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昔話に、雪が降る。

 ふたり並んで小さなテーブルの前に座る。このテーブルも、今座っているふたりがけの小さなソファも、視界に映るもの全てが(のどか)と住むことになって調達した新品だった。 「窓の外見たか?」 「もちろん見た見た! 雪降り始めたねぇ、冬が来るねぇ」 「何をそんなに嬉しそうにしてんだよ、俺たちは大人だぞ? 大家さんに雪かきしてもらってばっかりじゃまずいだろ」  勢いよくこっちを向いた和は、むっと頬を膨らませていた。三十四にもなってよくこんなあざとい真似ができるな。とは思うが、俺がこんな和に弱いのも事実だった。 「まだまだそんなに降ってませーん! 雪合戦すらできませーん!」  雪合戦できるならだいぶ降ってるし大家さんも出動するだろ……口には出さないが、心の中で少しだけ反論する。 「でもさ、雪が降ると思い出すねえ」 「去年のこのくらいの、アレ、な」 「やめてよ、おれのことバカにしてる?」 「してるしてる」 「それ逆じゃない?」  あの日もこんな風にちらちらと雪が舞っていたのを覚えている。  俺は社会人四年目になる直前で、いつも通りクソ遅い時間まで残業させられていた。  しかしそれまでとは違って、帰宅後の楽しみが生まれた頃だった。それが和の存在だ。出会ってすぐプロポーズ(まが)いのセリフを吐いたものの、それからしばらくは俺の家に度々やって来るくらいで、一緒に住むなんてことはしていなかった。 「でもあれは本当にびっくりした。だってお前定時で帰ってくると思ってその時間から待ってたんだろ?」 「仕方ないじゃん、おれひめちゃんの職場のこと全然知らなかったんだから」  日付が変わって数時間、会社から出てすぐのところに、マフラーもせず手袋もしていない、冬コートを羽織っただけの男がいた。いつもは結っている色素の薄い長髪を、寒いからかおろしていた。 「佐瀬(させ)さん、いつからそこで待ってた!? とかって慌ててるひめちゃん面白かったなぁ」 「あれは笑いごとじゃなかったんだよ、凍えて死んじゃうかと思って焦ったんだからな……ていうか、俺もバカにされてるじゃん」  そういえばその頃はまだ距離があったからか、俺は和のことを「佐瀬さん」だなんて、他人行儀な呼び方をしていた。対する和も「姫川(ひめかわ)くん」だったが。今じゃもう「ひめちゃん」呼びに慣れてしまっているから、何となく喉がかゆくなる。 「まあ、確かにめちゃくちゃ寒かったし、爪先の感覚はもうなくなってたんだけど――」 「いやいやいや、その時点で早く帰ってくれよ」 「えー? でもさ、ここまで来たらひめちゃんに会いたいなぁ、って思っちゃったんだよね」  和の大きな手が俺の手に重ねられる。すらっと伸びたその指は雪のように白く、冬の冷たさを持っている。俺は優しく包み返した。 「ねね、ひめちゃんは覚えてる? おれにこうしてくれたでしょ? 本当にあったかくて、優しくて、やっぱり好きだなぁって思ったんだ」  ――優しいね、姫川くんは。  和はそう言った。優しくしなくちゃ、なんて一ミリも思わなかった。目の前で好きな人が凍えていたんだ、ああするのが正解だと、そう思うよりも前に動いていた。  あのときは必死で気付かなかったが和は「姫川くん()」と言ったのだった。それを意味するところは当時じゃわからなかったし、何なら、今でもハッキリとはわかっていない。 「でさ、それで怒ったんだよねひめちゃん」 「怒ったっけ?」 「お前に風邪ひかれると困るんだよって」 「……確かに言った覚えはあるな」 「一緒に住むんだからな! ってね? それでその日からおれはひめちゃんの家に転がり込んだんだよね」  和は、満面の笑みで間違った記憶を披露している。俺はそんなことまで言った記憶はないし、正しくはもう少し前から同じ屋根の下だったはずだ。そんなに昔の話でもないのに、どうしてこうも記憶は食い違うのか。思うだけで言わないことにする。  深夜、静かに雪が降る中、俺たちはふたり並んで歩く。鼻の頭を真っ赤に染めて、それでも嬉しそうに笑う和が愛おしかった。全ての音が雪に吸収されていっているのに、和の声だけははっきりと耳の中に響いた。こいつの存在はそれだけ、俺の中で大きくなっていた。 「ほら、ひめちゃんめちゃくちゃ下向きながらポッケに手突っ込んで歩く癖があるでしょ? だからちょっとくらい良いかなって」 「何が、ちょっとくらい良いかなって、だよ」  和の手はいつも冷たい。冬ともなると、雪と同じくらいの温度になる。それなのにこいつは、俺の温かいオアシスであるコートのポケットに勝手に入って来やがった訳だ。夏場、冷たいペットボトルを頬につけられるのとは、全くもって訳が違う。  ――いいでしょ? 寒いんだもん。  正直、残業終わりでしんどかったメンタルが救われていたのは事実だった。外に出たら愛すべき恋人――本人には絶対に言ってやらないけどな――がいたんだ、それだけでも嬉しかったのにいつも通りのかわいいことまでするもんだから、俺は降伏せざるを得なくなる。 「ふふ、そんなこともあったね、懐かしいねぇ……」 「昔話かよ」  和は腕を伸ばして、テーブルの上に置いたスノードームをもう一度くるっと回して、その世界に雪を降らせた。俺が昼頃に起きたときにはもうそいつはいたが、そういえば昨夜は「明日の朝はお買い物に行ってくるから」とか何とか、楽しそうに準備をしていた気がする。 「今年のクリスマスは一緒に過ごせそうだね、サンタさん何かくれるかなぁ」 「俺の方を見て言うな」  ドームの中の雪が降り止むと、窓の外の雪も、静かに降るのをやめていた。 お題:スノードーム/二人きり

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