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第23話
「あと君、これ以上如月君の地雷踏むの止めてよね。暴れ出したら手がつけられなくなって、マジみんな迷惑だから。今日だって桐島君が来なかったらどうなったことか」
はいはい、と隼人は肩をすぼめた。
「あの桐島って奴……、どっかで見たことあるような」
隼人は記憶の糸を辿ろうとするが上手くいかない。
それにしても如月旭葵、男子だったとは。過去をたぐり寄せようとした手が別の記憶を掴んで戻ってくる。
似ている、あの子に。
遠い少年の夏の日の思い出。隼人は小学5年生で家族旅行に行った先でのことだった。
興奮で朝早くに目覚めてしまった隼人は、こっそり旅館を抜け出し辺りを探索していた。湖に続くという小道には朝露に濡れたツユクサの青い花が咲いていた。黄色い動物注意の標識が目についた。クマの黒いシルエットの胸には三日月模様が入っている。昨日、旅館の人がこの辺はツキノワグマが出没するから注意してくださいと言っていたのを思い出す。
クマに遭遇した時は背中を向けて逃げてはいけないんだっけ、木になったフリをするといいんだっけ、などと考えながら歩いていると、ガサリと茂みから黒い影が小道に飛び出してきた。
「ひやぁっ」
心臓が垂直に跳ねてその反動で尻餅をついた。
朝靄がうっすらかかる、1日が汚される前の早朝、そこに現れたのは天使と見がまうばかりの美しい少女だった。頭に白いバンダナを巻き、その先を後ろに長く垂らしている。
驚いたのは隼人だけではなく相手も同じだった。少女の吸い込まれるような澄んだ大きな瞳と隼人はしばらく見つめ合った。
が、びっくりの魔法が解けたのは少女の方が先だった。少女は緊張した表情を溶かすと、ふっ、と笑った。そしてそのまま駆けて行った。白いバンダナをたなびかせて。
天使の微笑み、いや、違う、あれは無様に尻餅をついた自分を笑ったのだ。ぶわっと、全身を熱風が駆け抜けた。恥ずかしくて熱風と一緒に空の彼方へ飛ばされたかった。
あんなきれいな子初めて見た。従兄弟の子が持っている人形みたいだった。少女の後を追ってみようかとも思ったが、笑われたことが恥ずかしくてその考えはすぐに取り下げた。少女との一瞬はその後の隼人を捕らえて離さなかった。
一目惚れだった。初恋と言ってもいいかも知れない。それまで誰かに感じたことのあるドキドキは、この経験に比べるとまるでおもちゃみたいだった。
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