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第32話 革命
新王ジルソン、ミランダス王太后、オッド・カニエル宰相の三人は、王宮のテラスで朝の茶菓子を嗜んでいた。
「そろそろ廃棄奴隷達の全員拿捕と反王家狩りも終わる頃かな。建国五百年記念日の本日、<粛清の日>をもってついに王都は安息を取り戻す」
顔の左半分に仮面をつけ火傷痕を隠すジルソンが、茶を口に含みながら言った。
ミランダスは賞賛のまなざしで微笑んだ。
「よく決断して下さいました。騎士団の活躍で地方の反乱奴隷も大人しくなりましたし、やっと王国は安泰ですわね」
一方、オッドはやや思案げな表情を浮かべている。
「リチェルとアルキバの行方が分からないままなのは気がかりだが……。海外逃亡の可能性が濃厚のようだな」
その名を聞いたジルソンは突然、果物ナイフをテーブルに突き立てた。大きな音が鳴り、ミランダスもオッドもびくりとする。
二人は互いに目配せをしながら、精神の不安定な若き王をうかがった。
ジルソンは声を震わせながら言う。
「ええ……。あの二人だけは何度殺しても飽き足らないと言うのに!」
オッドは孫をなだめる口調になる。
「ま、まあリチェルなんぞどこかで既にのたれ死んでおるだろう……」
その時、血相を変えた兵がやってきた。
「失礼いたします国王陛下、火急のお知らせがあります!」
「どうした」
「ドミニク憲兵隊長が奴隷と自由民たちに惨殺されました!」
信じがたい知らせに、三人は目を見開く。ジルソンはいきり立った。
「ふざけるな、ドミニクが死んだ?どういうことだ!」
「憲兵隊長は廃棄奴隷に刺された後、街の自由民たちからも暴行を受けて殺されたとのことです。帯刀した奴隷たちが憲兵たちを殺し、自由民まで奴隷に乗じて暴れております。王都はもはや暴徒反乱の様相であります!」
「それくらいさっさと鎮圧しろ!」
「恐れながら陛下、憲兵達が現在、大変苦戦しております。反乱の中心として戦っているのは廃棄奴隷ではなく、廃棄奴隷に扮した剣闘士のようなのです」
「剣闘士……だと……?」
「はい。街中にとてつもない数の剣闘士たちがあふれ、憲兵隊ではとても鎮圧できません!」
ジルソンの表情が凍りつく。
何かに気づいた顔をして、テーブルにどんと手をつき立ち上がる。
「アルキバ……!いや、リチェルだ!リチェルは海外逃亡などしてない!」
そこにまた別の兵士が、息を切らしてテラスへと駆け入ってきた。
「暴徒の集団が、王宮の城門前に押し寄せています!大変な数です!」
ジルソンは歯を食いしばって喚く。
「おのれリチェル!騎士団を出せ、暴徒全て皆殺しにしろ!」
◇ ◇ ◇
一刻前。
王都の真ん中に位置する大聖堂前広場は群衆で埋め尽くされていた。
憲兵達全てが戦意喪失し、反乱民側の勝利が確定した直後。
搾取され続けた奴隷達、憲兵に家族や友人を殺された自由民達、新王ジルソンに不満を持つ全ての民衆。
怒れる群衆のその中心に、長い金髪をなびかせる美しい王子リチェルと、闘技場の王者アルキバがいた。
リチェルは一人、台に立ち語る。聴衆は熱心に、凛と響くその声に耳を傾けていた。
「民を苦しめる憲兵達は退けられた!だが真の敵は、憲兵を動かしていた新王ジルソンだ!国民を疲弊させる三年前の増税、奴隷を虐げる二年前の奴隷保護法撤廃、メギオンとの不平等条約締結、憲兵たちによる反王家狩り、廃棄奴隷殺処分。全てジルソンの命によるものだ!」
そうだそうだ、とどこかから間の手が入る。
「我が父、ダーリアン三世国王陛下を謀殺したのも、ジルソンだ!ジルソンの本当の父親は、敵国メギオンの王、カマロ!ミランダスはカマロと密通していたのだ!」
驚嘆の悲鳴とジルソンへの罵声が入り混じる。既に知っていた様子の民も多く、初めて聞いたという民たちに耳打ちをする。
「ジルソンはカマロの子」という情報を街に広めたのは、ロワだった。
得意の変装で城下町のあちこちに出没しては噂を流した。憲兵たちの気づかない場所で、貴族すら知らぬ真実が拡散された。だからこそ今日、多くの民衆がリチェル側について立ち上がったのだった。
同時に、リチェルもアルキバも既に国外にいる、という噂を城に流しジルソンを油断させた。
ロワはアルキバと共に城に忍び込み、火刑が決まった侍女頭クラリスとミセス・ダウネスを救い出す、高難度の魔術もやってのけた。火をくべられる寸前に、女性二人を身代わり人形とすり替えたのだ。二人は現在、ロワ邸に身を寄せている。
そしてアルキバとリチェルは、バルヌーイに剣闘士を兵として貸してくれと頼んだ。
バルヌーイは二つ返事で承諾し、さらに他の剣闘士団にも掛け合ってくれた。ジルソンの猛獣戦強要に、どの興行師も憤激していた。
結果、大小さまざまな剣闘士団が今日、ここに結集することになった。
かくして昨夜のうちに、全ての廃棄奴隷を剣闘士と入れ替えるという大芝居が決行されたのだ。
リチェルはざわめきの収まりを待ち、続けた。
「この三ヶ月、多くの民をジルソンに殺されてしまった。今日この日に到るまでに様々な準備が必要で、もっと早く決起出来なかったことを申し訳なく思う。だがようやく時は満ちた!自由民も奴隷も心を一つにし、ただこの国の民として、偽王ジルソンと戦ってくれぬか!私と共にナバハイルを守ってくれ!」
おおお、という声が上がる。
「リチェル殿下!どうかジルソンにぶっ壊されたナバハイルを元に戻してくれ!」
リチェルはその言葉に答える。
「私はただ元に戻すだけのつもりはない。私が王になった暁には、奴隷制度を廃止する!」
だが聴衆の熱狂が、この言葉で急に萎む。
奴隷達は歓喜の声をあげたが、自由民達が戸惑っている。困惑の声が掛けられる。
「待って下さいリチェル殿下!奴隷制廃止なんて自由民になんの得もありませんよ!」
リチェルは男の目を見て応じた。
「奴隷制廃止だけではない、私は王の世襲制も廃しようと思っている。誰もが王になれる国にしたい。選挙で選ばれれば誰でも王になれる国が世界にはある。たとえばそなただって、才覚があれば王になれる。その代わり、ジルソンのように民を苦しめれば王でいられなくなる。そんな国にしたくはないか」
「お、俺が王様になるだって!?馬鹿なこと言っちゃいけねぇ、そんな大ボラに騙されるかってんだ!」
「では約束しよう、この戦いに勝利したら、アルキバを新しいナバハイルの王にすると。その後、選挙制に移行しよう。これなら私の本気を信じてくれるか」
こともなげに、リチェルはそう言った。
この言葉の、衝撃たるや。
「アルキバが王だって!?」
群衆が驚き、ざわめき……興奮する。
彼らは今しがた、誰よりも多くの憲兵を切り捨て勇猛に戦ったアルキバの強さを目の当たりにしたばかりだった。
「アルキバがナバハイルの王?」
「アルキバが王……!」
「俺たちのアルキバがこの国の王!」
民衆が湧き上がる。奴隷のみならず自由民も色めきたっていた。
慌てたのはアルキバである。台の上のリチェルの服の裾を引っ張り小声で話しかける。
「お、おい、いきなり何を言い出すんだよ、センキョってなんだ?俺が王?」
リチェルは微笑み、台から降りる。悪戯っぽい瞳でアルキバを見上げた。
「みんな喜んでいる。さすが人気者だな。やはり民をまとめる最高の象徴は、私ではなくアルキバが適任のようだ」
「何言ってんだ、俺はあんたを王にしたくて……」
群衆からアルキバコールが上がり始めた。
「アルキバー!」
「やってくれアルキバ!」
「ジルソンぶちのめして俺たちの王になってくれ!」
リチェルは目を細める。
「ほら、これが民の声だ」
アルキバはやれやれと髪をかきむしる。
「ったく、あんたにはかなわねえ。分かったよ、要するにこいつらまとめるためのピエロになりゃいいんだろ。あんたの交渉上手には本当、舌を巻くぜ」
「ピエロなんて思ってない、私は本気だ。それに交渉などではく、ただ真の言葉で真の心を……」
リチェルの言葉をはいはいと受け流し、アルキバは覚悟を決めた顔付きで台の上に昇る。民衆の前に。
闘技場で勝利のポーズをするように、拳を高く掲げると、民衆に向かって叫んだ。
「俺たちの敵は自国民を殺し、富を吸い上げ、敵に国を売り渡す、ろくでなしの残虐な偽王だ!だが俺は、強い!俺は必ずこの戦いに勝利する!」
水を打ったように静まり返り、皆がアルキバを見つめる。
「俺たちは世界一の剣闘士王国、ナバハイルの民だ!自由民も奴隷も、俺と共に剣を取れ!俺たちを苦しめたこと、王殺しの偽王ジルソンと、ジルソンに媚びへつらう金の亡者の豚共に後悔させてやろうじゃないか!」
大歓声が沸き起こった。自由民、奴隷の別なく、全ての民衆が興奮に打ち震えている。
「戦おう、アルキバと共に!」
「うおおお!」
「俺たちのアルキバを王に!」
「アルキバを王に!」
アルキバはちら、とリチェルを見る。リチェルはうん、とうなずく。
アルキバは真っ直ぐ、王城の方を指さした。
「敵は城にいる!偽王を討ち果たしに、いざ進め!」
◇ ◇ ◇
王宮騎士団と、王宮前に集った反乱の暴徒民。
その決戦は、ものの数時間で決着がついた。リチェル・アルキバ軍側の、圧倒的勝利に終わった。
主戦力として戦った剣闘士たちは、誰もが似たような感想をもらした。
「騎士団は拍子抜けするほど弱かった」と。
常に死と隣り合わせの極限の状態で鍛錬に鍛錬を重ねた剣闘士達。
彼らは既に地上最強の戦士であり、剣闘士が一丸となった時、騎士団すらもはや敵ではなかったのだ。
最終決戦の場は玉座の間だった。オッドとミランダスは敗北を悟り、扉を蹴破られた時点で既に自刃して事切れていた。
玉座に座る狂人の形相のジルソンと、リチェルは対峙する。
ジルソンが従えるは近衛騎士、リチェルが従えるは剣闘士。
「殺せええええっ!」
ジルソンの狂った叫び声と共に、騎士と剣闘士が激突する。
睨み合うジルソン、リチェル両者の間で、最後の戦闘が行われた。
罵声と、剣の打ち合う音と、血の匂いが嵐のように吹き荒れた。嵐の中心で最も果敢に戦っていたのは無論、アルキバである。
やがて嵐が凪ぐ。
騎士達を斬り伏せた剣闘士達が、リチェルのために道を開けた。玉座の間の端ではジルソンに与した臣下たちが、慄きながらひれ伏していた。
呻き声をあげる裏切りの近衛騎士達の体を乗り越え、その返り血で染まる玉座の間を、リチェルは歩む。
最後の一人となったジルソンは、爛々と異様な眼光を放ちリチェルに叫ぶ。
「汚い娼婦め、その淫乱な体を何人の奴隷に開いた!奴隷どもに担ぎ上げられて、それでお前は何者になるつもりだ、奴隷どもの娼婦リチェル!」
リチェルは静かに、憐れみすらにじませてジルソンを見返す。
「奴隷?もうこの国から奴隷はいなくなります。あなたこそ一体、何者だったのですか?赤い瞳の兄上」
ジルソンは絶句する。
その瞳に去来したのは、紛れもなく「羞恥」であった。
王家簒奪の駒として生まれた、不義の子。赤い眼と茶色い髪を染め上げた、偽物の王族。
恥そのものの人生を、本物の王子に見透かされた。
——自分は果たして、何者であったのか。
ジルソンが手負いの獣のように咆哮し、剣を振り上げた瞬間。
アルキバの刃が、その首を切り落とした。
リチェルは臆することなくその首を拾い、玉座の前に立ち掲げた。
高らかに勝利を宣言する。
「逆賊は討ち取った!ダーリアン三世陛下の無念を晴らし、ナバハイルを偽王から取り戻した!今この時よりこの国は、ナバハイルの真の王、アルキバの統べる国となる!」
猛々しく戦った剣闘士達は城を揺るがすような歓声を上げ、アルキバは「おいおい」と苦笑しながら、リチェルを見やる。
血に汚れたリチェルはしかし、つきものが落ちたように神々しく、美しかった。
◇ ◇ ◇
後の世でこの戦闘は、叙事詩「二人の王」の最初の一幕として描かれる。
ナバハイル黄金時代の幕開けとなった、二人の王の英雄譚の始まりとして。
「知の王」リチェルは、奴隷を解放し選挙王制への道を開き、善政によってナバハイルを現世の桃源郷と呼ばれるほど豊かな国に導いた。
「武の王」アルキバは、元剣闘士を中心とした世界最強の軍勢を率い、メギオン王国その他の敵国を次々打ち破り、史上最大の版図を築いた。
彼らは後の世の多くの芸術家たちに好んで題材とされた。
「戴冠式、二人の王」は一番有名なモチーフだ。頭に冠をいただく金髪碧眼の王が、かしずく褐色の美丈夫にもう一つの冠を授ける構図で、多くの絵画や彫刻が制作された。
リチェルとアルキバの物語は、史上最も民に愛された王として、末永く語り継がれていくことになる。
◇ ◇ ◇
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