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03

 一番ケ瀬とともに、やつの部屋まで戻ってきた俺はそのまま一番ケ瀬に言われるがままベッドに寝かされる。 「おい、大袈裟だって」 「大袈裟なわけあるかよ。……無理して連れ出したのも俺だ」 「悪い」と一言、ぽつりと呟く一番ケ瀬に、俺はどんな顔をすればいいのか分からなかった。  こいつに変な気を遣わせたくない。八雲のことを言えば早いと分かっていたが、これ以上余計な心配をさせたくない気持ちが強かった。  そして、情けないところを見せたくないという余計なプライドが邪魔をする。 「…………別に、お前のせいじゃない」 「十鳥」 「けど、お前の言うとおりにする。……疲れてるかもしれないし、もう少し休ませてもらう」  そう言えば、少しだけ一番ケ瀬がほっとしたような顔をした――気がした。 「ああ、それがいいよ」と一番ケ瀬は俺の身体に布団を乗せる。そこまでしなくてもいい、とわざわざ突っ込む気にもなれなくて、されるがまま俺はごろんと寝転がった。 「薬とか、欲しいもんあったら言えよ。俺、隣にいるからさ」 「ん、ああ……」 「……おやすみ、十鳥」  軽く布団越しに身体を撫でられ、少しだけびっくりした。しかしすぐに一番ケ瀬は離れ、宣言通り寝室を後にしたのだ。  八雲の本性、一番ケ瀬にも言った方がいいとは分かっていた。けれど、正直な話、あの男は学年も違えば階級も違う。生徒会室に近付かなければ関わらなくて済むだろう。  今回はタイミングが悪かっただけだ。忘れよう。  そう半ば無理やり自分を落ち着かせながら、俺は目を瞑った。疲れていることには違いないが、今日一日寝てばかりだ。すぐに眠れるはずもなく、暫く俺はベッドに横になって目を瞑るという行為をするはめになる。  どれくらい経っただろうか。眠れないまま何度か寝返りを打っていたとき、一番ケ瀬がいるはずの隣の部屋から一番ケ瀬の声が聞こえてきた。  ……誰かと電話しているのだろうか。  盗み聞きするのは嫌だったので、俺は更に深くシーツを被って頭ごと耳を塞いだ。けれど、完全に遮断することはできない。  内容までははっきりと認識することはできなかったが、なんだか一番ケ瀬の声のトーンが落ちてるようだ。もしかして、隣で寝てる俺を気遣ってるのだろうか。  少しだけ怒ってるようにも聞こえたが、気のせいだろう。  そう結論付け、俺はそのまま胎児のように膝を抱えたまま眠りについた。  ◆ ◆ ◆  どれほど眠っていたのだろう。気付けばまだ窓の外は暗かった。  サイドボードに置いたままだった携帯を確認すれば、まだ食堂から帰ってきて三時間ほどしか経っていない。  しまった、変な時間に目を覚ましてしまったな。  なんて思いながら身体を起こす。節々の関節が痛い。一番ケ瀬は隣の部屋にいるのだろうか、なんて思いながら俺は鉛のように重い身体を引き摺って一番ケ瀬の元へと向かった。  リビングへと繋がる扉を開き、ちらりとリビングの様子を覗く。丁度ソファーに腰をかけて携帯を弄っていた一番ケ瀬は、寝室から顔を出す俺に気づいたようだ。 「あれ、十鳥。目が覚めたのか?」と一番ケ瀬は立ち上がり、駆け寄ってきた。 「ああ……なんか、眠り浅くて」 「そうか。……温かいもんでも飲むか? ホットミルクくらいなら作れるぞ」  一番ケ瀬が作ったホットミルクか。一番ケ瀬がそういうものを作るイメージが無かっただけに、そんな単語が出てきたことに少し驚いた。 「いいのか?」と思わず聞き返せば、一番ケ瀬は「当たり前だろ」とにっと笑う。 「俺も丁度飲みたかったし、座ってて待ってろよ」  そう言うなり、俺の背中にそっと手を伸ばした一番ケ瀬はそのままソファーへと座らせてくるのだ。   なんだか距離が近いようで少し胸の奥がざわついたが、また変に意識してこいつと揉めるような真似はしたくない。  こういうものなのだ、と自分を納得させながら俺は「じゃあ頼む」と一番ケ瀬の好意に甘えることにした。  一番ケ瀬は俺に変な触れ方はしないと言ってくれたし、謝ってくれた。  だからこそ余計信じたいし、一番ケ瀬なりに気遣っているのも知ってるからこれ以上余計な気も遣わせたくない。  そんなことをぐるぐると考えながら、俺は簡易キッチンの方でなにやらがさごそとしている一番ケ瀬の背中を眺めていた。  ――この男がいいやつなのは、俺がよく知ってる。  だからこそ早く、余計な心配をかけないように普段通りに務めなければ。 「あ、そうだ。十鳥」  そんなことを考えていると、冷蔵庫を開けていた一番ケ瀬がいきなりこちらを振り返ってきて驚いた。  ずっと眺めていたと思われたくなくて、慌てて視線を外したが、少しあからさますぎたかもしれない。 「なんだよ」と答えた声が裏返ってしまう。 「これ、お前が寝てる間に適当に買ってきたやつ。お前、食堂であんま食ってなかったろ? 食えそうだったら、食えよ」  そう言いながら、買い物袋を手にやってきた一番ケ瀬はそのまま俺の目の前のテーブルの上にテイクアウト用の容器に入った料理を置いてくれる。焼き魚に生姜焼き、だし巻き卵等、俺の好きなものがたくさん詰まっていた。 「わざわざ用意してきてくれたのか?」 「それくらいするさ。お前は体調悪いんだし」 「……悪かった、世話かけて」 「何言ってんだよ、俺が好きでやってるって知ってるだろ?」 「寧ろ、もっと嬉しそうな顔が見たかったんだけどな」なんて一番ケ瀬は少しだけ寂しそうに笑い、それから再びキッチンへと戻っていく。  そんなやつの顔を見て、俺は自分が選択肢を誤ったことに気づいたが、修正するタイミングを完全に逃してしまう。  嬉しくない、わけじゃない。してもらってばかりだからこそ余計、『どうして』という気持ちが強くなる。  好きだから、って、そういう意味なのだろうか。 「……」  俺って、多分相当可愛げないだろうな。あいつから見て。  ……嬉しそうな顔って、どんな顔だよ。  むに、と思わず自分の頬に触れる。緊張したまま強張ったままの表情筋。硬くなった頬では、口角を上げようにもどうしてもぎこちなくなってしまう。 「……いって」 「っ、どうした?!」 「うお、……急にでかい声出すなよ」 「あ、悪い……どっか痛んだのか?」 「……違う、なんでもない」  まさか、嬉しそうな顔を作ろうとして頬を強く引っ張りすぎた、なんて恥ずかしいこと言えるわけない。そうそっぽ向けば、一番ケ瀬は「ならいいけど……」とやはりまだ心配そうにしながらも、すごすごとキッチンへと戻っていく。  ……とてつもなく小声だったはずなのに、あいつ耳いいな。  なんて思いながら、俺はコトコトと牛乳が煮立つような音を聞きながらひりひりと痛む頬を擦った。  一番ケ瀬は本当に俺のことを心配してくれているようだ。  以前から一番ケ瀬は少し過保護なところがあったが、明らかにあれからまた過保護に拍車がかかったような気がしてならなかった。  そして、宣言通り一番ケ瀬のやつが強引に触れることもなくなった。  正直な話、俺にはわかっていた。このままでは良くないと。  この学園にいる限り、この立場に慣れるしかないと。  あの事件から数日が経った。  落ち着くまで授業も休めと一番ケ瀬に勧められたが、いつまでも休んでいてはこの学園にわざわざ入学した意味がなくなってしまう。  そう一番ケ瀬に断れば、あいつは少しだけ複雑そうな顔をしたが「わかった」と俺の意見を聞き入れてくれた。そして、その代わり――。 「十鳥」  その日もなんとか授業が終わり、他の奴らに絡まれる前にさっさと学生寮に帰ろうかとしたときだった。  俺の机の前までやってきた一番ケ瀬は「一緒に帰ろう」と笑いかけてくる。 「い、一番ケ瀬……お前、今日は生徒会があるんじゃなかったのか?」 「そんなこと言ってたか?」 「顧問の先生が言ってただろ」 「別に俺がいなくても大丈夫だよ、あの人たちなら」 「……」  また、これだ。  あの一件以来、一番ケ瀬は俺から片時も離れないようになった。生徒会よりも俺を優先してるのは薄々気付いている。  本当にそれでいいのかわからなかったが、俺が「サボるなよ」と言ったところで聞く耳も持たないし、挙げ句の果ては。 「ほら、行くぞ」  そう、伸びてきた一番ケ瀬の手に手首を取られる。人前だろうが関係ない。一番ケ瀬は気にせず俺の手に指を絡め、そのまま俺の手を引いて教室をあとにするのだ。 「……っ、おい、一番ケ瀬……手……」 「なんだよ、まだ慣れてないのか?」 「慣れてないっていうか……本当に、ここまでする必要あるのか?」  あくまで『これ』は、他のやつらを牽制するためだと一番ケ瀬は言った。  一番ケ瀬のお気に入りだと知らしめれば、以前のように直接絡んでくるやつはいないだろうと。  ……だとしても、男同士どころか異性とのあれやこれに慣れていない俺からしてもやはり緊張するわけで。 「お前が俺と付き合ってくれないならこうするしかない、って俺は言ったろ? お前だって了承してくれたはずだけどな」  人気のない廊下を歩きながら、視線だけこちらへと向けた一番ケ瀬はそういつもと変わらない調子で続ける。  ……確かに、言った。このままお前の部屋で引きこもってるわけにもいかないって言えば、交換条件のような形で一番ケ瀬に持ちかけられたのだ。  そのときはあまり深く考えてなかったし、俺もわけもわからないままレイプされるよりか何倍もマシだとその条件を飲んだ。  けれどもだ、だとしてもやはり慣れるかどうかとなれば話は別になってくる。 「分かってる。……お前に面倒かけてるのも、けど、そのだな」 「恥ずかしい?」 「……恥ずかしくないわけないだろ」  今まで学園内でいちゃこらついていた連中を見下していた自分が、まさかそっち側になるなんて思いもよらなかったし。  そう一番ケ瀬を見上げれば、「んー、まあ十鳥はそうだよな」と少しだけ考えるような顔をする。 「でも、逆にリアリティあっていいんじゃねえの? そっちのが」 「そういう問題なのか?」 「そうだろ。それに、照れてる十鳥は可愛いからな」 「………………」  お前は、と喉元まで出かけて飲み込んだ。  臆することなくそんなことをさらりと口にする一番ケ瀬に、改めてこの男が自分とは別の世界の人間だと理解する。 「……前から思ったけど、慣れてるな。お前」 「慣れてる? 俺が?」 「さらっと野郎相手にそんな言葉が出るなんて、俺には一生かけても無理だな」 「……っ、ふは」 「おい、なに笑ってるんだよ」 「いや、そうか。……十鳥の目にはそう見えたのか」  寧ろそれ以外見えなかったが、と一番ケ瀬に言い返そうとしたときだった。握りしめられたままの手を一番ケ瀬に引っ張られたと思えば、そのままやつは自分の胸に押し当てるのだ。 「っ、な……」 「一応、俺も結構ドキドキしてるんだけどな。……お前と手を繋いで」 「……っ、なんもわからん」 「まじ? ほら、心臓この辺りだったよな」  言いながら、人の掌を更に自分に押し当てる一番ケ瀬。いくらシャツ越しとは言えど、やつの無駄に引き締まった体の感触だったり胸筋の膨らみだったりを感じてしまい、一番ケ瀬の心拍数どころの話ではない。 「わかった、わかったからやめろ……っ!」  これ以上は流石に保たない。そう一番ケ瀬の体から手を離そうとしたとき、「ああ、わかったよ」と一番ケ瀬はすんなりと俺から手を離した。  そして、こちらを見て笑う。 「真っ赤だな」 「せめて一言言え、馬鹿」 「これくらいは平気だと思ったんだよ。……悪かったな」 「……」  素直に謝るなよ。余計どうしたらいいのかわからなくなるだろ。 「じゃ、帰るか」  ほら、と再び差し出された手を促されるまま俺はそっと握る。なんだかやつの掌に転がされているような気がしたが、今の俺には一番ケ瀬に従うことしかできない。  すり、と絡められる指に少しだけ緊張しながら、俺たちは再び学生寮に向かって歩き出した。  ここ数日、確かに平和な日々を過ごしていた。  それでも俺が四軍である限り、永遠に一番ケ瀬の時間を拘束して守ってもらうなんてことはできない。しかも卒業までとなると、一年以上もある。その間ずっとこうして一番ケ瀬に手を握っててもらい続けるわけにはいかない、そんなこと俺にもわかっていた。  ――早く、この状況を変えなければ。  そんな焦りを一番ケ瀬に悟られないように、今だけは安寧に過ごすことにした。  それくらいなら、バチは当たらないだろう。  結局、この関係を変えるという提案を切り出すタイミングを伺ってる間にも一番ケ瀬に守られるような関係は暫く続いた。  そんなときだった。俺がやつと再会したのは。  丁度放課後になり、そろそろ帰ろうかと一番ケ瀬がやってきた矢先のこと、一番ケ瀬は生徒会の顧問に呼び出されたのだ。  流石に無視するわけにもいかないだろうと渋る一番ケ瀬を見送ったあと、俺は一番ケ瀬を教室で待っていた。  そんなときだ。二年の教室にあの男が現れた。 「やあ、十鳥君」 「……え」  生徒会書記であるあの二重人格性悪男が俺の教室にやってきたのだ。  幸い、他にも残っている生徒もいたので王子様面のままだが、それでも見たくはない顔であることには違いない。 「なんの用だよ」 「はは、先輩に向かってタメ口とはね」 「……っ、ですか」 「おお、ちゃんと訂正した。偉いね」  ……なんなのだ、この男は。  周りの視線がチクチクと突き刺さるのを感じながら、俺は目の前の男を見上げる。 「一番ケ瀬ならさっき、生徒会の顧問の先生に呼び出されてどっか行きましたよ」 「ああ、知ってるよ。……そうじゃなきゃ、わざわざこんなところに来るわけないだろ?」  後半は俺にだけ聞こえる声量で囁かれ、咄嗟に後退った。が、遅かった。そのまま俺の腕を掴んだ八雲はにっこりと微笑むのだ。 「僕が用があったのは君だよ、十鳥君。……ちょっといいかな」 「…………」  良いわけなんてない。  もう少し待てば一番ケ瀬も戻ってくるかもしれない。  どう考えても、この男と二人きりになることは得策ではないと分かっていた。 「すみませんけど、俺には用はないんで」 「一番ケ瀬君のことだよ」 「……っ、え」  思わず俺は八雲を見上げる。  目が合えば、八雲はふわりと微笑むのだ。 「君は知っておいた方が良いんじゃないかなって思ってさ、……一番ケ瀬君が今どんな状況に置かれてるのか」 「君のせいで」その薄く整った唇が動いた。  吐き出されたその言葉に、心臓がどくんと跳ね上がる。 「君には僕の話を聞く権利はあると思うんだけど? まあ、君が一番ケ瀬君がこの先どうなろうが興味ないというのなら無理強いするつもりはないけどね」  本当にこの男は性格が悪いと思う。  罠だと、関わったところでろくな目に遭わないと分からせておきながらも、わざわざ退路を塞いで誘導するような真似をする八雲にムカついた。 「……話なら、ここじゃ駄目なんですか」 「駄目だね」 「どうして……」 「君と二人きりになりたいから」  そう顔を寄せてくる八雲に全身にサブイボが立つ。思わず後退ろうとした俺の腕を手綱のように引っ張った八雲は「なんて」と小さく笑った。 「――言うわけないだろ? まさか、またなにかされるんじゃないかって期待でもしてるの?」 「っ、違う」 「ふふ、じゃあなにも躊躇うことはないじゃないか。……行くよ、僕も暇じゃないんだ」  ――この男、本当に。  今すぐにでもこの男の腐った部分を周りに言いふらしてやりたかったが、敵に回すには明らかに分が悪すぎる。  周りから向けられる目がそれをよく物語っていた。俺たちの会話の内容を知らない周りからしてみれば、ただ俺が八雲に誘われてるようにしか見えてないのだろう。現に、向けられるその視線には羨望の眼差しもあった。  ……最悪だ。  そう思いながら、それでも一番ケ瀬の話が気になった俺は観念して八雲の後についていくことにした。

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