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第31話 粛清の日

 紺碧の海を背景に、白い壁と珊瑚色の屋根の三階建てがひしめく港湾都市。  敷き詰められた石灰岩の石畳は、隙間から一本の雑草も生やすこともなく白く輝いている。  諸外国から「西海の珊瑚の街」と賞賛される、ナバハイル王国の美しい都だ。海上からこの都を見ると、屋根の群れがまるで巨大な珊瑚の塊のように見えるのでそう呼ばれるようになった。  だが海から一歩この都に足を踏み入れれば、街の雰囲気はかつてとは全く違ってしまったことに旅人は気付かされるだろう。  裏道には浮浪者があふれ、ナバハイル人は自由民も奴隷も誰もが怯えた目をしている。冷酷な憲兵や、傍若無人な赤目の異国人ばかりが偉そうにふんぞりかえっていた。  憲兵隊長が哀れな娼館の少女を蹴飛ばした日から、二日後。  ナバハイルは建国五百年の日を迎えた。  「森の王」がかつて「海の国」と呼ばれたこの地に王国を樹立して五百年目の日だ。  にも関わらず、祭りらしい雰囲気はまるでない。祭りどころか、街は不気味な静けさに包まれ、空気はぴんと張り詰めていた。  まだ早朝だというのに、街頭に立つ憲兵の数が、妙に多いのである。物々しい雰囲気に臆し、恐れ、民達は家の中に引きこもった。  静まり返った王都の一角、悲鳴が響き渡った。裕福そうな商店の、裏口の扉が乱暴に開かれた。  中から複数の憲兵が、家の主人を捕らえて引きずりながら出てくる。  背後で子供達が号泣する声がわんわんと響く中、妻らしい女性が泣きながら憲兵に取りすがる。 「うちの人が何をしたって言うんです?どうかご勘弁を!」  周辺の家々の窓から、他の民たちが顔を覗かせる。皆、この状況を震えながら見守っていた。  憲兵は手にした逮捕状を女性の鼻先に突きつける。 「黙れ、密告があった。メギオン商人に対抗するための組合を、ナバハイル商人たちで作ろうとしていた。こいつはその一員だ」 「それの何が問題なんですか!」 「何が問題だと?これはメギオンとの友好関係を維持しようとしておられる国王陛下への明確な反逆行為だ!」  女性はわなわなと震える。 「な……っ!異国メギオン人を守るために、自国民であるナバハイル人を捕らえるつもりですか?」  その瞳を憎悪に染めて、女性は叫んだ。 「あなた方は一体、どこの国の兵士なのです!ジルソン陛下は一体、どこの国の王様なんです!」  憲兵達の顔がこわばり、冷たい目がさらに冷酷に光った。女性はハッとして、自分の口を塞ぐ。青ざめながら弁明しようとする。 「ち、ちが……私は……」  憲兵は女性を平手打ちにした。女性は地面に倒れた。憲兵は腰から剣を抜く。 「皆、聞いたな!今この女は陛下を侮辱した!不敬罪によりこの場で処刑する!」  捕らえられた主人が悲痛な声をあげた。 「そんな!どうか妻と子供達はお助け下さい!私はどうなってもいい!」  家の中から子供達が走り出て来た。幼い少女や少年達が、倒れた女性の体に折り重なるようにすがり、泣き叫ぶ。 「やだあああああ!」 「お母さん、お母さん!」  憲兵達は無情にも、子供達をはがすように引き離す。  押さえつけられた母親の頭上、高々と剣が振り上げられた。主人は狂ったようにわめいた。 「やめろ、やめろ、やめてくれえええ!」  混乱と喧騒の中、赤い鮮血が白い石畳に散った。  だが。  うめき声を上げて倒れたのは、 (くだん)の女性ではなかった。  女性を殺そうとしていた憲兵が、剣を振り上げたままの姿勢でどさりと地面に倒れた。  体の中心を血に染めて。  背中から憲兵を刺したのは、灰色のローブをまといフードをかぶった、非常に体格の良い男。  憲兵達は驚愕に目をむいた。 「なに!?何者だ貴様ぁ!」 「暴漢め、覚悟はいいな!」  男はフードを外し、憲兵達を見回すと皮肉な笑みを浮かべて言った。 「暴漢はお前らのことだろ?こんな凶悪な連中が兵士とは恐れ入る。剣闘士も真っ青だぜ」  褐色の肌に端正な顔立ち。万人を惹きつけるオーラを持つ男。  その場にいる皆が、自分の目を疑った。 「剣闘士アルキバ!?」  どこかの窓から誰かがそう叫び、憲兵達が剣に手をかけた。 「お、お尋ね者のアルキバだ!」 「馬鹿な、なんで……」 「怯むな、殺せ!」  憲兵達が剣を抜き、アルキバに斬りかかる。  最初に懐に飛び込んできた憲兵の突きを、アルキバは剣で難なくはじき返した。  バランスを崩した憲兵の腹を斜めに切りつける。  血を吹き出しながら倒れようとする憲兵の襟首をつかんだ。  襲いかかってきた他の憲兵たちに、血塗れの憲兵の体を軽々と放った。驚異的な豪腕だ。  何人かの憲兵達が、放られた仲間の体に倒される。 「う……っ!」  速すぎる動きに狼狽する憲兵達を、アルキバは間髪入れず斬り伏せて行った。隙ありとばかりに。  気がつけばこの場にいた憲兵、全てが地に倒れていた。あっけにとられる、店の主人に周辺住民達。  さらにそこに、別の男が先ほどぶたれた女性のそばに走り寄った。  ローブに身を包んだ金髪碧眼の美青年だった。 「奥方、大丈夫ですか?酷い目にあいましたね」 「あ、は、はい。ありがとうございます」  女性は狼狽しながら身を起こした。  我に返った店の主人が妻に駆け寄り、妻が立ち上がるのを助ける。主人は妻を抱き寄せながら金髪の男を見つめ、感嘆混じりの声を漏らす。 「リチェル殿下……!」  ざわめきが広がった。  窓から見守っていた住民達が、興奮した声をあげる。 「リチェル殿下と剣闘士アルキバだ!」 「あのアルキバが、憲兵達から民を救ってくれた!」 「見ろ、リチェル殿下のお姿を!なんて神々しい美しさだ!前陛下を殺した狂王子だなんてやっぱり嘘なんだ!」  周辺の家々から、人々が飛び出して来て、アルキバとリチェルを取り囲む。  助けられた夫妻は涙を流し、二人に感謝の言葉を何度もかける。  リチェルはねぎらうように主人の肩に手を置き微笑んだ。 「礼には及びません。役目を果たしただけです」 「殿下のお役目……?」  問い返され、リチェルはうなずいた。 「はい。民を守り、救うのが王族の役目です」  その言葉に集まった人々は感極まった。賞賛の声が口々に上がる。 「なんて素晴らしいお方だ……」 「ジルソンと大違いだ!」  だがそこに。  喜びの空気を引き裂く怒声が放たれる。 「お前達、なにを騒いでいる!」  別の憲兵達が近づいて来たのだ。やって来た彼らは、状況を見て息を飲む。 「なっ、どういうことだこれは!?」  アルキバはさっと前に躍り出て、憲兵達に対峙する。同時に、背後にかばった民達に叫んだ。 「女子供は家に隠れてろ!戦える野郎どもは棒でも包丁でも持って来い!今日、リチェル殿下が偽王ジルソンからナバハイルを取り戻す!」  一瞬の間を置いて、男達の野太い声が上る。 「おおおおお!やってやろうじゃねえか!」 「憲兵どもとジルソンめ、今こそ報いを受けろ!」 ◇ ◇ ◇  アルキバが店主とその妻を守り戦っていた頃、王都内の別の区画では。  十名ほどの憲兵が、路地裏にずかずかと入って行った。 「俺たちは廃棄奴隷の捕縛か、反王家狩りの方が面白いのだが」 「文句を言うな、これも名誉な仕事だ。本日は<粛清の日>。建国五百年記念日の今日、廃棄奴隷に反王家、全ての危険分子を王都から一掃すると陛下がお決めになった。俺たちは歴史に名を刻めるぞ」 「そう思えば腕がなるな」 「いたぞ。王都を汚すゴミどもだ」  憲兵達の入り込んだ路地の突き当たり。  そこにはぼろ布にくるまった廃棄奴隷たちが、何十人と寝ていた。  一人の憲兵が眠る廃棄奴隷を蹴り飛ばした。布の中で廃棄奴隷がうめき声を上げる。 「いてて!何すんですかい、憲兵さん」  ぼろ布の中から、眼帯をした坊主頭の男が迷惑そうに顔を出す。 「ほら起きろ、目障りな浮浪者ども!お前らを連行する!」 「連行?慈悲深いジルソン陛下が、飯でも恵んでくれるんですかい?」  眼帯の男が尋ね、憲兵たちは笑い声をあげた。 「そうだ、たらふく食わせてやるから来い!」 「そりゃありがたい!酒もありますか?」 「おお、あるとも!いい酒がな!」  そう言った憲兵の後ろ、別の二人が小声で囁きあう。 「ただし毒入りの酒だがな」 「馬鹿、酒がもったいない、毒入りの水で十分だ」  眼帯の男がははっ、と笑って立ち上がった。  男の意外な体格の良さに、憲兵たちはびくりとする。 「さすがジルソン陛下、けちくせぇな、毒入り水かよ!おっと悪いな、俺は地獄耳でな。税金つかって悪趣味な闘技会やるくらいならエール一杯おごってくれりゃいいのにな!」  わっ、と歓声が上がる。  そうだそうだと叫びながら、ぼろ布の中から一斉に「廃棄奴隷」たちが立ち上がった。  みな、一様に、筋肉質で大きな体の男たちだった。 「なっ……!?」  目を白黒させながら剣を構えた憲兵たちに、眼帯の男は背中から剣を抜き放つとにやりと笑い、大声で言った。 「本日の目玉は団体戦!剣闘士団対憲兵隊、さあ試合開始だ!」 「おおおーーー!」  廃棄奴隷、否、廃棄奴隷に扮していた剣闘士たちが手に凶悪な武器を持って憲兵たちに踊りかかる。直剣に三日月刀、斧に大剣に槍。 「剣闘士……っ」  目を剥いた憲兵が、一瞬で槍の餌食となり胸を血に染める。  ばたばたと憲兵が倒れていく。  まるで勝負にならなかった。憲兵たちはあっという間に無惨な姿をさらすことになった。 「なんだ、手ごたえねぇな、俺一人でも全部ヤれたなこりゃ」  剣についた血のりをぼろ布で拭きながら、眼帯の男がぼやく。 「案外強いじゃないか、バルヌーイ」  亜麻色の髪を長く伸ばした美貌の男が言う。 「おいおい、今頃気づいたのかルシス?」 「まだっすよ、親方!あちこちに憲兵ごまんといますよ!向こうでアルキバさんも戦ってる!」  巻き毛にオリーブ色の肌の青年剣闘士、ウーノが興奮気味に言った。  他の剣闘士たちも目に楽しそうな光を宿してうなずく。  バルヌーイもにんまりと笑う。 「そうだな、アルキバが用意してくれた試合は始まったばかりだ。敵は新王ジルソン、相手にとって不足なしだ!手塩にかけて育てた一級剣闘士を何人も獣の餌にしやがって!剣闘士なめたらどんな目にあうか教えてやる!」  剣闘士たちは歓声をあげ、通りに飛び出して行った。  ジルソン新王新体制への反乱。  その革命の火蓋が、切って落とされたのだ。 ◇ ◇ ◇

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