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第39話
* * *
その日、宮殿内は皆のざわめきで満ち溢れることとなった。
理由は明確で、かつてヤークフとしての威厳を確固たるものとしていたツタンカーメンが再び皆の前に姿を現したからだ。
ちょうど、現ヤークフであるスメンクカーラーが神官達の前でエジプトの未来に必要な政策についての演説を行っている最中のことだった。
突如として、黒布を纏わずに先代王トトメスが身につけていたヘカとケネクと呼ばれる独特な形の杖を持ったツタンカーメンが現れ、更にこのように命じたのだ。
『皆の者――突如として姿を消したこと、この場にて謝罪する。余は、長らく休息をとっていた。それは、むろん……この広大なエジプトを統べる新王に相応しく精神的にも肉体的にも精進するためだ___しかしながら、既に兄上がヤークフとして存在している。それ故に、皆に懇願する』
『余と、兄上……どちらがヤークフとして相応しいかを皆に選んでほしいのだ。当然のことながら皆が選んだ者が、いずれ誉れ高きエジプトの未来を担うこととなる』
敗北を身に染みて実感し、弱々しく廃人と化した先日までの姿からは想像もつかない程に、はきはきとした声色で宣言するツタンカーメン。
更に、どこかからぱちぱちと拍手が聞こえてくる。ツタンカーメンとスメンクカーラーが、ほぼ同時に目線をそちらへやると満足げに微笑む父王アクエンアテンと目が合った。
その場にいた全ての者達が、ツタンカーメンを支持していた訳ではない。だが、神官達は満場一致で彼を支持していた。
黄金の冠は、再びツタンカーメンの頭に被せられ、全身を覆う黒布はまたしてもスメンクカーラーが身につけることとなった。
こうして、現ヤークフの地位は再びツタンカーメンのものとなった。
そして、今までツタンカーメンの側に付き従えていたホセが黒布をスメンクカーラーへ被せようとしていた時____、
「失礼致します……っ____!!」
慌てて、室内に入ってきた男――アイが顔面蒼白になりながら此方へと駆け寄ってくる。
「このような大事な時に、誠に申し訳ございません。ですが、非常事態でございます____聖池ドゥクムにて――その……っ……」
アイは顔面蒼白のまま唇を震わせ、脂汗を流し、小刻みにがたがたと体を震わせながら一度言葉を詰まらせてしまう。
恐ろしい事態に直面したという動揺もあったが、彼の目が眉をひそめ険しい表情を浮かべているアクエンアテンの姿を捉えたからだ。
「よい、申してみよ……」
「では、恐れ多きことながら申し上げます。先程、聖池《ドゥク厶》にて人間の亡骸が発見されました。しかしながら、亡骸の状態が……その……とても惨く__それが誰だったかは未だ不明でございます」
ここで、アクエンアテンは何も言わず蛇のように鋭い目付きでツタンカーメンの方へと目線を動かす。恐らく、自らの後でエジプトの未来を担うべき存在として彼が誠に相応しいかどうかを判断するための行動だろう。
「アイよ___今、この場にて聖池ドゥクムにて発見された亡骸がどのような状態なのか申せ。もしも、申さぬというのならば……即刻貴様の首を落とすゆえ、慎重に判断するが良い」
眉ひとつ動かさず、ツタンカーメンが右手をさっと上げると、すかさず隣に控えるホセが武器である槍を構える。
「どうした___?早く、申せ。それとも貴様には口がついておらぬのか?」
頭を深々と垂れながら跪くアイの身に、生まれ変わったツタンカーメンの凄まじい圧力が降り注ぐ。
「ま……っ……誠に恐れ多きことながら、幾らヤークフたる者の命でも、それを今申すことは出来ません。せめて、時と場所を改めて下さいませ。今、この場には子どもの奴隷もおります。更に、まだ年端もゆかぬ子どもも……っ……」
「そうか、それならば致し方ない。武将ホセよ___やれ……っ……!!」
冷たいツタンカーメンの声を聞き入れた直後、ホセの槍の切っ先が跪くアイの首筋へ振り落とされそうになる。
しかしながら、槍の切っ先がアイの肌を貫くことはなかった。
「スメンクカーラー様……っ___そこを、退いてくださいませんか?これは、誉れ高きヤークフの命にございます」
咄嗟にスメンクカーラーが、アイのいる方向へと飛び出していき、両手を広げながら身を呈して彼を庇ったからだ。
スメンクカーラーの身はぶるぶると震えているが、ホセの制止の声を物ともせずに、そこから立ち退こうとはしない。
「ホセよ……それは、幾ら何でもおかしくはないか?確かに、我が弟ツタンカーメンにヤークフの地位は戻った。だが、此処には父上がいるではないか。父上こそが現王たるゆえ、アイの言葉を禄に聞かずに一方的に処分を下すというのならば――今、この場にて我の首にお前の自慢の槍を突き刺すがいい……っ……!!」
スメンクカーラーの怒号を聞き、その場にいる誰しもが口を噤む。
更に、今まで温厚な性格として慕われていた彼がホセの頬を叩いたことでツタンカーメンですら兄の豹変ぶりに対して驚愕の表情を浮かべつつ呆然と立ち尽くしていた。
「この目出度い場において、怒りという感情に身を任せ、アイを責めたてるのは神々が最も嫌う行動だ。そして、ヤークフよ。我が息子スメンクカーラーの申す通り、武将ホセの言動に常日頃から踊らされ、結果的にアイの命を無下に扱うのは愚の骨頂であり、偉大なる次期王としての振る舞いにはあまりにも相応しくない___」
アクエンアテンの口から吐き出された言葉に対して、ツタンカーメンは明らかに納得していない様子だったが、口を噛みしめつつも何も返すことができずに立ち尽くすしかない。
「そして、貴様___我が息子スメンクカーラーの首から、その槍を下げよ。何やら勘違いをしているようだが、かつて奴隷同然の身分だった貴様よりも遥かに存在価値が高い我が息子スメンクカーラーやヤークフに対して、二度と愚かなことは申すでないぞ」
「御意――全てはアクエンアテン王の申すままに……っ___」
ホセはアクエンアテンの命令通りに槍の切っ先を首筋から退けると、そのままアクエンアテンの傍らに移動し、服従の意を示すべく両膝を床につき、そして彼が履いている黄金でこしらえた靴のつま先部分に唇を落とす。
「もう、よい___さっさとそこから離れるがよい」
黄金の靴の先端は少し尖っているのだが、それを知ってか知らずか、這いつくばる形となったホセをアクエンアテン王はじろりと睨み付けると、突如として蹴り上げる。
「ホセ……っ___傷が………」
スメンクカーラーは慌ててホセの方に近付いて手当てを施そうとするが、ツタンカーメンに軽く押しのけられ、そのせいで床に尻もちをついてしまった。
「兄上………もはや、ヤークフではない貴方はこの部屋にいる資格はないのですよ。むろん、ホセは余が責任を持って手当て致しますのでご安心を………。どうか、寝所へお戻りください」
幸い怪我することはなく、慌てて駆け付けたアイによって身を引き上げられたスメンクカーラー。
だが、その直後に弟の口から放たれた言葉を耳にすると、後頭部を石で打たれたかのような強い衝撃を受けてしまう。
「まったくもって下らぬ時間だった。余は、これからウリガンの地へ参る故、後は各々でこの場の後始末をするがよい」
呆れ果てた様子で言い放ってから退出したアクエンアテンの後を追うように、スメンクカーラーは気まずそうにしているアイに付き添われつつ部屋を退出するのだった。
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