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プロローグ. 1

周囲では炎と黒煙が豪々と燃え上がっている。 つい先程まで父王が目を通していたパピルスの焦げた残骸が床に散らばっている。 私も体が不自由になりかけている父王と共にパピルス紙へ、ミセンタ(異国)のうちのひとつである国の【ウリガン】へと献上するための書状の文字を書き記す手伝いをしていた筈だった。 炎が上がっている所から少し離れた場所にいるにも関わらず、凄まじい熱気が体から沸き上がり、意図せずに全身から汗が吹き出てしまう。 すぐにでも湯浴みをしたい気分ではあるが、そうも言っていられない。 不躾な乱入者達によって久方ぶりとなる父王や、幼い頃からの顔馴染みだった忠臣達と穏やかに過ごす筈のひとときは惨たらしく奪われてしまった。 容赦のなく巻き上がる炎が奏でる豪音と、視界いっぱいに広がるナイル川の規則的な波音とが重なり合い、胸が締め付けられる思いだ。 王の間を支配する茉莉花の香油の上品な匂いと、パピルスだけでなく父王がかねてより気に入って床に敷いていた刺繍入りの絨毯やエジプトから海を隔てたミセンタのうちの一国から仕入れた垂れ布が燃えた不快な匂いとが放心状態となり立ち尽くしている私の鼻を刺激してくる。 両腕を腰に当てがいながら私の目の前に立つは、一人の男____。 緑と黄金色の縦模様が周りの者の目を引く頭を覆う独特な形の頭巾を被り、額には黄金のコブラが目を引く頭飾りを身に付けている堂々たる男。 私の知り合いであり、最も身近な存在といってもいい。 私よりも遥かに周りの者を魅力する浅黒い肌は、日々の鍛錬により引き締まっており、皆を恐怖と尊敬の念とで支配してしまう。 私もその内の一人であり、今はただ____その男――私の弟である【トゥトアンクアメン王】の存在が恐ろしくて堪らない。 幼い頃は血を分けた弟に対して、そのような醜い感情を抱いていた訳ではなかった。 少なくとも、私はそうだった。 生まれてから数年経っても病弱で、寝たきりで動くことさえままならないとはいわないまでも、激しく動くことが中々出来なかった私と違い、かつてツタンカーメンと周りの者から呼ばれていた私の弟は活発に動き回っていた。 自国の言葉は勿論のことミセンタから届くパピルスの解読や、その他の文化に関することを理解する力が優れていたなど、とにかく様々な知識を吸収していったのを幼き頃の私は羨ましいと思ったものだ。 当時から忠臣であった神官達や現在は宰相という立場についているアイという男は勿論のこと、私の父は過剰といっていいくらいにツタンカーメンを褒め称えていた。 だが、そんな寵愛を注いだ息子によって廃王にまで堕とされた父はかつての栄光と神秘さはどこへやら今や地に倒れ落ち、血の海に沈められ微動だにすらしていない。 『____が』 『____いか?』 私に背を向けたまま、エジプトの支配者となったトゥトアンクアメン王は何事かを発する。 少し離れた場所にいるだけでなく、かつては父王だった【アクエンアテン】の氷の如く冷たくなった手を握り懸命に名を呼びかけていたため、弟王の言葉の内容を明確には聞き取れなかった。 だが、首を此方側から見えるように右側へと傾きかけて硝子のように何も映していない冷めた瞳を向けてきたことと、【再生】を意味するスカラベの赤と黒の首飾りが左右に揺れて一瞬だが光を放ったことは混乱しきっている私にでも見てとれた。 また一人、新たなる王の手に握られた恐ろしい物によって尊い命が奪われていく。かつて皆からの信頼を一心にうけ神官という誇り高き職についていた筈の年配の男は容赦なく心の臓がある方の胸を貫かれ、声にならない悲鳴をあげながら地に崩れ落ちた。 そこら中に、先程の神官だった男と同じように悲惨な末路を辿った何十人もの屍が転がっており、中には残酷ながら互いに庇うように重なり合ったまま事切れてしまった屍があるということも靄がかかった視界で何とか捉えることができた。 ふと、背後に人の気配がすることに気付いておそるおそる振り向いた。 だが、父から王の座を奪い新たなる王と化した弟の姿ではない。 再び視線を前へと移した弟王は両手を精一杯に広げ、背後にいる私と今や屍と化してしまった父の姿には目もくれず、眼前に広がる雄大なナイル川に思いを馳せている。 弟王はいったい何を考えているのか――そんな些細なことすら今の私には分からない。 ただ、そんな不甲斐ない私でもひとつだけ分かっていることがある。 弟王が背後にいる人物に命じて父や周りの者だけに留まらす、私の命までをも脅かそうとしていることだ。 視界には靄がかかったかのような状態となり、かつて、あのような愚かなることをしたせいで見えにくくなった両目だけではなく、耳さえもろくに聞こえなくなってきた今の私には抵抗など不可能だ。 だからこそ、私は自らの意思で両膝を地につき降伏の意を示す。 そして、深々と頭を下げることにしたのだ。 だが、無情にも弟王はすぐに命を奪うようなことはしなかった。 凄まじい力で首を抑えつけられ、無理やり背後へと視線を向けさせられる私____。 背後にいる人物の正体を知り、とてつもない絶望を感じてしまった私は成す術なく辛い現実から逃れるべく両目を閉じたのだった。 ______ ______ ______

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