、一度結束してしまえば外す事は容易ではないと知っていた千景は両肩を掴まれ車両の中へと引き込まれる。 「やめ、っざっけんな!」  重心を車内へと引き込まれた千景はリヤドアを閉じられたらお終いだとサイドシルに足を掛け拒むが、千景の持つ警棒より二周り以上も外周の太い棒状の物がバチリと顔横で青白い放電を放つ。それがバトンタイプのスタンガンであると察した千景は今も右腕に残る刺すような痛みがこのスタンガンによるものであると悟る。 「もう一回食らいたい? 大人しくしとけよ」 「っ……」  スタンガンを持つその男は放電を見せた先端を千景の胸元へと押し当て低い声で告げた。その男の舐めたような目付きを千景は何処かで見た気がした。それでもすぐに男の指示に従う気にはなれない千景だったが、男の目には動揺も狼狽えも一切見えず、これ以上抗えば本当に心臓付近に電流を流される可能性もあるだろうと考え足に加えた力を徐々に抜いて行く。 「いってぇ……」  ゴミ山からようやく生還した茅萱だったが、突然目の前に現れた車両へと視線を向けると今正に自分の代わりに千景が捉えられ車両へと引き込まれようとしているところだった。 「佐野!? オイ待て、やめろ一岐!!」  足を縺れさせながらも茅萱はゴミ山から脱し、身体を動かす度にずきりと痛む腹部を抑えながら千景の頭部に紙袋を被せ、両足を掬い上げて車両へと連れ込む一岐へ駆け寄る。茅萱の足先に何かが当たりカランと音を立ててスチール製の警棒が地面を転がる。その形状から昨晩千景が持っていたものだと気付いた茅萱は、千景が警棒を使う間もなく車両へと連れ込まれてしまった状況を理解出来なかった。 「おいマジでそいつは駄目だって! やめろ! 一岐!!」  狙われるなら自分の筈だと認識していた茅萱は、自分の代わりに千景が組織に拉致される事などあってはならないと車両を叩いて一岐に知らせる。茅萱がファイルを盗んだ事は三睦も一岐も既に知っている筈で、無関係な千景を何故拐う必要があるのかとリヤドアに手を掛ける。 「征士郎クン、後で三睦が連絡するって~」  顔を覗かせた一岐は座席に寝かせた千景の身体を片足で跨ぎながら妨害しようとする茅萱へにこりと笑みを浮かべる。ファイルを取り戻す事が目的の筈が、普段通りの舐めた目付きで笑みを浮かべる余裕のある姿に困惑する茅萱だったが、千景を連れ帰るという事の意味に気付いた時顔色が変わる。 「一岐!!」  無情にもリヤドアは閉ざされ、茅萱をその場に残し車両はその場を後にする。呆然とその場に立ち尽くす茅萱だったが、車両が停車し千景を連れ去るまでものの数分の出来事だった。その手際の良さから予め狙いは千景であると考えられた。昨晩千景が接待を邪魔したあの時から三睦と一岐は千景を連れ去るつもりだったのだと理解した茅萱は改めて二人の計り知れなさに恐怖した。 「なに、今の……」 「海老原っ!?」  背後で開く自動ドアの音、咄嗟に振り返った茅萱はホテルから出てきた斎がそこに立ち竦んでいた事に気付いた。計算では目を覚ますまでもっと時間が掛かる筈だったが、いち早く茅萱を追いたいという気持ちがそうさせたのか、身支度もそこそこに現れた斎は偶然にも千景が車両に連れ込まれ拉致される光景を目撃してしまった。 「佐野さんが、連れてかれ……え、何で……?」  俄には信じ難い出来事を目撃し、続いて矛先は茅萱へと向かう。明らかに茅萱はその相手を見知っている様子だった。これまでの茅萱の話から推測するならば、今千景を拉致して行った相手こそが茅萱が復讐を願う対象である事に間違いは無かった。 「どういう事……茅萱さん」  あれからどれ程の時間が経過したのか、この場所が何処であるのかも分からず、タイルの剥がされた硬いコンクリートの上で千景は目を覚ます。しんとした静寂が広がる空間、右手の指先が僅かに動いた。  記憶を辿る千景は車両へ連れ込まれた時頭に袋のようなものを被せられ、気付いた時には意識を失っていた。袋を被せたのはこの場所への道筋を辿らせない為か、今は視界が開けており千景は視線を動かして自分が置かれている状況を確認する。視界の自由はあれど両腕の自由は引き続き失われたまま腹を下にする形で俯せに寝かされていた千景は視界に入るだけの情報でぽつりと言葉を漏らす。 「…………何処、」  見覚えの無い荒れた廃墟、明かりの射し込む場所は一箇所のみ、窓のようなものは確認出来ず残され置かれたテーブルやカウンターの様子からとっくに閉店したバーか何かであると千景は推測した。 「起きた? おニィさん」  まだ目を覚ましたばかりで頭が呆けているのか、何の気配を感じる事もないまま聞こえた声に千景は俯せのまま顔を動かして視線を向ける。すると車両へ連れ込まれる時に見た男が一人と、その隣に見知らぬ男が一人。視界は既に奪われていたものの茅萱が叫んでいた言葉から察するにこの二人が組織の中枢であろうと判断した。 「昨日振りだね、会いたかったよ」  右目を長い前髪で隠した一岐は確かに千景が車両へと連れ込まれる時に見た男だった。革の座面は経年劣化から破れ、茶色に変色したウレタンが中から覗くソファに足を組み腰を下ろす三睦の傍らに寄り添っていた一岐は千景へと視線を送ると頬杖をついたままにこりと笑みを浮かべる。千景がVIP室を襲撃した直後、従業員用の出入口から出て行った二人組が目の前の二人と同一であったかは千景には判断が付かなかった。しかし茅萱との会話からそれは間違い無いと確信を持った千景は、茅萱に斡旋を依頼し斎をあの場所に送り込んだ元凶である筈のこの二人に対して慎重に言葉を選んだ。 「お前らが……海老原を……?」 「お前が昨日接待の席をメチャクチャにした所為で俺たちは大損害を被った」  一岐が寄り添う三睦から抑揚の無い落ち着いた声が聞こえてくる。茅萱の元恋人を死に追い遣ったのもこの二人の内どちらかだろうと考えた千景は、二人の関係性から立場としては三睦がトップで拉致の実行犯でもある一岐が側近に近い役割なのだろうと察した。 「久し振りに人気出そうなお人形も逃げちゃったからねえ。あの子僕のタイプだったのに、残念」 「征士郎が用意する人形は質が良いからな」  言葉通り斎は見た目だけは整っておりイケメンの部類に入る。中身は分室の誰よりも一番子供で残念な感じではあるがそれも茅萱による努力の賜物か、ある種の需要には応えられそうな仕上がりにはなっていた。  千景が目の前に居るにも関わらず一岐が三睦の頬へと手を伸ばすとそれに応じるように三睦も顔を向け二人は唇を重ねる。二人の妙な関係性に違和感を覚える千景だったが、すぐに一岐が肘掛けから腰を浮かせると千景は危機を察知し俯せのまま後退を試みる。コンクリートに靴音を響かせて千景へと歩み寄る一岐は千景の前へと屈み込み片方の手で千景の顔を掴む。 「だから次のお人形はおニィさんにやって貰おうかなって」  目の前の男が告げた言葉に昨晩の斎の姿を重ねた千景の両肩がぴくりと動く。口調は軽いが裏腹に顎を掴む手は強く、獲物を捕らえた爬虫類の様な左目にぞくりと背筋が震えるのを千景は感じた。  ――立ち上がれない奴から食われていく。千景の頭の中にある言葉が蘇った。獲物であると悟られてしまえば後は捕食されるのみ、捕食されたくなければ決して怯えを見せるなと教えられた言葉を思い出した千景は今は少しスイッチが切れやすくなっていただけだと自らに言い聞かせ、取り繕うように口元を硬く結ぶ。 「は、冗談だろ……俺三十だぞ、無茶だ……」  斎とそう年齢は変わらないが、昨晩の様な事をするには年齢的にも無理がある。実際のところ週に数度玲於の求めに応じている事で体力的な問題は皆無だったが、接待役として使うのならばもっと若い方が良いだろうと千景は口元を引き攣らせる。 「だぁい丈夫だよお。おニィさん可愛い顔してるし」  戯けた口調で話す一岐はもしかしたら見た目よりもずっと若いのかもしれない。千景がそう考える間にも一岐は千景の肩に手を置き俯せ姿勢から仰向け姿勢へと返し品定めをするように胸元へと手を滑らせる。 「今から仕込めば充分人気者になれるって」 「……ア?」  しかし一岐は知らなかった。千景は自らの顔付きが女性寄りである事を他者から指摘される事を何よりも嫌がり、そこに触れてしまい千景からの鉄拳制裁を受けた身近な例が綜真だった。知らぬ内に千景の逆鱗へ触れてしまった一岐は千景の表情の変化にも気付けず、その頬に千景が吐き出した唾を受ける。仕込む前の人形と高を括っていた相手からの思わぬ反撃を受けた一岐の目からは先程までの舐めたような色が消え、一瞬にして重く昏い色へと変わる。 「ぶっ……」  間髪入れずに一岐の拳が千景の頬に入り、防御する術も無かった千景は口の端が切れ滲む血液もそのままに、綜真同様この男だけは一生許さないと心に決め血痰を吐き出し一岐へと殺意を込めた視線を送る。 「……一岐、顔を傷付けるな。売上に響く」 「はぁい」  三睦の前ではまるでぶりっこの様に笑みと品を作り、ソファに座りただ指示を出すだけの三睦の言葉に返事をした一岐は振り返ると千景のシャツを掴み左右に大きく破り開く。ボタンは飛び散りアスファルトの上を転がり数度円を描いてから小さく座する。  ポケットの中から小さな容器を取り出したかと思えば中に入っていたクリーム状のものを指先に少量掬い取り、肌を露わにした千景の胸元へと塗り込め擦り付けるように突起を摘み上げる。ただ胸元を弄られているだけにも関わらず平時よりもそこから伝わる熱は早く、隆起を示す姿に一岐は目を細め両の胸を同時に嬲り始める。 「、うぇっ、やめ、っ……なに、塗って」  最近の玲於は極稀に乳首攻めをする事があり、昔よりは感度も上がっている千景ではあったがそれでも触れているのが誰かという事に意味があり、玲於以外の人物に触れられた所で何の意味も無い事の筈だったが一岐が使用した妙なクリームの所為か、玲於が触れた時以上の強い刺激が千景の体内を急速に廻り下肢へと熱を集める。 「征士郎クンは仕込みの時この薬使わないんだよねえ。即落ちするから簡単で良いのに」 「……ぃや、だっ……やめっろ……」  その薬で何であるのかはもう聞かずとも分かり、執拗に嬲られ続ける突起はやがて赤く腫れ上がり辛うじて目の前の相手は玲於ではないという強い意志が千景の理性を限界の所で堰き止めていた。玲於の事を想えば今なら何でも出来そうだと根拠の無い自信を持つ千景は、中心部へと徐々に集まりつつある熱を手首に食い込む痛みに意識を逸らせる事によって一岐の思惑通り事を運ばせないつもりでいた。  漏れ出す吐息に色が乗り始めても一向に大きな変化が見られない千景の様子を不思議そうに見下ろす一岐は、充分に熟れた突起を爪先で引っ掻きながら耐えているのか効いていないのかを見定めようとしていた。 「おニィさん薬とか効き辛い方?」  常人ならばこの時点で突起へ触れられるだけでも抗いようのない性衝動に襲われ、快楽に溺れ理性のタガが外れるはずなのにと考える一岐は持ち出した容器の中身を確認し、まさか不良品だったのかと疑惑を持ち始める。 「量増やした方が良いんじゃないのか?」 「そーだねっ」  不感症という訳でも無いのならば見るからに分かる赤く腫れた突起からもその効果は歴然で、今までのどの人形よりも単純に理性が強いだけかと考えた一岐は投げ掛けられた三睦からの指摘に、理性で抑えきるつもりならば抑えきれなくなるまでの量を使えば良いと先程の倍の量を指に取り突起周囲へと執拗に撫で付けた。  ひくりと千景の喉元が動き、衝動が千景の全身を侵食していく中思い起こすのは抗う事も知らずただ蹂躙されるだけだった日々。本家の寝室で、将又今のように薄暗い半グレの溜まり場で。斎との事を含めればその回数は両手では足りない。こんな事で心が折れる事も無い、自分にとっては日常茶飯事とも言え六年間耐え続けたパワハラに比べれば一時的な衝動など取るに足らない。玲於以外に二度と抱かれない、その想いだけが今の千景を唯一支えていた。  舌先を犬歯で挟み、上下から圧を加えていくとやがてぐちゃりと肉の潰れる感覚がする。途端に口腔内へと広がる血の味が与えられ続ける性衝動より優れば千景は再び口の中から溢れ出る血液を吐き出し、舐めた真似をする一岐へ視線を送る。 「……だれ、がっ……お前らのいいように、されるかよっ……」  何処までも抗い、性衝動を痛みで乗り切ろうとする千景の一筋縄ではいかない強情さに一岐の表情が変わる。 「……無駄な抵抗すんな。おニィさんに拒否権は無いんだよ」  ばちりと放電の音が聞こえ千景がハッとすると右手にスタンガンを持った一岐がその先端を直接千景の臍へと押し当てていた。服を着ている時よりも素肌からの方が電流が通り易いと何処かで聞いた千景は臍から肌を伝い胸元まで上がってくるそのスタンガンをただ見詰めた。

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