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第26話 憤激

 王の怒りはすさまじかった。  問いかけに目を泳がせながら「見間違いでは?」などと言う王子二人に、年齢に見合わぬ強烈なこぶしを打ちつけ、騎士達を呼びつけた。  ジルソンとオルワードは地下牢に閉じ込められた。  狭く、光も差さない、淀んだ空気の、悪臭漂う地下牢に。  正装をして午前から本宮殿に赴いたリチェルとアルキバも、王宮内の騒然とした空気に気づいた。リチェルは昨日、国王から公務に参加するよう命じられていた。  空の会議室前の廊下で、近衛騎士団長、イサイズ・ヴリースはリチェルに、今日の会議が中止になった旨を伝えた。 「何が起きた?父上の姿が見えぬが」  イサイズは困惑の表情だった。 「私もよく分からないのですが、陛下はジルソン殿下とオルワード殿下を地下牢に幽閉なさりました。近日中に処刑する、ともおっしゃっています……王妃共々」 「処刑!?昨日はそこまではおっしゃられなかったが。しかもなぜミランダス王妃まで!」 「王妃の件はくれぐれもご内密に下さい。王妃は昨日よりパルティアに行っておられます。王は早馬を出し、取り急ぎ王妃を呼び戻すようご命令になりました。首尾よく進めば王妃は夕刻には戻られるでしょう」 「父上、一体何が……」  眉をひそめるリチェルに、イサイズは苦りきった顔を見せる。 「何があったのかは存じ上げませんが、今は正直、王宮内でごたついている時ではありませんのに」 「どういう意味だ?」 「各地で反乱奴隷の動きが活発化しています。王都でも反乱が起きるかもしれない。王は何事かにだいぶ錯乱しておられるご様子ですが、今は国政のほうに尽力していただきたいものです」  そこまで言ってイサイズは、はっと気づいた顔をする。 「申し訳ございません、殿下の前で国王陛下に大変不敬なことを!」  リチェルは笑って首を横に振った。 「いや、むしろありがたい。父上に言えない不平があったら、私に伝えてくれ。私はまだまだひよっこだが、力になれることもあるかもしれないからな。そなたの国を思う気持ち、とても頼もしい」  イサイズは驚いた顔でリチェルを見た。 「あ、ありがとうございます、もったいないお言葉です!失礼いたします」  イサイズは一礼して去って行った。  イサイズの背中が遠くなるのを見計らい、後ろに控えていたアルキバが声をかける。 「王子様っぽくなってきたな」  リチェルは苦笑した。 「大したことは言っていないのに驚かれる。みな本当に私のことを狂王子だと思っていたんだな」  ははっと笑ったアルキバは、冗談とも本気ともつかないことを言う。 「しかし処刑か。いいじゃないか。俺に処刑人やらせてもらえないかな」 「なっ、何を言うんだ!」 「いや、はなっから馬鹿兄弟をぶっ殺すつもりで来てるしな、俺は。流刑程度だったら、流刑地まで追いかけていって殺す気でいた」 「な、何を物騒なことを……」  だがリチェルはアルキバの目の奥の暗い炎を見て取って、本気だと分かった。アルキバはくっ、と笑みを浮かべ、さらに物騒なことを言う。 「もちろん、あんたが自ら手を下すってのでもいいが。頼んでみたらどうだ、王様に」 「やめてくれ、私はそんなことはしたくない。ただ法に基づいて適切な処分をしてもらえればいい」  アルキバは眉を上げる。 「公明正大だな王子様は」  リチェルはちょっとむっとした顔をする。 「い、嫌味か」 「いいや、やっぱりあんたは王の器なんだろうなと思った」  えっ、とリチェルはアルキバを見る。今度こそ冗談かと思ったが、リチェルを見下ろす目は、またもアルキバの本気を伝えていた。  リチェルは居心地悪くうつむき、髪をかきあげた。 「ありがとう……」  リチェルの照れた仕草にアルキバは微笑する。 「さて会議中止で暇ができちまったが、どうする?街遊びでもするのか?」 「も、もう私は遊ばない。せっかく公務に参加させてもらえるんだ、ちゃんと政務に役立つ勉強をしなければ。まず文書庫に行きたい。最近の会議記録を読んで、この国の状況を把握しなければ。退屈かもしれないが、付き合ってくれるか」 「もちろんだ」  二人は連れ立って文書庫に行った。王族や重臣だけが使える個室で、リチェルは会議記録を読み漁った。その表情はずっと曇ったままだ。 「三年前の増税も、二年前の奴隷保護法の廃止も、父上は反対していたんだ。でもジルソン兄上の意見が通ってしまったんだな」 「奴隷保護法の廃止ね。あれで鞭打ちや子どもの性奴隷がまた解禁になった」  アルキバは吐き捨てるように言った。 「ああ、奴隷保護法は母上の助言により制定された法律だったのに。信じられない、兄上は廃棄奴隷の殺処分なんて検討していたのか」 「はん、不要になったら殺処分か。家畜そのものだな」  リチェルは眉間にしわを寄せながらも、会議記録を読み続けた。一通り目を通したところで、書類をアルキバと共に書棚に戻していく。 「次は王宮図書館に行きたい。外国の政治や経済、歴史などについて学びたいんだ。この国のことはだいたい頭に入っているが、これから奴隷制を廃止するにあたっては、奴隷制を敷いていない国のことを学ばねばならない」 「放蕩息子が見違えたな」 「無精をし過ぎたから、今から挽回せねば、父上にも申し訳がたたない」  そう言うリチェルの横顔は、静かな士気に満ちていた。 ◇ ◇ ◇  この日、王妃ミランダスは戻ってこなかった。  使者の持ってきた、「急病のため故郷であるパルティアで休養の必要があり、当分の間戻れない」との内容の書簡を、ダーリアン三世は破り捨てた。  夜、王は寝室で一人、夫婦の寝台を睨みつけた。  王家の紋章入りの剣を鞘から抜き、その寝台をずたずたに切り裂いた。だがまだ足りぬとばかりに、マットに何度も剣を突き刺した。まるでそこに誰かが寝ていて、その誰かを貫き殺すかのように。  王は寝台に突き刺した剣によりかかり、はあはあと息をつく。  雪のように舞い散る羽毛の中、うなり声めいた低音でつぶやいた。 「カマロ・クル・メギオン……」  今日、地下牢の拷問部屋で忌まわしき息子二人を拷問し、実の父の名前を聞き出した。  それは北の「赤眼の蛮族」、停戦中の敵国メギオンの国王の名前であった。  ミランダスは十代の頃、ナバハイル王国とメギオン王国の停戦直後、人質としてメギオン王国に「遊学」していたことがある。メギオンとの戦は国境を接するパルティア辺境伯のカニエル家が事実上その責を負っていたので、王家の者よりカニエル家の血筋の者を先方は人質に望んだ。  もしその時、ミランダスが後のメギオン王、カマロに見初められたのだとしたら。  メギオン王国とパルティア辺境伯が組んで、ナバハイル王家の簒奪を目論んだのだとしたら。  最初からその目的で、ミランダスが自分の愛人として逢瀬を重ねていたのだとしたら。  なぜ今まで気づかなかったのだろう?  あの兄弟の顔つきは、敵国の王にそっくりではないか。 ◇ ◇ ◇  その日から毎晩、ダーリアン三世は地下牢に潜っては、兄弟に拷問を加えた。  二人を取り急ぎ処刑すべきであることは、王にも分かっていた。  実はメギオン王カマロの子だったなどと恥ずべきことを公表できるわけもなく、生かす限りナバハイル王家簒奪の駒として有効であり続けるのだから、早く殺さねばならない。  だが、殺すのすら惜しいと思うほどに、王は憎しみに支配されていた。  拷問官にありとあらゆる拷問を行わせた。  そして拷問後は、王家秘匿の魔術師に治療させた。両眼が銀色の義眼の、不気味な老魔術師だった。  生意気で不遜な兄弟が、泣き叫び失禁し、無様に許しを請い、日に日に狂い人格を荒廃させていく様は実に小気味よかった。  しかしどれだけ拷問を加えても、王の心は晴れることはなかった。  その心身は闇に蝕まれるように憔悴していった。 ◇ ◇ ◇

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