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第16話 反省会
背の高い本棚が壁を埋める、大きな書斎。
焦げ茶色の立派なデスクに、グレアムは突っ伏していた。
「失敗した……」
一人つぶやいたここは、王城付近にある、グレアム護国騎士団の兵舎施設。そこにある騎士団長の執務室である。
護国騎士団長になると、兵舎と訓練場付きの敷地を貸与される。団員は皆、この兵舎で共同生活をし鍛錬に励む。
「なんで俺は、はあ……」
またひとりごとを言った騎士団長は、気落ちした様子で頭をかきむしる。
先刻、幼馴染のサギトと八年ぶりの再会を果たしたのに大失態を犯してしまった事を悔いていた。
グレアムは、サギトに会えなかったこの八年に思いを馳せる。
八年前、士官学校入学試験に合格した日以来、グレアムは孤児院に一度も戻っていない。
当初は一旦荷物など取りに戻ると聞かされていたが、手間を省かれる形で、そのまま士官学校の寮生活が始まってしまった。特に入り用な荷物もなかったこともあり。
想像を絶する厳しい修練と管理生活の日々が開始された。ついて行くのにただただ必死だった。そして学校を卒業すれば、選抜騎士としていきなり戦場に送り込まれる。
それでもグレアムはずっとサギトのことを気にかけていた。
士官学校に入学して一年目、やっと通信の自由を得た時は真っ先に孤児院に手紙を送り、サギトのことを尋ねた。
返信には、サギトが挨拶もせず孤児院を出て行ってしまったこと、その行方は誰も知らないということだけ書かれていた。
試験の日のあるやり取りを、グレアムは覚えている。
実技試験でグレアムは魔術を披露した。その絶大な威力は、試験官たちを驚嘆させた。
だが試験官たちはやや複雑な表情で、互いに何やら話し合っていた。
やがて試験官の一人が、グレアムに問いかけた。
「君の力、素晴らしいが邪悪なオーラを感じる。一体どこでそれを習得した?」
別の試験官、肥えた赤毛の男がそれに付け加えた。
「もしかして他人から……紫眼から譲り受けたんじゃないかね?」
グレアムは焦った。慌てて言い繕った。
「いえ、違います!自然に、ある日突然、魔力に目覚めました!」
「本当に?」
「はい!あの、俺の力が邪悪だから不合格、ですか?」
最初に「邪悪なオーラを感じる」と発言した試験官は首を横に振った。
「いいや、今は力の聖邪にこだわっている時期ではない。正直、多少いかがわしくてもいいんだ。帝国から国を守らねばならない」
グレアムはその返答に力強くうなずいた。
「俺もそう思います!目には目をと言います。相手が邪教帝国なのですから、祖国防衛のためには邪悪な力でも利用するべきです。そして士官学校は、人種に関わらず広く門戸を開くべきです!」
試験官達が失笑する。
「なんで急に人種の話に?まだ学生にもなってないのに、士官学校の運営でも始める気かい?」
グレアムは恐縮して頭を下げる。
「すみません、出過ぎた発言をしました。ただそのほうが我がランバルト王国は必ず、強くなると思います」
これらの応答は、試験官達に好印象を与えたようだった。
「ははは、君は持ってる魔力は邪悪だが、性格は実に明朗なようだし、国のことを考える姿勢もいい。気に入ったよ」
そして晴れて、合格となった。
この後、試験を終えて控え室で待たされていたグレアムの元に、試験官の一人がやってきた。赤い癖毛を肩まで伸ばした肥えた男だった。てっぺんは禿げている。試験中に「紫眼から譲り受けたんじゃないかね?」とグレアムに尋ねた男だ。
赤毛の男は、ちょっと、とグレアムを人気のないところに連れて行った。そしてこう聞いてきた。
「君の友人に紫眼はいるか?」
グレアムは顔を引きつらせた。
「なぜそんなことを聞くんですか?」
「いるんじゃないのかね」
「いません!」
赤毛の男は考える顔つきをした。そして、
「……私はね、優秀な人材が埋もれてはいけないと思っている。紫眼だろうと魔人だろうと、強力な力を持つ若者がいるなら、国のために働いてもらうべきだ。君はそうは思わないか?」
グレアムは驚き目を見開いた。
「はい!そう思います!」
男は満足そうに微笑んだ。
「もし君の友人が魔人でも、いや魔人であればこそ、その大きな力を国のために役立てたい。士官学校に入れたいんだ」
グレアムは感動した。やはりこういう風に考える人もいるじゃないか、と。
グレアムはサギトのことを赤毛の男に教え、こう言った。
「サギトが魔人です。あいつのことはお任せします。あいつは危険な奴なんかじゃない、誰よりも優しい奴です。そして素晴らしい力を持っている。必ず国のためになります」
赤毛の男は笑みを浮かべ、うんうんと頷いた。
だがその直後、赤毛の試験官は謎の失踪をしてしまう。
ということは、サギトを士官学校に入れるという話も立ち消えか、とグレアムは残念に思った。
グレアムはやがて学校を卒業し、年間のほとんどをムジャヒールとの国境付近で過ごす日々を送るようになる。
騎士として武功を重ねた彼は、発言権を得ていった。そして事あるごとに王や大臣たちに、士官への門戸を紫眼ら忌人にも開くべきだと主張した。
その主張の過程で自分の力が魔人の力を持つ紫眼から受け継いだものであることも告白し、いかに国にとって有用かも力説した。
だが何を言っても、のらりくらりとかわされた。
グレアムの上官であるさる将軍とは、こんな会話をした。
「忌人の採用についてはまあ考えておくから」
「いつまで考え続けているんですか!忌人はみな古代の異種族の末裔です。だからこそ普通の人間にはない特殊な能力を発揮できる人材が埋もれている。現に私の友人の紫眼だって」
「またその話か。しかしその友人の行方は知れないのだろう?とにかく君の力が魔人の力だなんて国民には言わないほうがいいんだから、あまりその話はするな。君は戦いに集中してくれ」
まるで臭いものに蓋をするがごとく、なあなあにされた。
苛立ちながらもグレアムは、護国騎士団長を目指して必死に戦場で成果を積んだ。
護国騎士団の団長には、団員を自由に決める権限が与えられていた。
団長は身分職業問わず、自らが団員にふさわしいと認めた人物を団員に加えることができる。
護国騎士団長にスカウトされる、というのはいわば騎士になるための最短ルートでもあった。
つまり護国騎士団長になれば、サギトを団員にできる。たとえ忌人だろうと、自分の騎士団に入れるのだから文句は言わせまい。
そうして三年前、グレアムは護国騎士団長となった。
ただ肝心のサギト本人の行方は知れないまま、侵略の防波堤として忙殺される日々が過ぎて行った。
だがついにサギトを見つけた。
なのに、自分ときたら。
執務室のドアにノックの音があり、開けられた。
分厚い書類を持った副長のノエルが入ってきた。
美人副長は、団長の突っ伏しっぷりを見て、眉をあげる。
「いかがいたしました?」
グレアムはノエルの声に顔を上げた。そのどんより沈んだ顔を。
「スカウト失敗」
ノエルは肩をすくめながら歩み寄る。
「おや、まあ。例のあの方ですよね?ついに見つけたってあんな喜び勇んで向かったのに撃沈ですか。今は何をされてる方なんですか」
「薬屋をやってた」
「へえ」
「追い返された……」
ため息交じりに呟くグレアム。ノエルの眼光が鋭く光った。グレアムは嫌な予感がした。こいつはすごく、勘がいい。
「随分、落ち込み方が激しいですねえ」
「う?そ、そうか?」
「何したんです?」
グレアムは気まずく目をそらした。
「いや、別に、何も」
勘のいい副長は、有無を言わせぬ口調で畳み掛ける。
「何、したんです?」
グレアムは観念した。
「キスを……」
「まさか、口にとか言いませんよね?」
「……口に」
ノエルは目をつぶって額を抑えた。
「で?」
「帰れって言われた」
「でしょうねえ……。何してんですか貴方は、ただの変態じゃないですか」
「だ、だって俺たちの仲は!普通にちんこをしごきあってたんだぞ!」
「そんな青春の一ページ語られても困りますよ」
「いやそういう感じじゃない、もっと淫靡でエロエロで俺たちは完全に恋人同士だった!」
グレアムは断固とした口調で主張した。
「お相手はそう思ってなかったんじゃないですか?」
「あんなにエロいことをいっぱいしたのに!?あそこまでやって恋人じゃなかったとかあり得るのか!?俺とサギトが恋人同士じゃないなんて知らなかった!知らなかったぞ!」
「声が大きいですよ、落ち着いてください。若気の至りって言葉があるじゃないですか。今はお互いにいい大人でしょう?八年ぶりの再会でいきなり友達の口にキスしてくる男って、そりゃ変態ですよ。気持ち悪いったら」
「友達じゃなくて恋人だ!あとさらっと『気持ち悪い』やめろ、ものすごい傷付く!」
言い訳をさせてもらえば、有頂天になってしまった。
サギトが八年間、誰のものにもなっていなかったという事実が嬉しすぎて。
この八年で、サギトはますます美しくなっていた。
透き通る紫の大きな瞳。さらさらの黒髪にぬけるような白い肌。少年期特有の中性的雰囲気をいまだに宿すその容姿は、まるで妖精のようだった。そういえば紫眼はあまり年を取らない、という話を聞いたことがある。
八年間夢想し続けたが、実物はその夢想を軽く超えていた。子供の頃はひたすらに純真可憐だったが、それにひと匙、妖艶な影を付け加えたような。いわく言いがたい情念をそそられる美青年へと成長していた。
サギトを間近に見た瞬間、グレアムの心に沸き起こったのは不安と恐れだった。
結婚していたらどうしよう。恋人がいたらどうしよう。こんな美しい青年を、人々が放っておくわけがない。
だから質問攻めにしてしまった。
でも、サギトは誰のものにもならずひっそりと暮らしていた。のみならず、まだ純潔ですらあった。心踊るなと言う方が無理だ。
八年間、ずっと我慢してたんだ。キスくらいしたくなって当然じゃないか。
しかしまさか、あんなに嫌がられるなんて。
ノエルが深々とため息をつく。
「貴方は童貞をこじらせすぎなんですよ」
「恋人に操を立てるのは当然だろう!俺の恋人はサギトなんだから!」
「本当に恋人なんですか?ただのお友達と思ってる相手に勝手に八年も操を立てられたら、重いし怖いし気持ち悪いし……気持ち悪いですよ?」
「お前は気持ち悪いを言い過ぎだ!サギトだってまだ清いままだった!」
「……なんで知ってるんですか」
「さっき質問したから」
ノエルが頬を引きつらせ、毛虫でも見るような目で見てきた。
「最低ですね」
「え……」
「口にキスするわ、そんな質問してくるわ、ありえないです……」
グレアムは目を泳がせた。最低と言われてみれば最低な気がしてきた。深刻な顔でつぶやく。
「もしかして、嫌われてしまっただろうか」
「その確率は99パーセントですね」
「確率高すぎじゃないか!?」
「本当は100パーセントです。貴方が私の上官なので遠慮して99にしました。まあ、本当に元恋人なら、謝れば許してくれるかもしれませんよ」
「謝りに行かねえと!で次こそ騎士団に入って欲しいって話を切りださねえと。ああでもまた二人きりになったら俺は欲望を抑えられるかどうか」
「いやホントの変態ですよ!やめてくださいね、警察沙汰になるような行いだけは!」
「わ、わかった。ちゃんと段階を踏めばいんだろ。そうだよな八年のブランクがあるんだもんな、まず何度か会って徐々に八年の間に開いた距離を縮めて。スキンシップはそれからだよな」
ノエルと話してだんだんと、己の非道を自覚できてきた。
体格だって顔つきだってあの頃とは違う。大きな男に突然キスされ、怖かったのかもしれない。あんな怯えた顔をさせてしまった。自分はひどいことをしてしまったのだ。
「いや目標変わってませんか!?団長に魔力を分け与えてくれた、ものすごーくお強い一騎当千のツワモノだから騎士団に加えたいってお話ですよね?」
「そ、それはもちろんそうだ、嘘じゃないぞ。本当に強いぞ、俺の力なんてあいつからの貰い物なんだから。あいつこそが本物なんだ」
ノエルは顎に手を当て、首を傾げる。
「でも、深窓の令嬢のごとき純真可憐な美少年で、いつも本を読んでいたんですよね。団長は王子として、美少年姫の操を狙う盛りのついた悪童共を毎日成敗したんですよね」
「うん、そうだ」
「蛙一匹の死に傷心するほど善良で繊細な御方で、魔術を使ってやることといえば蝶々とお友達になること」
「そうそう」
「夢精にショックを受け団長に泣きついた時のご様子はエンジェルのごとき愛らしさ。恋人同士の二人は逢瀬を重ね、自慰すら知らなかった清純なエンジェルは、団長の前でだけ淫靡でエロエロな姿を晒した」
「その通り」
「そして美少年姫は永遠の愛の証として、団長に自らの魔力を分け与えた。団長の左手首の血を舐め取る美少年姫は、あたかも初めての口淫をする乙女のごとし。その淫らかつウブな舌使いの感触はいまだに団長のおかずトップ3」
「よく覚えてるな」
「団長からうんざりするほど聞かされましたよ、童貞の妄想……失礼、思い出話を。もちろん話半分に聞いてますが色々しゃべり過ぎなんですよ、お相手のお気持ちを考えて下さい」
「酒が入るとつい語りたくなるんだよなあ」
「はっきり言って最低ですからね、そういう男。でまぁ、いくら絶大な魔力があっても、そんな可憐な方に兵士がつとまりますか?団長の初恋の人なのは分かりますけど、公私混同はいかがなものでしょうか」
グレアムはムッとして抗議の声を上げる。
「そんなことを言うな!」
「おや勘繰り過ぎたでしょうか?それは失礼いたしました」
「初恋なんて言い方じゃ、まるで過去の終わった話みたいじゃないか!俺とサギトの関係を、初恋などという言葉で割り引かないで欲しい!」
「……ちょっと何言ってるのか分からないのですが。とりあえず公私混同の疑いだけが深まりました」
「次は必ず、ここに連れてくる」
グレアムは決意を込めて、ぐっと拳を握りしめた。
「絶対に人の話聞いてませんよね?」
ノエルはため息をつきながら、手に持っていた分厚い書類をデスクに置いた。
「じゃ、各地の戦況報告、明日の軍議までにちゃんと目を通しておいてくださいね」
「おう……」
上の空で答えるグレアムに、呆れたように首を振って、ノエルは部屋を出て行った。
再び一人になったグレアムは、書類に目を通すわけもなく、サギトのことを考えた。
何としてでもサギトを護国騎士団に入れたい。
グレアムはどうしても、サギトを自分のそばに置きたかった。副長に公私混同と言われたが、まあそうかもしれない。恋人同士はそばに居たいと思うのが当然じゃないか。
でもそれだけではない。あの力を薬屋にしておくわけにはいかない。これは国の為でもある。
今、ランバルト王国のみならず聖教圏諸国の全ての命運がグレアム一人に預けられている。
王都で休暇中の今だって、国境付近にはグレアムの、防衛のための魔術が張り巡らされている。たとえば侵入してきた妖獣を一時的に行動停止させる術。停止させている間にグレアムが飛んでいって屠ることができる。百体以上の強力な使い魔も、要所要所に配置し警備に当たらせている。「休暇中」だろうとグレアムの精神の一部は常に、それらの魔術維持のために稼動している。
こんなグレアムが死ねば、聖教圏はムジャヒール帝国にあっさり陥落するだろう。
あまりにも危うい状態だった。
無論サギトにグレアムの過重労働を担わせようとは全く思っていないが、それでも共に戦ってくれれば、どれだけ心強いだろう。
サギトと一緒なら、ムジャヒールとの戦いに終止符を打つことができるかもしれないとすら思えた。
もちろん、サギトの気持ち次第なのだが。
グレアムは己の左手首を見つめた。そこにある二つの赤い膨らみ。サギトの噛み跡。
グレアムはその噛み跡にキスをした。
必ずうんと言わせてみせる、とグレアムは思う。八年のブランクを埋めさえすれば、きっとサギトは自分の元に来てくれる、と。
だって自分達は恋人同士なのだから。
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