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第6話 回想/魔人

 サギトが自分に魔力があることに気づいたのは、孤児院に来て一年ほど過ぎた、十一歳の時だった。  その日食堂で、サギトの皿の中に誰かが青蛙をいれた。  サラダの緑色の中に見事に溶け込んでいた、その可哀相な青蛙を、サギトはフォークで突き刺してしまった。  サギトは衝撃に固まる。  別に蛙が嫌いだったわけではない。むしろ大抵の生き物を、サギトは好んだ。動物も虫も、蛙も。友人が少ない孤独を埋めるように。 (どうしよう、俺のせいで蛙が)  サギトは、自分がその小さな命を(あや)めてしまったことに、大変なショックを受けた。 (ごめん、蛙、ごめん、どうしよう)  一匹ならばたまたま紛れ込んだだけかもしれないが、サギトの皿からは十匹は下らないだろう青蛙が、溢れるように出てきた。誰かが仕込んだことは間違いなかった。  女子達が悲鳴をあげ、食堂中の注目が集まった。  サギトが何かされると、毎度グレアムが飛んできておせっかいを焼くのだが、この時もグレアムは隣のテーブルからずかずかと近づいてきた。  サギトの皿いっぱいの蛙を確認すると、周囲に向かって大声を出した。 「誰だ、サギトの皿に蛙入れたやつ!出て来い!」  もちろん誰も名乗り出ない。男子達はニヤニヤしながら肩をすくめた。絶対にその中に犯人がいるのだが、みんなポーカーフェイスだった。  グレアムがいつもサギトの(がわ)に立つので、堂々といじめてくる者はいなくなった。ただこうやって、こっそりと「正体不明の誰か」がやる。  いつもならグレアムに(かば)い立てされることが気恥ずかしくて、サギトがグレアムをいさめて終わるのだが、この時のサギトはショックでそれどころではなかった。 (嫌だ、嘘だ、死なせるもんか)  サギトは自分のフォークに突き刺さっている青蛙を呆然と眺めたまま、立ち上がった。蛙を串刺しにしたフォークを手に、そのままふらふらと食堂の扉に向かった。 「おい、サギト?」  グレアムがサギトの妙な挙動に慌てた声を出したが、答えず食堂を抜け出した。  食堂は独立した建物になっていて、出るとすぐ外だ。サギトは草原のほうへと向かった。 「待てよサギト!」  グレアムが追いかけてきた。サギトの横に並んで歩きながら、 「どこ行くんだ?」 「池の水を……かけてやる。青蛙は水が好きだから、水をかけたら生き返るかもしれない……」 「えっ……。いや、もう無理だろ」 「無理じゃない!」  そう訴えたサギトに、グレアムはびっくりした顔で口をつぐんだ。  サギトが泣いていたからだろう。  この時のサギトは、自分が生き物を(あや)めたという現実が、受け入れられなかった。  受け入れられなかったからこそ、この後に魔術を発動できたのだろうが。  グレアムは黙ってサギトに付き合った。  二人は森のほとりの湧き水の池にやって来た。  サギトは池のそばにしゃがみ、蛙の腹からフォークを抜いた。 「俺がやるよ」  とグレアムに言われたが、首を振った。 「俺が刺したんだ」 「お前は何も悪くないだろ?」 「でも、俺が刺した」  グレアムは困ったような顔をしていた。  いやな感触に耐えながら引き抜いた蛙を、手のひらに乗せた。  青蛙は、仰向けになって穴の空いた腹を見せだらしなく脚を投げ出し、悲しいくらい間抜けで無様で、どう見ても事切れていた。  現実を受け入れられないサギトは、片手を池に入れて水をすくって、蛙の死体に何度もかけた。だがそれで生き返るわけもなく。  それでもサギトはその無意味な行為を何度も繰り返した。心の中で念じ続けた。 (がんばれ蛙、がんばれ生き返れ!死ぬな、死ぬな、俺はお前を殺したくない!)  サギトのその一念は、やがて、極めて奇怪な形で「叶った」。  ある瞬間、青蛙の死体から、黒い糸のような煙のようなものが立ち上り始めた。  サギトはどきりとした。グレアムも気づいた。 「え?燃えてるのか?」 「違う……」  サギトはかすれ声で否定した。手が熱くはなかったし、煙に似てるが煙ではないという直感があった。  サギトの直感は正しく、それは魔術的な「影」だった。  糸のように細い影が青蛙の体から何本も立ち上る。黒い影はどんどん増えて、やがて青蛙の体を雲のように覆い尽くした。  手の平の上に小さな影の塊。影の塊は、サギトの手の平を離れて宙に浮かんだ。  サギト達は震えながらあとずさった。ただ呆然と、その異様な光景を見守った。  宙に浮かんだ影は、むくむくと巨大化していった。巨大な影の塊は、膨らみながらなんらかの形を成し始めた。  それが蛙のシルエットだと気づいた時、影が実体化した。大きな緑色の、蛙のような何かが現れた。  蛙のような何かは、げっぷのような音を出した。  サギトはうめく。 「うっ……」 「なんだよこれ!」  グレアムが叫んだ。  どう見てもそれは、化け物だった。  サギトと同じくらいの上背。横幅はでっぷりと太り、サギトよりずっと大きい。こんな巨大な蛙がいるわけがない。そして大きいだけではなく、姿形も異様だった。  顔には真っ赤な目玉が三つついていた。てかてかした緑の皮膚は蛙らしいが、その全身から何故か無数のフォークが突き出していた。三本の鋭い先端を外側に向けて。まるでハリネズミのようだ。  大きな口をくわと開けると、中から三本の長い舌がのぞいた。一本の舌がひゅんと飛び出したと思うと、ひらひらと飛んでいた蝶を捕まえて食べた。  (おのの)くサギト達の前で、化け物が言葉を発した。 「ドウゾ、ゴ命令ヲ、ゴ主人様」  蛙らしい潰れた声で、そいつはそんなことを言った。沈黙が下りた。一刻の間を置いて、 「ご、ご主……」  サギトはどもり、グレアムがあっと声を出した。 「もしかしてこいつ、使い魔か!?」  サギトも使い魔という言葉は知っていた。魔道士が使役する、召使のようなものだと理解していた。でも今、この場所のどこに魔道士がいるというのだ。 「ゴ命令ヲ、サギト様」  名指しされ、サギトは面食らった。ただ恐ろしかった。恐ろしくて、こう言った。 「消えろ!」 「承知ツカマツリマシタ。御用ノ際ハ、イツデモオ呼ビ下サイマセ」  サギトの言葉は恐怖から出た悲鳴のようなものだったが、巨大蛙は命令と勘違いしたようだった。  蛙の化け物は、影となって消失した。サギトの命令に従って。  サギトはその場にへたり込んだ。全身が震えていた。  化け物にご主人様と呼ばれたことも、化け物がサギトの言うことを聞いたことも、全部気味が悪かった。 「なんだこれ、一体どういう……」  だがグレアムはサギトとは対照的に、嬉しそうに目を輝かせた。サギトの両肩に手を置き興奮した声で言った。 「すごいじゃないか、お前!使い魔を召還したんだ!」 「そんなの嫌だ、気味が悪い。俺は魔道士じゃないのに」 「きっとお前には秘めた力があるんだ。そうだ調べよう。サギト、本好きだろ?きっと何かヒントが見つかるさ」 「本で……」  それは良いアイディアであるように思われた。サギトはうなずいた。わけのわからないままでいるほうが怖かった。  それにもしかしたら、実は「よくあること」なのかもしれない、と思った。サギトが知らなかっただけで、このような事象は世界中で起きている、ありふれた事象なのかもしれない、と。  サギトたちはすぐ、孤児院の図書室に向かった。 ◇ ◇ ◇  孤児院の図書室に、「使い魔について」という本があった。サギトたちはまずこの本を読んだ。分かったことはいくつかあった。  使い魔を作成できる魔道士は、きわめて優秀な一握りの魔道士だけであること。  使い魔を作成するためには、何ヶ月も作成期間を要するということ。  「死骸」を材料とすると、恐ろしく強い使い魔を作ることができるが、ほとんどの場合、作成者である魔道士の言うことを聞かない失敗作となること。過去に多くの魔道士が、自ら作った死骸材料の使い魔に、殺されてきたこと。  情報は、サギトをより一層憂鬱にさせた。  サギトが期待していた情報というのは、たとえば、 『うっかりフォークで刺してしまった蛙に、生き返れと念じたら使い魔になるようなことは、よくあることです。よくあることなので怖がらなくて大丈夫です』  そういうのだった。だが本に書いてあるのは、それと真逆の内容であるように思われた。  かえって訳の分からなさ、己への不気味さが募ってしまった。  憂鬱なサギトの隣で、グレアムがはしゃいだ声を出した。 「使い魔作るの難しいんだって!一瞬で作ったお前は、天才かもしれないな!」 「他の本も調べよう……」 「そうだな、面白くなってきた!」  他人事だと思って、とサギトは心の中で悪態をついた。でも、この場にグレアムが居てくれてよかったとも思った。一人だったら耐えられなかった。  サギト達は魔力に関する本を片っ端から調べて行った。  本が嫌いかと思われたグレアムも、懸命に読み込んでくれた。そういえばグレアムは成績優秀だった。本くらい読めて当然か。  運動も勉強も出来るし、見た目も良く、皆の人気者。そしてサギトのような被差別種のはぐれ者にも優しく接してくれる。完璧すぎて呆れるくらいだった。サギトと大違い。  サギトはふと胸に沸いた雑念を追いやって、手にした本の文を目で辿(たど)っていった。それはこの図書室の中で一番ボロボロの、古びた本だった。タイトルすら判別できない程に朽ちた本。  その本をめくっていたサギトは、あるページで固まった。  目に飛び込んできたのは、以下のような文面だった。 『忌人の一種である紫眼種の中には、百年に一人の割合で、極めて魔道に長けた者が生まれる。  これは紫眼種の祖である魔人の血によるものと思われる。四千年前、紫の眼を持つ魔人族の国は邪悪な魔力によって人々を脅かした。しかし悪は長くは繁栄せず、魔人族の国は善なる人々によって滅ぼされた。  今いる紫眼種は魔人の末裔である。四千年の間に種としての力が衰え、今ほとんどの紫眼種は魔力を持たないか、持っても凡庸である。  しかしごく稀に、百年に一人の割合で、古代の魔人と同程度の魔力を持つ紫眼種が生まれる。極めて危険な存在であり、人ではなく魔人として扱うべきである。人ではないので、幼少時に殺してしまうのが望ましい』  サギトは物も言えなかった。最後の一行が、何度も頭の中で反響した。  人ではない。  殺してしまうのが、望ましい。 「どうした?」  グレアムに声をかけられて、サギトはびくりとした。サギトはバタンと本を閉じて、本棚にしまった。 「なんでもない、大したことは書いてなかった」  声が震えていたかもしれない。 「お前、大丈夫か?すごい青ざめてるぞ」 「いや、ちょっと……。体調がすぐれない。もう調べるのはやめよう」 「えっ、平気かよ!医務室行こう、俺もついてく」 「そこまでじゃない、ちょっと休みたいだけだ」 「そうか、無理するなよ」 「ああ。あと……」 「なんだ?」 「さっきのこと、内緒にしておいてくれないか?蛙の化け物のこと、絶対に誰にも言わないでほしい」 「なんだ自慢しないのか?俺だったらみんなに言いふらしたくなるけどな」 「いいから、誰にも言うな!」  サギトは大声を出してしまった。グレアムは驚いた顔をしたが、すぐに真面目な顔をしてうなずいた。 「分かった、誰にも言わない。俺とサギトだけの秘密だな」  サギトは気恥ずかしくなった。こんな大声を出すつもりはなかった。気が動転していた。 「助かる。……大声出して悪かった」  グレアムは微笑した。そしてサギトの頭をくしゃりと撫でた。頭一つ小さいサギトの頭は撫でやすい位置にあるのか、時々グレアムはこういうことをした。 「や、やめろ」 「だってサギトに謝られることなんて、あんまりないからな」 「だからってなんで、人の頭を」 「さらっさらだから」 「意味が分からない……」  でもグレアムに触れられて、悪い気はしなかった。サギトに優しく触れてくれる人間なんて、グレアムしかいない。 『人ではないので、幼少時に殺してしまうのが望ましい』  あの一文がサギトの心を突き刺した。あれを読んだら、グレアムはどう思うだろう。  サギトが百年に一度生まれる、人ならざる存在なのだと知ったら。  サギトはたった一つの優しい手を失ってしまうのだろうか。  サギトは悲しい気持ちになって、グレアムから身を離した。 「じゃあ俺、もう行くから」 「お?おう」  ちょっと不思議そうな顔をするグレアムに背を向けて、サギトは図書室を後にした。 ◇ ◇ ◇

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