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最後の仕事(終)
「うわああああっ!なんなんだお前ら、凶暴すぎるだろう!」
小さな悪魔たちが、嵐のようにグレアムに襲い掛かっていた。
鳩、とも言う。
大量の普通のキジバトが、グレアムが手にした焼き菓子に群がっているのだ。
グレアムは頭の先から足元まで、羽ばたく鳩につかまれ、つつかれ、鳩まみれである。
「だ、大丈夫か……」
サギトの声音はしかし、気遣いより笑いに震えていた。
ここは王立公園内、木立にかこまれた広場である。午後四時過ぎの日差しはまだ暖かくそよぐ風は涼やか。人出はまばら。
二人とも今は騎士服ではなく普段着なので、目立つ心配もなく気楽にしていられた。さすがの「グレアム様」も普段着だと本人と気づかれないようだった。
居心地のいい空間だった。
目の前の大惨事はともかく。
サギトも鳩に焼き菓子を与えていたが、こちらの鳩たちはお行儀よく、しゃがむサギトの手のひらをつついていた。
しかもサギトのほうにいるのは何故か全部、孔雀鳩ばかりだった。全身が真っ白で扇のような尾が美しい。
一羽、サギトの肩にちょこんととまっている。暴れて羽ばたかないし、サギトに甘えて懐いているような、ほほえましい光景である。
グレアムが歯軋りしながら言う。
「くっ……可愛い……天使かよ……。でもずるい……違いすぎる……」
「ん?」
「さ、さては術使ってるなサギト!」
「使ってない、わかるだろう」
「じゃあなんで俺はこんな悲惨な状態でしかも普通の鳩ばっかり寄ってくるんだ!」
「さあなあ」
「もうあっち行け!もう餌はないってば!サギトばっかりずるい!」
グレアムは手を振り回してしっしと鳩を追い払う。
「子供かお前は」
しゃがんだままグレアムの顔を見上げ、サギトは吹き出す。
むすっとした顔のグレアムの頭にとまる、三羽のキジバト。
その姿が妙におかしく、サギトは声を立てて笑い出してしまう。
「あはっ、あははははは」
体を折って、腕で腹をかかえて笑った。笑って腹筋が痛い、という経験を久しぶりにした。子供の頃以来かもしれない。
ようやく笑いがおさまり、笑いすぎて濡れてしまった目元をぬぐいながらグレアムを見ると、惚けたようにサギトを見つめていた。
もう鳩からは解放されていた。鳩たちは餌のなくなったグレアムをようやく見限ってくれたようだ。
「悪い、笑いすぎた。いなくなってよかったな鳩」
謝りながらも、まだ声が笑ってしまっている。
グレアムがいきなり、そんなサギトの目の前にしゃがみこんで、両手をぎゅっと握った。真剣な目でサギトを見てつぶやく。
「よくやった鳩……。俺は鳩の仕事を褒めたい……。お前達は大いなる偉業を達成した……」
「な、なんだ」
「路上ではだめかもしれないが、公園では許されるはずだ。……デートだから」
「なんの話だ?」
グレアムが、どきりとするほど優しい目をした。その顔が傾き、近づいてくる。
サギトは思わず目をつむった。
唇に唇が触れる。
その瞬間、鳩たちが一斉に飛び立った。羽ばたきのカーテンが二人の行為を隠してくれる。
グレアムの温かい唇がサギトの唇を柔らかく食み、濡らされる。
グレアムの顔が離れ、サギトを見つめた。
深いキスではないのに、サギトはとてもドキドキした。
グレアムも照れたように微笑む。
「……デートって、楽しいな」
そうか、デートだからドキドキするのか。
サギトはこくりとうなずいた。
「すごく楽しい……」
サギトが頬を赤らめながらそう言うと、グレアムは心からうれしそうに破顔した。サギトの額にまた唇を落とし、手を取って立たせた。
「じゃあ次はボートな!」
「あれもやるのか。あんなの面白いのか?」
「面白いに決まってるさ、前からずっとやってみたかったんだ!」
「そ、そうなのか……。でもニシキゴイを操作するのはやめろ、可哀相だ」
「サギトは優しいなぁ」
今まで一度も言われたことがないような言葉に、サギトは視線を流して髪をかき上げる。
「別に、普通だ……」
そんなサギトの仕草ににやけると、グレアムはサギトの手を握った。二人の五指を絡めて。
そのまま池のほうに歩き出す。サギトは繋がる手を見ながら、ずっと気になっていたことを尋ねる。
「なあ、なんでこんな妙な繋ぎ方なんだ」
「恋人繋ぎだ。デートだからな」
「恋人……」
「……」
サギトは何気なくその単語を繰り返しただけだが、グレアムが急に無言になった。
ん?と思って見上げると、グレアムは心の傷に触れられたような、哀切な瞳をしていた。
「なんだ、どうした」
「……さすがに、もう……」
「ん?」
「さすがに俺達、今は……」
「な、なんだ」
「こい……びと、だよな?」
「えっ」
考えたことがなかったことを聞かれてサギトは面食らう。
コイビト。
サギトの今までの人生で、その単語はまったく無縁で他人事の概念すぎた。
恋人というのは、結婚前の男女が仲睦まじく過ごす期間の関係のことだろう。結婚をしたら夫婦で、結婚前が恋人だ。ともかくそれは男女間の関係のことのはずだ。
うーん、と頭を捻ってからまたグレアムの顔を見上げると、グレアムは目に涙をためていた。
(ええっ)
サギトは焦り、思わず大きな声で言った。
「こっ、恋人だ!俺達はそうだ、恋人だ!」
「……ほんとか?」
口を山なりにさせて目を潤ませているグレアムに、サギトはうんうんと何度も首を縦に振った。
グレアムはほっとしたように大きく息を吐くと、ニコっと笑った。
「だよな!」
サギトもほっと胸をなでおろす。
よく分からないがグレアムはその単語に非常にこだわっているようだ。下手なことを言って傷つけないようにしよう、と思った。
「じゃあ、ボートが終わったら見晴らしの丘のレストランでケーキを食べような。遅い昼飯はさっき屋敷で食っちまったからな。でケーキを食べたら、王立珍獣園な。ユニコーンとかいるぞ。夜はフェニックスの炎が綺麗らしい」
「まだ遊ぶ気なのか!明日、国境に出立なのに早く帰らなくていいのか?睡眠だってちゃんと取ってないのに」
「大丈夫、眠くなったら寝ていいからな。俺がおんぶして帰ってやる。サギトの寝顔は赤ちゃんの百倍かわいい」
「あ、赤ちゃんに謝れ……。グレアムのほうが俺より寝てないだろう、お前こそ大丈夫なのか」
そこでグレアムが前を見ておっ、と声を上げた。
「ついたぞ、池!蓮の葉がいい感じじゃないか、絵になるなー。ボート乗り場はあっちだな。何色のボートがいい?」
「おい……」
足早になるグレアムに歩調を合わせながら、もう知らん、とサギトは諦める。
しかし元気な男だ。どこからその元気は出るんだ、と考えるとなぜかまた笑いがこみ上げてきて必死にこらえた。今日はどうも笑い上戸になっている。
そういえばグレアムがこの二日間休憩を自分の記念日にする、決して忘れない、と言っていたが。
サギトにとっても忘れられない日になりそうだった。大切な記念日に。
(とんでもない『デート』だったな)
サギトは微笑みながら、「恋人繋ぎ」でしっかり絡まる手の温もりに感じ入る。ただ手を繋いでいるだけで、なぜ心の奥深くまで温もりが染み渡るのだろう。
繋いだこの手の中に、自分の全てがあるような気がした。
――番外編「最後の仕事」、完――
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