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第17話 来客
どうやってグレアムを殺そうか。
帝国の妖術使いにグレアム殺害依頼を受けた翌日。一階の店舗スペースの奥にある部屋で、サギトは机に向かって思考を巡らせていた。
時間はなかった。グレアムは今、一時の休暇として王都にいるだけで、すぐに国境へ戻るだろう。王都にいる間に、つまり今すぐにでも殺さなければならない。
妖術使いが言った通り、旧友であることを最大限利用して油断させて殺すのが一番確実ではあるだろう。口実をつけ、人気のない所に誘い出す。どうやって?手紙でも書くか。足がつくが、どうせムジャヒールに高飛びをするのだから構わない。
その時、店舗の方からドアベルの音がした。サギトは思考を中断される。また一人、紫眼の店と知らず入ってしまったうっかり屋が来たか、と思いながら、席を立った。店舗スペースへの扉を開ける。
グレアムが、物色するように商品を手にとって眺めていた。
サギトはびくりと肩を揺らす。そんな自分が情けなかった。何をびくついているんだ。
また来たのか。そういえばまた来ると言っていた。
サギトは緊張する自分を叱咤する。
恐れるな、相手はただのターゲットだ。今まで数多 殺してきた、その中の一人となるだけの男だ。手紙を書かずとも向こうから来た、ちょうどいいと思わねば。
サギトは冷静を装い声を掛けた。
「何の用だ」
グレアムは、あっと顔をあげた。慌てた様子で。昨日来た時よりずいぶん、落ち着きがない。
「あ、ええと。……そ、そうだ買い物をしよう。これをくれ!」
言って、手にした小瓶を掲げて見せた。
サギトはそれを一瞥して、眉根を寄せた。尋ねる。
「それがなんだか分かってるのか?」
それは、調合が簡単でそれなりに安定需要があるのでどこの薬屋にも置いてある品物だ。だがこの男に必要なものとも思えなかった。グレアムはカウンターに近づきながら、小瓶に書かれた説明を読んだ。
「男性同士の性交時に使う潤滑剤。って書いてあるな」
そしてカウンターにとんと置き、こともなげに言う。
「いくらだ?」
サギトは舌打ちをしながらカウンターの内側に入った。「とりあえず何か買う」といういらぬ気遣いを見せるならば、せめて己に必要なものを買え、と思った。不要なものを適当に買って、それで気遣いになるとでも思っているのか。施しを受けているようでかえって傷つくのが分からないのか。
あるいは分かってて、やっているのか?
「これは惨めなお前への施しだぞ」とあからさまに示して、傷つけるために。
込み上げて来た苛立ちを懸命に抑えながら、値段を告げた。
「三百マルツだ」
グレアムはぴったりの代金をカウンターに置いた。サギトは仏頂面でそれをレジにしまう。サギトの仏頂面をどう解釈したのか、グレアムがなにやら言い訳がましいことを言って来た。
「あっ、た、他意はないぞ!これは別にそういうアピールとかではない、だから警戒しないで欲しい、って言っても無理か。そ、そうだなちょっとお前からこれを買うのは色々まずかったかな。いつか……という気持ちがないと言えば嘘になるが、別にそのいつかが来なくたって想像で夢膨らむ、そのための買い物というか。使用のためというよりその夢のためにある意味観賞用として。すまん、俺、妙なこと言ってるか?警戒しないでくれと言いたいだけなんだこれは」
サギトは口をぽかんと開けた。
支離滅裂とはこのことか。何を言っているのか、一文字も理解できなかった。
ただ、言い訳をする必死な様子に、毒気を抜かれたのは確かだ。意味不明な言い訳ではあったが。
ただのいらぬ気遣いであって、サギトを傷つけてやろうという悪意まではないということか?
とりあえず信じよう。
サギトはため息をつきながら言う。
「で、本題はなんだ」
「本題は、二つある。ひとつは、謝りたくてきた」
「は?」
「昨日は本当にひどいことをした。久しぶりなのに馴れ馴れし過ぎた。俺は八年前と変らないつもりでいたが、もうお互いに大人なんだから、ちゃんと分別をつけるべきだった」
グレアムはそこで言葉を切って、心苦しそうにサギトを見下ろす。
「いきなりキスなんてされて……怖かったんだよな」
サギトは意表をつかれて当惑する。
「えっ……。こ、怖いとかではなく……」
「あ、き、気持ち悪かった……か?気持ち悪かった?」
「えっ」
「そそ、そうだよな気持ち悪かったよな!そりゃそうだよな!ほんとに俺は最悪なことをした!もうベタベタ気持ち悪いことしないから!」
「はあ」
「とにかく悪かった!すまん!」
そして頭を下げられた。
サギトは困惑する。まさかアレを謝られるとは思わなかった。
馴れ馴れし過ぎた?八年前と変らないつもりだった?
サギトは怖いとか気持ち悪いとかではなく、馬鹿にされ、侮辱されたと思って、深く傷ついたわけだが。
アレはサギトへの侮辱ではなかった、ということなのか?
「……」
我知らず、胸のあたりをキュッと握った。妙な感覚が込み上げてくる。
サギトは、謝られて喜びそうになっている自分に気づいた。
焦った。駄目だ、いまさらだ。もうそんなことはどうでもいい。
「もういい、別に、気にしてない」
そうアレはもうどうでもいいことだ。
とにかくサギトは、グレアムを殺すと決めたのだから。
グレアムを殺して、超大国である帝国の宮廷魔道士となる。こんな生活とおさらばして高みへと昇るのだ。
「ほんとか!」
「ああ。別に、気持ち悪くは……なかった」
サギトが傷ついた理由は、そういう生理的なものではなく、もっと情緒的な理由であって。
グレアムが、ぱあっと顔を輝かせた。
「サギト……!大丈夫だそんな気を遣ってくれなくても!ああでも、俺今すげえ救われた!」
グレアムはバッと両腕を広げて前のめりになった。と思ったら、ピタと止まった。広げた両腕を下げてぐっと拳を握り、
「す、すまん、ハグもまだ早い、よな……。段階、分別、一歩づつ」
何をぶつぶつ言ってるんだこいつは、とサギトは眉をひそめる。
「あ、あと本題のもうひとつ!」
「なんだ」
「護国騎士団に入ってくれ」
「……は?」
「だから、俺は護国騎士団長なんだ。自分の騎士団の団員を自由に選べる。お前に俺の騎士団に入ってほしい」
サギトは軽いパニックに襲われそうになる。その思考回路が全く理解できなかった。なんで俺を?こいつは一体何を考えているんだ?
「貴様の部下になれだと……?」
「部下じゃない、仲間だ!あ、いや確かに形式上は部下になるけど……。お前、宮廷魔道士になりたいって言ってたじゃないか、城勤めは憧れるって」
かっとした。一気に頭に血が上った。城勤めに憧れていたから?
図星だからこそ、神経を逆撫でした。
「なんだそれは、哀れみのつもりか!施しなんていらない!誰が貴様の部下になんか!」
「そんなんじゃない!だってお前はすごい魔力を持ってるだろ。今この国は、俺がお前にもらった魔力のおかげで持ちこたえている。さらにお前が入団してくれたらこれ程心強いことはない。俺にその力を貸してほしい」
「つっ……」
サギトは奥歯を噛み締めた。
(なんだそれは、いまさら何を)
(俺のことを危険だからと殺そうとしたお前が、今頃、俺の力を利用したいだと?)
(それはあまりにも、虫がよすぎるんじゃないのか?)
サギトは声を荒げた。
「あいにく俺には、俺を見捨てたこの国への愛国心なんて欠片もない!俺を蔑むこの国の連中の為に命を張る仕事なんてできるか!なんで俺があいつらを守らないといけないんだ!」
グレアムは、はっとしたように目を見張る。気まずそうに目を伏せ、うつむいた。
前にも似たようなことがあったな、とサギトは沸騰した頭の隅で考えた。サギトはまた思い知る。忌人とそうでない人間の間には、どうしようもないくらい深い溝が刻まれてるのだと。
もういい、殺してしまおうと思った。今この場で殺してしまおう。
歴戦の魔道剣士。手強すぎる相手だ。失敗は許されない。警戒されたら二度と勝機はやってこない。確実に、最初の一手で仕留めねば。
サギトはカウンターの中から出て、うつむくグレアムにすっと近づいた。どうやって殺すべきか、一番確実な方法はなんだ……。
その時、またドアベルが鳴る。
サギトもグレアムもびくりとして、戸口に振り向いた。
異様に背の低い男が入ってきた。
「おっ、珍しい。客がいんのかい」
黒尽くめの服を着て黒い革鞄を下げた小男は、そう言って帽子を脱ぐ。
子供のように背が低いが、顔は中年男性そのものだ。
そして耳がとんがっている。
「フォスターさん……」
この店の唯一の固定客だ。月に一回訪れる商人。忌人の一種、「尖り耳」だ。尖り耳は古のこびと族の末裔らしく、皆一様に背が低い。
フォスターの本業は麻薬の売人という噂だが、普通の薬品の知識も豊富で、格安で売っているこの店の希少薬をまとめ買いしていく。きっと何倍、いや何十倍もの値でどこかで売りさばいていることだろう。まあそれでもありがたい客である。
フォスターは帽子を胸の前に持った。
「いや邪魔して悪いね、待ってるよ。先客優先してくれ」
グレアムはばつが悪そうに首を振った。
「あ、いや、大丈夫です。俺はこれで失礼します」
グレアムは会釈して踵を返す。ドアに手をかけ、一瞬、こちらに振り向きそうなそぶりを見せたが、ためらい、やめる。
そのままドアを押し開け、出て行った。
(殺し損ねた)
サギトは舌打ちをした。
つい感情的になったことを反省した。もっと愛想を振りまき機嫌をとって、長く引き止めるべきだったのに。
こんなんじゃ駄目だ、これは仕事だ。冷静に、落ち着いて。
サギトはクソっと思いながら、大きなチャンスを自ら潰してしまった自分に言い聞かせる。
次こそはちゃんと、殺せと。
◇ ◇ ◇
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