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第27話 炎上

 リチェルは王子らしい生活を取り戻した。公務に参加し、図書館で勉強に励み、剣術の訓練も再開した。  アルキバは護衛として常にその傍らに立ち見守り続けた。護衛兵用の黒い兵服を着たアルキバを上から下まで見て、リチェルは頬を赤らめた。 「とても似合っている。生粋の騎士のようだ。いや、マントをつけたらどこかの王族に見えるだろう」 「はは、褒めすぎだ。服に着られてる気分だよ」  数日間、アルキバが拍子抜けするほど、危険なことは何もなかった。  ただ王妃はいまだ帰らぬままで、王の表情は死人のように青白く、会議中も心ここにあらずで議事進行は重臣たちに丸投げという状態だったが。  夜、王子と剣闘士は褥を共にした。  城に来て二日目の夜。アルキバがソファで寝ようとしたらリチェルに裾をひっぱられた。 「一緒に……寝てほしい……」 「えっ……」  驚くアルキバに、リチェルは真剣な顔をして言った。 「あのぬくもりを知ってしまったら、もう一人では寝られない」  アルキバは額をさすりながら、困惑とも喜びともつかない笑みを浮かべる。 「そうだな、俺もリチェルと一緒に寝たい、が。また不埒なことをしちまうかもしれない」  リチェルは目を伏せると、小声で言った。 「構わない」  アルキバは額に置いていた手を下にスライドさせ、自分の顔面を撫で付けた。そのまま自分の顎をつかみ、ひゅーと息をつきながら確認する。 「いいのか?」  リチェルは小さく、うなずいた。  そして毎晩、アルキバはリチェルに、ひたすら優しい愛撫をした。  それこそまるで、主人の夜伽をつとめる性奴隷のように、ただリチェルに快楽を与えることだけ追求した。  リチェルの傷ついた秘部には決して触れず。それ以外の全ての場所にキスを落とし、手と舌で念入りに愛した。リチェルの足の指すら。  肌を重ねることは気持ちのいいことである、とリチェルの傷だらけの魂に教え込むように。  リチェルは官能に身を震わせながら、己をアルキバに委ね、アルキバはそんなリチェルを、どこまでも優しく味わった。  平穏な日々が、刻々と過ぎて行った。嵐の前の静けさだったのかもしれない。 ◇ ◇ ◇  ジルソンとオルワードが投獄されてから七日目、定例会議にて。  王はついに切り出した。 「これ以上待てない。パルティアを討つ」  臣下たちは騒然とする。 「お待ち下さい陛下!いかなる理由で討つというのですか」 「パルティア辺境伯がいつまでもミランダスを引き渡さない、のみならずオッドは自身が登城すらしない。パルティア辺境伯オッド・カニエルには謀反の意志がある」  既に、ミランダスを引き渡さなければ謀反の意とみなす、とした最後通牒を三日前に突きつけてあった。その返事はいまだない。開戦事由として十分であろう、と王は臣下を見渡す。  王の側近、国王補佐官の初老の男が困惑の表情で口を開いた。 「しかしオッド卿はナバハイル王国の政に尽力してきた忠臣でございまして……」  王は側近を睨みつける。 「さてはお前もオッドの汚い賄賂を受け取ったのか!その金の出どころはメギオンだ!敵国の金と分かって受け取ったのか!」 「め、めっそうもございません!わ、賄賂など私は一度も!誓って受け取っておりません!」  側近は血相を変えて首を横に振った。  臣下たちは気圧されて押し黙る。王はこの七日ですっかり頬がこけ、眼光だけが異様に鋭く、ますます幽鬼めいていた。  重苦しい沈黙を破ったのは、国王の斜め横に座るリチェルだった。 「父上、お怒りは分かりますが、今は奴隷反乱への対処の方が優先されるべきです。先刻の報告は大変厳しいものです。このままでは王都が火の海になりかねません」  奴隷の反乱に手を焼く自由民たちが、諸悪の根源は王家による税の過重取立てにある、憎むなら王家を憎め、と言い募っていた。これが奏功し、それまで主人たる個々の自由民に向いていた憎悪が、一気に王家に集まりつつあった。  ここ数日、地方の反乱奴隷達が主人の館ではなく、王宮から各地に派遣された地方長官の館を襲う事件が頻発していた。襲った者達の中には、自由民が多数混じっていたという。  つまりは「反王家」の機運が、思想として吹き上がったのだ。  思想は伝播し、人々を行動へと駆り立てる。いつ王都で大規模な反王家反乱が起きてもおかしくない状況だった。  リチェルは言葉を続けた。 「取り急ぎまずは減税と奴隷保護法の復活を決めて、彼らの怒りを鎮めればいいのです。さらに今後の奴隷解放へ向けての道筋を見せれば……」  王は苛々と声を荒げた。 「黙れ、リチェル!そなたまで余を愚弄するのか!奴隷も海の王の呪いも、もはやどうでもいい!パルティア辺境伯が余を陥れようとしているのだ!ゴードン将軍!」  王はナバハイル王国軍の大将の名を呼んだ。大柄で寡黙な印象の男が、困惑の面持ちで王を見据える。 「はい、陛下」 「戦仕度だ。明日の朝パルティアに向けて出兵する。パルティアごとき我が軍の敵ではない、一日で制圧できる。定例会議は終了だ。武官のみここに残れ、これより軍議に入る。リチェル、戦に反対するならばそなたも退席せよ」 「父上、しかし!」  だがリチェルは言いかけた言葉を飲み込む。  悪霊にでも取り憑かれたような父王の横顔を見て、何者にも今の父を止められない、と分かった。リチェルは深く嘆息し、席を立った。 「かしこまりました。下がらせていただきます」  一礼し、退室する。リチェルに続くように、他の文官たちも、険しい面持ちでバラバラと席を立ち、部屋を後にした。 ◇ ◇ ◇  会議室から出てきたリチェルを、扉前で待機していたアルキバが出迎えた。 「早いな、今日は」  リチェルはアルキバと王宮の廊下を歩きながら、渋面で答える。 「武官のみ残れとのことだ。父上が明日、パルティアに出兵すると言っている。王都でいつ反王家反乱が起きてもおかしくない状況なのに」  アルキバは口笛を吹く。 「きな臭くなってきたな。一体どうしちまったんだい、王様は。このところずっと様子がおかし……」  言いかけた脇を早歩きで追い越していく背中に、アルキバは目を止めた。リチェルに耳打ちする。 「あいつは武官じゃないのか?」  リチェルはうなずき、その背中に声をかける。 「イサイズ卿、軍議に参加されぬのか?」  近衛騎士団長のイサイズは、ぴくりと肩を揺らすと、足を止めてリチェルに振り向く。落ち着かない様子で言い澱みながらイサイズは答えた。 「わ、私も殿下と同じくパルティアへの出兵は反対ですので、退席させていただきました」 「なんと!大丈夫なのかそのような事をして」 「ご心配には及びません。急ぎますので失礼いたします」  イサイズは深々と一礼し、さらなる早足で歩み去って行った。リチェルは、ほう、と息を吐きながら言う。 「驚いた、父上へ不満を持っているのは知っていたが、こんな大それた自己主張をするたちだったとは」 「同感だな。ジルソンの顔色伺ってビクビクしてた奴だよな?なんか怪しいなあ」 「怪しい?そうかもしれないな、気に留めておこう。ところで私は父上の心を騒がしているものの正体を突き止めたい」 「突き止められるのか?」 「兄上たちに聞けば、父上の心労が何なのか分かるかもしれない。父上以外、兄上たちとの面会は禁じられているから、禁を破ることになるが」  リチェルの言葉に、アルキバは間を置いて返す。 「あいつらに……会いに行くってのか?」 「そうだ」  アルキバは気遣うように眉根を寄せる。 「大丈夫なのか?」 「今度こそ私は逃げない」  リチェルは強い決意を込めて、はっきりと言った。アルキバはそうか、と微笑みうなずく。 「分かった、行こうじゃないか。俺はうっかり連中を殺しちまわないようにしないとな」 ◇ ◇ ◇  しかし二人は、ジルソンたちに面会することは叶わなかった。塔に入ることすら出来なかった。  なぜなら塔は、燃えていたからである。  ナバハイル城の敷地の北端、黒煙をあげ炎の柱と化した時計塔を、二人は呆然と見つめた。  怒号が行きかい、人々が消火活動に奔走している。灼熱の風が吹き、炎は周囲の人間たちの体を赤々と照らす。 「リチェル殿下!ここは危ないですお下がりください!」  リチェルは兵士の一人に腕を引かれた。 「これは一体どういうことだ!」 「先ほど急に火の手があがりこの状態です。一瞬で燃え広がりました。とにかく避難願います」 「わ、分かった」  二人は兵士の誘導に従い、塔から離れた通りへと下がった。通りには、使用人たちが野次馬と化して詰め掛けていた。野次馬達の話し声が聞こえてくる。 「火元は地下牢らしい。囚人たちも丸焦げだろう」 「じゃあジルソン王太子殿下やオルワード殿下も」 「だろうなあ。なんとおいたわしい。ジルソン殿下のほうが国王陛下よりよほど頼りになる、ジルソン殿下なくしてこの国はどうなってしまうのか。もう世継ぎが例の狂王子しかいないじゃないか」  思わず詰め寄りそうになったアルキバの腕を取ってリチェルが止める。アルキバは舌打ちをする。 「悪い、ついな」  リチェルは苦笑すると小声で言った。 「そんな言葉を気にする私ではない」 「どう思う?この火事」 「どう、とは?」  アルキバは苦い顔をする。 「ただの火の不始末ならいいが、放火だとしたらその意図は……」  困惑の表情のリチェルに、アルキバはふうと息をつき首を振った。 「まあいい、俺の考えすぎだといいが」  二人は人混みを離れ、本宮殿へと戻った。  鎮火には五時間を要した。本宮殿の玉座の間で報告がなされる。  王と、居並ぶ重臣たちの前で、時計塔が燃え落ちたこと、出火元は地下で、地下牢の囚人が全て焼死したこと、出火の原因は不明であることが報告された。  玉座で王は、無表情で問いただす。 「ジルソンとオルワードも、焼死したというのか」 「どの遺体も損傷が激しく判別はつきませぬが、囚人全て命を落としたことは確かです」  王は無表情のまましばらく沈黙した。 「そうか、鎮火活動、大儀であった」  王の言葉はそれだけだった。報告の兵が下がり、王は家臣たちに告げる。 「さあ明日は戦だ。今日はみな、早めに休むがよい」 ◇ ◇ ◇

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