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第7話 回想/暴走

 一度発現してしまった魔力は、決壊した川の水のようにサギトの中で溢れた。もう魔力を持つ前の自分には戻れなかった。  サラダに青蛙を入れられた日の三日後、今度はオートミールの中に何匹かのネズミの死骸を入れられた。スプーンをかき回せば、トマトソースの粥の中で、哀れな黒ネズミたちがそのどろどろの体を晒した。  なんとなく警戒していたサギトは、ネズミ入りの粥を口にすることはなかった。  だが、物凄い怒りを感じた。  またか、という怒りと共に、「お前らのせいだ」という恨みの感情。  どこの誰だか分からないが、サラダに蛙を入れた連中のせいで、サギトは目覚めたくもない魔力に目覚めてしまった。己が魔人だなどという、知りたくもないことを知ってしまった。  強烈な負の感情が、サギトの中で渦巻いた。  全部、お前らのせいだ。そして性懲りも無くまたこういうことをするのか。  誰だ。  誰だ。  どこのどいつだ。  その時、ネズミの死骸が跳ねた。  並の跳ね方ではなかった。皿の上で最初の一匹が、軽く一メートルは跳ねた。  サギトはびくっとする。続いて、他の死骸も跳ね出した。粥の汁を撒き散らし、ボールのようにぴょんぴょんと、それはとてもリズミカルな、踊るような動きだった。  当然、周囲がざわめき出した。 「なにっ!?」 「やだネズミ!」 「なんだよこれ、気持ち悪い!」  一瞬驚いたサギトは、すぐにそれが魔力によるものだと理解した。サギトの怒りに呼応してネズミの死骸が跳ねているのだろうと。  ふいにおかしさがこみあげた。  なんの前触れもなく、突如として腹の底から愉快な感情が湧き上がってきた。  あんなに憂鬱に感じていた己の魔力に、サギトはこのとき初めて嬉々とした。  それはまるで夜空の叢雲が晴れ上がり、煌々と満月に照らされたような高揚感。  サギトは心の中でネズミに命じた。 (お前らは犯人を知っているな?お前らは犯人の顔を見ただろう?) (じゃあ犯人の元に戻れ)  ネズミの死骸が、十メートルくらいの大跳躍をした。いや飛翔というべきか。  サギトの後ろの席に座っている、数名の男子の皿の中に、死んだネズミたちが一斉に空中移動した。  彼らは悲鳴をあげた。女みたいな悲鳴をあげたやつもいた。いい気味だと思った。 「ひあああああっ!」 「クソっ、なんで俺達の皿に!」 「おい、サギトっ!」  一人の男子に名前を呼ばれ、サギトは振り向いた。そいつは立ち上がってサギトを睨みつけていた。  あー、主犯はこいつだったのか、と思った。ガキ大将を気取ってる、体がでかいだけの粗暴なデブ。名前はザックだったか。まるで意外性がなかった。  サギトはくっと笑って返事した。 「なに?」 「おまっ、おまえが、ネズミ、お前の」 「は?ちゃんと言葉を話せよ」 「お、お前のネズミだろこれ!俺達に投げ込んだな!」 「ネズミが勝手に動いたんだが?俺がネズミを投げたところを誰が見た?誰も見てない」  ザックは一瞬、悔しそうに口をつぐんだ。だがすぐに底意地の悪い笑みを浮かべた。  ザックはサギトの周囲の子供達に大声で問いかけた。 「お前ら見たよな!サギトがネズミを俺達にむかってぶん投げるの見たよな!」  サギトの周りの子供達は、困った顔をして互いの目を見合わせていたが、 「見たんだろ!」  ザックのほえ声におびえた目をすると、おずおずと首を縦に振った。 「う、うん、見たかも」 「そ、そうだね、投げてたかも」  ザックは勝ち誇ったような顔で笑った。 「ほ・ら・な!」  サギトはザックの顔と言い草に殺意にも似た不快感を覚えた。サギトはその時、相当強烈な目でザックを睨みつけたのだろう。ザックは一瞬、(ひる)んだ顔をした。  一瞬怯んだザックが、怯んでしまったことに腹を立てた様子で、怒声を上げた。 「なんだサギト、その目つきは!このクソ紫眼野郎が!」  その時、(こと)は起きた。  いじめっこグループの皿の中で、ネズミの死骸が、まるで生き返ったかのごとくくるりと四つんばいになった。その瞳は異形の赤色。ザックの子分たちがひっ、と目をむいた。 「な、なんだこれ!」 「嘘だろ!」  子分たちの声にザックが、 「あん?どうしたお前ら」  振り向いた、その時。  ザックの股間に、ネズミたちが飛び掛った。そしていっせいに噛み付いた。 「~~~~~~~~~~っ!!」  眼を飛び出さんばかりに開いたザックは、声にならない叫びをあげた。その股に、瞳の赤い異形のネズミが食いついている。  ザックは涙を流し必死になって股間から異形のネズミを引き離そうとした。だががっつり食いついて離れない。  サギトはその様子がおかしくて仕方なかった。肩を震わせくつくつと笑った。  みんな呆然と遠巻きにザックを見ていた。  爽快な気分でその滑稽な喜劇を観劇していたサギトの肩を、誰かがぽんと叩いた。  見るとグレアムだった。  苦笑いをして、サギトを見下ろしていた。耳元に囁かれる。  そろそろ許してやれよ、と。  サギトは真顔になった。  言うとおりにした。  ザックの股間から、ネズミたちがどさりと落ちた。もうただの死骸に戻っている。ザックが背中を丸めて股を抑えて泣いた。 「おい大丈夫かよ、ザック!」  取り巻きたちがザックの背中をさすった。  サギトの胸の奥から嫌な気分がせり上がって来た。  席を立った。逃げ出すように、異様な空気に包まれる食堂を出た。 ◇ ◇ ◇  サギトは食堂から逃げ出し、嫌な気分のまま草原を歩いていた。自分が悪魔にでもなったような気がした。  いや事実、そうなのだ。サギトは魔人なのだ。  魔術でザックをいたぶった時、最高の気分だった。あのまま殺してしまいそうな程。  吐き気がしてきた。サギトはその気になれば、簡単に魔術で人を殺せるのだろう。  不安に押しつぶされそうになり、草の上にうずくまった。胸を押さえた。 (俺は、危険な魔人……)  自分自身に、恐怖した。 「サギト!どうした!」  後ろから駆けてくる、グレアムの声。サギトは唇を噛み締める。 (どうしてお前はいつも、来てくれるんだろう)  心配させたくないサギトはすくと立ち上がった。 「なんでもない」  言いながら振り向いて、サギトは冷たい手で心臓をつかまれたような心地になる。  グレアムが、あの本を持っていた。あのボロボロの本。  文面が脳裏に蘇った。 『極めて危険な存在であり、人ではなく魔人として扱うべきである。人ではないので、幼少時に殺してしまうのが望ましい』  青ざめるサギトの視線に気づいた様子で、グレアムはその本を掲げて見せた。 「ああ、これな。この本さ、燃やそうぜ」  サギトは眉間にしわを寄せた。理解できずグレアムを見つめた。グレアムはちょっとばつが悪そうに、 「ごめん、読んじゃった。お前、慌てて本棚にしまってたから、あのページに折り目ついてたぜ」  そういうことか。サギトは震える手を握りしめた。自分の迂闊さを呪った。  あんな妙な態度で慌てて本棚にしまったら、グレアムも気になるに決まってる。そして読むに決まってる。 「そんな顔すんなって。大丈夫、誰にも言わねえよ。でもこの本は危険だ。だって、さっきのネズミのアレみたいなことやってると、そのうちお前に魔力あるって皆気づくぞ。でこの本読まれたら、面倒なことになりそうだろ?」  サギトは驚き、目を見開いた。そんな心配をしてくれていたのか?  考えなしに魔術を発動して嬉々としていた、愚かなサギトの為に。 「グレアムは俺が怖くないのか?俺は魔人……」  グレアムは微笑みながら首を振った。 「怖くねえよ。サギトはサギトだろ」  サギトはうつむいた。グレアムがサギトの頭を撫でた。  撫でられて気づいた、自分がその優しい手を待っていたことに。  目頭が熱くなった。涙がこぼれだした。 「……これからも友達でいてくれるか?」 「当たり前だろ。かっこいいじゃないか、魔人なんて」  グレアムはおどけたようにそう言うと、サギトの体をぎゅっと抱きしめた。サギトはびっくりするが、目からもっと涙が出てきた。 「うっ……、くっ……」  サギトはグレアムの胸にすがり、情けなく泣きじゃくった。  グレアムは小さな子をあやすようにサギトの頭を撫で付けながら、ずっと抱きしめてくれた。  グレアムの腕の中はとても暖かかった。  ようやく泣き止んだサギトを励ますように、グレアムは明るい声で言った。 「さあ、燃やそうぜ。俺マッチ持って来たから。場所は、あそこでいっか、読書のとこ」 「うん」  サギトは涙をぬぐいながら、こくんと首を縦に振った。  サギト達は草原を抜け、森の奥へと入っていった。サギトの秘密の読書場所。ちょっとひらけた森の中の草地。  いつものそこに着き、グレアムはふと思い立ったようにサギトに尋ねた。 「燃やす前に一応、他の部分も読んでおくか?」  サギトは迷ったが、うなずいた。燃やしたら二度と読めない。もしかしたら他にも重要なことが書いてあるかもしれなかった。  グレアムから本を受け取り、サギトは腰を下ろして本をめくった。隣にグレアムも腰掛け、本を覗いた。  改めて手にすると、実は立派な装丁の本であることに気づかされた。ボロボロでなければ実は高級な書物なのかもしれない。  ぱらぱらと捲り、紫眼という単語を探し、そのものずばりの章を見つけた。「紫眼の魔術」と名づけられた章。例の文面は、この章の始まりの一節だったようだ。 「あった、ここだ」 「よし、読もうぜ」 「ああ」  サギト達はその章を一緒に読み進めた。 『魔人は、呪文や術名を唱えることなく魔術を発動することができる。しかも絶大な威力である。その威力は、魔人一人で十人以上の魔道士に匹敵すると言われている。  使い魔の操作にも長けていて、本来なら極めて危険な、死骸を材料とした使い魔も難なく作成し、操ることが出来る。また、虫や鳥や獣を使い魔のごとく意のままに操るという。  その他、数々の闇の魔術、外法を使う。魔人の力が最も強く発揮されるのは、それら闇魔術においてである』  グレアムがうなった。 「すっげえなあ。お前一人でムジャヒールと戦えるんじゃないか?いいなあ、俺もその力欲しいよ。俺が魔人なら良かったのに」 「えっ」  戦争に結びつけるとは。そんな壮大な発想はなかった。いや、南の邪教帝国の侵略に大人も子供も怯える、この国の男児らしい発想なのかもしれないが。 「欲しいって、ひとごとだからそう言えるんだ。俺もお前にやれるものならやりた……」  言いかけたサギトをさえぎって、グレアムが大きな声を出す。 「おい、次読んでみてくれ、そこ、すごいこと書いてないか?」 「次?」  サギトは指で文字をたどりながら、声に出して読んだ。 『古代の魔人族の王族は、自らの魔力を人間に分け与えることが出来たという。かつて魔力に目がくらみ堕落した人間達は、魔王から魔力を授けられ、魔王の眷属と成り果てた』  読み終わったサギトは、 「……うーん」  と唸って苦笑した。魔王。眷属。あまりにもおとぎ話めいた話じゃないか。でもグレアムは食いついた。 「これだ!これお前、できないか?」 「さすがに無理だろう。王族とか書いてあるぞ」 「できるかも知れないじゃないか。続き読んでくれ」 「まあ読むことは読むが」 『魔人の王族は、人間の血管に歯を突き立て、魔力を注いだと言う。現在見られる吸血鬼が、人間の首つまり頸動脈に噛みつき、人間を吸血鬼化させるのと似ている。このことから、吸血鬼は魔人の子孫の一種と考えられている』 「……」  サギトはげんなりしてきた。今度は吸血鬼ときた。紫眼は吸血鬼の親戚だったのか。吸血鬼って、完全に魔物じゃないか。  うんざり顔のサギトに、グレアムが手首を差し出してきた。 「噛んでくれ!」 「はあ?」 「血管!」 「いやいや」  サギトは頭を抱えた。出来るわけがないじゃないか。そもそも、本当に出来てしまったらどうするのか。後悔するんじゃないのか? 「噛むだけ!」 「分かったよ」  サギトはため息をつきながら、グレアムの手首を手に取った。その青い筋を確かめる。とりあえず噛めば満足するだろう。  サギトはかぷり、と青い筋に歯を立ててみた。なんだかちょっと、恥ずかしかった。 「……何も起きねえな」 「そりゃそうだよ」 「じゃあ首!首を噛んでくれよ」 「え、やだよ」 「頼む!」  グレアムは地面に両膝をつき、両手をサギトの肩にのせてゆさゆさ揺する。 「うう。分かったよやるよ」  サギトは根負けして、グレアムに抱きつくように顔を寄せた。その首筋を確かめる。 「血管がない」 「いいからどこか噛んで見てくれ」 「どこかって」  少し日焼けした滑らかな首筋。サギトは妙な緊張を覚えながら、口を開けた。こんなところ誰かに見られたら、どう思われるだろう。  その首筋を食む。歯を立てる。ちょっと舌が触れて、グレアムの肌をなめてしまった。サギトの脈拍が乱れ打つ。  しばらくしてグレアムが不服そうに、 「……やっぱ何も起きないな」  サギトは唇を離した。 「そりゃそうだって」  体がふわふわするような妙な感覚のまま、グレアムから身を離した。赤面を見られたくなくてうつむきながら。  でも、気づかれてしまった。 「うっ」  とグレアムはサギトの赤い顔を見てうめいたかと思うと、サギトに噛まれた首筋をキュッと手で押さえた。  グレアムはサギト以上に赤面した。慌てふためいた様子で、 「ご、ごめんサギト、変なことさせちまって!あの、その、えっと……ごめん!」  グレアムにまで赤面されたら、サギトはますます気恥ずかしくなる。 「い、いいよ別に。じゃあええと、そうだ、本。もう大体読んだから大丈夫だ」 「そそ、そうだな。燃やそうぜっ!」  二人はやっとその本を燃やした。グレアムが持ってきていたマッチの火に、その古びた本はあっさりと崩れ去った。  サギトは無言で灰に化していく本を見つめた。  燃やしたところで、事実が消えて無くなるわけではないことは分かっていた。この本の情報を知っている人間が孤児院にいないとも限らない。 「気をつけろよサギト」  もう不用意に魔力を暴走させるな、ということだろう。 「ああ」  サギトはうなずいた。肝に銘じようと思った。 ◇ ◇ ◇  サギトはこの日から、人目につかない場所でこっそりと魔術の訓練をするようになった。魔術をコントロールする力を身に着け、暴走を防ぐために。グレアムも付き合ってくれた。とても楽しそうに。  魔術の本を見ながら、魔術の基本とされる、火、水、風、土の四大精霊の力を借りる精霊魔術を試した。空中に鬼火をつけてみたり、手の平から水を湧き出させてみたり、木の葉を落とす風を起こしてみたり、石を一瞬で砂に変えてみたりした。  いちいちグレアムが歓声をあげて、羨ましがった。グレアムは派手な精霊魔術が好きだった。  サギトは生物の操作が好きだった。  蝶の群れがサギトの周囲に集まり、おうむのように指にとまるのはとても幻想的で、その美しい光景を見るときだけは、ちょっとだけ、魔術があってよかったと思った。  サギトはもう魔術を暴走させることはなかった。グレアム以外にサギトの魔術を知られることもなかった。  サギトがグレアムに魔力を分け与えることになるのは、ここからさらに、数年後のことになる。 ◇ ◇ ◇

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