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第1話
晴れだというのに、気温の上がらない早春の午後だった。
壮麗を誇る王宮の西には、いくつもの尖塔が空を目指して建っている。それらの研究棟群を背に、魔術学院の本部は重厚に聳え、その敷地の片隅に建つ屋舎は、低く小さく見劣りがした。
そこ、魔術師協会に呼びつけられたリュソンは、手あぶりさえない小部屋に通されたことにまず苛立った。フードの下で朽葉色の髪が逆立ちそうだった。機嫌が良ければ、木々の緑をほんのり映し込んだ夏の青空のようだと言われる瞳は、険しく細められ、雷雨前の暗さに陰っていた。外套を着たまま粗末な椅子に座り、身体を絶え間なく揺すって下級書記を待つ。
師であったパーンに引き合わされたのは、こんな殺風景で寒ざむしい小部屋ではなく、魔術学院学長の応接室だった。
天井まで届きそうな窓が、南と東の壁に大きく開かれ、薄く軽やかな窓覆いが春の風の中で蝶が遊ぶように舞っていたのを覚えている。
座り心地の良い椅子に腰かけたパーン師は孔雀の羽のように印象的な緑色の瞳の美しい青年で、若いながら学長とも対等に論を戦わせ、時には賛辞さえも引き出して、まだ学生だったリュソンの心を奪った。いつかこの秀でた魔術師の門下に入り、学んでいきたいと思った。そうなるよう努力し、そうなった。だが、若く美しく賢かった師はもういない。
魔術師が、己の人生の最後に、知り得た叡知を記す「魔術師の本」。没した書き手が指名した正当な持ち主から、その本を奪うことーー魔術師にとって、これほど忌むべき悪業はなく、死罪に値する。
パーンは禁断の果実を求め、その結果、自滅した。弟子の一人としてリュソン自身もその責を負わされ、三年間の巡回魔術師の任を命ぜられることとなった。
やっと来た下級書記から形式的に辞令を受け取ったリュソンは、無言で部屋を出た。
己の才覚だけで若くして王都の魔術学院に登ったリュソンの人生は、十七にして終わったも同然だ。二年前のあの日、師匠のパーンに初めて会ったときには、春の曙光のように自分の人生は輝きはじめたと思ったのに。
「この私が、巡業魔術師だと?」
ひとけのない廊下の途中で、思わず呪詛のような繰り言が口から漏れて、空気が白く凝った。
そもそも魔術師になろうなどという輩は、世界の秘密を追求するために生きている。リュソンも例外ではない。
知識と論を以て、魔術を実践するのは結構なことだが、そこで喜ぶのは初心者じみている、というのが魔術師とそれを志す者の共通認識であった。すなわち、実践より理論を求めよ、である。
実践の部分のみを求められ、それで金銭を得るという、志の低い魔術師が巡回魔術師ーーときに巡業魔術師と揶揄されるーーであるという共通認識でもあった。鍛冶屋や行商人と隊商を組み、神殿もないような小さな村々を巡るのだ。下賎扱いされても仕方ない。
実際、何人かいた兄弟子たちは誰ひとりとして、こんな辞令を受け取ってはいない。皆、裕福で身分のある家の子弟ばかりだったから、手を回したり金を積んだりしてその役を回避していた。
乳飲み子の頃、両親を亡くしたリュソンには、そこまでまとまった財もなければ伝もない。辞令を飲むしかなかった。
「おおい。リュソン君、リュソン君!」
協会の建物を出てしばらく歩いたところで、名前を呼ばれ、リュソンは立ち止まった。冬枯れの木々に混じって建ついくつもの尖塔の奥、魔術学院の研究棟のほうから声は聞こえてきて、やがてむくむくと太った茶色のウサギのような中年の小男が姿を現した。
「副長先生……おひさしぶりです」
博物学の教授のドゥー師は、魔術学院の副長も兼ねていて、自分と同じような出自だからと、リュソンにはずいぶん目をかけてくれていた。寒がりで出不精なドゥー師が、外套や襟巻きでぐるくる巻きになってまで会いにきてくれたのが、リュソンは嬉しかった。
「今度のことは大変だったね。しかしまあ、よりによって獣の王所有の『本』を奪おうとするとは、パーンも無謀なことを……」
あれが、死せる鳥の王から獣の王に贈られた『魔術師の本』だと知っていたら、さすがのパーン師も思い止まっただろう。そうではなく、俗世の一魔術師の持ちものだと思えばこそ、奪い殺し、その事実を隠匿できると思っていたのだ。あの驕慢な魔術師は。
リュソンには師を止められなかった。どんな相手であれ、魔術師の本を正当な持ち主から奪えば死罪だと進言すると、嘲笑われ軟禁された。そのときの美しくも冷たい、リュソンを見放したような顔。それが、生きているパーンを見た最後だった。
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