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第6話 興行師の椅子

 今日の試合に出場した剣闘士たちが、闘技場から「バルヌーイ剣闘士養成所」へと戻って来ていた。  救護室で傷の手当を受けるもの、整体師にマッサージをさせるもの、食堂で飯にありつくもの、それぞれだ。  アルキバはまっすぐ、興行師の事務室に向かった。剣闘士団の稼ぎ頭であるアルキバの意見を、興行師も無視はできない。これまでも何度か忌憚ない意見をぶつけてきた。  事務室のドアをノックもなしに開けた。が、いるかと思ったバルヌーイはいない。  留守かと立ち去ろうとしたが、ふと気付いた。いつも開け放してある、奥の部屋の扉が閉じている。何か人に聞かれたくない話をする時によくバルヌーイが使う部屋だ。  怪しみ近づくと、中に人の気配がした。アルキバは耳をそばだてた。  中から聞こえて来たのは、バルヌーイと、あと誰か若い男が話す声だ。 「えっ、今からサイル様の所に?また俺ですか?」  まさにサイルの名前が出て、アルキバの顔はにわかにくもる。若い男が何か不満を漏らしている様子だ。それにバルヌーイが答える。 「ああ、ちょっくらグリンダス通りまでな。極秘任務だよ、頼む」 「一体いつまであの人の相手しなきゃいけないんですか。こんなことが皆にバレたら、俺なんて言われるか」 「いつまでってそりゃ……。ウーノ、お前も男娼上がりなんだから、頼むよひとつ。次はヒーラスかナギに行かせるから、あいつらまだ怪我が治ってないんだよ」   ウーノ、ヒーラス、ナギ。みんな元男娼の新人で、剣闘士見習いにしては小柄で、中性的な外見をしている。男娼の「賞味期間」は十代半ばから二十歳までとされているから、二十歳を過ぎて娼館から剣闘士団に売られてくる者も多い。  全てを把握したアルキバは舌打ちし、乱暴に扉を開けた。  安物の机のむこうに座ったバルヌーイが、眼帯をしていないほうの目を丸くした。  新人剣闘士のウーノも、滑稽なほど体をびくりとさせて振り向いた。  オリーブ色の肌をした、黒い縮れた巻き毛の、可愛らしい顔立ちの青年。  何度か養成所の練習風景の中で、素振りをしているのを見たことがあるかもしれない。 「よう、アルキバ……」  バルヌーイが渋面を作って坊主頭をがりがりと掻いた。めんどくさい奴に見つかったな。そんな表情。  アルキバはそんなバルヌーイはとりあえず無視して、ウーノの胸ぐらを掴んだ。 「お前、サイルに掘られてんのか?」  単刀直入な質問。ウーノは目に涙をためて震え上がった。 「す、すみません!だって俺、親方に頼まれて、断れなかったです!」  アルキバは奥の歯を噛み締めてバルヌーイを睨みつけた。肩をすくめる興行師。くそったれ。小さくつぶやくと、乱暴にウーノを手から解放した。 「もう二度とサイルのとこには行くな」 「えっ」  ウーノは目を泳がせて、アルキバとバルヌーイを交互に見ている。 「分かったらさっさと失せろ!」 「はいっ!」  アルキバの剣幕に気おされて直立不動になり、転げるように部屋を出ようとする。ドアノブに手をかけたウーノに、アルキバは再度声をかけた。 「おい待て」 「は、はいっ」  ウーノはぴたりと止まって振り向いて、おそるおそるアルキバの顔色をうかがった。  大先輩は新人の目を真っ直ぐ見て言った。 「俺はこのことを誰にも言わない。だからお前も忘れろ。お前はもう男娼じゃない。剣闘士だろ?」  ウーノはぐっと言葉に詰まった。その胸の内に何が去来したのか、もう一度、目を潤ませる。 「……っ、ありがとうございます!」  張りのある大きな声。そして深々と頭を下げる。ウーノはくるりと振り向き、部屋を後にした。  看板剣闘士は興行師を睨みつけた。  相手もそれを受け止める。しばし睨み合いの沈黙が続いた。  やがて興行師が目をそらした。  ふーっと長いため息をついた。机の引き出しからタバコを出して火をつけ、口に咥える。煙を吐き出しながら、ぼやくように言った。 「もう噂になってんのか」  アルキバは侮蔑を込めた瞳でバルヌーイを見下ろす。 「貴様はいつから売春宿の旦那になったんだ、バルヌーイ?」 「呼び捨てにすんな、親方って呼べ。投資主がアレなんだから仕方ないだろ。アレだけど金払いはいいんだ。最近、飯がうまくなったと思わんか?老朽化した施設の建て替えだって検討中だ。このご時世にあんな金払いのいい投資主は滅多に見つかるもんじゃない。……新人の代わりはいくらでもいるけどな」 「腐りやがって!かつての名剣闘士が聞いて呆れる!」  バルヌーイの現役時代は、今のアルキバを彷彿とさせるような非常に強い剣闘士だった。攻守のバランスの取れた勇猛な戦いぶりは、今も古くからの闘技会マニア達の間では語り継がれている。 「おめーもいっぺんこの椅子座ってみろって。違う景色が見えてくるからよ」  悪びれない様子にアルキバはいきり立った。思い切り机をどんと叩く。 「ふざけるな!お前みたいなクズにだけは成り下がりたくない!新人に売春なんてさせやがって!」 「運営するってのはそういうことだ、興行師は俺だぞ!」 「札束積まれて剣闘士の魂売り飛ばすような男に、剣闘士団を率いる資格なんてあるか!」  アルキバの剣幕に、バルヌーイはイライラとタバコを灰皿に押し付けた。 「言っておくがな、サイルは最初にお前を指名してきたんだぞ!」  突然の暴露に、アルキバは面食らう。バルヌーイは続けてまくしたてた。 「それだけは勘弁してくれと俺が断ってやったんだ!アルキバは絶対に無理だから諦めてくれって。今日だってサイルの護衛がアルキバを夜伽に寄越せってうるさいのなんの!もちろん断ってやったさ!お前のために新人で我慢してもらってんだ!」  アルキバは黙した。内部で何かが激しく沸騰を始めた。義憤が、より直接的で原始的な感情に変化する。  恥辱、屈辱、憤怒。 (この俺に……(とぎ)をしろだと……?) (俺の身代わりに新人を差し出していた……?)  名状しがたい激烈な怒りがぐつぐつと身のうちに沸き立ってくる。  アルキバの沈黙に、バルヌーイは「しまった」という顔をした。手で己の額を抑える。  やべえ、言っちまった、失敗した。……とでも言いそうなその顔。  今すぐ殴打してやりたい衝動を懸命に抑えた。低い声で、アルキバは尋ねる。 「今夜、サイルが男娼用の剣闘士を要求してるんだったな」 「ま、まあ、そうだが。いいよ、あれは、今日は適当に断る」 「グリンダス通りと言ったな」 「ちょっと待てお前、何考えてる」  アルキバは質問に答えず、踵を返した。バルヌーイは慌てて席を立って、出て行こうとするアルキバの前に立ちはだかった。 「待てって落ち着けよ!行ってどうする!」 「俺を呼んでるんだろ奴は?だから俺が行ってやるんだよ」 「で掘られて来るってか?んなわきゃねーよな。頼むから頭冷やせって!サイルは素性を隠してるが、おそらく相当 に(くらい)が高い貴族だ」 「だからどうした」 「いくらお前でも法には勝てねえだろ!奴隷が私情で貴族に手ぇ出したら即処刑だ!一発ぶん殴っただけでもな!サイルをぶちのめしたらお前は斬首刑だ!」  アルキバはバルヌーイを睨め付けた。暗く研ぎ澄まされた目で。 「どけよ。法なんて知ったことか」  バルヌーイは顔をしかめると、説得しても無駄だと悟った様子でクソッと呟く。 「ああもう馬鹿野郎が!どうなっても知らねえからな!」  吐き捨てるバルヌーイを乱暴に押しのけ、アルキバは無言で事務室を後にした。 ◇ ◇ ◇

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