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一生分のしあわせ 11

 大浴場のシャワーで体を流してから露天風呂に行くと、僕たち以外は誰もいなかった。昨日は見えなかった景色が、朝霧の中から見える。キンと冷えた冬の朝の空気と、お湯の温かさがちょうどよく混ざり、体の疲れが癒やされていくような心地がした。  悠里に寄り添うように湯船に浸かっていると、左から悠里のためらいがちな声が聞こえた。 「ねえ、健人さん」 「はい。なんですか」 「好き。……だけじゃ、なくて……あの。えっと。あ、あい……あいっ……」  悠里がぱくぱくと口を動かした。  ――あい? もしかして、「愛してる」って言おうとしてる?  悠里が顔を真っ赤に染めて目を泳がせている。僕のために言い慣れない言葉を紡ごうとしてくれる姿を見て、胸が熱くなった。自然と頬が緩んでいく。 「あ、愛っ……ごめん、うまく言えない。なんで言えないんだろ。言いたいのに……」  悠里が涙目になってしまった。僕は悠里の頭をそっとなでて、その顔を見つめた。 「大丈夫。ゆっくりでいいですよ。待ってます」  自分の声がとろけきっていることを恥ずかしく思ったが、悠里は気づいていないみたいだった。よっぽど余裕がないのだろう。僕のためにそこまでしてくれるなんて。すごく愛おしくて、お湯の中で手を絡ませた。悠里がそれにこたえるように、強く握り返してくれる。  悠里は数回深呼吸をすると、僕の目をじっと見つめた。そしてついに一息で言った。 「愛してる。一生そばにいて」 「はい。もちろんです。一生――いいえ、あの世、そして来世だって、ずっとそばにいます」  即座に言葉を返す。悠里がほっとしたように、へにゃっと笑った。  好きだ。こんな風に真っ直ぐ想いを伝えてくれるところも、僕にこたえようといつも一生懸命なところも、僕に愛をくれるところも。悠里のことを好きでいられることが、悠里が僕を好きでいてくれることが、とてつもなく嬉しい。 「悠里」  名前を呼ぶ。悠里の表情が引き締まった。何を言われるのかと身構えている様子だ。微笑んでみせると、悠里の顔つきも和らいだ。そのまま見つめ合う。悠里の目をのぞき込みながら、口をはっきり動かした。 「愛してる」  湯気に隠れるようにしてキスをした。僕は今年の誕生日を一生覚えていようと思った。僕の誕生日は、これからも毎年やってくるが、「悠里が初めて祝ってくれた誕生日」という価値が付加されるのは今回だけだ。この思い出さえあれば、僕は一生「幸せ」でいられる。そう信じられるくらい、特別な誕生日だった。 (「一生分のしあわせ」了)

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