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1、ツイてない日は
ツイてない日は、とことんツイていないものだ。
「くそぅ……、なんで俺がこんなとこ掃除しなきゃいけないんだよ……」
境内の裏手にある土蔵の中で埃まみれになりながら、俺はそうひとりごちた。
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ほんの二時間ほど前、恋人にフラれた。
いや……いわゆる『恋人』という呼称される関係性にはあてはまっていないかもしれない。交際期間はたったの三週間。酔った勢いでホテルに入り、身体の相性が悪くなかったがゆえにこうなっただけ。そこに、恋人らしい情緒的な交流など一切なかったのだから。
相手は大学きってのイケメン・中務 零士 。
零士が流した浮名は数知れず。彼が交際相手に選ぶのはすべからくきらびやかな男女ばかりだった。華やかに着飾った女子大生らに負けず劣らず、零士の容姿もまた端整だ。180近い長身に小顔、モデル顔負けの長い手足に秀でたファッションセンスを秘めていて、いつどこにいても零士はキラキラと目立っていた。
そして堂々とバイセクシュアルを公言しているところもまた、彼の先進さや奔放さにより輝きを添えているようだった。
実際、彼はどこかのファッション誌で不定期にモデルの仕事をしていると聞いたこともある。それくらい、零士は眩しい男だった。目立たず騒がず、陰日向でひっそりと物静かに生きてきた俺には、あまりにも眩しすぎる相手が、うっかり彼氏になってしまった——まるで自分がハッピーなBL漫画の主人公になってしまったのではないかと錯覚し、目覚めるたびに頬を引っ叩き、零士からメッセージが来るたびに太ももをつねった。
対する俺——柴 陽太郎 の容姿はというと……これといって特筆すべきところもない、ごくごく普通の若者だ。
身長は167センチの痩せ型で、こじんまりとまとまった目鼻立ち。とりたてて良くもなければ悪くもなく、ゼミの先輩女史たちからは「柴ちゃんってよく見ると可愛いね〜」と評される程度の顔である。
服装だけは、とりあえずはダサく見えないよう流行りに気を遣っているが、その努力が余計に俺の凡庸さを強調しているような気がする。
なにごともなければ、零士と俺の人生が交差することなどありはしない。
だが、たまたま取った体育の講義でバスケットボールのチームが一緒になった。体育は学生同士の交流を促す目的があるため、学部の垣根を取り払ってある。
そこで零二とたまたま同じチームになり、小中高とバスケ部だった俺は空回りしつつも大活躍をし(ちなみに零士はサッカー部だったらしい)、そこで気持ちよく勝負に勝った。
そしてその後の飲み会でずいぶんと零士に気に入られ、飲めない酒をうっかり飲まされた。ウブで照れ屋で赤面しがちな俺に妙な色気を覚えたらしい零士によってそのままホテルへ連れ込まれ……たまたま、そういうことになったのだった。
零士は都内に実家があるくせに一人暮らしをしていて、逢瀬はいつもそこで行われた。LINEで呼び出されればすぐに駆けつけて、零士の抱擁とキスに絆され……そのまま何度も身体を捧げた。
中学生の頃に自分が同性しか愛せないたちだと気づいてからは、淡い恋心も甘美な恋愛体験への憧れも、ただただ抑え込むことしかできなかった。第二次性徴とともに込み上げてくる性的な欲求は自分で処理するしかなく、後ろを弄るようになったのも昨日今日のことではない。
飲み込むことに慣れた身体は零士のそれをやすやすと受け入れたし、感度もよかった。男を喜ばせることができるだけの柔軟性と弾力性を持ち合わせた俺の身体を、零士は気に入ってくれているものだとばかり思っていた。
これがいわゆる『カラダから始まる恋』か——と、俺は酔っていた。たとえ行為のあとすぐ、零士に「もう帰ってもいいけど?」と冷たく突き放されたとしても。それは単なる賢者モードとともに訪れる照れ臭さのせいだと思っていた。
だって、零士のキスはいつだって優しくて気持ちがよかったし、セックスだって情熱的だ。きっと零士はツンデレなのだ。きっとそのうち、素直な一面を見せてくれるに違いない……そう思っていた。
だが、ついさっき送られてきたメッセージにはこうあった。
『彼女ができたから、俺とはもうヤれない』——と。
フラれてもいないのに彼女ができたとはどういうことだ!? と、さすがの俺もパニックになり、即座に零士に電話をかけた——……が、出ない。そして、電話を切った直後に送られてきたメッセージに、膝が萎えてしまうほどのショックを受けた。
『ぶっちゃけもう飽きちゃった。お前もそろそろまともな彼氏作れよ(笑顔の絵文字)』
……ショックが少しずつ落ち着いてくると、文末に添えられた絵文字に無性に腹が立った。普段絵文字など使わないくせに、零士なりの気遣いのつもりなのだろうか。満面の笑みでもなく、曖昧にニッコリした微妙な絵文字だ。その絵文字に憐れまれているような気がしてムカムカと苛立ち、俺はスマホをベッドに向かって投げつけた。
マットレスに受け止められ、スマホは無事であるはずだった。……が、なんとそこには運悪く、タブレットが寝そべっていて——……。
慌てて飛びついたスマホにもタブレットにも、等しく画面にヒビが入っていた。俺は声にならない悲鳴をあげ、がっくりとその場に崩れ落ちてしまった。
そして今は、祖父に命じられて土蔵の掃除だ。そもそも、ずっと前から祖父に依頼を受けていたのに、そのうちやるからと先延ばしにしていた俺も悪かった。
割れたタブレットとスマホを抱きしめて失恋の涙に暮れていた俺のもとに鬼の形相の祖父が現れ、『昼寝してる暇があるなら土蔵の片付けをやれ!!』と尻を引っ叩かれ……俺は無気力なままベッドから出て、こうして土蔵の中で埃にまみれているというわけである。
「はあ……終わる気がしない。こんなの俺一人じゃどうにもなんないよ……」
二階建ての古い土蔵の中、俺は天を仰いだ。
俺の家は神社である。『黒津地 神社』といい、祭神は阿遅鉏高日子神 という雷神である。
この町では知らない人はいない程度に、地域に根差した古い神社だ。柴家三代にわたって黒津地神社に仕え、当然、俺がその跡を継ぐことになっている。とはいえこのご時世だ。大して大きくもない神社の神職では、収入面で心もとない。奨学金をもらいながら大学に通っているが、ゆくゆく返さねばならない金だ。
だが、俺には神社という職場でこそ活かせる特技がある。
柴家の血筋は代々霊力が高い。その中でも、俺は際立って豊富な霊力を持っている。そのため、お祓いをすれば百発百中悪いものを取り去ることができる。
本格的にこの手の仕事で神社の手伝いを始めたのは高校生の頃だった。霊障に悩む人々が苦しみから解放される姿を見守ることも、感謝されることも、俺のやる気につながっている。また、お祓い料の一部をバイト代としてもらえることも、モチベーションの一端だ。
俺は幼い頃から、当たり前のように幽霊や妖といった類のものがはっきりと目に見えていた。物心つくまでのあいだは、生きている人間と肉体のない幽霊との見分けがつかなかったようで、常に何かを目で追っていた——と、生前の母が話していた。
祖父いわく、両親は真面目で善良な人間だった。婿養子の父親と、柴家の娘である母親。母親は俺ほどに視える力はなかったし、父親に至っては全く何も見えない人間だったけれど、真摯に神にお仕えしていた。おっとりとした人柄もあって地域の人々に愛されて、黒津地神社は明るく栄えていた。
だが、不幸は誰にでも平等に訪れる。
両親は交通事故で、あっけなく亡くなった。その日はちょうど、俺の参観日だった。小学二年生の頃のことだ。
今日は両親揃って授業を見にきてくれると聞いていたため、俺はワクワクしながら二人の到着を待っていた。だが、ぞろぞろと友達の親たちが揃い始めても、授業が始まっても、両親の姿は見えなかった。
どうしたんだろう。きゅうなおはらいのしごとでもはいったのかな——……と、内心首を傾げつつ算数の授業を受けていると、保健室の先生が真っ青な顔をして俺を迎えにきた。
事故の話を聞く俺の目線の先には、悲しげで、申し訳なさそうな表情を浮かべた両親の姿があった。
——『ごめんね』……
優しかった両親の唇が動き、空気に溶け込むように姿が消えた。あまりに唐突に奪われた両親の命だ。だが、俺は自然とそれを受け入れていた。
柴家の人間は短命だ。母親からずっと言い聞かせられてきたことだった。
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