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第16話 英雄を育てた男
バルヌーイ剣闘士団の養成所、興行師の事務室の奥の部屋で、ルシスが珍しく声を荒げていた。
剣闘士団の二番人気、亜麻色の髪の美人剣闘士が、バルヌーイの机にどんと手をつき食って掛かる。
「どうしてアルキバをサイルのところになんて行かせたんだ!」
「俺だって止めたんだ!あいつ頭に血が上ると言う事聞かねえの、お前だって知ってんだろ!」
「俺を呼べばよかった、俺なら体を張って止めた!案の定、憲兵沙汰になってるではないか!」
昨夜は憲兵隊がこの養成所に訪れて大わらわだった。最高級ホテルで一人の傭兵が死に、謎の覆面男「サイル」が行方不明。その両方に関ってるらしいのが、バルヌーイ剣闘士団の剣闘士。
憲兵はその剣闘士がなんらかの理由で傭兵を殺し、なんらかの理由でサイルを連れ去ったと目している。
バルヌーイは知らぬ存ぜぬを貫いた。うちの鉄輪がはめられてたといって、そいつが今もうちの所属かなんて分からない、逃亡奴隷はごまんといる。などなど言って、つっぱねた。
憲兵隊は明らかに納得していない風だったが、そこは剣闘士たちに助けられた。凶暴な面構えのでかい連中が、早く帰れと睨みをきかして圧をかければ、さすがの憲兵隊も居心地悪そうにすごすごと帰らざるを得なかった。
バルヌーイは気まずそうに、同時にいらいらと、机を指でとんとんと鳴らす。
「ちっくしょう、どこ行っちまったんだアルキバ」
はあとルシスはため息をつく。
「サイルを山に生き埋めにでもしてるんじゃないのか?これでアルキバが斬首刑になったら、お前の両目を眼帯にしてやるからな、バルヌーイ」
「おいおい、俺のせいかよ!アルキバが勝手に行っちまったんだ!あと親方って呼べ!」
そこに、三つ目の声が割り込む。
「バルヌーイの言うとおりだぜ、物騒なこと言うなってルシス」
聞き覚えのあるその声に、ルシスがはっと振り向いた。バルヌーイも目と口を丸くする。
「アルキバ!」
二人同時に名を呼ばれ、アルキバはにやりと笑う。
「ただいま」
バルヌーイが立ち上がって、ちっちと舌打ちをした。
「ただいまじゃねえ、どんだけ心配したと思ってんだ!昨日だって憲兵がわらわら来て大変だったんだぞこっちは!連れ去ったサイルはどうした、殺しちまったか!?」
「いや護衛に刺されて死にかけだったのを助けた」
「は?」
アルキバは後ろを振り向き声をかける。
「こっちに来いよ」
おずおずとアルキバの背後から現われたのは覆面をした男……サイルだった。
バルヌーイもルシスも、その姿を見て驚くが、ほっとした顔をした。バルヌーイが脱力したような声を出す。
「生きてましたか、投資主」
「心配をかけてすまぬ。少しそなたにに話があって」
「話……。なんでしょう」
「まず、私はこのバルヌーイ剣闘士団の投資主をやめる」
バルヌーイは眉を上げ、口を一文字にする。歯列の隙間からひゅーと息を吐くと、一言。
「分かりました」
「それともう一つ、アルキバを貰い受けたい」
「……は?」
「アルキバの現在の所有者はそなたであろう?そなたからアルキバを買いたい」
眉間にしわを寄せてサイルを見つめるバルヌーイとルシス。二人は当然、アルキバの顔を見た。
アルキバは、全く予想外のことを言った。
「頼むよバルヌーイ、俺をサイルに売ってやってくれ」
二人は呆気に取られて、アルキバとサイルを交互に眺めた。
うっ、とうめいて、ルシスがなぜか視線をそらした。見てはいけないものを見てしまったかのように。バルヌーイはショックに固まっている。
アルキバはそんな二人を怪訝に見返す。
「なんだ?なんか言えよ、どうした」
バルヌーイは目に涙までためていた。
「アルキバお前……!そっか、掘られちまったのか、目覚めちまったのか、そんなに良かったのか。天下無敵のてめえが貴族の白ちんこに初戦一本負けかよ。こんなことってあるんだなぁ。俺ぁ、心から、悲しい」
アルキバが誤解に気づき、かっと赤面した。
「なに考えてんだてめえらは!そんなんじゃねえ!」
とはいえ、当たらずといえども遠からずなところはあるが。
バルヌーイは自分の頬をばしばしと叩いた。気を取り直した真面目な顔で、はっきり告げる。
「だが駄目だ!絶対にアルキバは渡せません。どんな大金積まれても!稼ぎだけの話じゃねえ。アルキバってのは、バルヌーイ剣闘士団の宝なんだ!」
リチェルはため息をつく。
「そう言うだろうと思っていた。英雄アルキバを見出し、育てたのはそなただからな」
その言葉に、アルキバが不愉快そうに顔をしかめる。あるいは照れ隠しなのかもしれないが。
「さてはタコの自慢話聞いたな?大していい話でもないのにあちこちで喋りやがって!」
かつて浮浪児だったアルキバは、こそ泥で食っていた。
ある日、大胆にも剣闘士団の養成所に盗みに入った。が、見つかった。大男達は小さな泥棒を追いかけ回した。
アルキバ少年は華麗な身のこなしで追っ手をかわす。だが最後、塀の穴から外に脱出したところで、穴の向こうに待ち構えていたバルヌーイに捕まった。もちろんその場で半殺しの目にあった。
バルヌーイは、逃げ回る時の敏捷性と、半殺しの目にあっても気絶しなかった打たれ強さに目をつけた。
そして腫れ上がった血まみれの顔で、バルヌーイを睨みつける強い眼光に惚れた。
――おい坊主、剣闘士になってみないか?
少年は怪訝な顔をし、バルヌーイはにやりと笑った。
その一言から、アルキバの剣闘士としての鍛錬と修行の日々が始まった。
それがたった、九歳の時。小さな子供が一人、大男達に混じって剣を振るその姿は微笑ましく、アルキバは皆に可愛がられた。
暗い目をした浮浪児は、だんだんと明るさを取り戻し、見込まれた通りの才能を開花させていく。
初めて試合に出たのは平均よりかなり早い十五歳。
そして十七歳で御前試合の史上最年少制覇を果たす。
その時のバルヌーイの喜びようと言ったらなかった。バルヌーイばかり泣きじゃくって、当の本人は照れたようなぶっきらぼう、その対比はいまだに剣闘士団の語り草だ。
以上のことを知っているらしいサイルはしみじみとつぶやいた。
「いい話じゃないか」
ルシスもぼそりと割って入る。
「ああ、なかなかいい話だ」
「いやいや、大した話じゃねえだろ!」
アルキバはむきになって否定し、バルヌーイは悦に入った表情でうんうんと嬉しそうにうなずいた。
「そういうわけだから、お引取り下さいサイルさん」
サイルは長い息をついた。
そして何かを決心したように、目をつむる。
サイルは自らの覆面を剥ぎ取った。その顔を晒し、名乗る。
「私の本当の名は、リチェル=ドナ=ナバハイル。この国の王子だ。私がジルソン、オルワードとの王位継承争いに勝てるまで、アルキバを借り受けたい。今はまだ一人の私の、最初の兵として」
部屋中、水を打ったように静まった。
三人とも口を閉じ、ただ魅入られたように、リチェルから目が離せなかった。
アルキバもまだ、こんなリチェルは知らなかった。
ただのリチェルではない、ナバハイルの王族としてのリチェル。
王子はバルヌーイの手を取り、両手で包んだ。
青い目で真っ直ぐ見据え、言葉を繋ぐ。
「そなたの育てたアルキバを、未来の王に貸してはくれぬか」
これが「王威」というものか、と魅入られた者は体で理解する。
リチェルは確かに、この国の王となるべく生まれてきた存在なのだと。
バルヌーイは自分があたかも、物語の中の登場人物になったような錯覚に陥った。
痺れ切った頭で悟る。
――そうか俺は、この王に捧げるために、アルキバを育ててきたのか。
◇ ◇ ◇
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