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第28話 地下室

 その日の夜、リチェル邸に訪問者があった。  白髪の小柄な紳士、ダーリアン三世の側近、国王補佐官の男だった。  思いもよらぬ訪問者に驚くリチェルに、補佐官は人払いを願い出た。応接の間で二人きりになってから、補佐官は王からのことづけを伝えた。 「陛下が内密にリチェル殿下にだけお話したいことがあるそうです。今夜十時に、陛下の私室にまでお越しください。その際、どうかお一人でお越しくださいますようお願い申し上げます」 「護衛を伴ってはならぬのか?部屋の外で待機させるが」 「はい、陛下は情報が漏れることを非常に懸念されております。どうかお一人でいらして下さい」 「……分かった」  きっと兄上たちに関することだろう、とリチェルは思った。ずっと気になっていた、父王の心を蝕む何か。明日の出兵を前にして、ついに父は自らリチェルに打ち明けてくれる気になったのだろう。  リチェルはほっとしていた。なんとか父の力になりたいと思った。  国王補佐官が去った後、アルキバに「どうした?」と尋ねられたが、なんでもないと首を振った。教えればきっとアルキバはついてくると言うだろうから。父王は今、非常に不安定な精神状態にある。リチェルが約束を違えれば、それだけでへそを曲げて大事な話を教えてくれなくなるかもしれない。  約束の時間の三十分前、リチェルはそっと寝床から起きだした。リチェルの体を抱いていたアルキバの腕がだらりと垂れた。そのすやすやとした寝息を確認し、リチェルは微笑する。  リチェルは身支度を整え寝室を抜け出し、屋敷の玄関を出た。馬車が止まっていて、従者らしき男が控えていた。男はうやうやしく礼をした。 「リチェル殿下、国王の命でお迎えにあがりました」 「わざわざ来てくれたのか」 「はい、どうぞお乗りください」 「ありがとう、お言葉に甘えさせていただく」  リチェルは馬車に乗り込み、後から従者が続いた。  だが。  馬車が動き出してすぐ、方向が違うことにリチェルは気がついた。窓の外を見ながら、問いただす。 「待ってくれ、これは白蘭邸の方向ではないか?本宮殿は……」  突然、背後からはがいじめにされ、リチェルの鼻と口に濡れた布が押し付けられた。薬品臭が鼻腔をつく。 「っ!」  リチェルは暴れるが、急激な眠気に襲われる。やがて力が抜けていき、リチェルは意識を失った。 ◇ ◇ ◇  頬に痛みが走り、はっと目を覚ました。  リチェルの感覚が最初に捕らえたのは、記憶にこびりついたかび臭い匂いと、見覚えのある天井。 ――あの地下室。  ぞっとしながら身じろぎし、自分がマットだけの古びたベッドの上に座っていること、全裸であること、両手を頭上で縛られていることに気づく。  リチェルは震えながら、今しがた自分をぶったらしい男を見上げた。  顔の半分が焼け爛れたケロイド状で、二つの赤い瞳が肉食獣のように釣りあがり、爛々と光っている。  そのあまりに異様な風貌に、一瞬誰だか分からなかった。 「お帰り、リチェル。ずっとお前がこの部屋に帰ってくるのを待ってたよ」  その鼻にかけたような甘ったるい声で、やっと相手が第二王子オルワードだと分かった。 「なん……で……。塔の地下室に……火事で……」  オルワードはリチェルの髪をわしづかみにしてひっぱった。リチェルは痛みに顔をしかめる。 「燃えて死んだと思った?残念だったね。あの火事は偽装だ、僕らが逃げ出したことを隠すためのね。腰抜けイサイズめ、もっと早くしろ遅すぎる」 「近衛騎士団長があの火事を!?イサイズは父上を裏切ったのか!」 「ふん、今頃何を言ってる?この国の家臣のほとんどは既に、あのイカレジジイより兄さんに忠誠を誓ってるんだよ!」 「そんな……!」 「この七日間、僕と兄さんがお前のせいでどんな目に遭ったか分かる?見てよこの顔、火事のせいじゃないからね。ダーリアンに焼かれたんだ。あいつわざわざ治癒できないように呪具を使いやがった!それだけじゃない、色んなことされたよ!僕達の実の父はカマロ陛下だってちゃんと白状したのに、ますます怒って拷問してきた!お前の父親は頭がイカれてるよ!」 「カマロ……?メギオン国王の……」  リチェルはその時オルワードの頭髪の違和感に気づいた。よく見るとつむじのあたり、髪の付け根が金ではなく茶色い。まるで染髪した髪が伸びて地毛が出てきたかのように。  オルワードはつかんだままのリチェルの頭を、思い切り壁に打ち付けた。後頭部と背中に激痛が走る。 「くっ……ふっ」 「何見てんだよ!この髪が気になるか?そうだよ偽物だよ!染めてるのは髪だけじゃないんだよ!僕らがどれ程、お前の青い目が羨ましかったか、お前には分からないだろうね!」  オルワードは突然、手を頭上で縛られているリチェルの二の腕の内側、その一番柔らかい部分に噛み付いた。灼熱の棒を押し当てられたような激痛が走る。 「っ、つあああああああっ!」  肉を噛み千切られた。オルワードは噛み千切った肉をにちゃにちゃと咀嚼し、ごくりと飲み下す。 「ああ汚いリチェルのこと食べちゃった。僕、一度君の事食べてみたかったんだ」  全身を電流のように悪寒が突き抜けた。リチェルは激痛に気を失いそうになりながら、過呼吸のように胸を上下させた。  狂ってる。目の前にいる男は、もはや人としてのたがを完全に外れている。 「次はその青い目玉が食べたいな。本物の青い目、いいなあ欲しいなあ」  オルワードは指をリチェルの目の上にあてがい、抉り出そうと力を込めた。リチェルは恐怖に身動きひとつできない。  が、ふと気が変わったようにオルワードの指の力が緩んだ。 「ああ、犯しながら抉り出してやろうか。僕から逃げたくせに奴隷なんかに股を開いて、とんだ淫乱だ君は。僕と言うものがありながらどうして?君が精通もしていない時から可愛がってやったのは僕だろ?ねえ、『おねがい』をまたしてよ。あれすごく聞きたい」  リチェルはからからの喉から、必死にその忌まわしい言葉を搾り出す。 「わ、わたしはきたない……どろ、です。にいさまのせいえきで、きたないわたしをきれいにしてください……」  その言葉と同時に惨めな己の姿をまざまざと思い出し、涙があふれた。  やはり全てが夢だったのだ。  本当の自分は変わらずずっと、この地下室で泡を吐くだけの汚泥だった。  オルワードは満足そうに笑みを浮かべる。リチェルの乳首を爪でつまんでねじり上げ、舌を出してリチェルの顔を舐めた。 「ああ久しぶりに聞いたよそれ。可愛いリチェル、汚いリチェル。その汚い体を、僕が今から綺麗にしてあげるね」  オルワードは自分の脚衣をずりおろし、醜く勃ち上がるものをさらけ出した。  リチェルは屈辱を覚悟する。これが現実なんだと思った。ここから逃れられるわけがなかった。  全部、全部が夢だった。  それでもリチェルは、夢の相手の名を呼んでしまう。 「……ル、キバ。アルキバ、アルキバ……っ」  オルワードはぎりと奥歯を噛み締めて、リチェルの首を手で絞め上げた。 「誰の名前を呼んでるんだよ、淫売が!僕の名前を呼べよ!」  リチェルは苦悶し頭を痙攣させる。 「んっ、ぅっ……ぐっ……」  首を絞められたまま、オルワードの、そそり立つ忌まわしきものが、尻のすぼまりに押し当てられた。  噛み千切られた腕から多量の血を流し、遠のく意識の中でリチェルは思う。  こんなことになるのなら。 (夢の中で、あなたにもっと)  触れたかった。  その時。  バリバリッ、という木が割れるような轟音が響いた。それがドアを蹴破った音なのだと、続く足音で理解した。  はっとして振り向いたオルワードが焦燥の声を出す。 「おまっ……」  言い終わらないうちに、その首が宙を飛んだ。首は壁にぶちあたり嫌な音をたてて床に転がる。  体中に傷を負ったアルキバが、ハアハアと息をつきながら、オルワードの首をはねた剣を鞘にしまった。  つかつかとリチェルに歩み寄り、首を失ったオルワードの体を蹴飛ばしてベッドから落とす。 「やっぱりここだったか。すまない、遅くなった」  腰からナイフを取り出し、リチェルを拘束する縄を切った。 「夢じゃ……ないのか……?」  震えながら聞くと、アルキバはリチェルの両耳を大きな手で包む。 「今言うことじゃねえと思うが、言わせてくれ……。愛してる」 「っ……!」  リチェルがずっと焦がれていた、愛の言葉。  その一言は命の水のようにリチェルの魂を救いあげた。  リチェルの瞳にたくさんの光がたまる。  空気を求めるようにその口は苦しげに喘ぐ。  長い睫毛を震わせながら、ついに光は零れ落ちた。 「アルキバ、アルキバ……っ!」  アルキバは泣きじゃくるリチェルに優しいキスをした。汗ばんだ額に、泣きぬれた頬に。  震える唇に。  既に慣れ親しんだ、柔らかな感触。アルキバの味。アルキバの匂い。  リチェルはしっかりと認識する。  こちらが現実なのだと。もう自分は、あの頃の自分ではない。  自分には、助けてくれる人がいる。キスしてくれる人がいる。アルキバが。  アルキバが愛してくれる。 「ごめんな、二度とあんたをこんな目に遭わせたくなかったのに」 「違う!罠にはまった私が悪いのだ。……犯されてもいない」  小声で、未遂であることを告げると、アルキバは安堵の息をついた。だが痛ましげに二の腕の傷を見る。 「でもこんな怪我、負わせちまった。待ってろ」  アルキバは上着を脱ぎ、中のシャツを引きちぎった。黒い兵服の下は簡素な寝巻きのままだった。慌てて出てきたことがうかがわれる。アルキバは、裂いた布をリチェルの血まみれの腕に巻きつけていく。 「汚い包帯で悪いな」  リチェルは鼻をすすりながら、冷静さを取り戻して聞く。 「一体、何が起きたんだ。そなたも傷だらけだ」 「クーデターだ。ダーリアン三世は殺された。近衛騎士団以下、重臣はほとんどがジルソンの命令に従って動いてる。本宮殿のほうにパルティア辺境伯とミランダス王妃もいるようだ」 「なっ……」 「妙に平和だったここ数日は、水面下で家臣たちを懐柔する期間だったんだろうな。王は様子もおかしかったし、家臣たちに見限られてしまったんだろう」 「そんな……。父上……!」  リチェルは青ざめ、こぶしを振るわせた。 「俺はベッドの中にあんたがいないことに気づいて慌てて外に出ようとした。そうしたらリチェルの屋敷の玄関に近衛騎士がわらわらいて、俺を殺そうとした。かなりの数でちょっと大変だったが、まあ全部切り捨ててやった」 「そなたを危険に晒してしまったんだな……私が愚かだったから」  簡易包帯をまきつけ終わったアルキバは、リチェルの頭をなでた。 「リチェルのせいじゃない。さあ城から逃げるぞ」 「えっ……」 「もう王城にあんたの居場所はない。オルワードに弄ばれてると思われてる、この時間がチャンスだ。いきなりのクーデターで、知らされてなかった兵士や使用人たちは右往左往して城内は混乱してる。この混乱と闇に紛れて城を抜け出そう」  リチェルはアルキバを見つめる。唇をかみ締め、うなずいた。 「分かった。今は逃げる」  でも、とリチェルは言葉を繋いだ。その瞳に強い闘志を宿して宣言する。 「でも私は戻ってくる、この城に。父上の仇は必ず討つ!」  アルキバは眉を上げてから、目を細める。リチェルの頭を大きな手でがしりと掴んだ。 「ああ、そうだな、もちろんだ。まだまだ勝負はついちゃいない。これは勝つための撤退だ」 ◇ ◇ ◇

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