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第2話

 無言で俯いたリュソンを元気づけるようにドゥー師は続けた。 「報告書を読んだが、君に罪はない。あるとしたら、師を選び損ねた罪だったね。巡回の任期は何年だい?」 「三年です」  ドゥー師の優しげな声に、固い声でリュソンは答えた。 「一年、せめて任期が一年になるよう、僕も手を尽くしてみるよ。そのあとは、うちの門下の誰かの研究室に入ればいい。それまでがんばれるかね?」 「本当ですか?」  顔をあげると、ドゥー師は襟巻きに埋まり直しながら言った。 「当たり前じゃないか。君のような優秀な魔術師が田舎の巡回だなんて! 君にはできるだけ早く研究生活に戻ってほしい。人王の御世なのだから、もっと重大な魔術理論が発見されても良いはずなんだ。僕がだめでも、他の誰かが見つければいい。そのためには僕はなんだってするよ」  おとなしい家ウサギのような茶褐色の瞳に、一瞬狂気じみた光が宿った。人が良さそうなドゥー師だが、やはり魔術師。ましてや王都の魔術学院の副長を務める人物ともなれば、偏執的な知識欲にとりつかれた一種の化け物であることは明白であった。  それに、ウサギは案外気性の荒いいきものでもある。リュソンはそれを忘れてはいなかった。  一年限り。  ドゥー師と別れたリュソンが歩き始めると、はらはらと小さな花びらのような雪が降りだした。  それはその冬最後の雪だったが、リュソンがそれに気づくのは半月後、王都を離れて巡回の旅に出立したときのことになる。  長く続くこの王国の年代記を繙くと、人王という記述を時おり目にする。  数世代、もしくは十数世代を超えて、人王は突然現れる。紊乱の世をただし、長く続く安寧と繁栄の治世を約束する、伝説の賢王である。  現在の王家の始祖が、最初の人王とされている。狼と鷹を従え、どこからか現れたひとりの青年が、豪族たちが争い、荒れ果てていたこの国を瞬く間に平定した。  最初の人王が連れていた狼はすべての獣を、鷹はすべての鳥を、意のままにすることができた。狼と鷹はやがて人の姿になった。もともと人であったのか人外なのか、始祖の人王のみ知るところであったが、ひとがたになっても彼らのその力は変わらなかった。そして、獣の王、鳥の王として人の王たる人王に仕えた彼らが、世に魔術を広めたという。  鳥の王は、毎回というわけではなかったが、獣の王は必ず人王とともに出現し、王族の中から継承順位には関係なく、人王を指名する。  そのため、王が死んで代替わりするたびに、魔術師たちは魔法陣を描き、自らを獣の王、鳥の王たらしめんと呪文を唱える。  獣の王、鳥の王となれば、人王からの信頼と共に、絶大な権力と富と叡知を得るものの、儀式の中で命を落とす者も多い。  さて、今の人王アルマーザ四世にも、獣の王がいる。こちらは息災であるが、鳥の王は死病を患い、数年前から隠遁生活を送っていた。己の命が終わることを悟った鳥の王は、獣の王に送るための本を作った。鳥の王による『魔術師の本』である。  その本が完成したという噂が流れた後、館を夜襲された鳥の王は命を落とし、本はどこかに消えた。  しばらくして、ある街に現れたそれが『魔術師の本』であることに気づいたリュソンは、正当な持ち主を知らぬまま、奇妙な『本』が存在することを師であるパーンに何の気なしに告げた。  パーンは、『本』を自分より力の劣る平凡な魔術師のものだと想定し、ならば『本』を奪い取り、持ち主を殺して我が物にしても、名門の権力と財力で市井の魔術師の死をもみ消すことなど容易いだろうと考えた。  ところが『本』の持ち主として現れたのは獣の王で、返り討ちにあった挙げ句、混乱の中で行った魔術の儀式に失敗したパーンは死んだ。  リュソンは軟禁から解放された後、師の亡骸にすがって泣いた。  パーンは気まぐれで残酷で傲慢な利己主義者だったが、優しいときもあったし、なによりもリュソンは師を魔術師として尊敬し、愛していた。

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